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リアクション
第一章 かくして祭りは始まり。
日も落ちかけ、少し涼しくなってきた時間帯。
「アイリスさん、浴衣を着て来てくれるみたい」
ケータイの画面を見ていた橘 舞(たちばな・まい)が、嬉しそうに言った。かくいう彼女も、白地に薄紫の八重桜が描かれた浴衣に、ピンク色の帯を締めた格好だ。
「へぇ、アイリスの浴衣? どんな感じなのかしら。あまり想像つかないわね」
と、ブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)が呟くと、
「似合っておるであろうな。美人は何を着ても様になるのじゃ、そうわらわのように!」
金 仙姫(きむ・そに)が浴衣の袖を広げて一回転。薄黄色に桔梗柄の浴衣が、ひらり、少し揺れる。きっちり締められた黄緑色の帯のおかげではだけはしない。
そんな仙姫を見たブリジットは、呆れた顔でため息を吐いて、
「仙姫、あんたうるさい」
一言。
もちろんそんな言葉を気にする仙姫ではないので、「ふふ」と妖しく笑い、ふわふわとした足取りで道を歩く。
「転ばないでよ、せっかくの浴衣なんだから」
「ブリジットこそな。群青色の生地だからと言って油断するでないぞ」
「しないわよ」
ブリジットの浴衣は、群青色に赤い朝顔が描かれたものだ。舞や仙姫の浴衣ほどは汚れが目立つ色ではない。かといって油断して汚すようなヘマはしないが。
なんとなく、黄色い帯の巻かれた腰に手を当てて、
「コルセットとは違った締めつけがあるわよね、これ……」
ぽつりと漏らす。
さて、舞から返事がないことに疑問符を浮かべ、「舞?」ブリジットが彼女を見ると、舞は難しい顔をして立っていた。
足でも痛めたのだろうか。今履いている、下駄とかいう履物は脱げやすいし、足も疲れやすく感じる。それとも浴衣を汚したりでもしたか。
「何? どうしたの」
「……アイリスさんはエリュシオン帝国の皇女で、そんな彼女に地球側の民族衣装を着てもらうなんて問題があるのかもしれないよね……?」
「あんた、そんなこと気にしてたの?
別にいいじゃない、地球式……というか、日本式の夏祭りって言ったら浴衣でしょ。
ドレスとかスーツで来る方が無粋ってものよ」
「そう、かな?」
「そうよ。それに、楽しんでもらいたいのにあんたが暗い顔してたら気を使わせちゃうんじゃない? それこそどうなのよ」
ブリジットの一言に、舞が頬を押さえる。むに、と自分で表情筋を揉むように動かして、
「……やだ、私、変な顔してた?」
「しかめっ面をしておったぞ。そんな顔では祭りは楽しめぬ」
声にブリジットが振り返ると、ふらりと先に歩いて行った仙姫がヨーヨーと林檎飴を持って戻ってきていた。彼女は彼女で、さっそく楽しんでいるらしい。浴衣も少し着崩れていた。人混みがすごいのだろうか。
「しかし、良いのぅ。太鼓や笛の音を聞いているだけで、自然と身体が動いて踊ってしまったわ」
と思ったが、踊りのせいだったらしい。
仙姫らしいと言えば、らしいのだけれど。脱力。
「……ここまでゆるくなれとは言わないけどさ。いいんじゃないの、難しく考えなくて」
「そうかなぁ」
ブリジットがフォローしても、舞の表情はまだ少し、硬いし暗い。
舞は繊細だから。そして友達想いだから。瀬蓮のこと、アイリスのこと、二人のこれからのこと。それらを考えて、気落ちしてしまっているのだろう。
「まぁ、色々あるじゃろうが」
仙姫が口を開く。ばすん、ぼすん、ヨーヨーを叩く音を響かせながら。
「祭りは楽しむものじゃ。今日は煩わしい事は忘れて、心行くまで歌って踊って楽しもうではないか。
帝国とか東西とか、そういう単語は禁句えぬじーたぶーで封印というヤツじゃ。
祭りには国境も東西もない。あるのは『祭り』と、それを楽しむ者じゃ」
ヨーヨーをキャッチして、それを舞に手渡して。
「なぜ、人は夏祭りに行くのか。そこに祭りがあるからじゃ。他に理由など不要じゃ。
余計なことを考えるくらいなら、一心不乱にヨーヨーボムボムでもしておれ、意外とハマるぞ?」
言われるままに、受け取った舞がヨーヨーを弾ませて、失敗して、またやり直して。
そんなことをしているうちに、不思議と気分が楽になったらしい。
「祭り」
「うん?」
「楽しんだ方が、いい、もんね」
笑って言う舞に、ブリジットは「当り前でしょ」と微笑んだ。
仙姫は、どこから取り出したのか、吹き戻しを銜えてフピー、と音を響かせる。
祭り囃子の音が、遠くで聞こえる。
*...***...*
祭り会場付近、更衣室で。
「瀬蓮さん、とてもよくお似合いですぅ」
高原 瀬蓮(たかはら・せれん)の浴衣の帯を、メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)が締めながら言った。
水色の生地に、金魚が描かれた浴衣。「子供っぽくないかなぁ?」と瀬蓮は苦笑いのような顔をして言うが、メイベルは別に子供っぽいとは思わない。瀬蓮の可愛らしい雰囲気によく合っていると思う。
「そんなことないですぅ。……あ、でも、水色の生地より、ピンクの方が似合うと思いますよぉ」
