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破滅へと至る病!?

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破滅へと至る病!?

リアクション

 黒い少女は、影法師のようにそこに立っていた。
 彼女は人の影を、建物の影を渡り、人から注意して観察されなければ気付かれることもなく、気付かれたとしても、すぐ頭から存在が消え去ってしまいそうな、そんな薄い影法師だった。
 だからこそ、彼女追う者たちの視界から手から、すり抜けることができた。勿論、何故だか彼らが、彼女が“食べ”た人間に、気を取られていたという幸運はあったが。
 けれど、その影が少しずつ濃くなっているのを、彼女自身は感じていた。
 ……今までの「契約者」も、美味だった。だが、ここにいる契約者はもっと美味しいに違いない。
 彼女は食事となったある一人の男の仮面をかざすと、端っこできらきら光るスパンコールに目を細めた。
「もっと、もっと力を。あなたたちのうちで、もっとも大きな力を。その時、わたしは──」



 遂に、多くの犠牲を出した“死の舞踏会”は、舞台を変え最後の曲を奏でようとしていた。
 場所はヴァイシャリーエリア、小さな白亜のお城。あくまでヴァイシャリーをイメージしただけの、小さなお姫様が可愛らしいパーティーを日夜開いていそうな、現実のパラミタには存在しないお城だった。
 薔薇の模様が敷き詰められた床に、百合の咲くステンドグラス。
 シャンデリアの光に照らされ、最後の舞台に集ったのは、たった五人の契約者だった。
 否、もう一人いる。しかし彼女は舞台上にはいなかった。自身を風森 望(かぜもり・のぞみ)と信じている、その少女。百合園の文芸部員の彼女は、薔薇の舞台を額縁のように取り囲む二階部分から、彼らを見下ろしているだけだった。
「ふふ、顕世の終える刻まで、踊らされる者達を眺めるのも一興というものです。終幕が近いとはいえ、刹那でも、この≪銀風の月天使≫風森望を愉しませて下さいな」
 月から見下ろすように、悠然と立っている観察者。全知であるがゆえに、退屈を嫌う、フリーの能力者。月の力を行使する能力者。
 望月銀鏡閃(フルムーン・シルバレクター)で星を落とし、月兎ノ子守歌(クレイドル・ラビッツ)で月の揺り籠で安らかな眠りに導く使い手。
 彼女は手にした望月ノ銀鍵(けん)(実際は、ポスターでくるんだ新聞紙ブレードであったが)を逆手に持った。銀鍵の先端は剣のそれではなく、まるで鍵のように複雑な切れ込みと文様が刻まれている。
 空いた手で持った銀色の書物には、小さな錠前がかかっている。
 彼女が銀鍵の先端を錠前にはめ込むと、書物は独りでにめくれて淡い光を放った。それこそ、この世の全てが記されているという銀月ノ書だった。
 素質を持たぬ者には白紙にしか見えないそれは、望にも全てを読むことはまだできないが、それでも充分な知識を彼女に与えてくれていた。
 彼女の視線の先にあるのは、最期の戦い。
「『月極』は敗れました。さて、最後に残るのは──誰でしょう。あら、あの方は」
 望は目を楽しそうに細めた。
アーデルハイト・ワルプルギス(あーでるはいと・わるぷるぎす)藤林 エリス(ふじばやし・えりす))様に、その護衛たるくノ一飛鳥アスカ・ランチェスター(あすか・らんちぇすたー))様」
 我侭ボディのアーデルハイトに、距離を置き付き従う網タイツお色気くノ一の二人。
「それに『定礎』の姫君、荒巻さけ荒巻 さけ(あらまき・さけ))様と、謎の契約者猫実蕗(ねこざね・ふき)桐生 円(きりゅう・まどか))様」
 こちらは発展途上中の少女が二人。
「最後に、あれは……まさか……混沌の使者!?」
 そして、最後に中年の男性が一人。
「そうでしたの。これは面白くなりそうですね?」
 望は薄く笑った。彼女の月光は踊り手たちを照らし始めていた。

