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第1章 探索に集う者 3

 昆虫たちを追い払うのに成功したコビアたちは、由宇やファイリアたちとともに先を目指した。本来ならば、ファイリアたちは地上に戻るべきなのだろうが、コビアの目的を手伝ってくれると言った彼女たちの気持ちを、無下にするわけにもいかなかったのである。
 それに、使える物(人)は使っておくに越したことはない。
「ところで皆様、お茶はいかが?」
 場違いなお嬢様としか思えないオリガがお茶を差し出すのを苦笑しながら、やはりコビアとしては女の子を巻き込むのは気が進まないと想った。……由宇に至っては戦闘能力も高いのでその心配はないだろが。
 と、それはまだ良かったのだが――
「…………はぁ」
 ニアリーは、そわそわとコビアの後ろ姿を見ながら落ち着きがなく、時折ため息をついては自分の胸を押さえていた。
「ニ、ニアリーちゃん?」
「…………あ、は、はいっ」
「どうしたの? なんか、ずっと様子が変だけど……」
 普段と様子の違うニアリーを見かねて、ファイリアは心配そうに声をかけた。ニアリーは、鼓動の鳴り止まない自分の胸を見下ろした。
「コビア様を見ていると……ずっと胸が熱いのです。鼓動が止まらなくって……」
「……ニアリーちゃん、それって……」
 ファイリアは、すぐにニアリーの擁いている気持ちに察しがついた。魔道書とはいえ、ニアリーも女の子である。恋をしたとしてもおかしくはない。恐らくは、先ほど彼に助けられたことがきっかけだったのだろう。
 ニアリーは自分の気持ちが分からずに戸惑っているようであった。
(んー、だったら、ファイはニアリーちゃんの応援をするですー)
 ファイが心の中で決心したのを知らず、ニアリーは彼女がガッツポーズをしているのを不思議そうな目で見ていた。
 さて、そんな恋する乙女の奮闘記が繰り広げられようとしていたとき、コビアたちはようやく迷宮の出口らしき場所に辿り着こうとしていた。
「あそこ、出口かな?」
「本当!? ようやく着いたんだ! 蓮見さんのソーイングセットがあって良かったー!」
「そ、そんなことないよ」
 鳳明や郁乃は、出口を見つけて喜びに顔をほころばせ、朱里は頬を染めて照れ臭そうに笑った。
 それもこれも、朱里のソーイングセットを用いた作戦の賜物であった。糸を出発点から結びつけて歩んできたため、糸が通ってある場所を通らぬよう進んできたのである。それはすなわち、同じ場所を二度は通らないことを意味している。
 結果的に、出口にまで辿り着いたのだが――そんなとき、コビアたちの後ろから関西弁と整然とした若者の、二つの声がかかった。
「やっと見つけたわ〜」
「お前がコビアか……」
 コビアが声に振り向くと、二人の若者が彼を見据えていた。
 一方は黒髪の、年齢にしては童顔に見える青年であった。口々に喋る言葉から、関西弁は黒髪の青年であるということは分かる。片や一方は、銀に近い白髪に褐色肌という、珍しい姿見をした若者だった。物憂げな顔の向こう側から、突き刺すような双眸がコビアを捉えている。
 性格も髪の色も肌もまるで違うように見えるというのに、どこか二人には共通するものがあるような気がした。もちろん、それはコビアの気のせいに過ぎないのかもしれないが。
 白髪の若者が、毅然とした顔でかつかつとコビアの前に歩いてきた。その後ろから、黒髪の若者が続く。
 仲間たちが戸惑いを見せる中で、白髪の若者はコビアの身体を観察した。
「ふ……む。とくに大きな怪我はしてないようだな」
「あ、なたは一体……」
 コビアは、突然現れた二人組戸惑いを隠せない。加えて、目の前の白髪の瞳は、まるで射抜くように研ぎ澄まされおり、不安さえ覚えるからだ。
「私は仲瀬 磁楠(なかせ・じなん)だ。覚えておけ」
「オレは七枷 陣(ななかせ・じん)っていうんや。オレら、他の人と一緒で、あんたのいたキャラバンのアビトさんに応援頼まれてな。それでここまで急いでやってきたってわけや」
