百合園女学院

リアクション

お持て成しの心/後編

　甘く香ばしい香りに誘われて、ミーナ・コーミア（みーな・こーみあ）はふらふらと作業台を歩き回っていた。クッキーをつまみ、喉が渇けば紅茶を飲み。お礼とばかりに出てくる辛口批評は、料理が得意な人でさえ凹んでしまうような物だった。一体、どんな料理なら彼女を満足させられるのだろうか。
「次は……あ！　あそこも焼き上がったのかな？」
　小走りに駆けていく足が、次第と遅くなっていく。よっぽどな危険を察知しない限りは辛口コメントがしやすいので試食をしていたのだが、今日何度目かの危機感を感じたらしい。少し様子を伺ってからにしようと今まで焼いてきたのだろう作業台に並ぶ数々を見ると、どれも失敗作ばかり。ひとまず１番マシなものを選びながら聞き耳を立てることにした。
「２人とも、しっかりして下さいです」
　まるで、この世の終わりを見てしまったかのような悲痛な表情をするユキノに、英虎とルークは苦笑いすることしか出来ない。手順こそ間違えないものの、材料は目分量、ダマになっていても気にしないくらいのザックリした混ぜ方で、ざっくばらんな作り方にユキノはどこから注意したらいいものかと頭を悩ませた。とどめはルークが提案した追加材料だ。
「面白いと思ったんだよ？　ゴーヤ入りカップケーキ」
「ケーキだからと甘いだけでなく、健康を気遣う１品に……」
（せめて普通に作れるようになってからアレンジしてほしいです）
　はぁ、と横目で見るのは失敗作の数々。混ぜすぎるとダメだとザックリというより２回ほど軽く混ぜただけの粉っぽい物。リベンジにとグルグルかき混ぜて膨らまなかった硬い物。気がつけば入れられていた苦そうなゴーヤケーキ。
「何がいけなかったのかなぁ」
「野菜なんて美味しくないよ、お肉の方がよっぽど美味しいもん！」
　失敗作を見つめながら溜め息を吐く英虎に注意するようにミーナが側で力説している。ジャンクフードや肉料理が大好きな彼女ならではの発想だが、だからと言ってカップケーキに入れても美味しいかどうかは話が別だ。
「お肉、ねぇ……ケーキとしては失敗したけど、パンとしてなら添えて食べられるかもしれないよ」
　ルークがふくらみの悪いケーキを手に１口囓る。それに続くように英虎とミーナも味見をした。
「…………」
「……硬い、ね」
「パンどころか非常食みたいな硬さだよ……飲み物がいくらあっても足りないくらい口の中は乾いちゃうし」
　見た目通りと言えばそれまでだが、味はそれなりなのに硬くパサパサでとても食べたいとは思えない。早く葉月のケーキが食べたいな、と自分のために焼いてくれているケーキを思い出す。家を出るときに何か材料を鞄に忍ばせていたし、きっと美味しい物を作ってくれているに違いない。
　ふと顔を上げると、こことは違う所から良い香りが漂ってくることに気がついた。ふんわりと優しいチーズの香り。どうやら葉月のチーズ蒸しケーキが出来上がったようだ。
　不安そうに鍋のフタを取り、湯気が晴れるのを待てばふっくらと柔らかそうなカップケーキが姿を現して、胸を撫で下ろすと葉月はやっとミーナの姿がないことに気がついた。
（この部屋から出ないでと約束しましたから、迷子じゃないとは思うのですが……）
　けれども、ゆうに１００人は収容できる大きな部屋。作業台のスペースや混雑した人混みの中では探すのも一苦労かも知れない。けれども、意外と近くにいたミーナは逃げるようにして葉月の所へ駆け寄ってきた。
「葉月ー！　美味しく無いの食べちゃったよー！」
「え？」
　大きな声で何を言い出すかと思ったら、ミーナが駆けだしてきた方には気まずそうな顔をする３人が立っている。
「す、すみません。この子が失礼なことを……皆さんが頑張って作っている物に対して、こんな……」
　ミーナを捕まえて無理矢理一緒に頭を下げさせるが、嘘は言っていないとふくれっ面をされてしまった。
