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黒いハートに手錠をかけて

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黒いハートに手錠をかけて

リアクション

                              ☆


「みぎゃああああああぁぁぁ!?」


 夕方の街に、尾瀬 皆無の叫び声が響き渡る。
 人の話を聞く気がまったくない皆無に業を煮やした乱世が、皆無の両手を握ったまま振り回し始めたのだ。


 何を振り回しているのかというと、皆無を、である。


「おりゃあああぁぁぁっ!!!」
 ジャイアントスィングの要領で皆無を振り回したまま街中を走る乱世。狙いは、当然街中で手錠を配り歩いているブラック・ハート団だ。
「な、なんだ!? ――ごふっ!!?」
 色々とトゲのついた服を着ている皆無は、激突すれば当然痛い。

 逃げ惑う黒タイツ集団を皆無でぶん殴りながら、次々と追いたてる乱世だった。


「うなれ、だめんずソーーード!!」
「ぎゃあああぁぁあっ!!」
「ひびけ、だめんずホーーームラン!!」
「いったあああぁぁぁっ!!」
「砕けろ、だめんずブレイカーーー!!」
「俺様が砕けるうううぅぅぅっ!! つか死ぬぬぅぅぅ!!」


 あ、叫び声は全部皆無さんのですので。


                              ☆


 街を走りぬける乱世と皆無を横目に、鶴谷木 無は瀬戸鳥 海已に覆い被さっている。
 途中で海已が手錠の効果に気付き、絶縁の宣言をしようとしたので、無は自分のスカーフを海已の口に詰め込んでそれを阻止した。

「くくく……ダメじゃないか兄さん……オレ様が聞きたいのはそんな言葉じゃない……もっといい声で啼いてくれよ……」
 持っていた日曜大工セットのメジャーを取りだし、無は器用に海已の両手を縛ってしまう。
 無の左手は手錠で繋がれているが、まだ右手が開いている分、無の方が有利だ。
「……!!」
 さらに、スカーフで上手く呼吸ができないのに加え、本来であればありえない感情に苦しむ海已は、ろくに抵抗もできない。

 無は錐を取り出し、海已のシャツのボタンにかけた。
 ぷちり、ぷちりと。
 ひとつずつボタンを飛ばしていく。
「くくく……そそるねぇ、その表情……」
 露わになった海已の胸元に、右手を差し込んで指先を這わせる無。
「――!」
 身をよじってその感覚から逃れようとする海已だが、両手を縛られて組み敷かれている現状ではどうしようもない。
 せめて無の方を見ないようにと顔を背けるが、それすらも無は許さない。右手で海已のアゴを掴むと強引に視線を合わせる。

「……」
 海已はそれならばと、必死の形相で無を睨みつけた。
 だが、その殺意すら感じられる視線も、自らの内を駆け巡る感情に狂う無には心地よい刺激でしかない。
「もっと、もっとだよ兄さん……もっとその眼でオレ様を見てくれよ……」
 べろりと、無の舌が海已の頬を舐め上げた。
「――愛しい兄さん、大好きな兄さん……その視線も殺意も愛も憎しみも、全部全部全部オレ様のものだ……!!」

「――」

 だが、海已の口がもごりと動いた途端、恍惚とした無の表情が変わった。
 スカーフを詰められてロクに喋れない筈だが、無には何と言ったのか分かったのだ。
 それを聞いた――いや感じた瞬間に、無の目尻は吊り上がり、口は更なる狂気に歪む。


 ――それは、海已のみが知る忌むべき無の本名。


「その名を口にするな……っ!!!」
 無は海已の頭を右手で鷲掴みにして、何度も海已の顔面を壁に叩きつけた。
「……!!」
 何度も、何度も、何度も。
「ハハハハハ、楽しいねェ兄さん!!
 こうしてずっと遊んでいたいよ、そうしてオレ様のペットになって奴隷になってオモチャになって恋人になってくれよ!!
 なあいいだろ兄さん!! 一生大事にイジめてやるからさぁっ!!」
 何度も叩き付けられた海已の顔面からは血が流れている。
 その血を愛おしそうに舐め取った無は、海已のスカーフを口から引き抜いた。
「――かハっ!! ふ、ふざけるなよ……誰がテメェと……」
 ボロボロにされながらも、海已は無の瞳を涙混じりに睨みつける。
 海已自身も男性に興味はない筈なのに、無に対する感情が昂ぶってしかたないのだ。もうどうしていいか分からない。


