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第3章・丘の上で


 誰よりも早く丘に辿り着いたのは、変熊 仮面(へんくま・かめん)だった。
「キメラを従えた美しい私の姿! 想像するだけで素晴らしいっ!」
 変熊は、裸身に薔薇の学舎のマントをたなびかせ、首に赤いマフラー、顔に赤い羽の仮面をつけた姿で、腰に手を当て想いのたけを絶叫していた。
 彼の脳内では、お花畑を背景に目をキラキラと輝かせながらキメラと自分が楽しそうにじゃれあっている映像がすでに完成されている。
「待っていてくれ友よ。今すぐ貴様の元へ向かおうではないか!」
「ちょっと待ったぁ!!」
 変熊の妄想を止めたのは、東條 カガチ(とうじょう・かがち)だった。
「ぬぅっ、貴様はっ!?」
「あんたみたいな変態に、キィたんのもこもこは渡せないねぇ」
 変熊を変態扱いするカガチも、上半身は裸のままパラミタヒツジのぬいぐるみを両手に1つずつ抱え、さらにもう1つを頭にくくりつけているという姿だ。
「ふんっ、誰にも俺様の邪魔はさせん」
 緊張が高まる2人の間に、突然、森からスパイクバイクが突っ込んで来た。
「おっとぉ、轢いちまってたら謝るぜ」
 国頭 武尊(くにがみ・たける)はバイクを止めると、悪びれない様子で2人に言った。
「なぁ、この辺でキメラを見なかったか?」
 武尊の言葉に、変熊とカガチが身構える。
「貴様も捜しているのか」変熊は舌打ちして、武尊を睨む。
「どういうつもりで捜してるのかなぁ?」カガチは武尊の真意を推し量るように問い掛けた。
「決まってるぜ! 捕獲して飼い主に引き渡すんだ。サービスが楽しみだぜ」何を想像したのか、武尊の頬が緩む。
「オレのやり方だと、ちょっと荒っぽくなるが、まぁ、ここはイルミンスールだ。生きてりゃ誰かのヒールで何とかなるだろうぜ」
 そう言うと、武尊は再びバイクのエンジンを動かした。
「キメラの居場所を知らないんじゃ、君らに用はない。無駄な時間を使っちまったぜ」
 そう言い残し、武尊は木々を器用に避けながら、比較的広い獣道を選んでスピードを上げた。
「かわいいキィたんに危害を加えようなんて、なんてヤツだろうねぇ」
「俺様の友を傷つけようとは、許すまじ!」
 その時、変熊とカガチの利害は一致し、奇妙な連帯感が生まれた。
「ここは当然、」
「追うぞ!」
 半裸のカガチと全裸の変熊は武尊を追って、森へと駈け出した。

 彼らが去った後、支倉探偵事務所所長を名乗る支倉 遥(はせくら・はるか)が、昔の探偵ドラマの主題歌を口ずさみながら、パートナーのベアトリクス・シュヴァルツバルト(べあとりくす・しゅう゛ぁるつばると)ともに、小型飛空艇で丘へと降り立った。
「まさにピクニック日和ですね」
 黒いスーツに中折れ帽子、カールヘアーのカツラを着用した遥が青い空を見上げる。
 ベアトリクスは手近な木陰を見つけると、ピクニックの準備に取り掛かった。
 しばらくして、御厨 縁(みくりや・えにし)と、そのパートナーのサラス・エクス・マシーナ(さらす・えくす ましーな)が遅れてやって来た。
「お待たせ!」
 褐色の肌をしたサラスは、晴天に似合う笑顔であいさつをしたが、縁はあきらかに元気がない。
「どうしました?」
 遥の言葉に、縁は俯いたまま、極限まで巫女風に改造した制服のスカートの裾をぎゅっと握り、重い口を開いた。
「姉者、申し訳ないのじゃ。約束していた強力な睡眠薬、頑張ったんじゃが、わらわには作れなかったのじゃ」
 縁は涙をぐっとこらえた。睡眠薬と引き換えに貰うつもりだったサンドイッチが、バスケットの中にたっぷりと詰まっている。ツナサンド、玉子サンド、ジャムサンド。それらが縁からどんどん遠ざかっていく。
「睡眠薬?」
 ベアトリクスの問いに、縁が頷く。
「キメラを捕えるための作戦じゃ」
「あっ、縁、それを言っては、」
 遥があわてて縁を止めるが、時すでに遅し。
「遥、キメラとは一体何の話だ? また私に隠して妙な事に付き合わせようと考えているのではなかろうな?」
 ベアトリクスの疑いの眼差しを、遥は笑ってかわす。
「ま、まあ、用意出来なかったのは残念ですが、仕方ありません。とりあえず、これは入手出来ましたからね」
 遥は、袋から、慎重にパラミタヒツジのぬいぐるみを取り出した。
「なんだそれは」
 手を伸ばすベアトリクスから、遥はぬいぐるみを遠ざける。
「見せてくれてもよいではないか」
「これはちょっと特別なんですよ。後でゆっくり見せてあげますから」
 そのぬいぐるみには、ミリアの匂いがついていた。他の匂いがついては困るのだ。遥はキィちゃんを匂いでおびき寄せる為、敷物の端にぬいぐるみを置いた。
「色々気になるところはあるが、ピクニックを始めるとしよう」
 ベアトリクスが、3人にサンドイッチと飲み物を手渡していく。
「あ、あの…」
 約束と引き換えのはずだったサンドイッチを手渡され、縁が戸惑う。
「いただきまーす!」サラスが縁より先にサンドイッチに齧りついた。
「サラス、食べては駄目なのじゃ、」
「食べていいですよ。大体、この量を2人では食べきれませんから」
 遥の言葉に縁から我慢していた涙がこぼれおちる。
「ありがとうですじゃ。いただきますのじゃ」
 泣きながら縁がサンドイッチを頬張る。
「む、これは〆鯖サンド! 美味ですのじゃ!」
 縁の言葉に、ベアトリクスからサンドイッチを受け取ろうとしていた遥が躊躇う。
「……ベアトリクス、これが〆鯖サンドなら、私は遠慮させてもらいます」
「縁が言うには、美味いらしいぞ」
 ベアトリクスは先程の意趣返しに、遥の好物のツナサンドが沢山用意してある事をしばらく内緒にしてみた。

