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金の機晶姫、銀の機晶姫【後編】

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金の機晶姫、銀の機晶姫【後編】

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〜教導団の教官〜


 機晶技術担当教官:ランドネア・アルディーン
 種族:吸血鬼
 性別:女性
 年齢:2500歳(機密事項)


 アルディーン研究所にて、機晶姫の開発を行っていた一族の末娘。
 教導団ができてすぐ、教官に志願した。
 人柄もよく、技術も教官に相応しくあったのだが、難いえば極度のおっちょこちょい。
 


 纏めた情報を、ダウンロードしながら、黒髪の美女は思わず呟いていた。

「………彼女が、裏切り者?」
「そうよ」

 金髪を耳にかけながら、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)が冷たく言い放つと、林田 樹(はやしだ・いつき)は長い睫を伏せた。

「あの教官には、世話になったといえることはなかった。でも、とてもいい先生だときいてい。到底裏切るような人には思えないが……」
「教導団を裏切ったの。それだけで十分だわ」
「本当に、彼女が……【ランドネア・アルディーン】が裏切ったのか?」

 その問いかけに、ルカルカ・ルーは答えなかった。彼女自身も、自分の目を疑いたくなるほど、彼女……ランドネア・アルディーンに関する資料は【集まりすぎている】のだ。
 もし万が一、何かしらを偽ってここにいるのならばもっと情報が少なくてもいいはずだ。
 だが例え彼女の裏切りに理由があったとしても……とそこまで脳裏に考えをめぐらせたが、ルカルカ・ルーにとっては関係のないこと。
 そう、言い聞かせていた。

 ジーナ・フロイライン(じいな・ふろいらいん)が、薫り高い紅茶を勧めてくれると、ゆっくりとティーカップを口元に持っていく。

「幾度かの訓練で、積極的に救護担当で参加。生徒達からの賞賛をえるも、その表彰式に遅刻して表彰が取り下げられることもしばしば」
「一番有名なのは捨てられた猫や犬を拾い集めて、軍用に鍛えなおすという名目で自室を動物達に開放している、って話かな。写真を見る限りは、ただの動物好きな女性だよ。しかも、皆毎日綺麗にしてもらって、毎朝夕にお散歩だってさ」

 緒方 章(おがた・あきら)が聞き取り調査や足で集めた情報を、目の前で書類に目を通す林田 樹に報告をしていた。彼女は見るたびに、聞くたびに表情が曇っていく。

「でも、コレなんてどうなんです? お酒を飲むと、人が変わったようにしっかりとした大人の女性になるってやつ」
「それが本当だとしたら、この【彼氏が次々ドMに変貌する謎】もわかってないしねー」

 ジーナ・フロイラインと緒方 章の言葉を聞きながら、林田 コタロー(はやしだ・こたろう)がおぼつかない手つきでパソコンをぱこぱこと入力していく。

「こた、ぱしょこんがんばうおー」

 そう紅茶を運んできたジーナ・フロイラインに宣言しながら、情報を纏めていく。画面には集めてきた情報が思いのほか丁寧に分類されている。
 教導団での彼女の生活は、完璧とは言いがたいが【よき人物】であった。
 だが教導団から離れるとまるで同じ人がしたとは思えないような【奇妙な行動をとる人物】でもあったのだ。

「まるで……【ランドネア・アルディーン】が二人いるみたい」

 出来上がっていく資料の山を眺めながら、ルカルカ・ルーは小さく呟いた。


 




 百合園女学院の屋外の庭園には、白いテーブルとイスがセットでいくつか置かれていた。空は青く澄み渡り、風は暖かさをましていた。
 そこでパソコンを前にため息をついたのはロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)だった。そこへ、ルーノ・アレエ(るーの・あれえ)が声をかける。

「ロザリンド・セリナ……どうかしたのですか?」
「今までの、ルーノさんと出会ってからのことを、纏めていました。初めて出逢ったときのこと、金葡萄杯のこと、誘拐事件や、爆弾事件……沢山ありましたね」
「本当に、沢山ご迷惑をおかけしました」
「もうっ、迷惑だなんて誰も思っていませんよ」
「そうだぜ。友達なら理由なんて要らないだろう」

