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【黒史病】記憶螺旋の巫女たち

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【黒史病】記憶螺旋の巫女たち

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第2章 忘れたい記憶、忘れ得ぬ記憶。そのどちらも、等しく魂に刻まれている


 携帯は、朝からうんともすんとも言わなかった。メールが来ない、ということは進展がない──もしくは、知らせることのできない状況にあるということだ。
「これで、この作戦の必然性が高まりましたわね?」
「そのようです」
 白鳥 麗(しらとり・れい)の嬉しそうな顔に、パートナーである英霊にして白鳥家の執事サー アグラヴェイン(さー・あぐらべいん)はしぶしぶ頷いた。
「あら、アナスタシアさま、つまるところわたくしたち百合園の生徒会長をお助けすることに、何か問題でもありますかしら?」
「問題はありませんが……この私が邪悪な魔術師役だなどと……。かつてはキング・アーサーの剣の元に集った、誉れ高き円卓の騎士の一員であるこの私が……」
 三十過ぎの男性が情けない顔をしているのにも気を留めず、麗は楽しそうに彼に告げた。
「それでは、いいですわね? これからはアグラヴェインの陰気な顔を活かして、設定は──邪悪な魔術師アグラヴェインとその部下の美女闘士レイですわよ」
 百合園女学院の新入生・麗が考え付いた手段とは、「登場人物になりきって魔族の陣営に入り込み、彼らから情報を貰う」というものだった。
「ならばこのアグラヴェイン、死地へ赴く思いで卑劣な魔術師の汚名をかぶりましょう……」
「いやね、ただのごっこ遊……こほん、大義ある作戦。そんなに深刻になることありませんわよ。さ、早く情報を得て、ユーフォルビアを屈服させて魔王様の軍門に……じゃない、お助けして女学院に連れ戻しますわ!」
「ええ、私はアナスタシア様の情報を収集し、居場所の特定がつきましたら即座にお伝えいたします。一刻も早くお救けして、この不名誉なごっこ遊びを終わりにさせましょう、お嬢様」
 目つきの悪さや、いつも寄っている眉間の皺といった外見からもたらされる雰囲気だけでなく、本当に陰鬱になってきたアグラヴェインとは対照的に、麗は青い瞳を輝かせて、早速魔王の部下にコンタクトを取るべく、街をうろついた。
(わたくしは美女闘士レイ──ああ、何だか新鮮ですわ。どこにでもある商店街も、まるで異国に見えますわね)
 実はパラミタの麗の私室には例のライトノベルが揃っており──本人は一般教養だとアグラヴェインに言い張っていたが──何度も読み返している、作品のファンである。
 これもまさにごっこ遊びの延長であって、ユーフォルビアを探し求めて歩くぺらぺら服の魔術師に話しかけると、すんなりと、薄暗い魔族の陣営──カラオケボックスの個室──に入り込むことができた。
 そこには十人ほどの自称魔族が集っており、各々、乙女の新鮮な血液(トマトジュース)や魔法薬(メロンソーダ)、野獣の肉(唐揚げ)を楽しんでいた。
「ここに居るのは、復活前の魔王様をお守りするための親衛隊だ。他は巫女王やユーフォルビアの探索に出払っている」
 彼らが“魔王”と呼んでいるのは、ソファに目を閉じて横たわる一人の少年だった。
「そのユーフォルビアとやらですけど、何故追っていますの? ただの魔術師如き……」
