シャンバラ教導団へ

百合園女学院

校長室

薔薇の学舎へ

はじめてのひと

リアクション公開中!

はじめてのひと
はじめてのひと はじめてのひと はじめてのひと はじめてのひと はじめてのひと はじめてのひと

リアクション


●『はじめて』だからこその緊張と、『はじめて』だからこその安らぎ

 戸口で小包を受け取って、荀 灌(じゅん・かん)はすぐにそれが携帯電話であることに気づいた。
「郁乃さんが注文してくれた『cinema』ですね……これを使うといつでも郁乃さんとお話ができるんだっていってましたけれど……」
 扱いが難しく、マニュアルを読んで操作に慣れ、基本的な住所録を入力していたら、すっかり陽が落ちてしまった。ようやく電話をかけられるようになって、手が止まってしまう。
「……うぅっ緊張します」
 荀灌は携帯電話を使うのは人生初、ゆえにどうしても緊張するのだ。
 とはいえ戸惑っていては、待っているはずの相手に申し訳ない。いそいそと包みを解いて、電話を起動させる。
 彼女がはじめてのコールを捧げる相手は、もちろん芦原 郁乃(あはら・いくの)である。
「……かかって、下さい」
 胸の鼓動を高めつつ、プルルル……というコール音を聞いている。
 ガチャ、という音がして、郁乃が出た。

 同じ状況を郁乃側から見てみよう。
 話は数日前にさかのぼる。ランチ中、
「携帯電話を持ってもらっていい? あ、もちろんお金はわたし持ちだから気にしないで」
 と、切り出しておいて郁乃が荀灌を見ると、あろうことか彼女は震えているではないか。
「け……携帯電話、私が……!?」
 なにか重大な依頼でも引き受けたかのような驚きぶりだ。びっしりと冷や汗までかいている。
「いや、そんな決死の話じゃないから。ほら、連絡しやすくなるから便利だな〜、ってだけのことよ。いつでも話せるようになるし」
「いつでも話したいと言ってくれるんですか……この私と……っ」
 緊張しているのではないようだ。荀灌は嬉しさのあまり息が詰まりそうになっているのである。大きな黒真珠のような瞳がうるうると潤んでいた。なんだか郁乃も感激してしまうが、なるだけ平静を保ち、携帯電話のカタログを渡す。
「じゃあ、この中から好きな機種を選んでね。三日くらいで届くみたいだから」
 数分、食い入るようにカタログを読んでいた荀灌が、
「い、郁乃さん、これで電話しても……い、いいですか……?」
 と、上目づかいで差し出したのが、『cinema』のスタンダード版、ピンクの機種だったというわけだ。
 郁乃が断るはずはない。それどころかむしろ、カタログごと、ぎゅーっ、と荀灌を抱きしめたいという衝動と戦うのが大変だった。

「もしもし」
 やや裏返った声で荀灌が言うと、
「もしもし」
 と郁乃が返す。声には微笑の色が含まれている。
 その声を聞くや荀灌の不安は薄れ、かわりに安心と一緒に嬉しさがこみ上げてきた。
「わぁ! かかりましたぁ! 携帯電話、届きましたよ!」
「うん」
「これでいつでも話したいときに話せるんですね!」
「そうだよ、いつでもつながってるよ」
 郁乃は眼を細める。浮き立つ声からして、荀灌が心から喜んでいるのがわかったからだ。郁乃自身も心が弾んだ。
 しばし携帯電話の回線で言葉を交換する。電話が誕生してすでに150年近いが、その楽しさ、嬉しさは不滅だ。話題が尽きたとき、荀灌が言った。
「あ、あの……明日も電話してもいいですか?」
「そんな気を遣わなくていいの。明日も待ってるよ」
「はいっ! ありがとうございます」
「じゃぁ また明日です! おやすみなさい……郁乃お姉ちゃん」
「うん、おやすみなさい」
 プッ、と小さな音を立てて回線が切れた。
 温もりの残る携帯電話を閉じて、あることに郁乃は気づいた。
「……ん? あれ今、荀灌、わたしのこと『お姉ちゃん』って呼んだ?」
 じわっと、温もりが蘇ってくるような気がした。
「……もぅ、まったく、あの子は恥ずかしがり屋なんだから」
 明日会ったら面と向かって『お姉ちゃん』って呼ばせちゃうぞ、郁乃はそう誓った。