「瀬蓮もね、ピンクの方が好き。メイベルちゃんが着てるようなやつとか」
にこにこ、笑って瀬蓮が言った。
メイベルが着ている浴衣は、大輪の花火が散らされたピンクの浴衣だ。帯は、白銀色。上品で、可愛らしさの中に大人っぽさを覗かせている。
「じゃあ、次。次のお祭りでは、こういうピンクの浴衣を着てくださいねぇ〜。うふふ、今から楽しみですぅ♪」
次、という言葉に、瀬蓮が少しきょとんとしたが、見ないふり。
「いっぱいいっぱい、楽しみましょうね」
アイリスがエリュシオン帝国の皇帝の娘。そして龍騎士。そして近々総督に就任予定。
そんなことがわかったら、もう今まで通りに仲良く過ごす時間は少なくなるから。
せめて、残された時間が楽しい思い出で満たされるようにと。
今日が笑顔で居られるようにと。
メイベルは微笑む。
「メイベル様たちは、もうお支度を終えたようですね」
フィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)がセシリア・ライト(せしりあ・らいと)の浴衣を着付けながら、言った。
手際良く、しっかりと帯を結び、「できましたわ」声をかける。
「ん、ありがとフィリッパ!」
元気よくセシリアが笑い、その場でくるくると回ってみせた。ポニーテールにした髪が、動きに合わせて揺れる。それを見ながらフィリッパも自分の浴衣を着始めた。
フィリッパとセシリアの浴衣は、メイベルとお揃いのものだ。華やかで可愛らしい浴衣。
「普段あまり着ないものを着るのは、なんだか気恥ずかしいものがありますわね」
「可愛いよ? フィリッパの浴衣姿。似合ってるし」
「なんというのでしょうね、似合う似合わないとはまた違った恥ずかしさなのですわ」
疑問符を浮かべるセシリアに向かって微笑んで、帯を締めて、少し浴衣を整えて。
髪型も変えたりした方がいいのでしょうか、と思っていたところで、
「アイリスさんの着付け、終わりました」
ステラ・クリフトン(すてら・くりふとん)の声に振り返る。
黒に近い紺色の生地に、大柄の百合。締められた帯は黒の麻帯。
凛とした、大人っぽい浴衣に身を包んだアイリス・ブルーエアリアル(あいりす・ぶるーえありある)が立っていた。
「うわぁ、アイリスさんかっこいい……」
ぽわんとした口調で、セシリアが言って、思わずフィリッパも頷く。
「どうかな? 似合っているのかい?」
「とてもよく似合っていますわ」
「うん! かっこいいよ、すっごく!」
すぐに返事をすると、照れたようにアイリスは笑った。
「今日は楽しい日にしたいね」
それから不意に、アイリスが言う。
「セレンのためにも」
言う瞳に、少し寂しさのようなものが混じっている気がして。
「大丈夫ですよ」
フィリッパは声をかける。
「だって、瀬蓮さんもアイリスさんも、好かれていますから。誰に? 皆様にです。
ですから、今日は楽しい日になりますわ。
アイリスさんたちはこれから一つのピリオドを迎えますが、決して未来がなくなるわけではありません。
そして未来とは過去の積み重ね。楽しいことを積み重ねて、笑顔を作っていきましょう。
この珠玉の一瞬一瞬を、大切にしていきましょう」
ね、と微笑むと、アイリスも微笑んだ。
「そうだね。僕は弱気になっていたのかもしれない」
理由を話さないアイリスだから、何を思ってそう言ったのかはわからないけれど。
ただ、弱気になっても、わたくしたちがお手伝いしますから、と。
お祭りといったら、屋台。
屋台といったら、たこ焼き焼きそばお好み焼。りんご飴綿飴チョコバナナ。
食べ物から、射的や金魚すくいみたいなゲームまで。
色々たくさんあるから、今日一日という短い時間じゃとても足りないと、セシリアは思う。
かき氷をかきこんで頭を痛くさせてもいいし、飴細工の美しさに心を惹かれてみるのもいい。ヨーヨーを高速ではじかせたりとか、輪投げで一喜一憂してみたりとか。
楽しいことはたくさんあるんだ。
「いーっぱい、楽しもうね!」
瀬蓮ちゃんも、アイリスちゃんも、今後はいろいろと大変だと思うけれど。
今は、『その時』が来るまでは。
ごく普通に過ごしたらいいんだよ、って。
そう思うから、セシリアは笑う。
二人きりだと上手く出来ないかもしれないから、周りが。自分が。わいわいと盛り上げて連れまわして余分なことを考えないようにさせちゃえば。
きっと、楽しいから。思い出の日になるから。
ボクが頑張って――
「セシリアさん、色々張り切りすぎないように」
……と、やる気に満ちていたら、ステラから忠告されてセシリアは頬を膨らませる。
「そんな顔、しないでください」
「じゃあどんな顔しろっていうの?」
「笑顔とか。ですね」
「笑顔?」
「はい。瀬蓮さんやアイリスさんのために頑張るセシリアさんも、今日をいっぱい楽しめるように」
「笑顔で?」
「笑顔でです。
張り切りすぎて空回りしたり、途中でエネルギー切れして疲れた顔は、嫌です」
「大丈夫だよ。ステラが助けてくれるんでしょ?」
そう言うと、ステラが言葉に詰まった。まったくもう、と呆れたように肩を落として、
「当然です」
と答える。
その答えに笑顔で頷いて、さあ、祭り会場へ向かおうと。
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