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桜井静香の奇妙(?)な1日 後編

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桜井静香の奇妙(?)な1日 後編

リアクション

 百合園女学院を出た後、七瀬歩が空京から新幹線に乗って地球の上野に着いたのは、夕方頃だった。
 地球に降り立った彼女はすぐさま弓子が生前住んでいた場所――吉祥寺を目指し、急いだ。早くしなければ日が暮れてしまう。その想いに突き動かされ、彼女はその手に収まったビデオカメラを握り締めた。

 百合園見学者リストに記載されていた住所を頼りに、歩は弓子の実家を探し当てることに成功した。
「ここが、弓子さんの住んでいた家……」
 外見は至って普通のアパートだった。新築というわけではないが、だからといって古すぎることもない、まさに普通と言うべき建物の1室を、吉村家は利用していた。
 早速、歩は「吉村」というネームプレートが貼られた部屋を目指し、そこのインターホンを鳴らす。
「はい、どちら様でしょうか」
「突然の訪問、申し訳ございません。私はパラミタの百合園女学院に在籍しております、七瀬歩と申します」
 形式ばった「お嬢様」の挨拶である。普段から物腰の丁寧な歩のその言葉は、応対に出た弓子の母から警戒心を奪っていった。
 だが完全に警戒されなくなったというわけではないらしく、弓子の母はドアに鎖をかけて開けた。
「あの、どのような用件でしょうか」
 ドアを挟んだすぐ近くにいる百合園女学院の制服を着た少女に警戒の目を向けながら、弓子の母は静かに応じた。
「……あまりにも突然すぎて、もしかすると何を言ってるのか理解いただけない部分もあるでしょうが……。私は実は、弓子さんの知り合いです」
「あら、弓子のお友達さんでしたか。ああ、でも弓子は――」
「知っています。この度は、お悔やみを申し上げます……」
「あ、こ、これはどうもご丁寧に……」
 ドアの向こうで頭を下げる歩の姿に、弓子の母はまた少し警戒を緩めたらしく、だんだんと声から硬さが無くなっていった。
「で、ここからが本題なんですが……」
 歩はそこで言葉を少し切った。相手に話を聞くだけの精神的余裕を持たせるためである。
「実は、私が弓子さんと知り合ったのは、『昨日』なんです」
「……は? 今なんと?」
「信じられないでしょうが、私は『昨日』の朝、弓子さんと知り合いました。私だけじゃありません、パラミタの百合園女学院のほぼ全員が、彼女と『昨日』の時点で知り合ったんです」
「……冗談はよしてください。弓子は一昨日死んだんですよ」
「知っています。本人から聞きました。弓子さんが小学校3年生の夏休みに、九州のご親戚の所に遊びに行ったという話も聞きました。なかなかお休みの取れない両親が、珍しく休みを作ってくれた、と」
「…………」
「これを、見てください」
 言って歩は、手に持っていたビデオカメラのモニターを弓子の母に見せる。
「私と、弓子さんが映っているはずです。そして日付も……」
「……!」
 ビデオカメラの画面に映る弓子の姿、そして「それ」が撮影された日付を見た弓子の母は驚愕で目を見開いた。
「そ、そんな……! どうして……!?」
「話すと長くなるんですが……」
 ひとまず話だけでもということで、歩は吉村の家に招かれることとなった。

「そうですか、弓子がそんなことを……」
 家には母だけでなく弓子の父もいたらしく、両親揃って歩の話を聞いていた。
 初め、彼らは目の前の百合園生の話が信じられなかった。それも当然である。一体誰が、死んだ人間が幽霊になってパラミタに行って学園生活を楽しんでいるなどと想像できるというのだ。ましてパラミタのことをほとんど理解していない地球の人間が、そんなことまでわかると言う方がおかしいのである。
 とはいえ弓子の両親はその状況を信じることにした。確かにビデオに表示されていた日付は昨日のものだが、それは機械操作でどうとでも調整できるし、画面に映る弓子の姿が半透明なのも画像処理技術があればできそうなものである。だが画面の中にいる自分たちの娘の一挙手一投足、それら全てを完璧に再現できるとは思えなかったし、七瀬歩と名乗るこの少女がとても嘘をつくようには思えなかった。
「弓子さんは言ってました。お葬式の時に声をかけたかったって。愛してくれてありがとうと、言いたかったって」
「……ありがとうございます、七瀬さん。これで私たちも、少しは安心できます」
 両親に頭を下げられ、歩もまた頭を下げる。
「あの、ところでお聞きしたいことがあるんですが……。弓子さんの学校は、どちらなんでしょうか」
 それこそが歩が地球に来た理由だった。
 弓子から過去の思い出を聞き出し、ラズィーヤから動画データを借りて、地球にいる弓子の両親を訪ねる。そこで弓子の言葉を伝え、交友関係を聞き出し、持ってきた色紙で寄せ書きを作るというのが、歩の目的なのである。
(弓子さんは番長さんだったみたいだし、一部の人からは反感を買ってるかもだけど、あの人は少なくともみんなに嫌われるタイプじゃなさそうだしね……)
 どことなく面倒見が良さそうで、いじめられている者がいれば率先して助けそうな彼女を、隠れて慕っている者もいるのではないだろうか。たった1日だけの付き合いだが、歩は弓子にそんな印象を抱いていた。
「ああ、学校はここからすぐ近くのところですよ。歩いて15分程度のところにある……」

