リアクション
* * * (……揺れている……) ほおをぺたりとくっつけた床からの振動で、獅子神 玲(ししがみ・あきら)は意識を浮上させた。 決して 「喰えよ、オラオラオラッ」 と、ギーグ・ヴィジランス(ぎーぐ・う゛ぃじらんす)に口をぐにーっと引っ張られて突っ込まれたザナドゥの金の卵のせいではない。ハズ。 だって、ザナドゥの食べ物はどれもまずくて口に合わなかったんだから。 「アハッ☆ 見て見て、ギグ。起きてないのに口モグモグしてるよ〜。寝てても食べちゃうんだ〜、おっもしろーい」 そんな言葉も聞こえる。 リペアに似ている気がするけれど、そんなはずはない。リペアはあんなに流暢にしゃべったりしないから。 「……ああ、そうかぁ……。これ、夢なんですねぇ……」 にゃむにゃむ。 「って、寝るなーッ!! せっかく喰いモン与えて起こしてやってんだろーが!!」 髪の毛を引っ掴んで引っ張り起こす。 「い、いたた……。ギグ、乱暴です……」 涙のにじんだ目で抗議する。 「今起きますから……」 よっこらしょ、とうつ伏せになっていた体を起こすと、ペリペリペリと、床からはがれるような感触が皮膚で起きた。 「?」 正座して、何気に手を見ると、乾いた血がこびりついている。 「えっ? ……え?」 驚いて全身に目を配る。どこもかしこも血だらけだ。 パタパタ体を叩いてみる。 「アハッ☆ なんかまたおかしな動きしてるよ〜。ヘンなの〜っ」 リペア・ライネック(りぺあ・らいねっく)がキャハキャハ笑う前で、玲はぺろんと袖もまくってみた。 けが……は、していない。じゃあこの大量の血は……? 血だまりの出所をつきとめようと、流れを追う。そこで初めて彼女は、自分が惨殺死体だらけの通路に寝ていたことに気がついた。 とたん、むせかえるような血臭に鼻と口を覆う。 「これは……いった――!! く、クムジさん!?」 入り口の所で折り重なった死体の1つに恩人の姿を見つけて、玲は四つん這いのまま、あたふたと近寄った。 「クムジさん……クムジ――」 ずるり。 たいした抵抗もなく引っ張り出せた彼の体は子どものように軽く、胸から下がついていなかった。 「うわ……わわわわ……っ」 しりもちをついて後ろに下がる。そうしてぴちゃりと真新しい血だまりに手を突っ込み――玲はへなへなとへたり込んだ。 「クムジさん……どうして……死んでるんです……? まだ「恩」を返してないのに……。こんなの……ひどいですよ……。 どうして……だれがあなたに、こんなことを……」 その言葉を聞いた瞬間、ギーグの頭である作戦がひらめいた。 「――ほぅ? この惨状が誰がやっただと? それを知ってどうする?」 どうする……? 床についた両手をこぶしにする。 悲しみの震えは、あっという間に怒りの震えへと変わった。 「もちろん、かたきを討ちます! それしかもう……私にできる恩返しはないから……」 「俺様知ってるぜ」 「本当ですかっ!?」 「ああ。逃げるところを見たんだ。なァリペア?」 「うんうん。ギグの言うとーりっ」 けぷ。思わず出たゲップは、ギグの背中で隠す。 (殺して食べたのがボクだと知られちゃったら、大変だもんね〜♪) 「顔は見てねーけど、騎士の格好してたなァ」 「騎士……? でも騎士は、この国の人で……」 「おっと。訊かれてもそのへんの事情は俺様にゃあ分かんねーよ。けど、着てたのはたしかだぜ。案外、騎士に変装してもぐり込んだヤツかもなぁ」 ギーグの説明に、玲は納得した。 「フィーネ」だったモノを手に立ち上がった玲の黒髪が金髪へと変わっていく。同時に、鬼の一本角が額を突き破って現れた。 「許さない……絶対に。殺してやる……!」 「アハッ☆ 面白いように騙されちゃうんだね〜」 ふらふらと通路を出て行く玲を見て、リペアは口元に手をあてた。