「ユーフォルビアの死亡及び転生時に何かが起こったらしい。彼女が前世で持ち出した王国の秘宝は、今彼女の元にあるのだ。この秘宝が巫女王復活のカギを握るとされる。そして秘宝を使うには、彼女自身がかけた魔術結界を解く必要があるのだ
 それで両陣営が彼女を追っているのだ、と魔族(自称)は真剣に説明した。
「まぁ、それはぜひとも必要ですわね。発見の報告が入り次第、私もすぐ捕獲に向かいますわ。いいですわね、アグラヴェイン様!」
「……なんだか大変ノリノリに見えますが、まさか当初の目的を見失ってはおられませんよね……?」
「勿論ですわ。それより今は敬語はおやめなさい。 ──ほーほっほっほ、待っておいでなさいユーフォルビア!」
 アグラヴェインは大変ノリノリのお嬢様の様子に、ため息を吐いた。ここに着いてすぐ自称魔族に着せられた、暗幕製のローブ。脱げるのは何時になるだろうか。
 ──まもなく、魔族の陣営に、ユーフォルビア発見の報が届いた。黒ずくめの少女と一緒に、商店街を駅へ向かって歩いているらしい。そして同時に、巫女王国側の戦士たちが彼女を追っている姿も確認されたという。


「ロングのツインテール。──聞いた姿かたちでピンときたわ」
 商店街を駆け抜けるユーフォルビアと黒ずくめの少女を追っていた、巫女王国の戦士──彼女たちの目の前に、突如その敵たちは現れ、立ち塞がった。
「覚えてる? 覚えてないかしら?」
「──知ってるの、葵?」
 警戒をして構える三人の王国の戦士の中で、葵と呼ばれ、敵に名指しされたツインテールの少女は、仲間の質問に曖昧に首を振った。
 三人の“敵”は、一見してこの辺りに通う、見知らぬ女子高生に見える。だが、そのうち一人の長い黒髪が空を流れる様を、振り返る仕草を、確かに知っていると、そう思えた。
(まだ記憶が確かじゃないからかな。何でだろう、こんな大事な時に。巫女様と、あたしが騎士だったことくらいしか思い出せないなんて)
 そんな葵の様子に、敵は自身の体を残念そうに眺めた。
「そうね、かつて私の誇った背中の羽も艶やかな黒い自前の甲冑も、もはや過去のもの。皮膚も薄っぺらい肉じゃない。まあ、随分と弱弱しい体に成り果てたものね。
 でも、あなたが忘れても私は覚えているわ。巫女王の親衛騎士、星槍シューテイングスターの主・葵秋月 葵(あきづき・あおい))!」
「まさか、お前は……彼女を殺した……!」
 星槍を構えた葵の横で、青年が彼女を、長い黒髪の少女をにらみつけた。
 彼女はそれを嗤って受けた。
「そう、思い出したの? あら、あなたも見覚えがあるわ。前世でも現世でもけなげなこと。愛が続くなら憎しみが続くのもまた当然ってわけよね?
 ──私は誇り高き昆虫類の魔族・セントリアンの族長の長子
 部族を率い、蒼角殿へ──巫女王を討たんと1000の軍勢と攻め込んだ黒鎧騎士の団長・イヴェット蜂須賀 イヴェット(はちすか・いう゛ぇっと))!」
「だが、お前の一撃から巫女王を庇い、彼女は無念の死を迎えた……!」
「そんなもの! あなたたちに、私は誇りにしていた触角を折られた。騎士団長ともあろう者が同族の中でどれだけ惨めな思いをしたか、あなたにはわからないわ! 葵、あなただけは同じ目に遭わせて、泣いて殺してくれと私に縋り付くまで苦しめてから殺してあげるわ!」
「させるもんか!」
 葵が怯んだように見えた。だから、小柄な葵の前に、青年が飛び出した。
「覚えておけ、僕の名“蒼風の魔術師”マラクマラク・アズラク(まらく・あずらく))をこの風と共に!」
「<蠢く終焉(サイレントエンド)>!! 仲良くかみ殺されるがいいわ!」