 日もほとんど落ちかけ、辺りが薄暗くなる頃、歩は件の学校の門前にいた。
「えっと……、それでこれからどうしよう」
 弓子の知り合いを探すというだけなら簡単だ。このまま学校に入り近くの誰かに一言、
「すみません、吉村弓子さんをご存知ですか?」
 その言葉に対する反応で何者かが大体わかる。
 だが弓子は、本人が「スケバンだ」と公言する程度の人物だ。みんなに嫌われているとは思わないが、反感を持っている者も多少なりともいるはずである。歩としてはそのような人間がいるとはあまり思いたくなかったが、もしそういった人間に出くわしてしまったら……。
 仮に絡まれたところで相手が「ただの人間」であるならば、戦うのが苦手な歩であっても十分に勝てる。だが彼女はそれをしない、いや、したくない人間だった。だが万が一そうなってしまえば。
 考えが頭の中でまとまらないまま、時間だけが過ぎていく。そんな状況で、歩に何者かが声をかけてきた。
「ちょっとあんた」
「は、はい!?」
 背後から声をかけられ、歩はその場で直立不動の姿勢をとってしまう。声からして女性のものとわかるが、男性だろうが女性だろうが、いきなり後ろから声をかけられたら誰でも驚く。
「うちの学校覗き込んで、一体なにやってんの?」
「え……」
 振り向くとそこには、弓子と同じセーラー服を着た女生徒がいた。ロングの黒髪をカチューシャで後ろに流している弓子と違い、その生徒は脱色したらしい茶髪をロングウェーブにしていた。
「見たところ他の学校……、っていうかそれ百合園? ダメだよ、あんたみたいなお嬢様がこんなところに来ちゃ。ここは百合園と違ってこわ〜い女がいっぱいいるんだ。悪いことは言わないから、さっさとお帰り――」
「あ、あのっ!」
 やってきた人間をチャンスと認識し、歩は意を決して話しかける。
「すみません、吉村弓子さんをご存知ですか?」
「……あんた、弓ちゃんの何?」
「知ってるんですね!? あ、あたしは、弓子さんの知り合いです。昨日、そうなりました」
「は?」
 眼前にいる百合園生の言葉がわからず、その女生徒は目を丸くした。

