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破滅へと至る病!?

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破滅へと至る病!?

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 それを眺めていた一人の、少し体格の良い男が口を開いた。白髪がメッシュ風になったボサボサ髪が、幾多の危機を潜り抜けた者特有の、歴戦の風格を漂わせていた。
 彼が混沌の使者グラン・ケイオスと呼ばれる男──本名木山 吉雄(きやま よしお)エッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす))45歳、独身。書店経営者。お嫁さん募集中──であった。
「深淵の力などという、ちっぽけな力など興味はない。そういう方達に始めて会えた」
「なんじゃと?」
「世界の外側に居られる、偉大なるモノの力……この混沌の力を持つ私の前には、深淵の力など……いや、あらゆる力が塵芥も同然です」
 奇しくも、ここに集ったうち三人の契約者は、“外の世界”の人間だった──。
 それに気付いた時、アーデルハイトは絶望がひしひしと迫ってくるのを感じていた。
 グラン・ケイオスは蕗とさけ、二人の最高レベルの契約者を満足そうに見やってから、再び口の中でくぐもった笑い声をあげた。
「まぁ、どちらにせよ、滅ぼされるのですがね。この世界を憑代にしている以上、肉体の枷からは逃れられない──」
 グラン・ケイオスの影が、輪郭が、ゆがんでいった。
「世界を滅ぼす前の余興として……少し遊んであげましょう。痛みも無いこの体……」
 腕の付け根から、ずるりと、更なる二本の両腕が生えた。生えたかと思うと、六本もの腕は、もう肌色ですらなかった。黒と紫と、茶色と、あらゆる濁った色を泥水の中で混ぜ合わせたような混沌とした色を湛えていた。
「どんな傷も瞬時に修復され……」
 顔の皮がずるりと向けた。面を脱いだような、あるいは顔の内面を被ったような、つるりとした感触の皮膚は鋼鉄の色をしていた。
「暗黒を使役し……」
 堕天使の如き翼が生えた。それは風車のように広がった、八枚の翼だった。
「あらゆる力を寄せ付けない……」
「やはりお主の仕業であったか。わしには最初から分かっておった」
 アーデルハイトはさけと蕗、そしてグラン・ケイオスの三人を警戒しながら、後ずさった。
 それを無貌で──しかし楽しそうに──見やると、グラン・ケイオスは哄笑をあげた。
「ちっぽけなモノ達よ……世界ごと……まとめて破壊してあげよう。このグラン・ケイオスがね……ククククククククク!!!」