 イヴェットの肌が波打ちざわめいたかと思うと、黒く夥しいソレが湧き上がった。海雲のようにも思えるそれは、風のざわめきのような羽音をたてた。彼女の体内で飼っている無数の蟲が葵とマラクに襲い掛かる。
 マラクは、葵を振り返らずに言った。
「葵、君はまだ僕のことは、ただの宮廷魔術師だとしか思い出していないかもしれないね。でも君は僕を救ってくれた。今度は必ず僕が守る」
 彼は、王国の宮廷魔術師の一人だった。けれどそれ以前、彼は一人ぼっちだった。
 遥か昔に滅んだとされる、風神の加護を受けた“砂漠の民”の生き残り、それがマラクだった。
 外の世界を知らず、ただ廃墟で一人滅びを待つだけの彼に手を差し伸べ、人と共に生きること・力を人のために使う術を教えてくれた、それがたまたま任務で砂漠を訪れた葵だった。
「<裁きの神風(アーセファ・イラー)>!!」
 マラクの青い瞳が、黄砂色に染まる。砂漠の民の魔眼が、彼の体中の魔力を荒れ狂う風に変えた。風と蟲の群れが激突し、互いに突き破った。
 威力を削がれてなおイヴェットを飲み込む竜巻と、仲間を失い羽を千切られながらも、数の力で生き残る蟲。
 それは互いを呑み込みあい──、両者が冷たいアスファルトに倒れ込む。
 相打ちだった。

 葵はマラクに駆け寄ろうとした。だがそれは叶わなかった。何故なら、こちらは三人で、あちらも三人で。まだ二人、残っていたから。
「情けないわねぇ、あれだけ憎いと言っておきながら……」
 残る魔族の一人、白いロングウェーブ(ウィッグ)の髪の魔族が、笑った(いや、もちろん、彼女はそう思い込んでいるだけで、百合園生の一人だったのだが)。
「……やっぱり私は、憎むより憎まれる方が楽しいわ。だって、わざわざ私の前まで来て、“踊って”くれるんだもの」
 赤い血のような瞳(カラーコンタクト)で、葵を見る。
「ふふっ、思い出したわ……全てを。この世界がいかに下らぬ安穏の上に成り立っているか、そして私が求める真の享楽を!
 血と苦悩は私の喜び……絶望に呑まれながらなお足掻くと言うのなら……さあ、愚かな巫女王とノルンの堕とし仔らよ!  麗しき殺戮の宴を始めましょう」
「あなたは……誰なの?」
「ああ、ご紹介が遅れたわね。私は“虚影の使徒”ネクロフィアイリス・クェイン(いりす・くぇいん))。こっちは……」
「私は……百合園女学院の生徒。かつてはアルメリアアルメリア・アーミテージ(あるめりあ・あーみてーじ))という名だったわ……」
 ネクロフィアの横にいた青い髪を三つ編みにしていた少女が、息を吐き出すように自己紹介した。
「ふふふ、この子も『憎む方』なのよ。私の玩具じゃないんだけどね?」
 じゃあ誰の玩具なのか、と、言外に含ませたそれに、アルメリアの顔が急に苦痛に歪む。
「や……やめて! ワタシは本当はこんなことしたくないの!」
 その姿と表情に、葵はあることに思い当った。
「待ちなさい、もしかして彼女……」
「ご想像の通りよ。アルメリアは、元々あなたがた王国の住人。魔族に浚われ、今では半人半魔。それもご主人様に逆らえないように、素敵な刺の冠を埋め込まれてね」
「なんてことを!」
 葵は、星槍シューティングスター(竹刀。剣道部員だった)を構え直し、そして、星槍の先を突き出した。
 星槍は冷たく言い放たれた言葉すら引き裂いて──ただ、手ごたえはなかった。ネクロフィアの姿は引き裂かれ、散り散りになり、「消えてしまった」のだ。
「無駄よ。これは虚像」
 一瞬後、消えたと思った彼女の体が、すうっと影から伸びあがって再生する。
(──ううん、無駄じゃない!)
