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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に

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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に
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SCENE 15

 かつて『鋼魔宮』から逃走したクランジ『Φ(ファイ)』は別の場所にいた。

 イルミンスールの屋外プロレスは好評のうちに幕を閉じた。
「血が騒ぐ試合だったね! さすが、キッチンとプロレスは空京の華っていうだけあるねっ」
 最前列でジ・レメゲトンvsいるーみんを観戦したルカルカ・ルー(るかるか・るー)は興奮が収まらない。シュッシュとシャドウボクシングみたいなことをして上気していた。
「火事と喧嘩は江戸……ではなかったか?」
 ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)はルカルカの拳を、飄々とかわして肩をすくめる。
「そだっけ?」
 へへー、とルカルカは舌を出して笑った。
「でさあ、あとは時間いっぱいまで、ずらーっと屋台の飲食店ばかり見物していく?」
「なぜ飲食店に限定する?」
「パティシエとして興味あるかと思ってさ、ダリルが」
「俺は剣だと何度言えば……。所属も技術科だし研究者だ」
「じゃ、マッドテクノクラート♪」
「最早、何も言うまい……」
 ダリルは嘆息した。否定する気はないらしい。
「ルカルカ、スムージー飲むか? キウイ味の」
 そこにエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)が合流した。手にドリンクのカップを持っている。
「お、気が利くじゃない。さすがイイトコの若様♪」
「ダリルにも買ってあるぞ。マッドテクノクラート向けに、集積回路味だ」
「悪いな。ああ、このLSI基板のチクチクした味がクセになる……って、違うだろ!
 ルカルカとエースは目を丸くして顔を見合わせた。
「あのダリルがノリツッコミした!」
「『あの』とはどういう意味だ。……天然ほえほえのルカルカと一緒だと、こういうところも伝染して困る」
 照れがあるのか俯きながら、ダリルはスムージーのストローを吸うのである。ちなみに、本当はオレンジソーダ味だ。
「待て」
 メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)はそんな三人のやりとりを笑って眺めていたのだが、突如厳しい顔立ちになって屋台と屋台の間に視線を滑らせた。
「覗き見というのは趣味が良くないね。それとも、何か用かな?」
 穏やかな声色だが、有無をいわせぬ口調でメシエは暗がりに呼びかけている。
 返答によっては、というように構えようとするメシエをそっと抑えて、ルカルカは彼の視線の先を追う。だがその表情は柔和だった。
「そんな狭いところに隠れてどしたの? 迷子かな?」
 呼びかけて近づき、優しく手を引くのだった。
「……」
 姿を見せたのは白衣を着た少年だった。といってもその白衣は汚ればかり目立つ。ずっと下を向いており、分厚い眼鏡に隠された表情はわからない。
「迷子……っていう年齢じゃなさそうね。怖がらなくていいよ、怒ってるわけじゃないから。名前は?」
 少年が口を開くより早く、溜息混じりの声が聞こえた。
「何故お前がここにいる?」
 と述べ、近づいてくるのはグレン・アディール(ぐれん・あでぃーる)だった。
「少し、話しをさせてくれないか。彼、いや、彼女とは面識がある」
 エースに道を空けてもらい、グレンはクランジ『Φ(ファイ)』の前に立った。グレンはファイと戦った過去がある。たとえ変装していようと、その姿を見紛うことはなかった。
「……!」
 しかし右手を正面に伸ばし、ファイは威嚇するような姿勢を取った。掌、そして腕に設置された三カ所の孔が開き、電磁鞭の先端が見える。
 グレンはクランジの実力を知っている。ここで彼女が意を決すれば、数秒後に絶命する可能性すらあった。だが彼は恐れなかった。
「止めておけ。それ以上は、互いに後悔しか残らない結果となるだけだ」
 グレンは首を振り、戦う意図がないことを示したのである。
「ファイさん、覚えていらっしゃいますか、私のことを? 名乗りはまだでしたね」
 グレンの背後から一人の少女が姿を見せた。
ソニア・アディール(そにあ・あでぃーる)と申します。あなたがここに来ている事には正直、驚きました」
 ソニアは和やかに話しかけ、相手を怯えさせないように気遣う。
「そして嬉しくもあります。やっぱりあなたにも、何かに興味を持てるような心があったんですね」
 これまでずっと無言だったファイが、口を開いた。
「……コードネームC・U・R・N・G・E。個体名、『Φ(ファイ)』。本機に『興味』という機能は搭載されていない」
 淡々と、突き放すような返答にもかかわらず、ソニアは笑みを崩さなかった。
「あら? でも、お祭に引かれて来てしまったんでしょう?」
「……理解、不能」
 ファイが下を向くと眼鏡が落ちて砕けた。少女らしい綺麗な瞳が現れる。
 グレンの連れはソニアだけではない。李 ナタはソニアとファイのやりとりを見て軽く息を吐いた。
(「やれやれ、グレンは親近感を抱いて、ソニアはお姉さん気分か……まったく二人共、アイツが鏖殺寺院の機晶姫だって事、忘れてねぇよな?」)
 けれど、これは認めなければならないだろう。
(「二人して、あの凶暴だったクランジを言い負かしちまった。命知らずというか大胆というか……ああ、仕方ねぇなあ!」)
 命知らずにして大胆なグレンとソニアの盟友として、ナタもまた、一言述べずにはおれない。
「世の中ってなぁ『理解不能』なもんがあるから面白ぇんだぜ」
 旧友にでも出会ったかのように、気さくな声で呼びかける。
「要は、テメェも祭に参加してぇんだろ? なら、まずはその格好をなんとかしねぇとな」
 ポンと肩に手を置いた。虎の尾を踏むような行動だが、もはやクランジに戦意はなかった。
「可愛いお嬢さん、花をどうぞ」
 その手にエースが薔薇を手渡す。
「今日は非番? なんだよね? なら、僕らと祭を楽しもうよ。一人で祭りを眺めるより皆と廻った方が楽しいよ?」
(「おい!」)
 メシエはエースに叫びたい気分だったが堪えている。
(「エースの女性に対する敬愛理念は一目置くけれどね。君は人と機晶姫の区別もつかないのかい……」)
 半ば呆れてしまうが、その楽天的な部分は羨ましくもあった。
「そうだよ。行こうよ。大勢のが楽しいし」
 ルカルカも言い添えた。ファイとは仲良くなれそうな気がした。
 この場にいる誰もが気を許したわけではない。事実、ダリルは胃が痛くなるほど緊張している。
(「クランジよ、許諾してくれ……。でなければ最悪、実力行使せざるを得ない」)
 そうなればここは戦場になる。それだけは避けたかった。
 事態を打開したのは、たった一着の衣装だった。
「せっかくだから浴衣、着てみませんか?」
 ソニアの言葉がファイの背中を押したに違いない。
 ファイは、小さく頷いた。