そうして愉快そうにキャハキャハ笑っているリペアを見て、ギーグが羽のように軽いキスをする。 「……なに?」 「いや、おまえが元に戻った祝いをしてなかったと思ってなァ」 肩を抱き寄せるギーグの胸に両手をつき、伸び上がったリペアは、耳元でそっとささやいた。 「ギグ、大好きだよ……。だから、ね? もっともっと、贄をちょうだい……?」 「なんだ? もう腹が減ったのか? さっきおなかいっぱいって言ってなかったか?」 まじまじと腕の中のリペアを見る。 だが彼女は『悪喰ライネック』だ。十分あり得ることと、ギーグはため息をついた。 「ったく、しゃーねぇなァ。――ここ、血ついてるぞ」 口端をぺろりとなめる。 「きゃっ♪ ギグ、くすぐったいよぉ〜」 いくらでも用意してやるよ、おまえが望むなら。望むだけ、魂を喰わせてやる。 リペアとのキスは濃厚な血の味がした。それは、ギグにとって懐かしい味だった。 * * * エシムは割り当てられた左翼と呼ばれている居城の左側の棟――居城は鳥が翼を広げたような形をしているため――を、配下の騎士たちと一緒に見回っていた。 人の気配はほとんどない。破壊された様子もあまりない。 こちらは執務室など主に政務に用いる棟で、避難していた民には中庭や前庭、客人用の居室が多くある右翼の棟を割り当てられていたから、当然といえば当然だった。 もちろん、襲撃を受けたそちらから比較的安全に見えるこちらに逃げ込んできている可能性はある。だが、楽な側、安全な区域の捜索を割り当てられた気がして、エシムとしては納得がいかなかった。 昼間の警備でもそうだった。居城近辺を割り当てられたのは、居城が安全だと思われていたからなのではないか? (騎士長には迎賓館か、その近辺を志願したのに……) それを、セテカ・タイフォンが邪魔した。 (魔神がいる、危険区域と思われたからだ。きっとそうだ。そんな重要な場所は彼に任せるわけにはいかないと、騎士長に進言したんだ。そして騎士長やリヒト様は、セテカの意見を採用した……ぼくの希望でなく) なぜなら、騎士長はセテカの父だから。その親友のアラムはセテカを息子のようにかわいがっているから。 (あんなやつ、12騎士でもないくせに!) 位で言えば、セテカよりもエシムの方が上だ。セテカはいずれタイフォン家の騎士になるとはいえ、今は上将軍だ。エシムは12騎士。であれば、卓議では彼の意見こそ重用されるべきではないか? なのにみんな、セテカの意見を重視し、セテカをかわいがっている。オズ様も、イェサリ様もそうだった。……カインは少し違うようだけど、それでも公式の場では沈黙を通して対立しようとはしない。 本当だったら今ごろ、迎賓館に着いているはずだった。アナトが無事かどうか、確認できていたはず。それを、向かっている途中で呼び戻された。セテカがいないから、おまえが加われと。 またセテカだ。 「……くそっ!」 苛立ちにあかせ、足元に転がっていた長方形の小箱を蹴飛ばす。 コロコロと転がって窓に当たったそれを、カーテンの影から出た手が持ち上げた。 「だれだ!!」 人の気配は一切なかったのに! 「ずいぶんお腹立ちのようですね」 影から出てきたのは、まだ年端もいかないほんの子どもだった。親とはぐれて逃げ遅れたのだろうか? それでカーテンの後ろに隠れていた? エシムは気を入れ替えるように深呼吸し、あらためて少年に手を差し伸べた。 「きみ……」 助けに来たんだよ、けがはないかい? ここは危ない、わたしたちと一緒に出よう――そう言おうとした言葉が、次の瞬間のどの奥で引っかかった。 月光の下、小箱を両手で持った少年の口元に三日月の笑みが浮かんでいる。あれはうす笑いだ。嘲笑と言われる笑み。子どもの浮かべる笑みではない。 