 もう、殺したいのかも愛したいのかも、どちらにも――。


「それでさ、ずっと――オレ様を愛してくれよ、兄さん――」
「……無……」
 無の唇が自由になった海已の口を塞ぐ。
 顔を背けて、逃げれば逃げられた。
 けれど、そうしなかったのは。

 手錠のせいだった、ということにしておこう。

「――べぶっ!!?」
「――ぐぁっ!?」

 そして一息ついた瞬間、手錠が爆発した。
 そのまま地面に崩れ落ちたまま、無は呟く。


「あー、そういや爆発するんだっけコレ……」
 その下敷きにされた海已は覆い被さる無を蹴飛ばして、地面に転がした。
「するんだっけじゃねえよバカ……ったく」


                              ☆


「わ、危ない!!」
 と、リンネ・アシュリング――に化けた伊吹 藤乃は音井 博季に庇われて道の端に寄った。

 ブラック・ハート団を追いかけて皆無を振り回しながら駆け抜けていく乱世の声が、ドップラー効果つきで遠ざかっていく。

「危ないなあ……大丈夫ですか、リンネさん?」
 と、本当に目の前の藤乃をリンネだと思い込んだ博季は尋ねた。

「う、うん……大丈夫」
 と、藤乃はあくまでリンネのフリで頷く。

 そのまま二人は、街中デートを続けた。
 もちろん、白昼の街中でイチャイチャするほど博季は厚顔無恥ではない。
 並んで歩いてウィンドウショッピングをし、公園を散歩し、カフェテラスでお茶を飲む至極健康的なデート。
 せいぜい、手錠で繋がれた手をがっちりと握っているくらいだ。

 それは何気ない時間だったけれど、いつも何かと忙しくしている博季にはとても大事な時間だった。
 いや、藤乃にとってもそうだったのかも知れない。
 手錠の相乗効果もあってリンネになりきっているとはいえ、やはり精神の根底は藤乃のものだ。

「――ねえ」
 ふと、会話の合間に訪れた静寂に、藤乃は言葉を挟んだ。
「何ですか?」
 と、博季は優しく微笑む。
「いつも……もっと頻繁に会えないこと……どう思ってる?」

「――え」

 博季は言葉に詰まった。
 それはもちろんん、本音を言えばいつだって一緒にいたいに決まっている。
 だが、それぞれにはそれぞれの生活や立場、役割があるのだから、それはしかたないこと。そう自分に言い聞かせてきた。
 とはいえ、我慢だけでは限界がある。事実、それでさっきも博季は自己嫌悪の果てに爆発してしまったのだし。
 だが、博季は今、藤乃の表情を見て初めて気付いた。


 ――そう思っているのは、自分一人だけではないということに。


「博季ちゃんとはね……本当はもっといつも会いたいって思ってるよ……でも、今はそれができない……。
 せっかく仲良くなれたのに……このままじゃ嫌われちゃうんじゃないかなって……」
 ティーカップを持つ藤乃の手が震える。
 博季は、その手を支えるようにそっと自分の手を添えた。

 自分は、何をくよくよしていたんだろう。
 一人でけが不幸だと思い込んで悩んでいたなんて。
 不安なのは、自分一人だけじゃないって、知っていたはずなのに。
 それを支えのは自分だって、誓ったはずなのに。

「ごめん、リンネさん……僕、不安になっていました。
 でも、もう大丈夫……僕たちは確かに頻繁には会えないけれど、もっと確かなもので繋がっているって信じているから」
「……博季ちゃん……」
「僕たちの心はしっかりと繋がっている……そう、この手錠のように」
 と、博季は藤乃と繋がった手錠を持ち上げて見せた。


 ところでその手錠のカウントは0を示しているわけだが。


「うわぁっ!?」
「きゃあっ!!」
 カフェテラスのテーブルの上で、突然手錠が爆発する。
 粉々に手錠は砕け散り、それによって二人の昂ぶっていた感情もすぐに収まった。

「だ、大丈夫……リンネさんって……あれ?」
 見ると、そこにいるのはあまり似てない変装をしている藤乃だった。爆発の衝撃でカツラが取れ、地毛が見えている。
「あいたたた……あ、バレましたか」
 と、テーブルの上に突っ伏して動けない藤乃は呟いた。
 頭だけ横に向けて、藤乃は博季に問いかけた。