 すっかり着慣れたメイド服姿の緋桜 ケイ(ひおう・けい)と、いつもの赤い着物を纏った悠久ノ カナタ(とわの・かなた)がルーノ・アレエに微笑みかけながらコチラに歩み寄ってくる。軽くロザリンド・セリナが会釈をすると、「そうだ」と緋桜 ケイがなにやらかわいらしいポーチの中をあさって何かを取り出した。

「これ、この間の帰り道で見つけたんだ」
「え……私に、ですか?」

 ロザリンド・セリナは目を丸くしながら、差し出されたクローバーの押し花の栞を受け取る。少し照れくさそうに、緋桜 ケイは笑った。

「何があったか知らないけどさ、元気出せよ」
「……ありがとうございます」
「私も、この雪国ベアのストラップを!」

 緋桜 ケイと一緒に来たソア・ウェンボリス(そあ・うぇんぼりす)も、満面の笑みで小さな白熊がついたストラップを差し出す。それを実寸大にした雪国 ベア(ゆきぐに・べあ)が鼻を鳴らしながら腕組みをした。

「元気がないって、皆心配してるんだぜ。白百合団班長」
「あ……そ、そんな」
「ロザリンド・セリナ、あなたに頼りっぱなしで、私にもできることはないか……みんなに相談した。勝手なことをしたかもしれない。でも、貴女が元気になってくれることが、私の望み」
「ルーノさん」

 にっこり笑って、ルーノ・アレエは自分が作ったらしいクッキーを差し出した。少しいびつな形をしていたが、一つ一つ丁寧にラッピングされていた。

「……次のお茶会は、ルーノさんのお菓子を皆さんに振舞いましょうね」
「はい! そのためにも……ニーフェを、助けに行きましょう」

 微笑むロザリンド・セリナにそう言い放ったルーノ・アレエの表情は、何か強い決意を秘めていたようにも見えた。緋桜 ケイたちはロザリンド・セリナに、イシュベルタ・アルザスが軟禁されている場所へと案内してもらうことにした。


 軟禁、といっても学院の施設外に置かれている建物……かなり豪華なマンション……に部屋を借りて宿泊させてもらっている状態だ。ルーノ・アレエの申し出もあって、今回の探索にイシュベルタ・アルザスも協力することになったため、外に出ることも禁止されているわけではない。


 そこには既に先客がいた。
 頭からつま先まで真っ白な装いをした、エメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)だった。頬杖をついたままイスに腰掛けているイシュベルタ・アルザスは、青白い顔のままエメ・シェンノートを見つめていた。つい先立って聞いた事実に、彼は目を丸くしていた。

「では、彼女は……」
「お前の信念を貫くなら、それもいい。想いを貫くなら、アイツのためにしてやれることもあるだろう」
「……ですが」
「他人に譲っていい想いなんてものは、存在しないんだそうだ。お前たちが教えたことだろう」
「私に、そんなことを教えていいのですか?」
「このことが終われば、アイツにもその話はする。他の連中の耳にも入るだろう。お前がそんなあほな事をいってこなければ、話さなかった話だ」
「………あ、あほなことですか……私は真剣なんですよ」
「真剣な話しなら、なおさら本人にしてやれ」

 冷たく言い放ったイシュベルタ・アルザスに少したじろいだエメ・シェンノートは、丁寧に一礼すると、その部屋を出て行った。入れ替わりに入ってきたのは、ヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)セツカ・グラフトン(せつか・ぐらふとん)クレシダ・ビトツェフ(くれしだ・びとつぇふ)に連れてこられた、緋山 政敏(ひやま・まさとし)たちだった。

「イシュベルタおにいちゃん、お客さんです!」
「ずいぶんといい部屋だな。アルザス」
「ああ。つかまるならお嬢様校だな。いい部屋にいい食事。今までとは比べ物にならないくらいのいい待遇だ」
「……鏖殺寺院につかまったときとは、ってことか」

 その言葉に、イシュベルタ・アルザスは答えなかった。緋山 政敏は手近なソファに腰掛けた。カチェア・ニムロッド(かちぇあ・にむろっど)リーン・リリィーシア(りーん・りりぃーしあ)も、彼に習ってソファに腰掛ける。ヴァーナー・ヴォネガットは邪魔にならないように、とセツカ・グラフトンと共にお茶の用意をしに台所へと駆け込んだ。クレシダ・ビトツェフは相棒の白いセントバーナード、バフバフといっしょにイシュベルタ・アルザスの隣に座った。バフバフがイシュベルタ・アルザスに「ばふばふっ!」と甘噛みをして遊んでいると、緋山 政敏が一呼吸置いてから口を開いた。