そもそも襲撃におびえた子どもが救助に来た者を見て駆け寄りもせず、ああして落ち着き払って立っているわけがないのだ。 「――まさか」 こんな子どもが? 冷や汗をかくエシムの前、音無 終(おとなし・しゅう)は小箱の蓋を開けた。それはオルゴールだったらしく、ゆったりとした音楽が流れ出す。だがネジがゆるみきっていたのか、すぐ途切れて聞こえなくなった。 「きみは……だれだ」 「ん? 僕はバルバトス様の配下で、音無 終といいます」 蓋を閉め、テーブルの上に乗せる。まっすぐになっているか、具合を見るように小首をかしげ……その目を、ちらとエシムに向けた。「おやおや。最近の騎士様は相手が名乗っても名乗り返さないのですか? 礼儀がなっていませんね。実に嘆かわしいことです」 その、妙におとなびた口ききに、エシムは開いた口を閉じた。 何を言えばいいか……言葉が浮かばない。こうして目にしながら、まだ頭では信じられないでいる。 ――くすっ。 「ああ……常識っていいですね。本当、すばらしい。あなたのような人を見るたびに、僕はそう思うんです」 常識。それが終の最大の武器だ。 この小学生にしか見えない子どもの容姿に「まさか」と思わせる。すっかり油断して、ぺらぺらしゃべる姿を見るのは愉快だった。そして今のエシムのように、彼の本性を知って愕然となっている者を見るのはさらに愉快だ。 「まさか、本当に、きみが――」 無理やり言葉を押し出していたエシムだったが、もう1人この部屋にいることに気付いて、ぎくりとなった。 終が出てきたカーテンの横で、しゃがみ込んでいる少女。背中を丸めて、ぽりぽりと何かをかみ砕いている。手には半透明な小石のような物がいくつも入ったビニール袋を持っていて、ときおり中の半透明の小石を取り出しては口の中に放り込んでいた。 「うん?」 視線を追った先、彼が見ているのが銀 静(しろがね・しずか)と知って、終は手を振った。 「ああ、気にしないでください。あれは僕の連れですが、人形のようなものです。何も、あなたに危害を加えたりはしませんよ。 それより、あなたのお名前をきかせてくれませんか?」 「……エシム……アーンセト……」 「エシムさん。あらためて、よろしく。 それで……ねぇ? エシムさん。僕、ここにいる間にちょっといろいろ聞きかじったんですけど、あなたご両親を亡くされているそうで。それで騎士役を継承された。義理のお母さんや妹さんのお世話まであって……まだお若いのに、大変なご苦労をされているんですねぇ。その上、血のつながったごきょうだいはお姉さんだけとか。しかもそのお姉さんは、魔神の世話係りとしてあの迎賓館にいらっしゃる。魔神の世話係りといえば魔神の一番そばにいるということですから……こうなった今、さぞご心配でしょう」 「――何を言いたい」 「べつに何も。言葉通りですよ。いやだなぁ、そんなに警戒なさらないでください。ホラ、僕を見て。何も武器は持ってないでしょう? ただ話をしたいだけなんです、あなたと」 両手を広げ、くるっと回って見せる。その手で今度はオルゴールを持ち上げ、おもむろに底のネジを巻いた。 「ほかのだれでもない、あなたと話をしたいだけ。どうやらあなたには、そういう人がいないようだから」 ことり。巻き終わったオルゴールをテーブルに戻し、蓋を開ける。 ゆったりとした美しいセレナーデが流れ出た。 「ね、僕は不思議なんです。教えていただけませんか? あなたはなぜここにいるんです? お姉さんが心配ではないんですか?」 「それは……だって……っ!」 「それが騎士の務めですか? 命じられたから? この世にただ1人の姉の身を心配するあなたの気持ちも汲んでくれないとは、一体どういう人なのでしょうね? そんな冷酷な命令が出せるなんて。よっぽどあなたのことを嫌って……憎んでいるのかも。 ねえ、考えましたか? エシムさん。