「もう……あの、お詫びにもなりませんが、よろしければ皆さんで召し上がって頂けませんか？」
　出来たばかりのチーズ蒸しケーキをお皿に盛り、ルークたちに差し出すと香りに誘われたように４人は手を伸ばした。
「やっぱり葉月はスゴイよっ！　こーんなに美味しいのを作っちゃうんだからっ」
　真っ先に手を伸ばし、もちもちとした食感を楽しみながらベタ褒めする姿は、先ほどまで辛口批評をしていた姿とはとうてい結びつかない。どうやらミーナにとって美味しいかどうかの基準は、彼女の手作りか否かにあるのかもしれない。
「すごい……良かったら、この作り方を教えてくれませんか？　……ちょっと見返したい人がいて」
「俺も！　こんなの作れるようになりたいよね、ねぇユキノ？」
　けれども、一緒に喜んでくれると思っていたユキノは少し落ち込んでしまっている。決して葉月のケーキが美味しくなかったわけじゃない。美味しかったからこそ落ち込んでいるのだ。
（料理は得意だと思っていましたけれど、トラはこういう味付けが好みなのですね）
　長いこと家事を任されていたはずなのに、何でも美味しいと食べてくれるから気がつかなかった。自分では上手く教えることも出来なかったし、このまま彼女に任せた方が良いのかもしれない。
「ユキノ、どうかした？」
「あ……えっと、その……」
　みんなで楽しく作ろうと約束したのに、どうしてこんなにショックを受けてしまっているのだろう。今日は自分の得意分野だからきっと役に立てるはずだと自惚れていたのかも知れない。
「――君には教えません」
　ふふっと悪戯に笑う葉月に面食らっていると、ユキノに視線を合わせてにっこりと微笑んだ。
「だって、こんなにも素敵な先生がいらっしゃるじゃないですか。一緒に作って交換しませんか？」
　冷静に２人のやりとりを観察していた葉月は、なんとなくユキノの気持ちを察して提案する。自分の気持ちを察してくれたことに驚きながらも、その望んでいた提案にユキノは顔を綻ばせる。
「……じゃあ、そうしよっか」
　どうしてそれで喜んでくれたのかはわからないけれど、嬉しそうな顔をしているならそれでいい。こうして苦手な２人に優秀な先生がついたことにより、美味しいケーキが出来上がりそうな気配を、ミーナは大人しく待っているのだった。
　そんな和やかな空気を打ち消すかのように、ガチャン！　と荒々しく食器を叩きつける音がする。一生懸命に藍澤　黎（あいざわ・れい）が淹れた紅茶に対し、フィルラント・アッシュワース（ふぃるらんと・あっしゅ）がダメ出しをしているようだ。
「せやから、ブロークンリーフをポットん中でかき回すなって何回言うたらわかるんやぁああ！！」
「だから、事前に勉強してきた本で……！」
　料理が苦手だという自覚のある黎は、確かに紅茶のゴールデンルールが書いてある本を熟読してきた。しかし、その手の本は大体のところが共通していても、細かいところは全く違ってくる。それは、筆者の好みだったりが加わっているので必ずしも自分にとって美味しい紅茶が出来上がるかと言えばそうではないし、その淹れ方がやりやすいかも変わってくるだろう。
「はぁ……キミが恋人と同棲しようもんなら、ずぇったい、相手の負担になるだけやで。保証したるわ」
「だから、一緒に住もうと誘われても断っただろう！！」
「なんでそこで思考回路が、晴れて同棲できるよう、腕を磨くほうにはいかへんのや、キミは」
　紅茶１つで大げさな、と思われるかもしれないが、この紅茶も実に１０杯目を超えている。カップ１杯に１さじだからと、小さなポットで４人分作ろうとして濃すぎたり、それを注意すると今度はポットに合わせた分量で作ろうとするも、さじ加減を間違えて薄くなったり……今のように柔らかい葉をくずしてエグミを出してしまったりと、何１つ成功する気配を見せない。
「あーもうやってられんわ。エディラ、口直しの菓子はまだか」
