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破滅へと至る病!?

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破滅へと至る病!?

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第4章 望む望まないに関わらず、既に平穏な日常は失われていた


 エントランスの空京ゾーンから見て右手奥に位置するその場所には、ヴェネツィア風の建物が立ち並んでいる。
 殆どは入口がない雰囲気だけの建物だったが、そのうちのいくつかにはお土産やジェラートなどのお店が入っている。
 店の間には、せいぜい幅五メートルほどの、狭い運河が──勿論作り物だったが──流れていた。その上をゴンドラ風のアトラクションがゆったりと泳いでいる。
「ようこそ、ヴァイシャリー・ゴンドラへ〜」
 ヴァイシャリーゾーンの最奥にある乗り場から、一日フリーパスを見せてゴンドラ風のライドに乗り込んだ村上 琴理(むらかみ・ことり)は、居心地悪そうにつぶやいた。
「……遊園地なんて久しぶりね」
 ヴァイシャリーのゴンドラに乗り慣れている琴理だし、ヴァイシャリーに来た観光客を出迎えるのも慣れているけれど──あれは遊びじゃない。
 親子連れが平和そうな様子で、笑顔で手を振ってくるのが恥ずかしい。おねーちゃんたちゴンドラ楽しそうねー、とか。高校生でも遊びに来るのねー、とか。
「全く、なんて恥ずかしい……はっきり言って、ドン引きですわ」
 ──呆れた声が隣でして。物思いにふけりかけていた琴理は座席から飛び上がった。
「きゃっ! ……お、驚かさないでください。た、確かに、もう三週目ですけど!! あと私、確かに百合園ですけど、そっちの趣味はないですからっ」
「やぁね、そっちが勝手に驚いたんじゃない」
 腰に手を当てて再び呆れたように肩をすくめたのは崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)だった。
 そうだった、恥ずかしいのは……契約者ごっこの人たちだ。
 が、二度目はやっぱり自分のことか、と琴理は内心気落ちした。ちょっとばかり取り乱しすぎだ。
「……す、済みません、気を抜いている場合じゃないですね」
 そう。ゴンドラに乗っているのは遊ぶためじゃなくて、仕事だった。頬を少しだけ染めながら、琴理は視線を再び周囲へ巡らせる。
 亜璃珠の提案はこうだった。
 病気の原因となる本が消え、突然現れるのを繰り返す──となると、【物質化・非物質化】の能力が働いている可能性もある。
 もしそうなら、本だけじゃなく、本の持ち主・犯人を何とかする必要があるんじゃないか。そして犯人が契約者に招待状を出す以上、彼らに何らかの接触を図ると思われる。
 ゴンドラに乗っていれば園内をくまなく見ることができる。観察には最適じゃないか、と。
「ええ、懐かしむのは早いわ。可愛い妹達と、女学院の評判を救うのが先よね?」
 亜璃珠もまた、地球の百合園本校の出身者だ。だから、なりきり契約者の中にはちらほら見覚えのある顔がいる。
 かつてラブレターをくれたあの子に、イチゴ柄のハンカチを貸してくれたことのあるその子に。チョコをくれた子に──可愛いから目を付けていたこの子にこの子に。……この子に?
「……あら」
 このゴンドラは、二人乗りの小さいライドが幾つか連なって移動する仕様になっている。
 亜璃珠達が座っている先頭部から背後を見ると、見覚えのある顔が、今まさに「戦闘」を始めようとしているところだった。



