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リアクション
■第八章
「そう言えば、薔薇学に転校しました」
エメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)の突然の言葉に、ヴラドはきょとんと眼を瞬かせた。
「転校、ですか?」
「……元から学舎の生徒だったわけではなかったのか?」
シェディまでもが、驚いたようにエメを見詰めている。傍らの瀬島 壮太(せじま・そうた)は、からかうようにぽん、と白いスーツに覆われた肩を叩いた。
「なんてったって、薔薇学の教師とまで見間違われてたしなあ」
「そんなに薔薇学らしく見えるでしょうか」
うーん、と首を傾げるエメ。そんな彼に喉を鳴らして笑ってから、壮太はヴラドへ袋に入ったパンを差し出す。
「ほらよ、土産のあんぱん」
「わーい、ありがとうございます!」
餌付けされたように早速袋を開けるヴラドを尻目に、早速シートを敷きながら早川 呼雪(はやかわ・こゆき)が顔を上げる。
「久し振りだな。俺もイエニチェリになったり、色々あったが……とにかく、元気そうで何よりだ」
「ま、またイニチェリですか」
「イエニチェリ」
相変わらず覚えられないヴラドはしっかりシェディに訂正されながら、薔薇の学舎の偉い人……などとぶつぶつ呟いていた。そんな間にもユニコルノ・ディセッテ(ゆにこるの・でぃせって)によってシートの端が整えられ、一同はぞろぞろと荷物をそこへ下ろしていく。
「折角だから、ヴラドさんたちも一緒に食べようよ」
ひょこりと飛び跳ね視界へ飛び込んだファル・サラーム(ふぁる・さらーむ)の言葉に、早速あんぱんを齧っていたヴラドは、迷う筈もなく頷いた。
「お弁当は僕も作るの手伝ったんだよー」
呼雪の背後から、ヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)もひょっこりと顔を出した。シェディはエメから受け取ったシフォンケーキの箱を傍らに置き、ヴラドが先走って食べ始めないように彼の首根っこを捕らえたまま「それは楽しみだな」とだけ返した。
そんなヴラドの前へ差し出される、どこか歪な形のクッキー。反射的にぱくりと咥えて受け取ったヴラドは、見た目と違ってしっかりとした出来栄えのクッキーの味に、満足げに面持ちを綻ばせる。
「ご満足頂けて嬉しく思います」
内心で驚愕を覚えながらも驚いた素振りを出さず、片倉 蒼(かたくら・そう)はてきぱきと持ち込んだティーセットの準備を始める。華奢な白いテーブルの上にクロスを敷き、立てた桜色のキャンドルへ火を灯そうとしたところで、不意にそこへ一匹の桜蝶が舞い降りた。炎の代わりに仄かな灯りを提供するそれに、今度こそ少し驚いたように目を丸めてから、蒼は瞳を和らげる。
「わあ、綺麗だね」
蒼の手元を眺めていたミミ・マリー(みみ・まりー)が歓声を上げ、蒼も深く頷いた。御馳走の山を前にうずうずと視線を泳がせるミミへ「先に召し上がっていて下さい」と微笑ましげに蒼は声を掛ける。
「ありがとう。ファルくん、全種類制覇しよう!」
欲求を見抜かれたミミは照れたように目尻を色付かせながらも嬉しそうに頷くと、ファルへ呼び掛ける。三段組みの重箱を次々に運んでは広げていたファルは手の代わりに尻尾を上げ「うん!」と元気よく頷いて見せた。
「随分と大量ですねぇ」
「半分くらいはボクとミミちゃんで食べちゃうから大丈夫だよ」
どこか得意げに胸を張り、ファルは弾む声音で「ボクの好きなタコさんウインナーもたくさん作ってもらったんだ〜」と言葉を続けた。
「今取り分けますから、少し待っていて下さいね」
彼らが大半を食べ尽くしてしまうであろうことを良く知っているユニコルノは人数分の皿を取り出すと、それぞれに色とりどりの料理を盛っていく。覗き込むミミの視線と急かすように揺れるファルの尻尾を尻目に全員分の皿をそれぞれの前へ置くと、ユニコルノはようやく「どうぞ」と二人へ許可を出した。
「「いただきまーす!」」
飛び付いた二人は早速とばかりに料理へ襲いかかっていく。桜を見ながら、友人たちとわいわい口にする料理は普段の数倍美味しく感じられて、ますます彼らの食欲を刺激した。
「おいミミ、あんまり食べ過ぎんなよ」
保護者のようなことを言いながらも、ぼんやりとした壮太の瞳はエメと呼雪の二人へ向けられていた。彼の視線の先では、呼雪の隣りに座ったエメが蒼の制服姿をヴラドとシェディに紹介している。