もしかしたら今この瞬間にもお姉さんが傷つき、倒れ……もしかして、死んでしまっているかもしれない、って?」 「そんなはず、あるものか! あそこにはバァル様や騎士たち、それにコントラクターだって大勢いるんだ!!」 エシムは必死に反ばくする。その必死さが、反対に彼の疑惑の念を証明していることにも気付かずに。 当然終は気付いている。オルゴールを持ち上げ、ためつすがめつ見ているフリをして、静を見た。静は相変わらず無表情で氷砂糖をかじっている。静の殺気看破に引っかかる者はこの周辺にはいないようだ。 とはいえ、あまり長引かせるのも得策ではないだろう。いつアーンセト家の騎士たちが駆けつけるとも限らない。 「でも相手は魔神ですよ? 人間に何ができるんです。それに、彼らだって一番かわいいのは自分の身。血を分けたあなたのように、お姉さんを大切に思う人は1人もいません。それこそ、命をかけて守ろうなんて、ね? 知ってますか? 魔神は殺した相手から魂を奪って、操り人形にできるんですよ。何でも自分の言うことをきく奴隷にするのが好きなんです。どんなに相手が嫌がって泣き叫ぼうがおかまいなし。それって……人によっては死ぬよりもつらい目って、言えますよね? 他人に好き勝手に動かされるんですから」 「……そんな……アナトが……そんなはず……」 「あなたがいたら、きっとそんなことは起きなかったでしょう。あなたは絶対に命をかけてお姉さんを守ったでしょうから。そう、お姉さんを救うことができたのはあなただけでした。 なのに、それを邪魔した者がいる。唯一お姉さんを救える者だったあなたを遠ざけ、お姉さんが魔神の慰み者になるよう画策した」 「……セテカ……」 何もかも、あいつが……! 「そして、その人に同調した者たちもいたでしょう。あなたはもう大人で、こんなに立派な騎士なのに。 今回のことだって、あなたなら防げたのに。そんなあなたを認めない周囲の人間の無能さが憎らしいですよね? そしてそれに抗えない自分の無力さが悔しいですよね? それを否定し、彼らに証明してやりたくはありませんか?」 あなたの望みを成すための力を欲するならば、これで僕達を呼ぶと良い。本当にその覚悟があるなら、その為の力を与えましょう―― 「……様? ……シム……エシム様?」 ハッと意識を取り戻し、エシムは目をしばたいた。 「一体どうしたんです? こんな所でぼうっとされて」 騎士の1人が不思議そうに彼を見ている。 「あ……いや……」 夢を見ていたのか? エシムはテーブルの方を見た。そこにいたはずの少年の姿を求めて。 だが、いるはずもなかった。カーテンのそばでうずくまっていた女性もまた。 頭がずきりと痛んだ。ぎゅうぎゅうに詰まっているようなのに、からっぽのようにも思える。こめかみに手をあてようとして、自分が何かを持っていることに気付いた。 「エシム様、それは何ですか? なんだか……奇妙なお面ですね。そんなの、この部屋にありましたっけ?」 奇妙な、というのは控え目な表現だった。苦悶の表情を浮かべた、見るからにおぞましい面。呪いの面と言われても通りそうなほど、ゆがんだ表情をしている。 「なんだか不吉です。捨ててきましょう」 「いや!」 面を掴んだ騎士の手を、エシムは反射的に振り払っていた。 「いや……僕が、捨てるよ」 「……そうですか」 騎士は不思議そうな表情を浮かべたものの、主人であるエシムに逆らおうとはしない。 「さあ行きましょう。この部屋にはだれも隠れていないようです」 「ああ……」 促されるまま部屋を出るエシム。 扉が閉じると同時にコトッとオルゴールが傾き、とぎれとぎれにセレナーデが流れた……。 |
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