 抜き足、差し足、忍び足。かかる脳内BGMはピンクの豹のテーマ。
(ふっふーん、ボクも一旗挙げるぞー!)
 ゴンドラ最後尾でほくほく顔の女性が一人、パニーニにかじりついていた。
 月極不動産総務部・烏山マヒル(鳥丘 ヨル(とりおか・よる))、いつまでもいいように使われるままの女じゃない。
 使われるより使う立場。どうせ独り立ちするならでっかくいこう。
「あ、仮面の人だ」
 アトラスの傷跡ゾーンで、倒れた契約者を引きずっている仮面の男を見つけて、マヒルはとろけるチーズの最後の一口を飲み込み、手をごしごしと拭いた。
「おーい、短い間だったけど、ありがとねー」
 向こうも気付いたのか、両手を激しくぶんぶん振って何事か大声で呼びかけているみたいだが、無人のコースターが風を切る音に紛れて聞こえなかった。
「組織にクビにされないようにねー!」
 クビになったらボクのせいかなぁ。と。マヒルは小脇に抱えた黒いファイルを見て呟く。
 ……この中には、月極グループの極秘資料のコピーが入っていた。
 日本最大級の企業・月極グループの従業員として入り込んで三年。来る日も来る日もお茶くみコピーしたり、評判のみたらし団子の列に並ばされたり、不動産をご紹介したり仮面の男に飲み屋でくだをまいて困らせたあげくアイスクリームをおごってもらったのもすべてこの日の為!
 月極グループの企業経営ノウハウと顧客情報で大成功する為だった。
(しっかし、月極がおてもとの副社長と組んで、山林を買うなんてねー。うまく入り込めるかな?)
 おてもと社は、使い捨ておしぼりや割りばしの製造、飲食店の経営を行う大企業だ。おそらく両社は、林業と製紙業にも手を伸ばすつもりに違いない。
(紙制覇イコール、全企業ご家庭のトイレットペーパー掌握、という絶大な権力ゲット、ってことだよね?)
 マヒルはぼんやり考えつつ流れる景色を確認した。そろそろ外周を半分ほど回ったところ、丁度ツァンダにあたる場所は、停車駅の一つになっている。
「さあアサ、逃げるよ!」
 マヒルはさっそく飛び降りて停めてあったイコン(どう見ても琴理達の目には自転車にしか見えなかったが)に乗ろうとしたが──。
「失礼だけど、あなた契約者ね?」
「そうだけど……何? 組織の人? 脱走者のボクを追ってきたの?」
 身を起こして迎撃姿勢を取るマヒルに、その不思議な、体にフィットする白い衣装に身を包んだ少女は、首を横に振って、すぐに頷いた。
「え? ど、どういうこと?」
「組織は悪──私は悪を倒し深淵なる力を手に入れる者。属していたならあなたも私の敵」
 少女はフルーレをマヒルの喉元に突き付けた。それで分かったのだが、白い衣装はフェンシングのユニフォームだったのだ。
「うわ」
「さあ、正々堂々決闘を受けなさい!」
 少女は凛々しく言い放つや否や、足を踏み込んで突いてきた。
「わっ、わっ」
 慌てて後ずさるマヒルだが、踵がすぐにゴンドラにぶつかってしまう。狭いゴンドラじゃ逃げる場所などろくにない。
「うー、こうなったら仕方ないね。<強制終了>!」
 どこから取り出したのか、マヒルは機関銃をゴンドラに設置して迎え撃った。

 雨あられると降り注ぐ銃弾を女子高生は跳躍でかわすと、落下の速度に身を任せつつ、フルーレを突き出した。
(気持ちいい……!)
 ちょっと前の彼女からは想像もつかない動きだった。
 かつての自分はただの運動オンチだった。フェンシングを始めたのだって、異世界に召喚されるアニメの主人公に憧れてだったけれど、当然、アニメみたいな動きなんてできなかった。
 代わりにうっぷんを晴らすように書き溜めた小説、憧れの契約者。それと同じ動きが今ならできる!
「うわわわっ!」
 フルーレの切っ先がマヒルのぼさぼさの髪を散らす。
 彼女は機関銃の上に着地すると、再び跳躍した。フルーレを払う。マヒルがゴンドラの舳先に飛び退って避ける。それを、更に突きが追った。
 ヴァイシャリーを渡る風のように華麗に変幻自在な、目に見えぬ速さの剣捌き。
 二つ名の由来の一つだ。彼女は百合園の風──香取喜美子カトリーン・ファン・ダイク(かとりーん・ふぁんだいく))。
 そしてもう一つの由来は──。
「覚悟っ!」
 フルーレの先端に風が生まれた。かと思ったとたん、一条の風は渦巻き刀身を包み、彼女は旋風となった。
Tourbillon(トゥールビヨン)!」
「だ、だだだ駄目ーっ」
 マヒルは数年間の成果である黒いファイルをぎゅっと抱え、体を思いっきり反らした。
 反らして、反らして──、
「うわーっ!!」
 ばしゃーん。水に落ちた。
 水に背中から落ちぬれネズミになりながらも、大事なファイルを両手で持ち上げ死守したマヒルは、
「ううもういいよ、こんなとこ早くすたこらさっさだよ。明日から空京で大金持ちだー!」
 ちょっぴりべそをかきながら、運河の縁を上って、走り去ってしまった。
「……私の勝ちのようね」
 喜美子は彼女の後姿を見送ると、ふっと息をついて、剣を収めようとして、……気配に振り返った。
 剣の鍔と鍔が絡み合い擦れ合った。その音が耳に届いた時、
「──初めまして、先輩」
「せんぱ……?」
 息がかかるほど近くに、その眼があった。彼女の後ろでブラックコートがはためく。
 その少女関谷未憂関谷 未憂(せきや・みゆう))は、百合園女学院・中等部二年に在籍する。ただ、喜美子には言葉の意味が解らなかった。
「私のことはご存じないでしょうね。そして、これからも知ることはないでしょうね!」
 ブラインドナイブスの一撃が、喜美子を襲って、そして、彼女の意識は闇の奥に落ちて行った。