「いくつか聞きたいことがある。アルディーンのことだ」
「小さい頃の事だからな。あまり記憶はないぞ」
「どんな悪戯をされた?」
「は?」

 イシュベルタ・アルザスは素っ頓狂な声を上げ、黒曜石の瞳を見開いた。だが、緋山 政敏は至極真剣な表情でもう一度繰り返す。その様子を見て、ようやくイシュベルタ・アルザスは悟った。

「……ああ、なるほどな。アルディーンは狡猾だが、初歩的なことを仕掛けてくる。本人はもっと高等な罠を仕掛けてくるだろう、とコチラが思うくらいに下等な罠が好きだ。例えば落とし穴とかな」
「落とし穴か」
「あのスライムも、あいつが作った魔獣だと思う。使い勝手がいいからあの博士達も使うことにしたんだろう」
「……待て。お前、寺院に入ったときはエレアノールと二人だけだったんだよな?」
「ああ。そうだ。アルディーンはもともと寺院の人間だったというのは話は……したか?」
「エレアノールが弟子入りした先が、たまたまそうだったんだろう?」

 イシュベルタ・アルザスは、うつむいて首を振った。カチュア・ニムロッドは首を傾げるが、すぐにその青い眼差しをまっすぐに彼に向けた。

「もしかして、アルディーンさんも操られていたのですか?」
「厳密に言うと、違う。俺は、小さかったから記憶になかったが……この資料によると、あの女の本当の名前は【ランドネア・アルディーン】と、そういうらしい」
「え、それって偽名のほうじゃないの?」

 リーン・リリィーシアが小首を傾げると、苦笑しながら今度は教導団でプリントアウトしたらしい資料を取り出した。丁度、ヴァーナー・ヴォネガットたちがお茶と茶菓子を持って台所から戻ってきた。

「ああ、すまないな」
「はいです!」
「わいら邪魔になりませんの?」
「いや、聴いていてもらったほうがいいかもしれない」

 緋山 政敏からそういわれると、セツカ・グラフトンはヴァーナー・ヴォネガット共に別のソファに腰掛けて、茶菓子のクッキーを口に運ぶ。イシュベルタ・アルザスは紅茶を手に取らずに続けた。

「教導団で調べればわかる。アルディーン家は実在していた機晶姫技師の一族だ。ヒラニプラ家ほど優秀な技師は輩出していないが、な」
「まさか、この間教導団に入り込んでいたのって」
「あの女について調べていた。本物の【アルディーン・アルザス】かどうか確かめるためにな。確定させる証拠が何一つなく、ヒラニプラで資料を見つけたことでようやく気がついて、今に至る」
「彼女は、貴方の実のお姉さんなのではないのですか?」
「……アルザス一族は、確かにもう一人いた。だが、俺の知っている姉であるはずのもう一人の【アルディーン・アルザス】の名を持つ吸血鬼は、既に肉体を滅ぼされているんだ」
「待ってください! では、彼女は一体何者なんですか?」
「頭の中にはたしかに【アルディーン】はいる。だが、あの肉体はさっきも言ったが【ランドネア・アルディーン】のものだ」
「まって、もう少し、整理して教えて」
「俺のいた鏖殺寺院のグループでは……ヒラニプラの人間を攫っては、記憶操作の実験を行っていたのさ」
「この間調べていた資料か」
「そうだ。ランドネア・アルディーンという機晶技師を攫って、俺の姉であるアルディーン・アルザスは自らの記憶を直接そいつの脳にダウンロードしたんだ」
「どういう、ことだ?」

 答えるよりも早く、イシュベルタ・アルザスは先日見つけた資料のページを開いて、緋山 政敏に投げて渡す。そこには、【記憶の保存】についての話が延々とかかれていた。重要なところは黒く線を引かれていて読めなくなっていたが、あらかた理解できたことがありようやく口を開いた。