「うわ、ホントに弓ちゃんだ!」
「え、え!? 何これ、合成!?」
「いやいやいやちょっと待ってよ、あのゆみゆみがこんなにおしとやかなはずないでしょ?」
「わからないわよ? よっしーのことだから、どうせマンガとか小説からパクってきたんじゃないかな」
「あ〜、ありえる! アイツそういうの好きだったしね〜!」
「あ、ホラホラ、ここ見てよ。右手がピクピク動いてる!」
「あ、ホントだ。でも何で?」
「もしかして、ヨーヨー出そうとして体が勝手に動いてるんじゃないかしら」
「なるほど!!」
 校門で会った女生徒に招かれ、歩は現在使われていない旧校舎の1室にやってきていた。そこはいわゆる「スケバングループ」のたまり場で、古い教室には5人ほどの女生徒が集まっていた。
 歩を案内した彼女は、弓子の1番の親友なのだという。話によれば小学校の頃からの付き合いで、途中から反抗期で不良になった弓子と違い、彼女は最初から不良同然なのだそうだ。
「いや〜、まさかまた動いてる弓ちゃんに会えるなんて思わなかったよ。歩ちゃん、ありがとね!」
「い、いえ……」
 一旦打ち解ければ非常に気さくになってしまったこの「親友」に、歩はどう返していいのかわからなかった。
「そうか。よっしー、今パラミタにいるのね。しかも幽霊になっちゃったなんて」
「弓子が幽霊になってパラミタにいる」という話を、この5人も最初は信じなかった。だがビデオカメラの映像を見せられれば、嫌でも信じざるを得なかった。
「何だかんだ言ってゆみゆみって、お嬢様っていうのに憧れてたしね」
「結構色んなものに影響されるものね」
「弓子がスケになってヨーヨー振り回すようになったのも、確かマンガ読んだのがきっかけだったっけ?」
「いや〜、あたしも最初はビックリしたよ。あのいかにも普通な弓ちゃんが、いくら反抗期が重なったからってさぁ」
 などと彼女たちは口々に弓子への評価を述べ、笑い合う。ここに本人がいたら、さてどんなことになっていたのやら……。
「それで、歩ちゃんはこれを見せにわざわざ来てくれたのかい?」
 その言葉で、歩は本来の目的を思い出した。
「あ、えっと、実は違うんです……。見せに来たのも一応目的ではあるんですけど、本当は……」
 そこで歩は言葉を切り、息を整えてから告げた。
「弓子さんを想う人たちのメッセージを集めて、寄せ書きを作りたいんです」
「寄せ書き?」
「はい……」
 そこで歩は「今の」弓子に関する説明を行った。幽霊となりパラミタにいること、百合園女学院の校長に取り憑いて学園生活を楽しんでいること、それはたった2〜3日の間でしかないこと、そして、彼女が完全に成仏してしまう時間が迫っていること……。
「弓子さんは、最終的には成仏するつもりでいます。でも……」
 何となくではあるが、歩は弓子が「寂しそうだ」と感じていた。不良をやっていたはずなのに妙に優しくて、冗談を飛ばして場を和ませるのにあまり笑わない。華道の授業の際、生け花を使って「自分と静香の『離れた距離』」を表現してしまったりと、彼女は「自分は1人なのだ」と感じているように歩には思えたのだ。
 そんな彼女は、後日に行われる猫探しの仕事が終わってしまえば、1人でナラカに行ってしまう。友人に弓子を引き止めるように頼んでいるため、それが間に合えば多少は時間稼ぎができるはず。だからその前に、弓子は決して1人ではなかったのだという証拠を見せてやりたいのだ。
「……あんた、いい子だよ」
 弓子の親友は微笑みと共に歩の頭をなでる。たった1日しか知り合ったことのないはずの幽霊に対して、そこまでできる人間など普通はいない。
「本当の『いい子』っていうのは、歩ちゃんみたいなのを言うもんだよ」
 言って彼女は、教室にいくつか置かれた机から、1冊のノートを取り出した。厳密にはノートではなく、紙の束を紐で留めたファイルに近い。
「それは?」
「弓ちゃんの舎弟連中の名前とか電話番号とかが書かれてんの。数だけはやたら多かったからね」
 だがそれは裏を返せば、知り合いが多いだけで交友関係が深いという意味ではない。
 ファイルの紐を解きながら、弓子の親友はぼそりともらした。
「弓ちゃんが寂しそうっていうの、多分当たってる」
「え?」
「親御さんは仕事が忙しくてあんまり弓ちゃんに構ってられなかったし、特に高校に入る直前からあんなんになっちゃったから、友達なんてあたしくらいのものだったからね。それに意外と弓ちゃんって口下手だから、あたしが相手でも言いたいことが言えなくて、結局何も話してくれないんだ」
 親友を信頼していないというわけではなかったのだが、弓子にはそれを伝える術がわからなかったのだ。そのせいで、彼女は自らの心を誰かに打ち明けられず、周りの人間はそんな彼女の表面だけを見て気難しそうだと敬遠する。それが重なり、彼女は次第に孤独を感じていったのだろう。
「弓ちゃんがスケになったのは、きっかけこそマンガだけど、その後の行動は……、何て言うか、かなり危なっかしかったね」
 自ら手当たり次第にケンカを売っていたわけではなかったのだが、そのいかにもな態度に男女問わず「似たような者」が突っかかってくる。弓子はそれらをことごとく打ち負かし、舎弟にしていった。
「でも、それだけ。それだけしかしないんだから、そりゃ寂しさなんて埋まるわけないじゃない……」
 どれだけ人を集めても寂しさが埋まらない。それを埋めるべく、弓子はさらに人を集める。
 それは集められた方もそうだった。弓子が舎弟にしたのは何も敵対していた者ばかりではなく、彼女に助けられた者もいる。弱い者いじめは見過ごさず、無邪気に接してくる人間には冗談を交えて言葉を交わし、友人になろうとする。彼女の奇妙な優しさと冗談の楽しさに惹かれて集まった者は少なくない。だがそんな彼らは結局のところ、弓子にとっては「寂しさを埋めてくれる大勢の1人」に過ぎなかったのかもしれない。
 寂しさのあまりに、1人でも多くの舎弟をと。舎弟たちは、そんな中の1人に過ぎないと感じて寂しいと。互いが互いに嘆き合っていたのだ。
「歩ちゃん、ちょっと時間かかるけど、大丈夫?」
「……少なくとも、明日の間にパラミタに帰ることができれば」
「となると、できるだけ早い方がいいか……。なあみんな、ちょっと協力してくんない?」
 弓子の親友はファイルの紙束を分解し、それぞれに数枚を手渡した。
「大仕事だよ。電池は十分? 電波は通ってる? この後の予定は入ってたりする? 大丈夫なら、ここに書いてある番号に片っ端から電話して。可能な限り寄せ書きを集めるんだよ。もちろん、あたしたちのメッセージも書くこと」
 それからの彼女たちの行動は早かった。ファイルに載っている電話番号を上から順に呼び出し、電話の向こうの人間に「吉村弓子へのメッセージ」を残すように頼み込む。歩が持ってきた色紙は1枚だけ。足りない分は現地で調達してもらう。そしてそれを、明日の昼までに持ってくるように依頼していった。
「弓ちゃんが寂しいって泣くんなら、せめてあたしらみんなで慰めてやるさ」