「ヴラド、早く来て下さい……ずっと待っているんですよ」
ヴラドの手を取り、エメはどこか寂しげにそんなことを口走る。
「あの夜の出来事を忘れてしまったわけではないでしょう?」
傍から聞けば誤解を受けるようなその言葉は、単にヴラドが薔薇学入学を願い開いた初めてのパーティーを指している。その傍らでは呼雪も、「俺も……あの夜のことは忘れられそうにないな」などと相変わらず誤解を生む言葉を口にしていた。
焦ったようなヴラドが助けを求め視線を送った先のシェディに白い目を向けられている様子。きょとんとするエメと呼雪。そんな光景をどこか遠くの出来事のように眺める壮太に気付いたのか、エメが彼の元へと身を乗り出した。
「壮太君、また屋敷に遊びに来て頂けませんか?」
突然の誘いに、壮太は驚いたように目を丸めると、すぐにバツが悪そうに視線を逃がしてしまう。
「別に……今でもしょっちゅう遊んでんじゃん」
無意識のうちに抱いていた寂しさ。それを自覚するのと、躊躇いがちな返答を口にするのとはほぼ同時だった。そんな壮太の様子に穏やかな笑みを崩さず、エメは楽しそうに言葉を続ける。
「最近、新しく美味しいお茶を見付けたんです。なので早く壮太君にも振舞いたいんですよ」
「あんたがそう言うのなら……」
あくまで自分の要求であると告げる言葉がエメの優しさであると、壮太は気付いていた。彼の気遣いに内心で感謝しつつ、照れたようにぼそぼそと返答を零すと、エメは満足げに頷いた。
「では、近いうちに是非。いつでも好きな時に泊りに来て下さいね」
「お、おう」
さり気なく添えられた「泊り」の言葉にも、壮太は平静を装って頷いた。内心では、すっかりご機嫌で旅行の計画を立て始めている。明るさを取り戻した壮太の表情に、エメもまた内心で深い安堵を抱いたのだった。
「エメさんが作るケーキって、すごく美味しいね!」
一頻り料理を食べ終え、蒼の淹れたお茶を一同へ配って回ったミミは、蒼と一緒にエメの桜シフォンを食べていた。嬉しそうなミミの感想に、主を褒められた蒼が誇らしげに頷く。
「蒼ちゃんもほら、あーん」
悪戯な笑みを浮かべて、ミミはフォークの先のケーキを蒼の口元へ差し出す。にこにこと見守るミミの視線を受け、一拍照れたように間を置いた蒼は、静かに目を伏せるとそっと端を齧り取った。丁寧に咀嚼し飲み込んでから、同じく掬い取ったケーキを、言葉を添える余裕はないままミミの口元へ近付ける。
「ありがとう、もっと美味しいな」
照れたような蒼の様子を微笑ましげに見ていたミミは、予想外の蒼の行動に驚きながらも、嬉しげに双眸を綻ばせてぱくりとケーキを口にした。零された感想に、薄らと頬に朱の差した蒼が控えめに頷く。
「……あれ?」
そんなミミの指先へ、不意に桜蝶が降り立った。ぱちぱちと目を瞬かせたミミは、すぐに悪戯を思いついたように笑みを浮かべると、身動き一つしない蝶の頭を蒼の頬へ寄せる。
「これって間接キスっていうのかな」
始めは怪訝とミミの動作を見守っていた蒼だったが、その言葉でミミの意図を理解すると、途端に目元を赤く色付かせた。恥ずかしそうに俯いてしまう蒼の翼が嬉しげに揺れている姿を、ミミが見逃すことは無かった。
「出来た―!」
嬉しそうなヘルの声に、呼雪は訝しげに首を傾げた。先程からポッキーを持って歩き回ったりヴラドと何か会話をしていたり、何をしているのか聞いても「秘密ー」としか返さなかったヘルの突然の歓声に、呼雪の視線がヘルの目を追う。
すると、呼雪の頭に一匹の桜蝶が留まっていることに気付いた。「似合う似合うー♪」と嬉しげなヘルの様子に嬉しさを感じながらも、照れ臭さに思わず目を逸らしてしまう。
そこへ、重箱の中身を摘まんでいた壮太が「あー食った食った」などと言いながら突然呼雪の膝へ頭を乗せた。呼雪が反応を返すよりも早く、「あー!」と不満げなヘルの声が上がる。
「早川、そのサンドイッチ食わせて」
ひひ、と意地悪く笑った壮太は、ヘルに見せ付けるようにそう要求した。気付いた様子もない呼雪は、「仕方ないな……」と零しながらもサンドイッチを壮太の口元へ寄せてやる。
「もー! 片方だけだからね!」
噛み付くように文句を言いながら、ヘルは反対の膝へ頭を預けごろりと寝ころんだ。「僕もー!」と要求するヘルのどこか不満げな声を受け、疑問気に首を傾げながらも、呼雪は彼へもサンドイッチを与えてやる。
そんな光景を、そして桜の美しさを、ユニコルノは瞳に焼きつけようとするかのように眺めていた。
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