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【一 デラスドーレ、或いは他の地にて】

 肌をじりじりと焼く強烈な陽射しが、容赦無く降り注ぐシャンバラ大荒野。
 そのシャンバラ大荒野の西の端、ツァンダ領との領境を南北に伸びて形成するバグラック砂丘に、旧キマク管掌モルガディノ書庫だった遺跡がある。
 ひと口にモルガディノ遺跡といえば、単純にこの石造りの建造物群を指しており、同時にモルガディノ書庫の代名詞としても機能していた。
 そして肝心の書庫部分は、今となってはその大半が地下に埋まってしまっているのだが、この埋没が逆に幸いし、多くの古代文献が良好な保存状態のまま未だ手付かずで大量に残されているのも事実であった。
 このモルガディノ遺跡に、リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)ソルファイン・アンフィニス(そるふぁいん・あんふぃにす)の姿があった。
 地上とは打って変わって、背筋が凍える程にひんやりと冷たい空気が漂う地下書庫部は、流入する大量の砂に書架が押し流されるなどして、そこかしこが荒れ放題に荒れていた。
 それでもこの地下書庫が、古代の知識の宝庫であることには間違いは無い。
 今回、リカインとソルファインこのモルガディノ書庫を訪れた理由は他でも無く、古代シャンバラ王国期に竣工したヴァダンチェラ要塞と、その内部で秘密裏に建造された違法な生体実験施設スイートルームに関する情報が残されていないかを調べる為である。
 ほとんど夜明けと同時に、ふたりはこのモルガディノ書庫を訪れており、調査開始から既に半日以上が経過している。
 リカインはどちらかといえば、細かい古代文字がびっしりと書き連なるページを丹念に読み進めるという地味な作業は、得意な方ではない。
 だがそれでも彼女がいつもの短気を胸の奥に押し静め、必死の形相で何十冊もの古代文献を読み漁っていたのは、ラムラダ・フェンザードを始めとして、多くの仲間達が危難に挑もうとしている以上は、必ずや何らかの結果を出さなければならぬとの思いを強く抱いているからであった。
 まさに、気迫である。
 そんなリカインの鬼気迫る沈黙に圧倒されたのか、ソルファインは幾分気圧された様子を見せながらも、リカインの隣で静かに項を繰る作業を続けている。
 このソルファインは、他者を傷つける行為を人一倍嫌う性格である為、スイートルームのような拷問施設に関する情報を探り出すというのは、それだけである種の精神的苦痛を強いられるものであった。
 しかし今回に限っていえば、ソルファインはリカインに強要されて調査活動に参加したのではなく、自身でも納得の上で、このモルガディノ書庫に挑んでいた。
 単純に目を背けるのは簡単だが、今この瞬間にも、スイートルーム内で凄惨な運命を辿ろうとしている者が居るかも知れない。そのような地獄に置かれているひとびとを、その存在を知りながら見て見ぬ振りは出来ぬ――そんな思いがあったからこそ、ソルファインは自身の忌み嫌う分野であるにも関わらず、リカインに協力して文献調査に当たろうと決意したのである。
 そして、いささか冷たく乾燥した、かび臭い空気が充満する地下書庫で半日が経過した訳だが、皮肉にも、この手の情報を苦手とするソルファインの方が、リカインよりも多くの発見を達成していた。
 朝食を終えてから、もう何時間と経過している。流石にここまでくると、消耗の色が隠せない。
 リカインは手にしていた古代文献の項を繰る手を止め、ひとつ大きな伸びをしてから、自身の肩を軽く揉みつつソルファインに疲れた笑みを向けた。
「少し、根を詰め過ぎたわね。ちょっと休憩しよっか」
「あ……そうですね、リカイン様……じゃなくて、リカさん」
 未だにこの呼び方には慣れていないのか、ソルファインはしまったという顔つきを見せてから、慌てていい直した。これに対しリカインはただ苦笑するばかりで、何もいわない。
「それにしても、ヴァダンチェラ要塞というのは、当時は相当に有名だったんですね。単純に一般公開されていたと思しき資料だけでも、20冊を越えていますよ」
「その割りには、スイートルーム関連の情報はやっと一冊、よね。それもヴァダンチェラ竣工の数百年後に、当時の賢者や魔導学者とかいった連中がヴァダンチェラを再調査して、そこで偶然発見して、びっくりしながら記録に書き残した、っていう内容だもんね」
 リカインが呆れたように首を振りながらいう様子が可笑しかったのか、ソルファインは小さな苦笑を湛えて、軽い相槌を打つに留めた。
 そんなソルファインの苦笑には気付いていない様子で、リカインは腕を組んだままの渋面を尚も続け、小首を傾げたまま脇に置いた携帯電話に視線を落とした。
「そういやぁ、ヴィー達、上手くやってるのかしら?」
 実は、ヴァダンチェラに関する文献を外部で調査しているのは、リカインとソルファインだけではなかったのである。