 葵は一瞬失望しかけたが、ネクロフィアの指先からは、血がこぼれているのを見つけていた。僅かにだがダメージは与えている。決断は、彼女に秘技を使わせた。
「舞い踊れ!!<華刃乱舞>」
 星槍の軌跡は、まるで花弁が蕾から花開くようだった。始めは銀であった花は、血の赤、冬の息吹の白へと染まる。
 花開いたネクロフィアの反応も確かめずに、葵は激痛の走る体を捻じって、すぐさまアルメリアの方へと向いた。
「<華刃乱舞>っ!」
 二度目。アルメリアの悲鳴が空にあがった。
 アルメリアの、顔を庇った両腕と両脚は花に切り裂かれ、その傷口には氷が張りついていた。氷は皮膚を伝いながら体の表面を覆っていく。
<華刃乱舞>、刃に触れた者は傷口より凍結し最後には氷柱となり仮死状態となる葵の必殺技だった。
 ただ、代償もあった。前世、魔王から受けた、死の一撃には呪いがかかっていた。彼女はこの必殺技を撃つたびに激痛が走り、身体を蝕まれるのだ。
 立ち上る白い冷気の向こうに、蹲る二人の体を見つつ、葵は疲労と痛みに、地面に突いた星槍に体をもたれさせかけた。
(くっ……この身体では、あと一回が限度か……)
 戦いの最期まで自分は巫女王を守り抜けるのだろうか。そんな不安が胸に去来する。そして、
「……変だよ」
 葵の後ろで戦いを眺めていた、機械人形の少女・美菜(本名は黒崎美菜(くろさき みな)、百合園中等部に通う生徒で、一時期百合園にいた松本 恵(まつもと・めぐむ)のネット友達でもある))が声をあげた。
「冷気が収まらない。あれは蒸気、僕と同じ炎の使い手だ!」
 台詞が終わるか終らないかのうちに、蒸気を破って突進してきたのは、アルメリアだった。
 先程の苦痛に満ちた表情は消え、感情すらも消えていた。彼女の傷口を焼き切った炎を纏った拳を、美菜に叩きつける。
 美菜は一瞬、息が止まった。重い衝撃だけでなく、炎が肉を焼く。間髪入れず、素早く首に、脚に叩き込まれる。脚から生えた茨の刺は、今度は肉を切り裂いた。
 しかも衝撃は一撃一撃、徐々に重くなる。
「くっそ、なんだよこの力は!?」
 アルメリアは、葵と同じように、力を振るうほど魔族の力に侵食されるよう、改造されていたのだ。だが方向性は逆で、行きつく果ては理性の欠如した、完全なる魔族。
「畜生、どっちの炎が強いか試してやる──<収束の炎(フィナ・デルナ・コンベルジナ)>!!
 無表情のアルメリアに恐怖を覚えながら、美菜は指先から、巨大な炎の円を召喚した。周囲を焼き尽くす炎の魔術だ。
 だが、アルメリアは俊敏に退いた。美菜も葵も忘れていた。
 ──血。ネクロフィアから滴り、彼女たちを囲むようにアスファルトに染みた血の一点一点から、黒々とした爪が伸びあがっていたのに気付かなかった。
 まるで悪魔の咢のようなそれが、彼女と、激痛に耐える葵の二人を包み込み、鋭い先端で切り裂いた。
「もう一度、<華刃乱──」
 聖騎士の鎧(剣道の防具・なお息苦しくて格好悪くなるので、面は付けてない)がぱきん、と音を立て、砕け散った。
「冥夜朱紅<クリムゾンオブシェイド>。永遠の紅い夜へようこそ」
 陶酔するように二人の亡骸を見つめるネクロフィア。同族からすら、その残虐性から危険視をされた魔族──。

「──さあ、行きましょうか」
 死体を思う存分眺めたネクロフィアがアルメリアに声をかけた時、だが彼女は背後から茨にくるまれていた。
「何を……しているの!? やめなさい!」
 異形の茨で覆われたアルメリアは、ネクロフィアを茨ごと抱きしめ、炎を茨に点した。
「これは、<サターンフレイム>」
 美菜と同じく、全てを焼き尽くす炎。ただ巫女王の信徒である彼女とは違う、憎しみを糧とする禍々しい炎。
 彼女は美菜を見下ろしながら、考えていた。
 同じく王国に生まれながら、同じ炎を使いながら、どうしてこうも違ってしまったのだろう。
 私を改造した黒薔薇姫は、私を捨てるだろうか。愛おしがるだろうか。そのまま死なせてくれるだろうか。それとも……切り刻まれ、でたらめなオブジェとして生かされるだろうか。
(静まりなさい、ワタシの中の魔族の力。そしてワタシを焼き尽くして。この魂が消えぬうちなら、彼女たちと同じところに行けるから……)
 アルメリアの心臓を飾る茨の冠は既に枯れ果てて、皮肉なことによく燃えた。