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【カナン再生記】黒と白の心(第3回/全3回)

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第4章 心喰い 1

 エリシュ・エヌマの登場。東カナンの援軍。そしてまゆりたち契約者が歌う歌の力は、徐々にモート軍の優勢を覆そうとしていた。形勢逆転。その言葉が相応しい。しかも、憎きことに――この劣勢を感じた己が兵士たちが、南カナン軍へと寝返り始めているのである。
 その理由は契約者たちの一人、茅野 菫(ちの・すみれ)にあった。
「もう、怪我人ばっかじゃない。いいかげんにしなさいよ。あんたたちも好きでやってるんじゃないでしょ?」
 菫は、傷ついた敵兵を介抱しては説得に当たっているらしい。借り出されただけで何のために戦っているのか疑問に思っている兵士や、モートのやり方に従えないと考える兵士。そうでなくとも、ある意味で賢い者は劣勢になりつつある状況を見て寝返ったほうが好都合だと考える。菫はそんな敵兵たちを説得し、味方へと引き込んでいたのだ。
 もはや、時間の問題だ。
 このままでいけばやられることは必至。当初の計画は全て崩れ去っていた。
 まったくもって――忌々しい。 
「ここまで私を追い詰めるのは……奴以来でしょうか。まったく……」
 モートの赤い瞳が、より慟哭をもって瞬いた。
「――困ったクズどもだ」
 その瞬間。全ての者たちが目を奪われた。強烈な轟音とともに、黒い炎のようなものが空へと舞い上がったかと思ったとき、一瞬のうちに周りが闇と漆黒に覆われた。
「なんだっ!?」
 驚愕する面々の前で、赤い瞳が光った。
 闇の中で蠢くそれは、やがて大きなうねりをあげて周囲から形を形成してゆく。一見すれば竜のような、そんな雰囲気を彷彿とさせるが、その全ては闇だけで埋め尽くされており、唯一違うものは赤き双眸だけだった。
 そいつが誰かということは言わずとも知れていた。あれほどまでに殺意を持った刹那の目を持ち、これだけの闇を放出する者は他にはいない。
「モートッ!」
「ククク……そのような愚鈍な名で呼ぶな、人よ」
 シャムスの声に答えたのは確かにモートであったが、その声はまるで周囲の闇全体から聞こえてくるかのような不可思議な響きを持っていた。全ての方向から聞こえてくる声は、それまでの紳士の面の皮をかぶったようなものではなく、冷徹で残虐な意思が込められていた。
「これが……貴様の正体かっ!」
「我が名は“心喰い”。ただ唯一無二の闇にあって、光を奪う者」
 闇と瘴気の塊が、言葉を発す。
 シャムスたちは身構えていた。奴を倒す。ただそれだけを決意として。そして――その中に眠るエンヘドゥを救い出すために。
「エンヘドゥの光は……返してもらう! そのために、貴様を倒す!」
「ほざくな。我と対等に渡り合えるなどと思うなよ。所詮は人の力に過ぎぬ貴様らが、“闇”に勝てると思うかっ!」
「さあ……それはやってみないと分かりませんね」
「!」
 そのとき――モートの頭上から、人影が降下していた。
「天を切り裂き大地を穿つ雷光の一閃……グングニル!!」
 舞い降りた人影が、モートの身体を切り裂いた。巨獣の牙を研磨して作られた洗練の槍が、最大出力で振り落とされて、それこそおよそ人とは思えぬ力を迸らせモートの闇を断つ。叫びをあげるモートから離れたその人影を、シャムスたちはようやく視認することが出来た。
「ウィング……!」
「お久しぶりです、シャムスさん」
 ウィング・ヴォルフリート(うぃんぐ・う゛ぉるふりーと)は振り返り、人の良い笑みを浮かべた。その表情がいつもと違って厳しく精悍なものに見えるのは、彼に憑依する概念分割の欠片 フェルキアの記憶(がいねんぶんかつのかけら・ふぇるきあのきおく)も関係しているのだろうか。
「間に合って良かったです。ファティ、援護をお願いします」
「ええ、分かりましたわ」
 ウィングの背後へと降り立ったファティ・クラーヴィス(ふぁてぃ・くらーう゛ぃす)が、彼に力への活力を与える。目に見えて、烈気がウィングの身体から迸っていた。
「ぐっ……貴様ら……!」
 切り裂かれた闇は瞬く間に再生され、モートは激しい怒りに声を震わせていた。確かに、彼の闇には傷という傷を負わせることが出来てはいない。しかし、それでも契約者たちは退くつもりはなかった。
 ――ウィングの放った一閃は、まるでそんな彼らの意志を切り開くかのようなものだった。