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intermedio 貴族達の幕間劇 (前編)

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第2章 衣裳部屋にて


 クロエ・シャントルイユは、ヴァイシャリーの著名デザイナーの一人だった。服飾に限らず宝飾類、果ては雑貨のデザインまで手掛けており、自身のブティックも所有している。その作風はヴァイシャリーの伝統的なデザインを取り入れたものであり、時にかつての衣装を復刻することもあった。
 クロエの得意先の一人に名家の女主人アレッシア・バルトリがいたのは、そんな彼女の作風が、アレッシアの好みに一致したからだ。勿論アレッシアがオペラを好み、そしてオペラを上演するための旧い時代の舞台衣装を欲しているという事情もあった。
「そうね……やっぱり、袖をもう1センチ詰めましょう。ここを抑えていてね」
「はい、お姉様」
 美しくきらびやかな衣装とそれを纏った美しい女性、そしてこちらも美しいと言って差し支えないクロエにうっとりとしながら。
 姫野 香苗(ひめの・かなえ)は大人しく頷いて、指示通り布を抑える。クロエは慣れた手つきであっという間に仕上げてしまう。
「違和感はない? 大丈夫ね。……それじゃあ、次は……」
 クロエ自身お嬢様といって良い出身のはずだったが、彼女は早朝から休む間もなく動いていた。
 誕生日に行われるささやかなオペラ。規模は劇場で上演されるそれと比べるべくもないが、それでも二十人からの奏者と歌い手とが舞台に立つ。その衣装とメイクの責任を負っているのだ。衣装は流石に全てが完全新作というわけではないが、ソリストの衣装はクロエが去年から、デザインから、一から手掛けている。
 今日は本番で最終確認のはずなのに、先ほどなどは演出家がやってきて、やっぱりここのイメージを変更したいから……などと言い出して、それに合わせてアクセサリーを加えたり、縫い付けるビーズを増やしたり仕事は尽きない。
 香苗は目の回るような忙しさの中、頼まれて衣装室にショールを取りに行って、クローゼットの中の色彩に、うっとりして手を止めた。
「これ、全部は使われないんだよね。もったいないなぁ」
 止めた手をふらふらと伸ばし、ベルベッドに頬を寄せる。クラシックな舞台衣装群は、香苗好みのコスプレ衣装にも通じるところがある。
「これも素敵、あれも可愛い〜、あっ、こっちもー!」
 いつしか香苗は仕事のことなどすっかり忘れ、衣装を取り出しては胸に当て、近くの鏡で一人ファッションショーを開催していた。
 すべすべの布地に凝ったディテール。たっぷりフリルにカラフルリボンに繊細レース。
(この衣装を着たらお姉さまも香苗のオトナの魅力にイチコロだよね! ちょっとくらいなら……いいよね)
 香苗はローズピンクの、つやつやしたドレスを抱えると、更衣室でちょっと着替えて──
「遅いと思ったら。今から舞台に立つつもりなのかしら?」
 着替え終わって更衣室のカーテンを開けると。右手を腰に当て、ニコリと笑いかけるクロエがいた。
 香苗は慌てて弁解する。
「ごめんなさい。あの、でもあんまり衣装が可愛かったので、ついっ……。そうです、クロエお姉様ぁ、香苗にも衣装を作ってもらえませんかぁ?」
 うんうん、借り物なんかより、自分の魅力を引き立てる衣装を作ってもらった方がきっとイイ。なんて香苗は自分を納得させて、目をきらきらさせてクロエに迫る。
「そうね……悪いけれど、オーダーメイドはかなりお高くなるわよ? 既製品なら私がデザインしたもので、似合うものを見立ててあげるけれど。それでも良ければ、今度ブティックへいらっしゃい? それから、その服は私が作ったものじゃないわよ」
「え? じゃあ誰が……」
「それは勿論、この私ですわ!」
 クロエの横で彼女の語尾をかっさらったのは、クロエに言われて、別の役者たちに衣装合わせを行っていたロザリィヌ・フォン・メルローゼ(ろざりぃぬ・ふぉんめるろーぜ)だった。
「淑女にあるまじき動きをなさいますと、ドレスが耐えられませんのでご注意くださいませね?」
「え、えええ? きゃー!?」
 びっくりして飛び上がった香苗の服は、クローゼットの扉に引っかかると、びりびり破れていった。
 それはいつものごとく紙製のドレスだったからである。