永遠の命……?」
「そうだ。【器】さえあれば、記憶を保存させ、【自分】が生きながらえることができるという解釈を、あの博士とアルディーンは打ち出した。あの博士達は、今は【器】を持たないただの記憶データに過ぎない。何かしらの方法で、いまだに俺たちに指示を出しているようだ」
「器って、人間のこと?」
「いや、博士達が目をつけたのは【機晶姫】だ。人間は、ランドネアの件で完全ではないということがわかったからな」
「アルディーン・アルザスは、自分が【永遠に生き続けるため】に、ランドネア・アルディーンに自分の記憶をダウンロードしたってのか?」
「多分な。だが、人間にその実験を行っても失敗。実際、ランドネア・アルディーン本人の人格とアルディーン・アルザスの人格が一緒に住んでしまった」
「即席の二重人格みたいになっちゃったってわけね」
「偶然にも、アルディーンとランドネアは見た目はそっくりだった。だからアルディーンはランドネアを選んだんだろうな……実の姉が死んで、放浪していた俺を拾ってくれたエレアノールを姉と決め、あの研究所で生活を始めても、まさか本人がいるとは思わなかったさ。見た目は同じでも、アルディーンはあんなドジをするような女じゃなかった。他人の空似、そう思っていた」

 ため息をついた彼の表情には、疲れが見えていた。ヴァーナー・ヴォネガットが笑顔でクッキーを差し出すと、イシュベルタ・アルザスは柔らかく微笑んで受け取り、そしてティーカップを空にすると、さらに続けた。

「3人での暮らしは楽しかった。俺はランドネアを実の姉だとは思わなかった。全くの別人であると信じていた……事故が起こって、鏖殺寺院に囚われたとき、あの女は本性をむき出しにして、エレアノール姉さんを脅した。【弟がかわいければ、我らに協力しろ】とな」
「酷いです……」
「実の姉に騙されていた。姉さんは信じなかったが、俺はそう思っていた。実の姉は死を装い、俺を餌にするためにエレアノール姉さんに拾わせて、他人のふりをし、偽善者ヅラしてエレアノール姉さんに技術を教えていた……コレを見つけるまでは、そう思っていた」
「コレって、この記憶操作の研究所ですの?」

 セツカ・グラフトンが差すと、首を縦に振る。そして、もう一つ小さな手帳を取り出した。

「もう一つ、朝野 未沙(あさの・みさ)とかいう技師から受けとったエレアノールの手記だ。コレが………エレアノールと、ランドネアの交換日記になっているらしくてな」
「交換日記ですか?」

 不思議そうに小首をかしげたヴァーナー・ヴォネガットに、イシュベルタ・アルザスは手帳を差し出した。中には、先日伝えられた『あの娘たちに私がしてあげられることといえば、他の機晶姫たちと違う構造にしてあげることだけ。私が死ねば、彼女たちの力を好きにはできなくなるはず。あの煌きも、輝きも、私以外の誰にも触れさせはしない』という内容のほかに、『エレアノールより、ランドネアへ』と書かれた部分が存在していた。逆に、『ランドネアより、エレアノールへ』というのも書かれていた。
 内容は他愛もないおしゃべりと、昔を懐かしむ内容。そして、『自分の身体なのに、知らない記憶の影におびえて暮らす生活を終わらせたい』という、ランドネア・アルディーンの悲鳴が書かれていた。

「……それじゃ」
「アルディーン・アルザスは、確かに死んでいる。俺が、目にしているからな。そして、先の装置を使って他人の身体をのっとって生活している。恐らく、教導団に入ったのはランドネア本人の希望だろうな」
「酷いです、自分の知らないところで酷いことさせられているなんて」
「本来は死んでいる奴だ。その亡霊を、ランドネアからはずすことができれば一番だろうな」
「お前の目的は、一体なんなんだ?」

 緋山 政敏に鋭い眼差しを向けられ、イシュベルタ・アルザスは深々とため息をついた。

「……エレアリーゼニフレディの、兵器化機能の破壊だ。方々を回ったが結局見つからなかった。エレアノール姉さんなら、その方法を知っているかもしれない。だが、今は記憶を失っている。それを取り戻すために記憶改編の装置をなんとかできればいいんだが。だが、それを使えるのがあの【アルディーン】だけなんだ」
「教導団で教官をしていた彼女は、本物の【ランドネア・アルディーン】で……」
「銀の機晶石を盗んだのが、【アルディーン・アルザス】か」
「アルディーンの記憶だけ、消すことは不可能なのか?」

