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【十二の星の華】『黄昏の色、朝焼けの筆』(前編)

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【十二の星の華】『黄昏の色、朝焼けの筆』(前編)

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第9章 桜色の抱擁

「向こうの騒ぎは、まだ続いてるみたいですね」
 空京駅からそう遠くないグラウンド。
 ポンポン、と手持ちぶさたにサッカーボールを蹴り上げながら、安芸宮 和輝(あきみや・かずき)は空京駅の方を眺めた。
「何人来ていただいても大丈夫なグラウンドを押さえることなら出来たのですけれど……」
 クレア・シルフィアミッド(くれあ・しるふぃあみっど)がぐるりと周囲を見回す。
 グラウンドはがらんとしていて人気はない。
「お水もタオルもバッチリ用意したのですれど……」
 そう言うクレアの足下には、ヤカンが転がり、カゴに入ったタオル。
 「救護」とつけた腕章まではめて準備万端だっただけに、あらためてがっくりと肩を落とした。
「おおい、稔。もういいですよ」
 和輝がグラウンドの端に向かって声をかける。
「ん? しかし……これではまだそのボールとやらが外に飛び出てしまう可能性がありますよ?」
 グラウンドの周りにめぐらされたネットの確認をしながら、安芸宮 稔(あきみや・みのる)は納得のいかない様子で首を傾げた。
「問題ありません。サッカーボールは蹴らなければ絶対に外に飛んでいくことはありません」
「ということは……おや、サッカー教室は中止なのですか?」
「肝心のカンバス・ウォーカーを引っ張って来れそうにないですからね」
「そうですか……サッカーという競技には興味があったのですが……そう言えば、カンバス・ウォーカーを引っ張ってこれないと、私が消えてしまうというような怖いことを言っていませんでしたか?」
「……英霊になれる程の人物の絵画は結構残されている訳ですよね。もしそう言った絵画がからカンバス・ウォーカーが現れた、そのために絵画が破壊されたりしたら、それは分霊とは事なる違う意味で知名度が破壊されるわけで……そうなると英霊迄もが消し飛びかねないと思ったんです。稔と関係ない絵画なことを祈りましょう」

「ふむ。ここなら広くて良さそうですね」
 和輝が肩をすくめたとき、スタスタとグラウンドに入ってきた九条 風天(くじょう・ふうてん)がくるりと辺りを見回し、満足そうに頷いた。
 その後ろに、クイーン・ヴァンガードらしい恰好の数人が続いた。
「これから何か行われるのですか?」
「……行う予定だったんですけどね」
 風天の言葉に、和輝はため息をひとつ。
「なるほど」
 風天はクレアの側にあるヤカンを確認する。
「水までありますね。これは好都合」
 さらに満足そうに頷いた。
 それから和輝の方を向く。
「お暇ですか?」
「……あまり素直に認めたくはないのですが……」
 和輝の返事に、ますます満足そうに頷く風天。
「実は、あれは空京駅のカンバス・ウォーカーが用意していた火薬なのですが」
 風天が指し示した方には小振りな箱。
 和輝がギョッとする。
「危ないですし、処分してしまおうと思います。ただ処分してしまっても良いのですが……空京駅のカンバス・ウォーカーに見せてあげるのはどうかと思いまして。確かに爆発する芸術的なモノがこの世にはありますよと。空京駅を爆発させることが火薬でできるなら――色とりどりの光と音、風情で皆を楽しませることだって、やっぱり火薬でできるんですよって」
 小さく、願いを込めるような視線で、風天は空京駅の方を眺めた。
「ボクたちでは火薬を扱うのは難しいですが……幸いクイーン・ヴァンガードが手伝ってくれるそうなので、きっとうまくいくと思うんです。どうですか、一緒に打ち上げませんか? ああ、そうです――『花火』というのですが」

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 ストリート。

「おあっ!」
「わわわっ!」
 二つの悲鳴。
 掴み取るために伸ばされた腕と、
 打ち砕くために振り上げられた足。
 交錯した二つの想いは、もつれこんがらがって――

『ぎゃんっ!』

 最終的にはひとつの悲鳴となった。
 先に目を覚ましたのは小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)の方だった。

「いやーっ!」
 
 自分が政敏に抱きすくめられるような状況で倒れていることに、美羽が声を限りに叫んだ。

「な、おいっ! 違うぞ! 飛び出してきたのはそっちだろ!?」
「政敏……信じていたのですが……」
 慌てる政敏にカチェアはひどく温度の低い視線を向ける。
「ふ、ふざけんな! この作戦でカンバス・ウォーカーを止める手はずだったろーが!」
「そうです。今回は妙にやる気があると思っていたのです。まさか女性に抱きつきたい一心だったとは……しかもカンバス・ウォーカーだけでなく一般の女性にまで……」