「ということは、ヴェロニカとの別離のお話しではないのですわね?」
 着替えた香苗とロザリィヌはクロエについて作業に戻り、一通り全員の衣装をチェックし終えると、衣裳部屋の隅に置かれたテーブルで、今後の予定を確認しながらお針子作業に戻っていった。
「『騎士ヴェロニカ』に興味があるの?」
 周囲をうかがい、声を潜めつつも、力強くロザリィヌは頷く。
「ええ、わたくしの考えるところですと……脅迫状を送った人間は、今日行われる演目「騎士ヴェロニカ」になにかしら自分と重ねあわせるところがあって、この日を犯行の日時に選んだと思いますの。
 ただ殺人を行いたいだけなら、カードを寝室に置けるような人間ならば、寝込みを襲うのでも食事に毒を混ぜるでも色々方法はあるはずですもの。このオペラでないといけない、絶対の理由があるはずですわ!」
 ロザリィヌは、扉に目を向けた。そこでは、確認に衣裳部屋を訪れたアレッシアが役者たちと話している。
 そう、そしてこのオペラを選んだのは、アレッシアだ。援助を打ち切った役者を当主役に選ぶなんて……何かあるのではないか。
「ですから、オペラの内容を詳しく教えていただきたいのですわ」
「『騎士ヴェロニカ』は悲劇です。古王国時代、騎士の家柄であり自身も男兄弟と共に騎士として育てられたヴェロニカは、親同士が決めた政略結婚の為に、ヴァイシャリーのバルトリ家へ嫁いできたの。けれど、ヴェロニカは女王の騎士としての生き方しかできず、夫となる人物もまた、恋人と引き裂かれていた……」
 当時のバルトリ卿は、それでも妻を愛そうと心をつくし、二人は惹かれあったけれど、そこに元恋人が現れたりと波乱が続く。最後には、夫の代わりにヴェロニカは戦場へ赴き戦死した、という筋書きだとクロエは言う。
「この物語の当主役にディーノを選んだのがアレッシア様なら、ヴェロニカと自分を重ね合わせているのではないか……と思ったのですけれど……」
 けれど、クロエはそれを否定した。
「役者のことなら、正確には「認めた」のはご夫人だけど、選んだのは役者自身のはずよ」
 アレッシアが後援してきた多くの歌手や音楽家らが計画するこのオペラは、基本的には彼らが中心となっている。
 尤も上演には大量の資金がかかるのが常であったから、場所と舞台装置に衣装、それらにかかわるスタッフは、主にアレッシアが手配することとなっていた。
 演目やその役柄について言えば、アレッシアが手配するに当たり、演目は舞台の、役柄は体格等の問題があるので、互いにすり合わせを行うくらいだ。
「途中で変更したという話も聞かないし、役に夫人の意向は反映されていない筈よ。ただ大事な役だから、彼が──実力と人気を兼ね備え、夫人が育ててきたと言って過言ではない彼が務める確率は、かなり高かったと思うけれどね」
「そうなんですの?」
「むしろ、支援を打ち切られたから、最後のお礼に志願したと聞いているわよ」
 ロザリィヌの探るような視線の先にはアレッシアがいる。彼女は今は、真口 悠希(まぐち・ゆき)と衣装合わせの表や資料を間に挟んで話し込んでいた。その真剣な横顔に雑意どころか雑念も感じられないが、その表情がふと、緩んだ。

「はい、衣装合わせは完了しました。後は細かい修正とメイクですね。……あの、アレッシアさま。素晴らしい劇ですね。こんな時ですが、ボク、関われて良かったって思います」
「そう、ありがとう?」
「素晴らしい劇ですね、特に……『恋人と引き裂かれた悲しみが、貴方を狂わせてしまったのですか』」
 悠希はオペラの一節を口ずさんだ。
「当主様になぞらえてしまい恐縮ですが……ボクに似ているって思うんです。ボク……自分の不覚からですが、今は愛する人の側にいる事ができなくて……一時は悲しみで身が張り裂けそうでした……」
 桜井静香のことを思うと、胸が痛む。どんなに側にいたくても、距離を置こうと言われてしまっているから、それが叶わない……。
「けれど……この方は自分なりの愛を貫いたのですね。素晴らしいと思います……ボクもそうありたいです」
 悠希は想いを吐露しながら、アレッシアの顔を伺う。
 殺人を防ぐ。目の前にいるこの女性を守る。でも、本当の意味で解決するには。
「今日の予告から、貴女を守りたいんです。でも、本当の意味で解決するには、もう二度と貴女が誰かに狙われたりしないように、犯人も同じ過ちを繰り返さないようにしないと……。ボクで宜しければ、何でも話してみてください。犯人や狙われる理由に心当たりはおありですか?」
 アレッシアの顔が緊張からふと緩んだ。が、それは申し訳なさそうな表情でもあった。
「ありがとう。優しいのね。でも、心当たりがありすぎるのよ。貴族である限りは……」
 それに、と彼女は続ける。
「劇の物語も彼らの人生も、劇の中にしかないのよ。……現実では叶わないの」
 アレッシアは寂しげにそう言ってから、後はよろしくね、と部屋を出ていく。
 その後を、悠希に目配せし、彼のパートナーカレイジャス アフェクシャナト(かれいじゃす・あふぇくしゃなと)が追った。アフェクシャナトは今日は舞台裏での彼女を護衛する役目を引き受けていた。
(特に凶器のようなものを持っている人間はいないようだが……いざとなればその辺の道具も十分武器になるね)
 針にハサミ、金槌にノコギリ。見えないものでは毒物なども。
(人の心は難しいね。悠希にしても犯人にまで自分を重ねて見ている。対してアレッシアは割り切ってるようにも見えるかな)
 そのアレッシアは、リハーサル室にいたディーノを呼んだ。足早に寄るディーノに、彼女は無表情で硬い声をかける。
「私に話があるそうだけれど?」
「ええ、あの件のご説明を……」
 そして二人は、廊下を歩いていく。その先にあるのは、階段、そして勿論二階だった。