 フェンシング部で名を馳せた先輩。百合園の風と称賛される先輩。
 そんな先輩が自分なんかを知っている筈がない。生きている場所が違いすぎる。
 私は顔すらも、長い前髪と眼鏡で隠してきた。
 誰にも知られないよう。誰にも悟られないよう。誰にも気づかれないよう。誰にも知られないよう。
「けれど……今は違う。契約者として目覚め此処に居る。彼処(パラミタ)に行くために……」
 左手で眼鏡の位置を直そうとして、それをわざと家に置いてきたことを思い出した。
「……そう、これでやっと……」
「駄目よ」
「駄目?」
「この先何がころうとも『契約者になりたい』なんて決して思っては駄目。……でなければ、あなたの平穏な日常や大切なものを失う事になるわ」
「何を失ったっていうの?」
 未憂は眼鏡に触れようとした手をゆっくりと下ろすと、顔を上げた。
 呪式の刻まれたナイフを握る右手に力を込める。

 ボートに乗る涼風淡雪(すずかぜ・あわゆき)シャーロット・モリアーティ(しゃーろっと・もりあーてぃ))は凍りついた。
「この瞳がこの瞳がどうして緑色か知っている? 貴方達が羨ましくて、妬ましいからよ。綺麗になりたい優しくなりたい。でも私の心は醜くてそうはなれない」
 目が逸らせなかった。
 未憂の翡翠色の双眸が、その中の世界が飛び込んできた。
「でもやっと普通になれる。私は契約者になれた。彼処(パラミタ)に行けば全て叶う」
 瞳の中の光彩が万華鏡のようにちかちかと分裂し、結束し、また散っていくように淡雪には見えた。
「誰も私を笑わない。誰も醜い私を否定しない」
 未憂は一歩近づいた。ナイフを自分の胸元まで掲げる。
 それを固まって見ていることしかできない。薄いフィルムを重ねあわせたように、彼女の動きが奥に隠れてしまい、怪代わりに物が姿を現した。
 緑の巨体の怪物は、醜悪と言っていい姿をしていた。幾つにも分かれた頭部は、鍾乳石のような牙をのぞかせる赤い空洞があることで、どうにか頭部だと判別できた。鱗に覆われた前身はぬめり、尾がヒドラの首のようにのたうちまわっている。
 思わず悲鳴をあげそうになった淡雪はようやくそれを飲み込んで、記憶をたどって、目の前に迫る脅威の正体を探り当てる。
「その能力は──<緑の目の怪物>(グリーンアイドモンスター)──」
 怪物がびくんと震えた。それで淡雪の恐怖は雪のように溶けてしまった。
「私は戦うつもりはないの。ただ知って欲しいだけ。今ならきっと日常に戻れるわ。──聞くわ。憧れだけで契約者になって、何を手に入れたの……? その、呼び名を?」
 びくん、と再び怪物は震えた。
「ソレは君。君自身よ」
 淡雪は薄く微笑んだ。
 怪物が吼えた。