 その後歩は、弓子の親友の家に泊めてもらい、昼前には出発することとなった。その手には様々なところから集められた色紙の束と、1つのヨーヨーがあった。
「弓ちゃんの形見として、ヨーヨー2つもらってたんだ。1つ、持っていってよ。お願いね、歩ちゃん」
 また遊びに来なよ。その言葉を背に受けて、歩はパラミタへと急いだ……。


 歩から寄せ書きとヨーヨーを渡された弓子は、その場で呆然と立ち尽くしていた。色紙に書かれていたのは、弓子を忘れないという友人や舎弟、そして両親からのメッセージ。その1つ1つを弓子はじっくりと読んでいく……。
「弓子さん……。弓子さんは、ちゃんと色んな人に好かれていましたよ」
 大勢の人が彼女を慕っていた。彼女をそれぞれの形で愛していた。弓子の方からそれが返ってこないとしても、それでも愛し続けた。
「静香さんは確かに素敵な人だなぁって思うけど、あたしは弓子さんのことも素敵だと思いますよ」
 だから、自信持っても良いんじゃないかな。メッセージを読みふける弓子に歩は微笑みかけた。

「バカだなぁ……」

 色紙に目を落とす弓子のつぶやきが歩の耳に入った。
「ホント、何考えてんだよ、みんな……。私が今までみんなに、何をしてきたのか……わかってないんじゃないの……?」
「えっと……?」
 もしや、逆効果になってしまったのではないだろうか。歩は不安に思い、こっそり弓子の顔を下から覗き込んでみた。
 だがそこにあったのは歩が恐れていた表情ではなかった。
 弓子は、笑っていた。
「ずっとそうだったじゃないか……。とりあえず舎弟にするだけしておいて……、後はほったらかし。連絡もしないくせに、ノートにまとめるだけまとめて、そのまま放置してたのに……。それだけしかしてないのに、なんで……みんな……バッカじゃないの……」
 次第に弓子の顔が歪んでくる。笑いたいのに、だんだんとその目から涙が溢れてきた。
「バカだよ、みんな……。死んじゃった人間のことなんて……忘れちゃえばよかったのに……!」
 人がいいにも程がある。口ではそう非難する弓子だったが、その言葉とは裏腹に、彼女は、自分が誰かにちゃんと見てもらっていたという実感を味わっていた。
「そうだよ、忘れちゃえばよかったのに……。忘れて、私のことなんて忘れて、変な女の存在なんて無かったことにしちゃえばよかった……それなのに……! バカだ……、みんな、バカだ……。みんな、みんな……! バカばっかりだ……ッ!」
 弓子の目から、涙がこぼれ落ちる。
 彼女は幽霊で、本来なら涙を流すことなどできるわけがない。だがそれなのに、彼女の目からはとめどなく大粒の涙が溢れ、頬を伝い、こぼれ落ちていく。色紙に、地面に落ちた涙はその場で水たまりを作ることなく、瞬時に消えていった。
「ゴメンね……! みんな、ゴメンね……! う……うあああああぁぁぁ〜〜〜!!」
 一方通行の寂しさだったはずなのに愛されていた。他人との関わり方がわからない自分はこんなにも愛されていたんだ。それを知った弓子は、その場に崩れ落ち、色紙とヨーヨーを抱き締め、声を張り上げて泣き喚いた。
 いたたまれなくなった静香と悠希が、弓子を慰めにかかる。その姿を見て、こっそりもらい泣きをする者も現れたかもしれない。
(まったく、人の心は本当に複雑だね……。笑いながら悪態をつくくせに、次の瞬間には大泣きして自分を責める。どうして人は、こんなにも複雑にできているのかな……)
 弓子の肩を抱く悠希に纏われた、勇気と優しさという名を持つ魔鎧のカレイジャスが、誰にも聞こえない声でつぶやいていた。