リアクション
* * * 「イナンナ! 今が決断の時なのだ。アガデが落ちてからでは遅いのだよ!」 北カナン、光の神殿の敷地の一角にあるイコン格納庫で、リリ・スノーウォーカー(りり・すのーうぉーかー)は声を張り上げた。 すぐ近くでは、彼女のパートナーのユノ・フェティダ(ゆの・ふぇてぃだ)が半壊したギルガメッシュのコクピットで何やらごそごそやっている。うす暗いコクピットの中、コンソールの下からせり出した丸い背中が揺れているのが見えるだけだ。 リリの携帯の先で、イナンナが何か答えた。 「だから、ギルガメッシュの出撃許可がほしいのだ。今すぐに!」 「おっけー。スイッチ入った」 ごそごそ。コンソールの下から這い出したユナは、額の汗をぬぐった。 コクピット内のランプが点灯し、ギルガメッシュが作動音を発し始める。しかしその音は不規則で高低があり、しかもビュイイィィィンビュイイィィィンと、常に雑音が混じっている。素人耳で聞いても正常な始動音とは言いがたい。 「……くそ」 ぱちん、と携帯を閉じたリリの口から思わず悪態が漏れる。 「許可、出なかったの?」 まぁ当然かな、とユナはあらためてギルガメッシュを見下ろした。 両脚部を投げ出した格好のギルガメッシュは、いまだコクピットハッチはパイロット救出の際に変形したままで、装甲のあちこちもはがれた状態だ。魔神 ロノウェ(まじん・ろのうぇ)の巨大ハンマー攻撃を受けてへこんだ箇所は数知れず。勇者のイコン、黄金の騎士としての雄々しき姿は影をひそめてしまっている。 「こうなったら許可なしでも行くのだ」 「でも、雷撃で内部もかなりやられちゃってるから……飛ぶことはできるかもしれないけど、歩くのは無理っぽいよ」 側面のコンソールをいじってみるが、弱々しい点滅が点くものがあればいい方で、全く反応しないものがほとんどだ。実のところ、立つことができるかもあやしい。 アーティフィサーでないユノには、これ以上どうしようもなかった。なにしろ、今どういう状態なのかもはっきり判断がつきかねるのだ。実際に動かしてみて、できること・できないことを判断するしかない。 「しかしこうしてあらためて見ると、ひどいな」 ララ・サーズデイ(らら・さーずでい)も深々とため息をつく。落下防止柵を握る手が強まったのは無意識か。 「向かってる途中でバラバラになっちゃったりして」 あながちでもないことを、ユノは冗談めかして言う。できるだけ軽く聞こえるように。そうすれば、ただの笑い話で終わる気がするから。 「行軍するわけではないのだ、ブースターとスラスター、ビーム砲が生きていれば問題ないのだ」 ビーム砲でアガデの外壁に出現したというクリフォトの樹を一気に焼き払うことがリリの目的だった。外見はこの際関係ない。 「いやダメだ。ギルガメシュはいわばカナンの象徴、守護神も同然。カナンの民にこんな惨めな姿を見せられないよ」 「むう。ではどうしろと?」 ララの反ばくの正当性に少々苛立ちながら返すリリ。彼女たちの前で、ユノが再びごそごそし始めた。 「こうすればいいよねー」 装甲破損部に、垂れ幕のようにパパッと帆布を広げた。既に金色に塗装済みのそれを、ちゃっちゃと結びつける。 「はい、新品同様でござ〜い」 にこにこ笑って両手を広げる。 もちろん見えるはずもなかったが。 「……まぁ、夜目にはこれで十分かも」 高度もあるし。 ララがしぶしぶ頷いたところで、リリが頷いた。 「これでいくのだ。胸部の破損や両腕は、腕組みをさせればある程度カバーできるのだ。 ララ、急いで上部ハッチを開けるのだ」 「分かった」 制御室へ走るララ。ユノがメインコクピットへ座り、リリがサブコクピットに入る。座席調整をし、安全ベルトで固定していると、さっそくユノがギルガメッシュの脚部を動かした。 ギャリギャリッと関節部が砂を噛むような音を立てながら動いたと思った次の瞬間、沈黙する。 「だめ。やっぱり足は動かない」 「両腕で身を起こして前傾したところでブースターを開くのだ。そのまま上部ハッチから飛び立つ」 「はーい」 「ララ、急げ……」 ぴったりと閉まった天井部のハッチを睨んでいると。 通路に通じるドアが開き、神官兵たちが格納庫になだれ込んできた。 「ギルガメッシュの持ち出しは許可できないと言ったはずですよ」 あっという間にギルガメッシュを取り囲んだ神官兵の間から現れたのは、イナンナ・ワルプルギス(いなんな・わるぷるぎす)だった。 「あなたたちも目にしたように、ギルガメッシュはまだ万全ではありません。このような姿で出撃すれば、魔族たちの格好の攻撃の的となってしまうでしょう」 リリは下を見渡した。神官兵たちは背面のブースターの直下まで回り込んでしまっている。このまま強引に出撃すれば彼らは炎に焼かれ、一瞬で蒸発してしまうだろう。 手を動かして払う動作をすれば、退かせることはできるか。ハッチが開きさえすれば……そう考えるリリの視界の隅に、神官兵に槍を突きつけられて制御室から出てくるララの姿が入った。 ハッチは開かない。苛立ちのあまり、リリは肘かけをこぶしで打った。 「ギルガメッシュ健在を東カナンの民に見せるのだ! アガデの者たちにギルガメッシュの姿を見せるのは、彼らを勇気づけることになるのだよ!」 なぜそれが分からない? 「そしてすぐに魔族によって撃墜される姿を見せることが彼らのためになるでしょうか? 一瞬の希望のあと訪れる絶望は、今よりももっと深く彼らの心をくじくことになるでしょう」 イナンナは静かに首を振った。 「あなたたちは東カナンとつながりが深い。あなたたちがあの地のため、彼らのためにこれまで少なからず尽力してきたことを知っています。彼らのために、何かせずにはいられないという気持ちの強さも…。 ですが、これは彼らのためにはなりません。我慢してください。そして信じましょう、あの地にいる者たちの力を。あなたは私よりもずっと、彼らを知っているでしょう?」 「だが……このままではいられないのだ……」 アガデにいるコントラクターたち。バァル、セテカ、女神官、そして知り合ったアガデの人々……閉じたまぶたの裏にその姿が次々と浮かび上がり、リリの胸は詰まった。 本当は、リリにも頭のどこかでは分かっていたのだ。こんなのは無茶だと。だが心が、それを認めることを拒否した。 命がけで戦っているだろう彼らのために、何かせずにはいられなかった。 「ええ。分かります」 リリの感じている焦燥感をわがことのように感じながら、イナンナもまた服のひだに隠して、そっと手を握り締める。 「夜が明け次第、詳細を知るため早馬の神官騎士を派遣することになっています。それに加わって、あなたたちも東カナンへ向かうといいでしょう」 間に合わないのはイナンナも知っている。あくまで早馬は事後調査のためのもの。 これは、何もしないではいられないリリたちの気持ちを汲んでの采配だった。 |
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