 4人が和気あいあいとピクニックを楽しんでいる頃、店と丘の間の、少し丘よりの道には、捕獲用の罠を作っていた清泉 北都(いずみ・ほくと)と、上空を監視しようとしていた織機 誠(おりはた・まこと)、そして何か情報はないかと小型飛空艇から降りて来たロレッカがいた。
「それでは、私はキィちゃんが森から逃げ出さないよう、上空から監視しますね。キィちゃんを見つけたら、皆さんへお教えしますので」
 誠は、北都とロレッカに言うと、空飛ぶ箒で森へと飛んで行った。
「さて、早いとこ罠を完成させなくちゃねぇ」
 丘へ続く道に罠を仕掛ける事にした北都は、パラミタヒツジのぬいぐるみを持っているせいで、通りすがる協力者達に話し掛けられた。その度に手が止まり、予定よりも罠の完成が遅れてしまっていた。
「自分もお手伝いするであります!」
 作業に取り掛かる北都に、ロレッカが手伝いを申し出てくれたので、彼は彼女の手を借りる事にした。
 北都の作っているのは、踏んだ途端に輪が締まり、対象を上へ吊り上げるタイプの罠だった。
 キィちゃんが吐く炎を警戒して、ロープではなく金属製のワイヤーを使い、間違って人で反応しないよう、キィちゃんの重さに合わせて反応基準を調整する。着々と罠を完成させながら、北都とロレッカは、キィちゃんが逃げ出した理由について話していた。
「動物が飼い主の元を離れる理由って、良い相手が見つかったとか、隠れて子供を産んだとか、かなぁ」
「自分の予想としては、キィ殿は、本物のパラミタヒツジに誘われて…とかではないでしょうか」
「そうかぁ、そういう考え方もあるかぁ」
「それより、ちょっと心配な事があるであります」
「何?」
「キィ殿は、ご飯を食べてないであります。今頃きっと、お腹を空かせているのでありますよ」
 キィちゃんの主食はパラミタヒツジ。そのぬいぐるみが今、森には沢山出回っている。
「森ってさぁ、色んな物を見間違えやすいよねぇ」
 北都がつぶやく。
「空腹だと、理性って飛びやすいでありますよね……」
 ロレッカもつられて不安を口にする。
「………」
「………」
「ふふっ、兎も角、なるべく傷つけないようにしたいねぇ」
「あははっ、同感であります!」
 それはキィちゃんの事なのか、森をさ迷う生徒たちの事なのか。
 2人は堅い表情で笑いあうと、黙々と罠の輪っか部分を土の中に隠し、最後の仕上げを済ませた。

 北都の罠が完成した頃、カフェのあたりから、ミリアとレオンハルト達が丘を登って来た。
「ミリアさん、どうしたのぉ?」
 北都の問いかけにミリアは、今までのいきさつを話した。
「ふぅん、ミリアさんが迎えに来たなら、これはいらないかなぁ」
「なぁに〜?」
「うん、捕獲用の罠なんだけどぉ」
「わ、罠ですか〜?」ミリアは北都の答えに驚いた。
 まさか、ペットが逃げだしたくらいで、こんな大捕物になるとは思っていなかったようだ。
「ごめんなさいね〜。私、皆にこんなに迷惑を掛けるなんて思わなくて〜。ちょっと気軽に頼みすぎたわ〜。この人達の言う通り、やっぱり無責任だったわね〜。急いでキィちゃんを捜さなくちゃ〜」
 ミリアは今までよりも早いペースで丘への道を登り始めたが、ふと、心配そうに店の方を振り返る。
「ミリア嬢、店が気になるか?」
 レオンハルトが苦笑混じりにミリアに聞く。
「ええ〜、ちょうどお昼時だもの〜、きっと今頃、戦場よ〜」