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破滅へと至る病!?

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破滅へと至る病!?

リアクション

 少年は、誰に声をかけようか迷っていた。
 それですら彼には珍しいことだった。
 年齢の割には背も低く。小柄と言えば聞こえはいいが、痩せていて。外見といえば平々凡々。外見がこうなら、中身も大した違いがない。
 ただでさえ自信が持てないくせに、おまけに極度の近視で、メガネがないと何も見えなくて……余計引っ込み思案になっていた。
 誰かと関わるのが難しくて、怖くて、ぽっかりと空いた時間が苦痛で、自分を持て余して居所がなくて……読みかけの本をいつも鞄に入れているような、そんな少年だった。
 名を皆川陽(皆川 陽(みなかわ・よう))という。パラミタの薔薇の学舎に同姓同名の、よく似た少年がいることを、彼は知らない。
 その彼は、今は鞄と──黒いローブをとある店に預けておどおどと周囲をうかがっていたが、三つ編みおさげの少女にふと目を引かれた。
 ローブの下のセーラー服は、御園女学園のものだ。乱れなく結ったおさげに、ぴしっと整ったタイ。アイロンのかかったセーラーカラーに、育ちの良さそうな雰囲気。胸には銀の十字架(ロザリオ)が揺れている。
 いかにも風紀委員か生徒会役員でもやっていそうな少女だった──そう、世界は光と秩序でできているとでも言いたげな。
 陽は敵味方なく争い始め混乱する契約者たちの間を抜けて、おもむろに、彼女・三笠 のぞみ(みかさ・のぞみ)──いや、三笠臨の横顔に問いかけた。
「恵まれた境遇を持って生まれたことを恥と思わないの?」
「ですから、やみくもに剣を振るうのはやめてください……あの、えっ?」
 氷雨を追おうとするクリスティークリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん))との間に割り込んで、説得を続けていた臨は、突然現れた陽に戸惑いの表情を浮かべる。
「キミの努力で得たものだとでも勘違いしてない? 罪悪感はないの?」
 陽は、臨の手にある杖を一瞥した。通販で特別価格だったトネリコのワンドと真っ黒のローブを。
「罪悪感、って、だってこれはあたしが……」
「どんなに望んだって得られない人がいるんだよ。魔法も身体能力も、安全な環境も水も食物も容姿も……」
 疑わないことがまるで罪であるかのように、あるいは本当の“敵”が他人ではないかのように、陽は静かに臨に語り続けた。
(嗚呼世界……世界は今日も昨日も明日も苦痛に満ち満ちている! それが生なら、それは本当に正義なの?)
 抑揚を抑えた憎しみがこもる陽の声に、のぞみの顔色がさっと変わる。
「まさかあなたは『深淵の暁闇』ですか? 災いをもたらすものは、打ち倒さねばなりません」
 ぐっと杖を握りしめ、臨は詠唱を開始した。手早く唱えた呪文で現れた光の刃が、臨と陽を敵と認識し、絶叫を周囲にまき散らすクリスティーの喉を貫く。
 陽もまた呪文詠唱を始める。長い長い構文の始まりの呼びかけが、巨大な力を持つ呪文であることを予感させた。
 が、長い詠唱であればあるほど、それまでの隙ができる。臨はこの間に二つ目の呪文詠唱を終了させていた。
「とこしえの庭より来たれ。堅牢なる護り手。覆い尽くせ。<御使いの揺りかご(ヘヴンリーケージ)>!!」
 杖の先が光り輝き、陽の頭上まで一点の光が伸びあがった。光は凝縮したかと思うと、格子状に拡散。瞬く間に周囲に光の格子を作り上げていく。
 がきんっ、と最後に音がして光同士が結合すると、陽は囚われの小鳥よろしく光の檻に納まってしまっていた。
「へえ、人を傷つけない魔法……? 閉じ込めて見ないふりをするだけ、だよね?」
「何を言ってもいいわ、だけど戦って倒すのが秩序じゃないでしょう? ここで大人しくしていてください」
 陽が俯くのを見て、臨はもう大丈夫だろうと、踵を返そうとした。
 契約者たちが奥のアトラクションに向かっていくのが見えたからだ。彼女たちが戦っている間に、既に他の契約者、各アトラクションの方へ散開していたのだ。
(契約者が一般客に迷惑をかけるのは、風紀に反するわ)