 最初に声を上げたのは、アーデルハイト(になりきった少女。衣装まで似せていたが、胸の大きい彼女には、つるぺた仕様コスチュームが悩ましいことになっていた)だった。
「深遠なる力が目的か。アレはお主らのようなひよっ子に扱えるような代物ではないぞ。おイタが過ぎるジャリたれにはお仕置きじゃ」
 アーデルハイトはくるりとターンを決めると、手にしたハーフムーンロッドを、新体操のバトンのように振ってみせる。
「魔法少女のマジックショーじゃ。なに、そこの幼子と老夫婦へのさぁびすじゃよ!」
 先制攻撃──。他の契約者は身構えた。
 ハーフムーンロッドの先端が光り輝き、金平糖のような可愛らしい星々が生まれた。
 アーデルハイトは杖の先端で空中に流れ星の絵を描くように、契約者たちの周囲を回った。星の流れは光の帯となって、空間を可愛らしい魔法少女のステージに変えてしまった。
 驚きの表情を一様に浮かべる契約者達。誰もがこのダンスに何の効果があるのか計りかねている様子だった。
 その中で、ざり、と砂埃を踏んで、一歩進み出たのは蕗だった。
「『深淵の暁闇』が壊滅した今、どうやって深淵なる力を手に入れるつもりだい?」
 可愛らしい紅い唇に嘲笑が浮かんでいた。
「ああ、深遠なる力に誘き寄せられた哀れな羊達。死の舞踏会は、ボク達の神『邪王ンミヂュリェ』に捧げる魂を集める、巨大な器に過ぎないというのに」
「なんじゃと?」
「我々達はこの時を5000年待った……これが最後の仕事となる。誰もこの流れを止めることはできない」
 その言葉に、二階の望が驚愕の声を上げた。銀月ノ書にも、うっすらとしか見て取れない、隠匿レベルの高い記述だ。
「もしや……あの方は、『新たなる天使達』闇の女王にして邪神の使徒!?」
 蕗は頷く。
「5000年前、『深淵の暁闇』を作ったのは、ボク達『新たなる天使達』だ。偉大なる聖人達の偉業が今完成しようとしている」
 全員、一斉に息を呑んだ。
「そしてボクも信託に従い、役目を果たす必要がある」
 彼女は目に見えない剣を──だが禍々しさと静かな悲しみを漂わせていた剣を──を抜き放つと、切っ先を上に胸の前で立てた。
 ──彼女の影が、地面に歪な円形に染みるように広がった。そしてそこから伸びあがった時計の針のような十二の突起が、影から分離して、彼女の周囲を取り囲んだ。それは、黒い翼を背に、黒い衣をまとった、十二の堕天使だった。彼ら彼女らはそれぞれ蕗とよく似た剣を携えている。
 再び望の驚愕の声。
「あれは創世剣キルク・ラ・ガイア、本当に存在するなんて!」
 魔王グランデッド・ルシファーの魂を器とし、666体の天使を生贄に捧げた、口伝にしか存在しない、数多の悲報を手にしてきた契約者達の間ですら実在を疑われている剣であった。
「組織でのボクの呼び名を教えてあげるよ。ボクは──堕天使長猫実蕗」
 圧倒的な力に、アーデルハイトはきっと蕗を見据えた。
「いいじゃろう、正体が何であるにせよ、戦わねばならんなら──」
 ロッドを振り、可愛いウィンクひとつ。
「とっくりと見るがいい、<ファイナル・ラブリィー・ウィンク光線☆ミ>じゃっ!!」
 ロッドの先から、ハートの光線が繰り出された。しかし、相手は蕗ではない。さけに向かってであった。
 さけはこの時、装飾品である大理石製の彫像の上に腰かけていた。白亜の城に現れた黒いゴシック・ロリータ、フリルとリボン、レースに埋もれた可愛らしいお人形さんは、それ自体がお城の主、あるいは装飾品のようだった。