「笑うな 此方を見るな 目障りだ 消えろ消えろ消えろ 全部消え去れ」
 私を見るな 私を笑うな 私を見るな 私を笑うな 私を見るな 私を笑うな 私を見るな 私を笑うな 私を見るな 私を笑うな 
 私を見るな 私を笑うな 私を見るな 私を笑うな 私を見るな 私を笑うな 私を見るな 私を笑うな 私を見るな 私を笑うな 
 私を見るな 私を笑うな 私を見るな 私を笑うな 私を見るな 私を笑うな 私を見るな 私を笑うな 私を見るな 私を笑うな 
 怪物の咆哮に込められた恐怖を、重なる声と願いを、淡雪は鋭敏に嗅ぎ取っていた。
「あなたに神の恵みによる魂の救済を……、<神の秘蹟>(エクス・オペレ・オペラート)

 ──そう、そこにはもう何もなかった。いや、初めから怪物も何もかも、存在してなどいなかった。
「無駄よ、あなたは契約者としての能力を失い一般人に戻ったのだから」
 淡雪は腕を上げた。二丁のカーマインが彼女の両肩をかするように撃ち抜くと、血が吹き上がった。
 仰向けにボートの座席に倒れ伏して、未憂は空に手を伸ばした。そこには何もない。瞳は何も移していない。
 微かに開いた唇から、そっと嬉しげな声が漏れた。
「ああ、やっと……」


 やっと逢えた、貴方が私の魔女(パートナー)
 この生命も魔力もこの身の髪の毛一筋にいたるまで全てをあげる
 だから少しだけ傍に居て
 死なない貴方にとっては百年にも満たない
 瞬きよりも短い出来事でしょう


 未憂の指先は天井に伸びあがって、何かに触れるように指先を動かした。
「……契約者となったあなた達に、魂の救済を──」
 そしてぱたりと脇に落ちた彼女の手に、淡雪が一輪の花を手向ける。
 雪解けの春の野に咲く、それは小さな菫だった。



「……何なんですの、あれ」
 一連の光景を眺めていた亜璃珠に、琴理は首を振って分からない、と答えた。
 見ていた限り、未憂はわざとゆっくり座席に倒れたようだし、頭を打ったりなどまさかしてないだろう。
「着いたら、係員の方に保護をお願いしましょう」
「ですわね。あら、あれは──例の黒い本ですわ!」
 亜璃珠が指差した先は、イルミンスールエリアだった。切り株の装飾の上に乗っている黒い本を、誰かが手に取ろうとしている。
 彼女はチャンスを待った。今まで姿を消すという、決定的瞬間をじっくり見たことがない。ここからなら周囲に魔法なりを使っている人間もはっきり見える。
 ……黒い本を生徒が手に取る。笑い出す。瞬間、消える。まさに消失と言ってよかった。
 亜璃珠はすかさず周囲に目を走らせた。何か──何か、さっきと違う現象が起きているはずだ。現象なり、違和感のある人物なり──。
「……あれは……!?」
 彼女は思わず声を上げた。確かにさっきまではいなかった、十歳ほどの少女が立っていた。
 黒い革表紙を思わせるつややかな深みのある黒い髪に魔法使いじみた黒いローブ。まさか飲酒ではないだろうが、千鳥足のようなおぼつかない足取りでその場を離れていく。
 幾つかの想像が彼女の頭の中を駆け巡り、やがて一つの結論が出た。
「あれは、あの黒い本はおそらく“魔導書”ね」
 彼女はゴンドラを飛び降りようとしたが、今乗っているゴンドラは、丁度ヒラニプラの山岳上の高みまで来てしまっていた。降りてもまぁ問題はないだろうが、その間魔導書を視界から外れたところに置きたくない。
「どうしましょう」
「どなたか下にご友人はいらっしゃいませんか?」
「そうね、ああ、あそこに丁度いるわ」
 のんびり歩く百合園女学院の知人達の姿を見つけ、彼女は携帯電話を手に取った。
「──ええ、あの少女が黒い本に間違いないわね。こちらもすぐに向かうわ、宜しく」
 二人は顔を見合わせると、ゴンドラを飛び出し水路の煉瓦に足をかけ、ジャンプ。その勢いのまま山肌を滑り降りた。
 魔導書は、パラミタランドの最奥、タシガンエリアへ向かっていった。