　指導をしてくれるはずのフィルラントにソッポを向かれてしまい、黎は再び熟読した本を開く。そして、イエニチェリの指導と今までのフィルラントからの言葉も全てメモしてあった。
（そもそも我は苦手を克服したいのであって、恋人の為などという不純な動機は一切……一切、ない。はずだ）
　本当は、上手く淹れられるようになったら飲んでみて欲しい。家を訪ねたときにでも振る舞ったら、驚いてくれるだろうか。いつもそんなことをしない自分が台所に立てば……そんなことが頭を過ぎり、文字を追っているはずの目は何も映し出していない。そうして近づいてくるエディラント・アッシュワース（えでぃらんと・あっしゅわーす）にも気付かずにブツブツと何かを呟いていた。
「はいっ、れいちゃんのぶんっ！　どうどう？　美味しそうに出来たでしょー」
「そんなことは一切……っ！　エディラ、一体どうしたのだ？」
「……そっか、れいちゃんには美味しく見えなかったんだ」
　まるで耳を折り、尻尾も力なく垂れていそうな幻が見えるほどわかりやすくエディラントは落ち込んでいる。どう見ても、先ほどの考えを否定するために上げた声を自分のクッキーへの評価だと受け取ったようだ。
「ち、違うんだエディラ。今のはその、我の弱き心への喝というか……とにかく、エディラに向けて言った言葉ではないのだ」
　揉める２人の間を縫って、ヴァルフレード・イズルノシア（う゛ぁるふれーど・いずるのしあ）がこっそりと腕を伸ばす。自分用に取り分けられたものは既に食べきってしまい、何やら言い争っているのでいらないのならばとコッソリ頂くことにしたようだ。
「…………」
　けれども、軽く１０人前は平らげることの出来るヴァルフレードが満腹になるわけもなかった。
（クッキーなど、なんの腹の足しにもならん……お茶会ならスコーンやサンドイッチはないのか）
　そもそもの趣旨に誤解があるようで、何か貰いに行こうと思っても些かギャンブル過ぎるその行動に１歩踏み出す勇気はなかった。美味しいものをと贅沢は言わないので、せめて食べられる物をとどこからか漂ってくる焦げ臭い臭いに眉を顰めた。
（……そう言えば、イエニチェリが手本として作っていた物があったな。隠れ身も使えることだし、いざとなったら――）
　そうやって空腹を満たす方法を考えていると、不意に手を捕まれた。どうやら、誤解の解けたエディラントに気付かれてしまったらしい。
「ヴァルフの分は、ちゃんとあげただろ！　これはれいちゃんのだったのに……」
　怒りながらももう１度作ろうとしてくれているようで、持ってきた材料の残りを確認し始める。食紅を使わずにどこまでカラフルに仕上げられるかが今回の自分で決めた課題だったらしく、ココアや抹茶、カボチャにベリーといろいろな物を用意して混ぜ込んでみた。
「こんどは、もっと色が鮮やかに焼けるといいな」
　きっと、嬉しそうに食べてくれる。そう思うだけで作り直すのも全く苦にならない。
（もっともーっと、美味しいって笑って貰えるように頑張るもんね！）
　力も強くなって、バターを練ったりと力が必要な工程も軽々と出来るようになってきた。料理の幅も広がってきたエディラントは大好きな笑顔を見るために心を込めてクッキーをもう１度焼くのだった。
　そうして、焼き上がりを待つ間はフィルラントの淹れてくれたミルクティーを飲み、ヴァルフは空腹を誤魔化し黎は自分との違いを探りと思い思いの時間を過ごしたようだった。
　そんな雰囲気が移ったのか、別の場所でも安堵の息が漏れてきた。羽入　勇（はにゅう・いさみ）は大好きなアップルパイを作ろうと、わざわざ実家にまで頼んで良い林檎を取り寄せたというのにパイ作りが時間的に困難だと知り、アップルタルトへと変更を余儀なくされた。最初は泣く泣く林檎を煮詰めていたものの、土台にするタルトを作るのにクッキーを作っていたキリエ・フェンリス（きりえ・ふぇんりす）に協力してもらったり、近くにいた九条院　京（くじょういん・みやこ）の手元を心配している文月　唯（ふみづき・ゆい）が料理が得意かもと質問に行ったりと奮闘し、なんとかアップルタルトの形になった。しかし、無邪気にイケメンばかりに話しかける様子を見守っていたラルフ・アンガー（らるふ・あんがー）は気が気ではない。