「カ、カンバス・ウォーカーに抱きつくっ!?」

 美羽はダッと政敏から距離を取ると、カンバス・ウォーカーの前に立って両手を広げた。
 その背後に、カンバス・ウォーカーを庇うように。
「カンバス・ウォーカーには指一本触れさせないよっ」
「ああくそっ!」
 政敏はガリガリと頭をかいた。
「俺はそこのカンバス・ウォーカーに飛びついて捕まえてやろうと思ったってだけだ。傷つけるのが目的じゃないから刀までしまったってのに、ややこしいことになってくれたな」
「でも……やっぱりカンバス・ウォーカー、捕まえるんだね?」
「そうでもしないと話をさせくれそうにないからな、そこの彼女は」
「……消すの?」
「……?」
「け、消さないでよ」
 言って、美羽は目を伏せた。
「わ、私今、空京の美術品調べて回ってるから……カンバス・ウォーカーが、どうして暴れているのかって調べてるから……」
 喧噪から一転。
 通りを静寂が包んだ。
「カンちゃんは……ティセラに消されちゃったカンちゃんは……他人と美術品を思いやるいい子だった。でも、私は守れなかった。もう、あんなの嫌だもん。カンバス・ウォーカーが暴れているっていうなら原因をはっきりさせて、何とか止めたい! 私は、今度のカンバス・ウォーカーを守りたいの! 絶対に原因、突き止めるから! だからお願い! カンバス・ウォーカーを、消さないで!」
「別に俺たちは――」
 美羽の必死の懇願に、政敏はポリポリと頬をかく。
 その後は、玖朔が引き継いだ。
「これ以上どうこうしようって気はないさ。このまま消滅させてやることだってできそうだが……荒っぽすぎるだろ、そんなの」
 玖朔はカンバス・ウォーカーの顔を覗き込んだ。
「それより聞かせてくれよ。今回の騒動は何が目的なのか」
「わたしを消せば――そして他の二人を消せば騒ぎはおさまるかも知れないのに……物好きな話。どうしてそんなことが知りたいの?」
「そりゃあ――美人は好きだからな」
 ニヤリと、玖朔は笑ってみせた。
「得したのかしら。とんだ命拾いだわ」
 カンバス・ウォーカーは自嘲気味な笑みを返した。
「だから、出来れば違う形で出会いたかったがな」
「そう。……まったく、お人好しがたくさんいる街ね、ここは」
 カンバス・ウォーカーの瞳に、再び強い力が宿る。
「――でも、私達の想いは変わらない」

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 空京大学の廊下で。
 カンバス・ウォーカーを抱きしめたままで歌菜は続ける。

「――『想い』は確かに前向きな物ばかりじゃないけど、でも、世界を否定するような想いは――とっても悲しいよ? だって……世界を否定するのは自分を否定することだもの。自分を肯定できるのは自分しか居ない……カンバス・ウォーカー、貴方はそれでいいの? 本当に貴方に込められている想いは、『世界を否定するような想い』だけなの?」
 語り聞かせるように、歌菜はそっとカンバス・ウォーカーの髪を撫でた。
「そんな訳ない。込められた想いはそれだけじゃない筈。そうでしょ?」
「……」
 カンバス・ウォーカーから返事はない。
「カンバス?」
 もしかして力を込めすぎたか、と不安になって歌菜はさらに腕の力を緩めた。
 その隙を逃さず、カンバス・ウォーカーは歌菜の腕を振りほどく。
「あっ!」
 歌菜が小さく悲鳴を上げる。
「それでもわたしは――わたしたちは、自分たちを生んだ想いを簡単に否定するわけには、いかないのだわ」
 一瞬で距離を取ったカンバス・ウォーカーは、再び、それほど感情を宿さない瞳に戻って呟いた。

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 空京駅付近のショッピングビル。

「すごいねーくうきょうって、色々あるんだねー! 退屈しなかったよ」
 ぴょんぴょんぴょんと階段を駆け上がり、途中で何度も振り返りながら、カンバス・ウォーカーは興奮気味にその瞳を輝かせた。
 カガチはカンバス・ウォーカーの言葉に頷きながら、窓の外を眺めた。
 すでに陽は傾きかかっている。
 下を見やれば、今日のカンバス・ウォーカーの「遊び」に付き合った一同がぞろぞろと、階段を昇ってきているのが見えた。
「そうかい、そりゃよかった――おもちゃ屋に映画、ゲーセンにカラオケ……ハンバーガー二個とポテトにジュース。おまけに牛丼が大盛りか……これで『つまんない』じゃたまんないからねぇ……」
「ねえ、疲れちゃった?」
 ため息をついたカガチを、カンバス・ウォーカーが覗き込む。
「そうだねぇ。おじさんちょっと疲れ――ちっとも疲れてないぜ。まあ、おにいさんちょっとばかり懐が疲れちゃったけどねぇ」
「ふうん」
 カンバス・ウォーカーはわかったようなわからないような表情を浮かべた。
「この後どこに行くの」
「展望台さ、ほら、もう着いた」
 