 けれど臨が足を踏み出そうとしたその時、不意に声がして、臨の肩はびくりと震えた。
「貴方、未来が見えないわ……貴方も運命を捻じ曲げてここに来たのね」
 そこに立っていたのは、中学生くらいだろうか。長い黒髪の下に諦めたような顔つきを隠して、影のように佇んでいる少女だった。
 白いブラウスに黒いサテンリボン、控えめに広がるスカート。黒いローファーが音も立てずに床を歩いた。影と光の合間に存在しているような少女だった。
 彼女は運命監視者(ワンダリングドゥームウォッチャー)黒川良子ニコ・オールドワンド(にこ・おーるどわんど))。
 ──そう、彼女の能力<静かに刻む時計>は、未だ運命の日を迎えぬ者には姿を見せない。
「いつからそこに……」
「初めからいたわ。初めから、気付いていたわ。招待状がただの舞踏会でないことも──」
 すっ、と一歩、足を進める。やはり、音はしない。
「集められたのは、私が未来を覗けない人ばかりだった。つまり、集う力によって運命が捻じ曲げられているという証拠」
「運命……?」
「今直ぐにその過ぎたる力を捨て、慈悲深き運命の下に戻りなさい。嫌だというなら……、力づくでも貴方の運命を修正させてもらうわ」
(正しき運命の下ではこの舞踏会は起こらないはず……)
 しかし一人でも犠牲者を減らしたいという良子の願いは、臨に首を振られて否定された。
「諦めろって言うの? この世の風紀を正すために、あたしは絶対負けないんだから!」
「そう……では、貴方の不当に放棄した運命、貴方が辿りつくはずだった結末を、今ここで見せつけてあげる」
 良子は少しだけ唇をかんだ。
 彼女には彼女のやり方があるのだろう。それに、今までも理解されたことはなかった。運命を覗くなんて……、気味悪がられるだけだった。
 善き未来は告げる必要もなく勝手に訪れて喜ばれ、悪しき未来は自分のせいにされた。
 ……だったら、自分がソレを実現させたところで差異はない。
「来たれ、<冷徹なる定めの日(ターニング・デイ)>よ──!!」
 伏し目がちの瞳が開かれ、臨を射抜いた。
 ──瞬間、臨の目の前に灰色の雲が広がった。吹き鳴らされるラッパの音、無数に羽ばたく天使の翼。雷と雨が降り注ぎ風が吹き荒れ、地面からは土気色の肌をした人々が蘇り、地表が裂ける。
 学校で教わったイメージがめまぐるしく頭の中を渦巻き、見えない風が圧となってのし掛かかった。
 全身を襲う力に抗うべく、臨は必死に自分にしがみつき、意識の底から呪文を思い出しながら口にした。
「と……とこしえの庭より……」
「抵抗は無駄よ。運命には抗えない」
 良子は床を必死に掴もうとする臨の脚を見て、まるでダンスのようだ、と思った。同時に、どこかでこのダンスを組織の人間も見ているのだろうかと思うと不愉快でもあった。
 ナラカ行きの切符を栞替わりにしたハンディタイプの魔術書を開くと、ぱらぱらとめくって適当な呪文を探す。
「とどめはこれにしようかしら。」
「──それじゃ駄目……だよ」
「なん……ですって!?」
 臨の声ではない。思わぬ方向からの思わぬ声に、良子は振り返った。
 そこには、光の檻に囚われたままの陽が、諦めたような笑みを浮かべていた。
 囚われたからといって、移動以外の行動が制限されたわけではなかった。先ほどから、時間を必要とする魔法を、目の前で展開・維持し続けていたのだ。
「人を救うのは人じゃない。同じように、人を殺すのは人じゃなく……己の、罪悪感だよ」
 陽は無気力に、悲しげに、そして悟りきったように呟くと。
 目の前に展開した薄緑に輝く魔法陣を解放した。
<涅槃・弥勒覚醒(マイトレーヤ・ニルヴァーナ)>
 それは、過去と未来の時間軸を繋ぎ、56億7000万年後の筈の弥勒の如来化を現在に出現させ、あまねく生を救う魔法。尤も、生き辛さを常に心に抱えた彼にとっては、救いは死を意味したのだが……。
<冷徹なる定めの日(ターニング・デイ)>! ──馬鹿な、運命修正を受け付けない!! 運命さえ凌駕する力だというの!?」
 魔法陣から溢れ出た光はその場にいる全て契約者の視界を灼き、体を青白い炎で焼いた。
「慈悲を慈悲を慈悲を。全ての人間に等しく慈悲を。肉体の牢獄を抜け、永遠の安らぎへと……」
 陽の口の端に、笑みがかすかにひらめいて。
 契約者の悲鳴すら焼き尽くして、浄化の光は彼らの全てを皓く包み込んでゆく──。