「まあ、ちょっとした気晴らしと……どうです、気持ちの整理はつきましたか……?」
「……え?」
 博季は戸惑った。
 なるほど、藤乃は確かに博季を騙していたのかもしれないが、日頃からリンネに会えずにストレスが溜まっているのを藤乃は見抜いていたのだろう。
 そこで無理やりリンネに変装して、少しでも憂さ晴らしをさせようと考えたのだ。
 その真意に博季も気付き、はっきりと返した。
「はい……もう、惑いません……」
 その様子を見て微笑む藤乃、しかし次の瞬間には博季はずるずるとテーブルの下に沈みこんでしまう。


「ああ〜、でも知らないこととは言え、他の女性とデートしてしまったぁ〜……リンネさんごめんさないいいぃぃぃ〜」
 これは根が深いですね、と藤乃もまた深いため息をつくのだった。


                              ☆


「おらおらおらぁっ!!」
「も、もう許してえええぇぇぇっ!!」
 相変わらず乱世に物理的に振り回される皆無は、そろそろ走馬灯が回り始めた頃だ。

 そんな騒ぎを尻目に、見つめ合う二人――笹野 朔夜と笹野 冬月の姿があった。
 手錠の効果でどうしても紛れ込む邪念を払拭するのに必死な朔夜に対し、まだ比較的冷静な自分の心の中で自問自答を続けていた。

 自分はこの笹野 朔夜という男をどう思っているのか。
 なかなかに難しい問題であった。
 パートナーとして家族同然に過ごしている相手に、改めて自分の思いを伝える機会というのもそうはないものだし、面と向かって言うのも気恥ずかしい。

 まず、何というか朔夜は子供っぽい。
 図体ばっかりデカくて中身はまるでお子様だ、最近はそうでもないが良くキレるし。
 異性だと思ったこともないし、剣の実力だってまだまだ自分の方が上だと思っているし、他人のために自分を省みない癖は正直褒められたものではない。
 他人のために頑張れる姿勢は嫌いではないが、そのために心配するほうの身にもなれというのだ。

「あー……アレだ。その……家族……うん――弟だな」
 と、冬月は呟いた。
 その言葉で少しだけ冷静になった朔夜は聞き返した。
「……弟……ですか?」
 ああ、と冬月は頷いた。
「うん、弟だ。俺より馬鹿で弱い奴を兄とは思えないんでな、朔夜のことは弟みたいなものだと思ってる」
 揺るがない瞳で、冬月は告げた。
 なんとなくがっかりしたような表情の朔夜に、冬月は文句を言う。
「なんだよ……不満か?」
「いいえ……別に……じゃあ、こちらも……」
 と、朔夜もまた自分の心の中で自問自答を開始した。
 自分は、冬月の事をどう思っているか、についた。

 だが、手錠の効果で気持ちが高ぶっているせいか、考えていることがぶつぶつと口から漏れてしまっていることに朔夜は気付いていない。

「そうですねぇ……何だか今日の冬月さんは照れているのかちょっと涙目になっててとても可愛い……じゃなくて、うっとうしいですね。
 そう言えば最近の冬月さん、僕の服の裾をちょっとつまむ癖がついてるんですよね……あれ、ちょっとドキドキす……怖いんです。そのままジャーマンスープレックスか一本背負いに派生しそうで。
 ああいう時の冬月さんはなんだかとってもステキ……いやいや、不安になるから、やめてもらえませんでしょうか……」

「おい、口に出てるうえにまとまってないぞ」
「え?」
 と、冬月の突っ込みに間抜け面を晒してしまう朔夜。
 その顔に、冬月はぷっと吹き出した。

「まあ、なんだ……そういうところも含めて、俺を家族として大切に思ってくれていることは分かってるよ。そこは純粋に嬉しいと思ってる」

 真正面からそんなことを言われて、朔夜は視線をそらした。
 そう告げた冬月を見ていると何だかドキドキして、直視できないのだ。

「そ、そそそうですね。
 僕も冬月さんは妹のように可愛いと、いや可愛いじゃなくて……家族に対して異性の感情なんて持つわけがありませんから。
 それに僕は他に、他に――他になんだろう」
「――さっぱり分からないよ」
「と、とにかく。冬月さんのことは今でも恩人だと思っていますし――何より、大切な家族だと思ってますから」
 と、どうにか互いの思いを伝え合った二人。