 カガチがドアを開けると、全面に空京の町並みが広がった。

「わあ……」

 カンバス・ウォーカーが息をのむ。

 暮れかけた空京の街。
 青とオレンジ、太陽の黄金。
 様々な色がうねるように混ざり合う中に、ポツリポツリと点きはじめた家々の明かりが、彩りを添えている。

「其々が小さな爆発に見えないかい? これは此処に生きる奴らの命の灯。魂の爆発。皆日々その命を魂を爆発させて生きてる。その時々を全力でね。あんたも今日感じただろう? 楽しい事驚いた事美味しい物出合う度。爆発する心を、命を、魂を。そしてそれこそがこの世でもっとも美しい『芸術』」
 カンバス・ウォーカーの横に立って、ニィっと笑ってみせた。

「そしてさ。この芸術は明日も輝くんだ」
 街の様子に一心に視線を注いでいるカンバス・ウォーカーの隣へと並び、茅野 菫(ちの・すみれ)はカンバス・ウォーカーへと語りかけた。
「明日も?」
「そう、明後日も。そしてあたしはこの芸術をもっと輝かせる」
「……どういうこと?」
 菫の言葉に、カンバス・ウォーカーは目をぱちくりして聞き返した。
「ダンス」
「踊るの?」
「そう。でも、自分たちで踊るんじゃなくて、世界にみんなが、『何だ これ』って言っちゃうような楽しいこといっぱいして、みんなを踊らせてあげるの」
 菫は眼鏡の奥の瞳を輝かせて、カンバス・ウォーカーの顔を覗き込む。
「それで、みんなが当り前って思ってることをぶっ壊して、世界を自分たちの色に塗りつぶしちゃうんだっ!」
 バッと、菫は両手を広げてみせた。
「それ、退屈しない?」
「しないしない!」
「自分も世の中の当り前を壊そうとしたことがあるが、退屈している暇はないな。まあ菫の側にいる以上、今とて暇はないが。加えて言えば今は日々に余裕と落ち着きもないが」
 相馬 小次郎(そうま・こじろう)が、菫の横から言い添えた。
 菫が少し不満そうな表情を浮かべるが、それは無視する。
「形あるものはいつか壊れるのが世の理だが、駅を壊しても意味がない、もっと大きなものを壊したらいいだろうと菫といっしょにな」
 ゆっくりと。
 染みこませるように小次郎が語ったその時。

「そっか、準備、ととのったんだなぁ?」

 携帯電話での通話を続けながら、嬉しそうな表情のウィルネスト・アーカイヴス(うぃるねすと・あーかいう゛す)が展望台に現れた。

「時間かぁー? ちょっと早い気もするけどいーんじゃないかー、空、もう暗いしな」
『これでダメなら――斬るしか無いかも知れません。カンバス・ウォーカーさんは、ちゃんと何かを感じてくれるでしょうか?』
 ウィルネストの電話の向こうからは、風天の不安そうな声が響いてくる。
「あっはっは」
 ウィルネストはそれを吹き飛ばすように笑った。
「こっちは順調だし、だーいじょうぶだと思うけどな。とにかく、打ち上げの成功、祈ってるぜー」 
 ウィルネストはそう言って電話を切ると、カンバス・ウォーカーの背後に立った。
「なあカンバス・ウォーカー、聞けよ? あそこのグラウンドでな、ちょっとした準備をしてる奴らがいるんだ」
 ウィルネストは、風天や和輝達がいるはずのグラウンドを指差した。
「もう準備が終わったみたいだから、おまえ、空をじーっと見てろよ?」

 ウィルネストに言われるがままに、カンバス・ウォーカーはその視線を高く、空に向ける。

 ……。

 …………。

 ………………。

 ひゅるるるっと。

 光の尾が空を昇っていく。

 次の瞬間。

 轟音と光の乱舞、そして衝撃が、辺りを包んだ。

「うわぁ!」
 カンバス・ウォーカーがほとんど後ろにひっくり返って声を上げた。
「爆発する芸術の――集大成ってやつだぜ?」
 カンバス・ウォーカーを抱き止めながら、ウィルネストは愉快そうに笑った。

 二発、三発と、その後も光の花は夜空を彩っていく。

「そう言えば、自己紹介をしてなかったわね。あたしは茅野菫。職業、茅野菫よ。よろしくね。あなたの名前、教えてくれる?」
 ポカンと口を開けて光景に見とれていたカンバス・ウォーカーは、その言葉にハッとして菫の方を向いた。

 それから。

「……サラ」

 少し恥ずかしそうに、さっきもらったばかりの名前を名乗った。
「じゃあサラ。あなた、仲間になりなさいな。ね、こっちへ――おいで」
 
 菫の言葉に。

 ピクリ。

 サラは一瞬手を伸ばしかけ――しかし顔を伏せ、スッと手を引いた。