「……お互い大変だな」
　キリエが焼き上がったクッキーにジャムを挟みながら、同情の意を見せる。ラルフが彼女の言動に振り回されているというなら、自分は一切相手にされていない。何が悲しくて、好きな相手に恋愛講座なるものに誘われなければいけないのだろうか。
「あんなに一生懸命に作って、誰か渡す相手でも出来たのかな……」
　ポツリと呟かれた唯の言葉に、３人はずーんと何かにのし掛かれたように項垂れた。キリエのパートナーである戸隠　梓（とがくし・あずさ）は料理の腕が壊滅的なのにこの講座に出たいなど言うし、京だって壊滅的とは言わないまでも苦手だし、それは勇にいも言えること。
「急に何かを作りたいと言い出したのは、女の子らしい一面でもみせてくれるのかと思っていましたが……」
　そうして、ほんの一握りでも構わないから自分を異性として見てくれているのではないか。そんなささやかな希望を打ち砕くかのような同じ境遇の同士たちに、続ける言葉もない。
「……なんだか、男共が暗いのだわ」
「あらあら。お裾分け、無いことに拗ねてるのかしら」
　出来上がったお菓子たちの試食も兼ねて、女の子たちだけで会話をしていると余計にその差は広がるばかり。けれども、せっかくだから渡すらな上手く出来た物を渡したいので１回目のこれらはまだ渡す予定はない。
「うー……だって、見た目はそこそこ上手く出来たかなって思ったのに切り分けるときにぐにゃってなっちゃったし」
　どうやら、林檎の煮汁をよくきらずに乗せてしまったため、その水分を吸ったクッキーがぐしゃぐしゃになってしまったらしい。対する京も、気合いを入れて作ったオレンジピールのカップケーキを食べて苦い顔をしている。
「見た目がボコボコになる理由がわからないのだわ……それに、オレンジなのに苦いし」
　具だくさんと言わんばかりに詰まったオレンジピールを見れば、確かに苦いかもしれない。けれども、紅茶だけはまともに淹れられる梓は優しく微笑んで２人にリラックスするように勧める。
「大丈夫よ、２人とも私なんかより上手に出来てるもの……きっと喜んでくれる物が作れるわ」
「そうだよね、喜んでくれるよねっ！？」
（勇、誰がですか……！）
「渡すためにも、もっと上手になってやるのだわ」
（自分用、って選択肢はやっぱりないんだね、京……）
「その意気よ、私も頑張っちゃおうかな？」
（それはお菓子作りをか？　それとも彼氏作りをか……？　どっちもやめてくれ、梓ッ！）
　全く持って噛み合わない男女間の思いだが、熱視線を感じたのか女性陣は未だに暗い男性陣を見る。今はなんだか元気がないけれど、自分の頑張りで彼らを笑顔にすることが出来たらどんなに嬉しいだろう。期待して待っていてね、とでも言うかのような微笑みは、傷心の男性陣に追加ダメージを与える。
「……なんとなく、邪魔しないでねって笑顔に見えたのは気のせい、ですよね？」
「………………」
　そうだと言って欲しいという気持ちで唯が呟くも、誰も同意をしてくれない。それどころか、ギリギリと強く拳を握り始める始末だ。
「例え馬に蹴られようとも、それだけは阻止させて頂きます。……勇に恋愛は、まだ早いですからね」
「右にほぼ同じく。梓を誑かす相手がいるなら善人だろうが……ぶっ飛ばす！」
「……じゃあ、俺も」
　彼女たちが感謝の気持ちを伝えたい相手は自分たちだと言うことに気付くこともなく。そして自分たちが抱いている気持ちが家族的だろうと淡い恋心であろうと、寄り付く虫は許さないとばかりに結束が強くなる３人。
　しかし、お菓子作りなどに奮闘する彼女たちへアピールするかのように手伝いに行けば当然怒られてしまい、結局完成するまでの間は隅の方でヒヤヒヤ見守ることしか出来なくなってしまったのだった。