 高みの見物をきめ込み、実際開演から今まで契約者たちのダンスを鑑賞していた彼女は、不意を突かれてそれをまともに受けてしまった。
 ピンクのハート光線は、可愛らしい見た目とは裏腹に、膨らんだスカートのフリルに接したと思うや否や、直撃したさけの体を燃やし尽くす浄化の炎となる。
 何故さけに放ったかと言えば、これは最終的に、彼女をアーデルハイトの味方にする魅了魔法だったからだ。
「く……くううっ!?」
 さけは奥歯を噛んだ。彼女はこれまで契約者の相手をしてこなかったからだ。
 ──「下賎な者達相手ではわたくしが手を下すまでもありませんの」。そう言って、『定礎』の傭兵や従者に『月極』の掃討をさせてきたのだった。
 さけは、百合園に通うお嬢様にして、株式会社定礎の4代目候補だった。後続争いをさせるために、定礎と関係のない荒巻家に預けられている。とされているが、実は第9層魔界の姫で、邪王を崇める小さき神々・月極グループと抗することができるようにチカラをもつまでは匿われることになっていた。
 姫としての高い自尊心は、今や自身が踊らなければならないことに、屈辱を感じていた。
 そして『月極』の上に更なる組織が登場したことによる若干の焦り。
 更には、部外者の横やり。何故か左目の眼帯の下と、右腕の包帯の下が、燃えるように熱い。
 姫たる自分が幾ばくかの影響を受けていることがプライドを傷つけた。
 ……吹き上がる火柱に、眼下を見下ろしていた望が再び解説を挟む。
「あれは、悪の心を浄化する炎。浄化された後には、彼女に魅了され、親友となるという必殺技です!」
「浄化……」
 さけは得心がいって、痛む場所に手を触れた。力を持つまで“封印”しておくように、と言われていたものだった。不完全なまま解放してしまえば、今までの努力が無駄になってしまうと義父に言われていた。
 さけはオープンフィンガーグローブをはめた手をきゅっと握り、レース製の眼帯をむしり取った。
 開いた眼には、太陽の炎が宿っている。
 さけは手を袈裟に振って浄化の炎を振り払った。千切れ飛んだ炎が消える。そのまま一歩、アーデルハイトへと歩み寄った。
「ふふ、わたくしを踊らせようなんて不可能じゃありませんかしら? 統べてはわたくしの手中ですのに。お馬鹿さん」
「アーデルハイト様には指一本触れさせないよ!」
 主の危機に、くノ一が苦無を手にさけに飛びかかった。しかし、さけはそれを指先で受け止めると、くるりと指先だけを回した。
「──なっ!?」
 飛鳥の体は一回転し、床に描かれた薔薇の枝に激突、肌を飾る網タイツが衝撃に避ける。
「言ったでしょう。手中だと」
 くすくすとさけは笑う。
「わたくしはさけ、荒巻さけ。真名(まな)はアドラメク・ペルセ・零
「もしや、あれは、直径666mのフィールド、どんな事象をも思いのままにする<絶対掌握(パーフェクトユニヴァース)>……!」
 望の額を汗が伝った。
 そこにいたのは、『深淵の暁闇』も『定礎』をも超える、魔界の姫の姿だった。
「消え去りなさい」
 さけは指先を上げる。と、床に倒れていたくの一の姿は、そこで掻き消えてしまった。正確に言えば、“なかったこと”となった。
 アーデルハイトの記憶からも、長年彼女の護衛を務めていた飛鳥の姿は、消えてしまったのである。
 よく見れば、さけの周囲に薄い膜につつまれた真円のドーム、彼女のフィールドが広がりつつあった。
「敵も味方も共依存。それは絶対的に幸せな世界。ようこそ私達の悪夢(シアワセ)へ!」
 さけの美しく朗らかにして残酷な笑声が、薔薇の舞踏会上に、花弁のように舞い上がった。