 *******************

 買ったばかりの携帯電話を、皇祁 璃宇(すめらぎ・りう)は自分らしくデコレートしてみた。
 丁寧に蒔絵して、自分のチャームポイントのネコミミもつけて……。
 パラミタに来て始めて買ったピンク色の携帯電話だけに、念入りにカスタマイズする。そして、世界でたった一台の、璃宇だけの携帯電話が生まれた。
 輝かしい瞬間だ。この電話を手に、堂々と歩いていきたい。
(「でも……」)
 百合園の寮から見上げる星空は、璃宇にとっては眩しすぎ、月明かりに照られている携帯をぎゅっと抱きしめる。
(「あの人は元気かな?」)
 璃宇は思う。
 あの人は大丈夫かな? 今日も無理して笑ってるのかな?
 ……あの人は、今日少し自分を好きになってくれたかな……?
 本当はすぐにメールを打って、送信したい。

「新しい携帯いましたっ、ほら、璃宇とそっくりで可愛いでしょっ☆
 今度紅様も同じ機種に買い買い換えよーね♪」


 という文章で、写真つきで。
(「前なら出来たはずなの。……だって、一目ぼれの勢いでメールアドレス調べて、初コンタクト初デートにこぎつけたのは璃宇!! 自分からだったし」)
 ところが最近、なぜか臆病になった璃宇なのだ。
 自分でも「らしくない」と思うことばかり考えてしまう。
(「本当はね、メールじゃなくて、実際に会いたいよ。でもそれはワガママだから、璃宇は我慢します」)
 だから、携帯の神様――彼女は願った――璃宇に少しだけ、勇気を下さい。


 *******************

 リリィ・クロウ(りりぃ・くろう)はとてつもなく緊張しつつ、カセイノ・リトルグレイ(かせいの・りとるぐれい)に電話する。一通り取説を読んで夜九時過ぎ、さすがにまだ寝てないだろうと思い、通話モードに切り替えた。
 この電話は良い機会、「はじめて」の電話で……伝えよう。
「もしもし〜。もしかして寝てました?」
 ところが最初で失敗したかもしれない。カセイノは、寝ていたのだ。
「あぁ? 何の用だ? 折角今日は早寝できたってのによー」
 そのせいか機嫌の悪そうな声色である。リリィはますます緊張して、
「起こしてしまってごめんなさい。いえ、大した用事じゃありませんから手短に済ませますわ」
 本当はもっと無駄話をしたかったのだが、こうなっては仕方がない。
 要点からダイレクトに告げる。

「大好きです」

 ここから数秒、両者沈黙のまま時間が経過した。
 パニック状態になってしまったのは、聞いたカセイノではなく、言ったリリィのほうだった。
「だっ、だから! 大した用事じゃないのですわ!」
 こんな言い方するつもりじゃなかったのに! という思いからどんどん早口になる。
「特に深い理由などはないのですからね! ええ、深い理由はありませんから! ただ、『あなたが好き』ってだけですから!」
 恋愛感情とかは断じて無いのだ。しかし、焦れば焦るほど怪しくなってしまう。
 これでカセイノは目が覚めてしまった。一人で賑やかな奴だなぁ……と冷ややかに思う。
「まぁ、わかった。そんなつもりじゃねーのはなんとなくわかる……わかるからちょっと落ち着け」
「……わかって頂けましたか。よかった。あなたが相手でなければ、もう少し考えてから発言していますわ」
 まったく、と咳払いしてカセイノは言う。
「お前ももうガキじゃねーんだし、もう少し考えてから物を言うとかしろよな? そんなだからいっつも誤解されるんだよ」
「はい……今の、忘れてください」
 用は済みました、おやすみなさいと締めくくって、リリィは電話を切った。
「それじゃーまた明日な」
 とぶっきらぼうに応じておいて、電話が切れてからカセイノは首をかしげている。
「結局何の用だったんだ? 別に明日でいいけどよ」
 それにしても、と思う。
(「忘れろと言われたが忘れる気などねぇよ。忘れた頃に蒸し返してやるからな」)
 覚えてろ、と小さく笑って、カセイノは再度布団をかぶるのだった。
 ところでリリィはといえば、クッションを抱えてじたばたと悶えている。
「……って結局大好きって言い逃げしただけじゃありませんかーっ!」
 この夜の会話は、彼らの今後に何をもたらすだろうか??