 頭上から眺めていた望は、戦慄するほかなかった。
「ウリエル、煉獄の業火を!」
「そのようなもの──」
 蕗の呼び声に応じて、炎で着飾った一人の堕天使は、さけへと飛んでいった。
 炎を帯びる剣をさけは左腕でいなし、右拳をウリエルの首筋に叩き込む。
「アドラメルクの名に架けて、そのような紛い物の堕天使にやられるわけにはいきませんわ」
 しなったウリエルのがら空きの腹部に、はしたなくも膝蹴りを叩き込んで、そのままレースアップブーツの踵で踏みつけた。一度、二度、三度。ウリエルの体を乗り越え、顔を踏むと腰を捻った。
 嫌な音がして、ウリエルの首がねじれる。
「サリエル! ニスロク!」
 蕗の声に振り返ると、さけの背後に二人の堕天使が浮かび上がっていた。そして残った九人の堕天使も、彼女と、グラン・ケイオスに殺到する。
 グラン・ケイオスは雄たけびをあげて、さながら蝶のように舞い、蜂のように刺すそれらを虫のように叩き落としながらうるさそうに首を振った。
 グラン・ケイオスの強大な力は、現世に召喚・再構成されるにあたって限定を受けていた。外界に存在する力が強大な分、混沌とこの世を繋ぐ扉は狭く、扉に絡みついた封印の鎖は、彼の体ごとあちらにもっていきたがった。それは鈍重な仕草となり、素早い堕天使の動きについていくことができない。
 痺れを切らしたグラン・ケイオスは、遂にその扉をあけ放った。
「どうせ破壊されるのだ、今ここで全てを終わらせてやる! <グレイテストエクリップス(偉大なる蝕)>!!」
 あれは、と、望は息を呑んだ。
「──総てを飲み込み破壊する混沌の瘴気を叩きつける絶技、あらゆる護りを無効化し空間すら破壊する程の威力を持つ──」
 言いながら、彼女は防御呪文を紡いだ。逃げることも考えたが、おそらく、間に合わない。それに──、その瞬間を、見るチャンスはもうないだろう。これから先きっと、それを見ることはもう敵わないだろう。身の危険よりも、知的好奇心が勝った。
 ……堕天使の羽が空から舞い散った。さけを取り囲んでいた堕天使も、グラン・ケイオスへと向かって空を旋回し、風を切った。
「させません!」
 さけが、堕天使の相手を止め、グラン・ケイオスに向けて長い長い跳躍をした。
 蕗が、その不可視の剣をグラン・ケイオスに向けた。
 二人は悟ったのだ。本気で彼がこの世界を壊そうとしていることに。
 混沌──そこには、人はいなかった。友人も部下も同僚も、くだらなくつまらない冗談を言う相手も、愚痴を話す相手も、支配する相手も、そして何より、野望も血も闘争も。世界を総べる神になろうとする、神に捧げようとする彼女達ではあったが、何もない世界は、安寧よりも耐え難い退屈だった。
 さけは、勇敢にもグラン・ケイオスの頭部に強烈な一撃を叩き込もうとした。
 しかし、触れた瞬間、彼女の肌は、拳は腕は、混沌にさっと染まった。混沌が蝕んでくる気味の悪い感触を覚えたかと思うと、それは彼女から腕の感覚を──腕を、奪った。
 さけは体を反らせて重力に抗うと、一回転し、グラン・ケイオスの腹部を蹴った。が、これも同じだった。ダメージを与えることも、反動で飛び退くことも許されず、混沌は彼女の左脚を飲み込んだ。
 そしてうずくまった目の前に、グラン・ケイオスの腹部からあふれ出した混沌が見えた。自分が自分でなくなる──そんな妙な感覚に抗いながら、さけはだが、立った。
 ──蕗がわずかに頷いたのが、横目に見えた。
 望が、微かに彼女たちに、悪魔に祈りながら叫んだのだった。
「グラン・ケイオスがその力を解き放つということは、扉が開かれるということは、彼の力があちら側へ吸い込まれる力も強くなるということです!」

 蕗が不可視の剣を眼前に構え直すと、堕天使が彼女の頭上を舞い始めた。さけに倒されたはずのウリエル、グラン・ケイオスに撃ち落されたラミエルら、堕天使が、蕗と同じように剣を構えた。
「創世剣キルク・ラ・ガイアを召喚の力を解放」
 感情を抑制された蕗の声が小さく響く。
 混沌に自身の知性と感情を飲み込まれたグラン・ケイオスは、彼女の様子に気づいていないようだった。
 彼女が何を成そうとしているかも。
 キルク・ラ・ガイアは、この時、666の平行世界への扉を開き、それぞれの空間から負の因果を抽出していたのだった。
 それは彼女に使える最後の手段だった。相手の「勝利」を消滅、もしくは封印・喪失させる──

「<絶対運命(アブソリュート・フォーチュン)>!!」


 運は、運命は。それは暴力ではなく、だが絶対的な力。
 ──グラン・ケイオスの体に巻きついていた混沌の鎖が、ぎりりと締まって、彼を扉へと飲み込んでいく──。

 やがて──やがて、訪れたのは、静かな静かな時間。
「刹那とは言え、愉しい演舞でした。ありがとう兎の子。そしてさようなら、獅子の魂」
 望は眼下を愛おしげに眺め、誰にも聞こえぬように呟くと、満足げに立ち去った。

 すべてが終わった時、そこに両足で立っているのは、ただの一人の、ただの少女だった。
 彼女が“死の舞踏会”の勝者であることを、彼女は理解した。
 悪夢から醒めたように瞬きをひとつ。
 瞼を開いた時に、彼女の前に、もう一人の少女が立っていた。
『邪王ンミヂュリェ』様……」
 憑き物が落ちたような顔で、蕗はその黒づくめの少女を見つめた。
 パラミタランドに来てから、何度か見かけたことがある少女。彼女が神様だと信じていた少女だった。
 神様……その名前を口に出すことも、パラミタランドに来る前の彼女だったら、できるはずがなかった。
 影が薄く、目立たず、取り柄もないと自分のことを信じ切っていた彼女には。今だって、正気を取り戻した今だって──今だからこそ、それは恥ずかしい。
「わたしと、“契約”してください」
 と、黒ずくめの少女は言った。
 蕗は、夢を見ているような気分だった。そして、これが本当に夢だったらいいなと思って、抗えない眠気に、そのまま、眠りに落ちていった。