 そこへ入ってきたのは、リリ・スノーウォーカー(りり・すのーうぉーかー)だった。ユリ・アンジートレイニー(ゆり・あんじーとれいにー)も、少し不安そうな面持ちでそばに寄り添っていた。

「……装置を使えればな。だが、使える本人が【自分を消す】とわかっていて協力してくれるか……そこが問題だ」
「でも、その装置を使えないとエレアノールさんは元に戻らないのですよね?」
「完全に戻すことは不可能かもしれない。だが、ランドネアの件もある。うまくいけば、不完全でも記憶を取り戻すことができるかもしれない」
「案ずるより産むが易し、だ。とにかく今は銀の機晶石を取り返すことに専念しよう」

 緋山 政敏がそういって立ち上がると、丁度よくロザリンド・セリナと緋桜 ケイたちが訪れた。

「ケイ! ソアちゃん!」
「ヴァーナー、先に来てたのか」
「皆さん、おそろいだったんですね」
「俺たちの用事は終わった。後で、纏めた資料をそっちにも送るさ」
「ええ。お願いしますね」

 ロザリンド・セリナと短いやり取りを終えると、緋山 政敏はパートナーたちを伴って部屋を後にする。緋桜 ケイは先の遺跡で見つけた石版を、イシュベルタ・アルザスの前にあるローテーブルに置いた。

「この石版に刻まれた詩、アンタは意味を知ってるか?」
「いいや。正直なところ、コレがあいつの部屋にあったこと事態も驚きだ。意味なんてもっとわからない。この詩は、あの遺跡にもともと書かれていたものだから、大方それを見て覚えて天井にでも彫ったんだろう」
「そうなんです。その筆跡は、ルーノさんのものと一致しました。恐らく、紙に写して、その上で天井に彫ったのだと思います」

 ロザリンド・セリナがそういったのに対して、目を丸くしたのは緋桜 ケイたちだけではなかった。

「本当なのか? ロザリンド」
「イシュベルタさんは、ご存知じゃないんですか?」
「……エレアノールの歌には、歌詞がない。元が地域伝承の子守唄だからな。あるとき、エレアリーゼ……ルーノに、【詩はないのか】と聞かれて、あの詩を教えた。俺には、それくらいしか【詩】がわからなかったからな。封印されている扉に刻まれた詩……アイツは、自分自身の力を封じたくて、無意識に覚えたのかもしれない」
「機晶姫なのに、わざわざ書いて覚えようとした、ってこと?」
「何もおかしなことではなかろう。書いて文字を覚える年頃の子供のそばにいたのじゃ。そうして覚えるものだと、記憶したのではないかえ?」

 悠久ノ カナタの言葉に、ソア・ウェンボリスも大きく頷いた。

「そうですよ。大事なことだから、ちゃんと覚えたくってきっとそうしたんですよ」
「この詩……考えれば少し怖い歌だよな」
「怖い……ですか?」
「だってよ、まるで世界の終わりを歌っているみたいだぜ?」

 雪国 ベアの言葉に、ソア・ウェンボリスは石版をじっと見つめた。肩の上の梟が彼女の代わりに小首をかしげるように頭を回転させた。


 天に舞う光の水は、空の大地を埋め尽くす
 川を流れる炎の壁は、風のその先海を割る
 星が落ちる、陽が滴る
 影が上れば、沈む銀河
 愛すべき仇を、殺したいのは恋人

 あなたを壊し、
 あなたを輝かせた罪
 あなたが放つは破壊の音
 私が歌うのは絶望の呼び声……


「世界の終り、か。ルーノが兵器として発動すれば、こうなっちまうって言う暗示かな」
「遺跡にもともとあったんですよね? どちらかといえば予言かもしれません」
「……のぅ、あの機晶石……金の機晶石と、銀の機晶石はどのようにして作られたのじゃ?」
「アレは、あの遺跡にあった【巨大な銀色の機晶石】から作った。そう聞いている。何度も言うが、あの研究所にいた頃、俺はまだ子供だったから詳しいことはわからん」
「ふむ。もしもの話じゃが、金の機晶石をニーフェの身体に入れることは可能かのぅ?」
「可能だ。あくまでもエネルギー媒体として考えるならば、問題はないはずだ。ちなみに、その話はさっきお前たちが言うルーノ・アレエからも聞かれた」
「ま、まさか正直に答えたんじゃねぇだろうな!」
「いいや。それはできない、そう答えた」