「アビトさんの……」
 黒髪の若者――陣は、どうやら細かいことを気にしない性格なのだろうか。ひらひらとした紙のように、つかみ所がない。
「さて、と、本題はここからだ」
 白髪――磁楠が口を開いた。彼はコビアの身体を直立させ、楽なように構えをとらせる。そして、一言だけ言った。
「歯を食いしばれ」
「え――」
 コビアが疑問を口にするよりも早く――磁楠の拳が彼の頬を弾き飛ばしていた。
「コビア――」
 それに驚いた仲間たちは、コビアへと駆け寄ろうとするが、恭司とにゃん丸が、それを遮った。
「黙って見てるんだ」
 二人は、男だからこそ、というべきか。磁楠が何をしようとしているのかよく分かっていた。それを邪魔することは、野暮であり彼の精神を妨害することでもある。今は、黙って見ているのが、やるべきことなのだ。
「お前の行動が、どれ程の人間を心配させ、危険に晒したかを分かっているか?」
「げほっ……が……」
 磁楠は倒れこんだコビアの胸倉を掴み、無理やり立ち上がらせた。
「腹が立つか? むかつくか? 憎んでくれて構わんさ。だがな……現実を見ろ。己は弱いと認識しろ。半人前以下で、守られる事が多いのだと理解しろ。仲間を頼らない傲慢さを恥じろ」
 コビアの苛立つような目を受け止めて、磁楠はなおも殴りつけた。ただし、今度は胸倉を掴んだままだ。倒れることもできず、切れた唇から流れる血だけが顎へと伝う。
「余裕があるなら、まず仲間を頼れ。助けたくても助けきれない事は世の中には腐るほどあるのだ。そう何度も、都合良く助けに来てくれる存在が居るとは……限らない!」
 磁楠は言い切ると同時に、コビアを無造作に床へと叩き捨てた。
「それすら出来ないのなら……自分の無謀さを胸に抱いたまま一人で溺死しろ」
 吐き捨てるようにして言って、磁楠はコビアを見下ろした。
 その目は、まるで汚いものでも見るかのような目であった。しかし同時に、哀しげに子供を見るような目でもあった。
「まあ、まあ、その辺でやめとき。ほら、コビアくん、大丈夫か?」
「…………げほっ、げほっ」
 喉に詰まった血を吐いて、コビアは上半身だけ起こした。まだ、全身で立ち上がるほどの力を出すのは難しい。それほど、磁楠の一撃は重かった。
 コビアの中で、磁楠の声がまるで波紋のように何度も鳴る。無謀、そして傲慢。コビアは、泣き出しそうな子供にも似た目をして、自分の悔しさを噛みしめていた。こんなにも、自分は弱い存在で。こんなにも、ちっぽけだと。
 ようやく恭司とにゃん丸も腕も引っ込めて、仲間たちはコビアへと駆け寄ってきて彼の怪我の治療をする。
 不思議と混ざり合う二つの感情を抱きながら、磁楠はコビアを見つめていた。
 この先、彼がどう進むのか。そこまで干渉する気はない。しかし、願わくば彼が進むべき道を間違わないことを祈る。



 コビアと、その仲間たちが迷宮の出口から地下二階へと進むところを、背後から見ている影がいた。
(……激しいですね)
 影は磁楠がコビアを殴りつけるところを見ていた。
 一歩間違えれば磁楠たちに見つかるところであったが、間一髪のところで隠れることができたのは幸いと言うべきだろう。
 一人で侵入したことは不安材料であったが、それも先行する人が罠を解きながら行ってくれて助かった。まったく、ストーキングさまさまである。
 さて――
(ここからは地下二階ですか。一体、どこまで続いてるんでしょうかね、ここは)
 先行するコビアたちに見つかっては元の子もないので、明かりは不用意に使えない。
 ダークビジョンの力で視界を得た影は、コビアたちを追って自らも地下二階へ続く階段を降りていった。
(待ち構えているのは、蛇か姫か魔力の品か……。いずれにしても、気になるところですね)
 影――戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)の気づく者はおらず、彼の目が何を見るかもまた、誰にも分からぬことであった。