 一瞬の静寂の後、冬月は呟いた。

「……おい、取れないぞ」
 当然だが、普段から思い合っていることを伝えれば手錠が取れる、というのは笹野 桜の方便であり、全くの嘘っぱちなので、手錠が外れるわけもない。
「――てへ♪」
 朔夜の口からまるで悪びれもしない桜の微笑みが漏れると、手錠は朔夜と冬月を巻き込んで爆発した。


「あいててて……冬月さん、大丈夫ですか……?」
「だ、大丈夫なわけないだろ……しばらく動けないぞ……」
「あ、冬月さん……」
「?」
「これからも、よろしくお願いしますね」

 やれやれ、と冬月はため息をついた。
「こんな奴らと家族とは……骨が折れるなぁ」
 といいつつ、顔は笑っていたが。


                              ☆


「必殺、だめんずダイナミーーーック!!!」
「むしろ俺様が必殺されてるうううぅぅぅっ!!!」
 と、最後に追い詰めたブラック・ハート団の黒タイツ男に乱世の必殺技が炸裂した。

「うわあああぁぁぁっ!!!」

 皆無は散々振り回されて虫の息、しかしとりあえず目の前のブラック・ハート団を殲滅したことで武器としての役割を終えようとしていた。
 乱世は、皆無の身体を張った強制的な努力により打ち倒した黒タイツ男の胸倉を掴んだ。
「どれ……随分と好き勝手してくれたじゃねぇか……」
 凄みを見せる乱世に、それでも黒タイツ男はニヤリと笑った。
「へっへっへ……姉ちゃんもなかなかやるじゃねぇか。
 どうだい、見たとこそいつと恋人ってワケでもねえようだし、俺たちの味方にならねぇか?
 そしたらその手錠、安全に外してやるぜ? あと2分もしないうちに爆発しそうじゃねぇか」
 どさりと。乱世が男を掴んでいた手を離すと、男は地面に落ちる。
「へ、へへへ……」
 それを承諾を返事と受け取った男は、ニヤニヤしながら鍵を取りだした。
 だが。


「――舐めんじゃねえぞ、どいつもこいつも」


 さきほどよりも一段殺気のこもった乱世の声に凍りつく黒タイツ男。
「確かになぁ、こいつとあたいは主従の関係で恋愛なんかありもしねえし、あたいも恋なんかしねえって誓ったけどよ。
 他人様の色恋沙汰にちょっかい出したり、独り者にまで無差別に迷惑かけて暴れまわるほど落ちぶれちゃいねぇ!!
 大体なあ、脅しや暴力で人の感情いじくろうってぇその考えが気に入らねえんだ!!
 おい皆無、立て!!」
 怯える黒タイツをよそに、さんざん振りまわされてズタボロの皆無を、手錠を引き上げて無理やり立たせる乱世。

「……ひぇえい……ランちゃんは人使いが荒いぜぇ……ま、俺様も踊るのは好きだけど、踊らされるのは性に合わないしねぇ?」
 それでも辛うじて立ち上がって、手錠で繋がれた手で拳を作った。
「よぉし、それでこそあたいの舎弟だ!!」
 気合を入れて、黒タイツ男を睨みつける。

「ひぃっ!!」

「てめえらの仲間になるくらいだったら、いっそのこと爆発してやるってんだよ!!
 けどなあ、そん時ゃてめえも一緒だ!!
 大体なぁ、自分だけ助かろうってのが甘いんだよ!!」
「ほんじゃいくぜ、ランちゃん!!」


「おう!! これでもくらえーーーっっっ!!!」


 乱世と皆無の主従関係手錠パンチが黒タイツ男にヒットする瞬間、手錠が三人を巻き込んで爆発した。
「ぎゃあああぁぁぁーっ!!」
 手錠の爆発効果で体力を奪われ、その場で折り重なるように倒れる三人。

 まず黒タイツ男が倒れ、その上に皆無、さらにその上に乱世だ。
「へへへ……皆無、あれだけ振り回されたワリにちゃんと立てたじゃねぇか……さすがにゴキブリ並だな」
 と、乱世はスッキリした顔で微笑んだ。
「ランちゃん……それ褒めてねえよ……」