 口元を歪めたイシュベルタ・アルザスに対して、一同はホーっとため息をついた。

「お前たち同様、それでは俺の目的が達成されない」
「あの時も、そのつもりだったのですか?」

 ロザリンド・セリナは小さく呟いた。あの時とは、初めてルーノ・アレエが百合園にきたときのことだろう。そうおもって、イシュベルタ・アルザスはすこしてれくさそうに笑いながら頷いた。

「ああ。エレアノール姉さんの願いは、俺たちが笑って暮らすことだからな。兵器であるアイツを何とかしてやりたかった。でも俺一人じゃ無理だった。だから機晶姫改造技術を探して回ったが、あまり成果はなかった」
「やっぱり、イシュベルタお兄ちゃんはいい人です!」
「ですね。ずっとそのためだけに旅してたんですもんね」
「やめてくれ。俺は一度は指名手配されるようなことをしてた人間だ」

 ヴァーナー・ヴォネガットとソア・ウェンボリスの言葉に、青白い肌に紅が差した。頭をかいて誤魔化したようだったが、その場にいたものたちはにこやかな表情で彼を見つめていた。
 そこへ、ララ サーズデイ(らら・さーずでい)が音もなく現れた。その腕には、シーツにくるまれたニーフェ・アレエ(にーふぇ・あれえ)がいた。イシュベルタ・アルザスは火がついたように立ち上がる。

「お前!」
「無礼を許してほしい。彼女が、どうしても貴方に逢いたいと言ったので連れてきた」
「イシュベルタ、兄さん」

 ニーフェ・アレエは少し弱弱しい声をかけた。駆け寄ることもせずに、視線だけニーフェ・アレエに向けていた。

「ニフレディ……」
「……っぷ」

 何かに堪えきれなくなったのか、ニーフェ・アレエは噴出すと、ララ ザーズデイの腕の中から降りてイシュベルタ・アルザスに小鹿のように軽やかに駆け寄った。

「やだ、もしかして心配してくれました? 兄さんがくれた機晶エネルギーの玉のおかげで、まだまだ元気ですよ」
「……お前な……」
「姉さんにも言っておいてくださいね。無理しないでくださいって。大事なのは明子さんの命で、私は全然元気なんだって!」

 その表情は、口元に笑みを浮かべてはいたが目元からは涙がこぼれていた。「だから、だから」そういって、言葉が続かなくなるとララ ザーズデイはシーツで彼女をくるんで抱きとめる。

「ニーフェ、大丈夫だよ。君の想いは、十分伝わっているから」
「でも、でも、もしかしたら、姉さん……記憶が、戻ってるかもしれないからっ……」
「記憶?」

 その言葉を聞いて、ソア・ウェンボリスがはっとした表情でイシュベルタ・アルザスを見つめた。

「そういえば、以前記憶が戻らないほうがいいって、そういいましたよね!? アレは、どういうことですか?」
「……銀の機晶石が戻ったら話す。そろそろ時間だ。出発しないと間に合わない」

 最後の問いかけに対してだけは答えを得られないまま、ニーフェ・アレエを置いてイシュベルタ・アルザスは部屋を出て行いこうとした。緋桜 ケイが「おい」と呼びかけると、一呼吸おいて顔を向けずに口を開いた。

「俺はベッドは好かんから、ソファを使っていた。ベッドは、好きに使うといい。これ以上動かすのは、エネルギーの無駄遣いだ」

 その言葉を聞いて、一同は目を丸くした。ロザリンド・セリナはまだ涙をぬぐっているニーフェ・アレエの肩に触れる。

「ニーフェさん、お見舞いに来る方々もいるかもしれません。ルーノさんの部屋は男性は入れませんし、今日はこちらで休みましょう」
「そのほうがいい。ここに来るだけでも、無理をさせてしまったからな」
「はい……っ」

 ニーフェ・アレエは緑色の瞳を精一杯微笑ませて、言葉を返した。
 ベッドまで歩いて、ようやく気がついた。そこには、姉妹が作った手作りの【イシュベルタ人形】が丁寧に寝かされていたのだ。その隣にもぐりこんだニーフェ・アレエは、安らかな寝顔を見せて一同を安心させた。