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第4章 夜の帳が下りる頃 4

 夜も更けて――すでに星の瞬きのみが光の手掛かりであった時間。シャムスすらも寝静まり、外を動くものはほとんどない。その中にあって、宿の屋根に音もなく飛び乗って来た存在があった。黒装束に身を包み、夜でも目立たない格好をしている。手には鋭利な短刀が光り、眼光は鋭く獲物を狙っていた。
 そいつは、いざと言わんばかりにシャムスの部屋の窓を開けようとする――が。
「なにをしとる?」
 直前に、背後からかけられた声にビクッと立ち止まった。
 振り返ろうとする。だが、それが一瞬の隙だった。ゴッ……と鈍い音を立てて、そいつはばたんとその場に気絶した。
「まったく、安心して寝ることもできんのぉ」
 男の首に手刀を振り落とした辿楼院 刹那(てんろういん・せつな)は、自嘲するように呟いた。
 シャムスの護衛の任についてこの数十日。実は夜の間、ずっとこうして彼女を守ってきたのであった。というのも、目立ちはしないが、彼女の暗殺を企てる不届きな輩は意外に多いからだ。しかも、そんな野党たちは特に夜を狙って忍び込んでくる。
 若干6歳にして暗殺や傭兵の裏稼業を担っている年齢詐称疑惑の少女は、そんな不当な輩からシャムスを守るために、日夜こうして戦っていたのだった。
 そして――
「げぶぁっ!」
 屋根の縁でちょこんと座る刹那の頭上を、黒装束の影が吹き飛んでいった。
「そちらも、順調のようじゃのぉ」
「そうですね。……こう毎日飽きもせずやってくるんじゃ、滅入ってきますけど」
 そう言って刹那の横に立ったのは、同じくシャムスたちの護衛をしている長原 淳二(ながはら・じゅんじ)だった。こちらは昼間も護衛の任に着いているが、その代わりに影での敵の始末を刹那に任せている。少女に敬語を使う青年の姿はなかなか不思議なものだったが、それだけの貫録のようなものを刹那は持っていた。
 と、ふと淳二が何かに気づいた。
「あれ……裏庭のほうですかね?」
 とにかく気配に敏感になっている二人だ。宿の裏のほうにある畑で、なにやらうごめく3つの影を見る。
 二人は互いに顔を見合わせ、そして――こくりと頷いた。

「石化してる間の記憶はないけれど……ポーズを決めた石像の僕はさぞ輝いていた事だろうねッ」
「そんなことどうだっていいですよぉ。もう、セオ兄さん、邪魔しないで下さいですよぉ!」
「あっはっはー、怒られちゃったー」
「あのねぇ二人とも、しー、だよ、しー」
 空飛ぶ箒にくくりつけた木箱へ岩や砂などを放り込んでいた五月葉 終夏(さつきば・おりが)が、なるだけ大きな声を出さないように言った。人差し指が唇をふさぐようにして、あの『喋っちゃだめですよ』というポーズを作っている。
「うー、すみませんですよぉ、師匠」
 すぐに反省して謝るのはシシル・ファルメル(ししる・ふぁるめる)だったが、この期に及んでもお茶らけたように笑うのはセオドア・ファルメル(せおどあ・ふぁるめる)だった。
「あはは、終夏くんにまで怒られちゃったよ」
 などと言いつつ、無駄に朗らかで綺麗な笑顔を浮かべていた。
 とはいうものの、さすがに二度も怒られるのは勘弁なのか、それ以降はセオドアも気持ち静かになったようだった。もちろん、気持ち程度なので、何かあればジトっと終夏が彼を見やるのが度々あるわけだが。
「師匠師匠! 僕、草取りしますよぉ」
「うん、ありがとうシシル」
「えへへ〜」
 犬がしっぽを振るように笑って、シシルは邪魔になっている草を抜くことに専念した。それを捨てるだけではなく、隅の草木の傍へと植えかえるのは彼女の優しさか。終夏はそれを見て、嬉しそうにくすっと笑った。
 戦争の後、畑も残された瓦礫や砂などで多くの犠牲を払ってきた。それを、終夏はよく知っていた。もちろんこれが、彼女にとって罪滅ぼしになるなど思ってもいないし、ましてそれまでの自分を偽るつもりも言い訳をするつもりもない。
 ただ少し――歩いてみたかっただけだ。勝手な願いと、分かっていながらも。だけどそれは水を差すことになるかもしれなくて、それが嫌だから、こうして中途半端に何かをやってる。
(なにやってるんだろう……)
 そんなことをふと思う。
 そのとき――ぴょこっと彼女の目の前に刹那の顔が現れた。
「うわあああぁぁっ!?」
「し、師匠、しー! しー! ですよぉ」
「……驚かしたようですまぬ」
 お化けでも出たのかと、思わず心臓が止まりそうになった。終夏は、バクバク言ってる自分の心音をなんとか落ち着けた。よく見れば、刹那だけではなく淳二もいる。
「ど、どなたさまで……?」
「す、すみません……。実はあの宿に泊ってるんですけど、ちょっと気になったもので」
 しまった、と終夏は思った。
 もともと誰にもバレないようにと思って夜に始めたのだが、早くもその計画が崩壊してきている。うんうんと唸りつつ、色々と言い訳を考える終夏。と、彼女は自分の足元にある鍬を刹那がじっと見ていることに気づいた。首をひねって考えて、やがて、彼女は試しに聞いてみた。
「えっと……使って、みる?」
 こくりと頷く刹那。
 後ろから二人三脚のように使い方を教えて、一緒に畑を耕す二人。淳二はそんな二人を見守るようにして、畑の横で座り込んでいた。
「あ、あの……」
「はい?」
「このことは……どうかご内密に」
 意を決して頼んでみる終夏。その間も、刹那は鍬というものに夢中になって無言ながらもどこか楽しそうにわっしゃわっしゃと土を耕していた。淳二は終夏の言葉にきょとんとしていたが、やがて理解して、ほほ笑んだ。
「はい、分かりました」
 そんな淳二の笑顔がなぜか、自分の心のわだかまりを救ってくれたような気がした。
 うん、力強くと頷いて、彼女は再び作業へと戻った。今度は、少しだけ自信を持ったように。
 夜は長い。
 たまにはこんなことも悪くないと、淳二は寝ころんで空を見上げた。