 アストライト・グロリアフル(あすとらいと・ぐろりあふる)ヴィゼント・ショートホーン(びぜんと・しょーとほーん)のふたりは、クロカス家の別邸のひとつであるケルンツェル屋敷に、クロカス家令嬢レティーシア・クロカス(れてぃーしあ・くろかす)を訪ねていた。
 昨年後半、ある罪による咎によって取り潰しとなった旧バスケス家の最後の当主ヴィーゴ・バスケスの残した資料の中に、関連する情報が隠されていないかを調べよう、というのがアストライトとヴィゼントの趣旨であった。
 レティーシアはふたりを快く出迎え、クロカス家が管理するヴィーゴ作成の大量の資料を惜しげもなく公開してくれた為、こちらも朝一から査読作業に取り掛かっていた。
 この資料調査中、ヴィゼントのテクノコンピューターには何度もリカインからの中間結果報告が届いており、その都度、彼は自分達が調べ上げた調査結果と一緒に、ラムラダ側へと転送をし続けている。
 しかもリカインの場合、電話での通話を介して、口頭で調査結果を矢継ぎ早に述べるものだから、ヴィゼントは毎回その内容を自身の手で纏め上げるというタイピング作業が発生しており、これはこれで、中々に重労働であったといって良い。
 だが、そういった手間を惜しまぬ努力が功を奏したのか、ラムラダ側ではヴァダンチェラとスイートルーム攻略に必要な遺跡の構造理解が急速に進んでいるらしく、ヴィゼントの頑張りも、どうやら骨折り損には終わらない雰囲気へ向かっているようであった。
「けどよぅ……やっぱ色々、怪しいよなぁ。奴らが関与してる可能性はまぁ、まだそこまでの証拠は何ひとつ押さえてねぇから何もいえねぇけど、人工解魔房は、どう考えてもあれだよなぁ」
 ケルンツェル屋敷内の客間で、そびえるようにして積み上げられた資料の山に囲まれながら、アストライトがふと手を止めてヴィゼントの強面を覗き込んできた。
 ヴィゼントも、アストライトが何をいわんとしているのかを即座に察したらしく、ふむ、と小さく頷きつつ、サングラスの奥に控える鋭い眼光を僅かに煌かせた。
「わざわざスイートルームの奥に設置された、或いは保管された……そのいずれにしても、人工解魔房自体がスイートルームの存在意義と何らかの関与を持っている……そう考えるのが、自然でしょうな」
 ヴィゼントは敢えて口にはしなかったが、彼は人工解魔房それ自体が、スイートルーム建造計画の一環として同時に造られたものではないか、という疑いを少なからず持っている。
 即ち、人工解魔房の機能が『肉体から魔術的な異物を除去する』というものである一方、スイートルームの各拷問施設は、生物が本来持っている生命活動の為の部位を除去する、という機能が主となっている。
 人工解魔房もスイートルームも、生物から何かを除去する、という観点では、その主たる機能は見事に一致するのである。
 考えれば考える程、嫌な想像がどんどん湧いてきてしまう。
 ヴィゼントは頭を軽く振り、脳裏に浮かび上がりつつあった変な想像を打ち消した。傍らのアストライトが怪訝な様子で眉を顰めているのだが、それすらヴィゼントは気付いていない。
 と、そこへレティーシアが客間の開け放たれた扉を軽くノックしてきた。見ると、茶菓子とティーポットをトレイに載せて運んできた侍女を従えている。
「随分、頑張っていらっしゃいますね。でもあまり没頭し過ぎると、疲れてしまいますわよ。この辺で少し、お茶でも如何?」
「これは、まことに恐縮です」
 クロカス家の令嬢から直接にもてなしを受けようなどとは露とも思っていなかっただけに、ヴィゼントは酷く慌てた様子で居住まいを正していた。
 しかしその一方でアストライトは遠慮の欠片も見せず、侍女がテーブルに並べた茶菓子の皿に、早速手を伸ばしている。ヴィゼントは一瞬、軽い頭痛を覚えた。
「ところでラムラダ様達の状況は、今どのようになっているのでしょうか?」
「あぁ、それなんらがれ」
 アストライトが口の中一杯に茶菓子を詰め込んで応えようとしたが、茶菓子をもぐもぐしながら話しているので、何をいっているのかよく分からない。
 仕方なく、ヴィゼントがこめかみに小さな青筋を浮かべながらも代わって応対した。
「もう間も無く、ヴァダンチェラ要塞遺跡に突入を開始する、との連絡がございました。どうやらスイートルーム突破部隊と、行方不明の調査隊を捜索する部隊の2チーム編成となるようです」
「矢張り……ご自身で直接、突入なさるのでしょうね」
 レティーシアの幾分憂いを秘めた伏目がちの表情に、ヴィゼントは渋い表情で頷き返す以外に無い。
 コントラクターではない、ただのシャンバラ人に過ぎないラムラダが、コントラクターでさえ突破可能かどうか分からない危難に挑もうというのである。
 心配するな、という方が土台無理な話であった。

 ヴィゼントがレティーシアに語ったように、ラムラダ側では既に部隊編成を終え、後はもう地下の要塞遺跡に突入するだけだという段に達していた。
 ジャンバラ大荒野とヴァイシャリーの領境に位置する宿場と交易の街デラスドーレは、その日ばかりはいつもの雑然とした賑わいが幾分影を潜め、街全体がどこか、息を呑むような緊張感に包み込まれていた。
 デラスドーレを統轄する行政長官フォーチャフ・ストーンウェル男爵が、ラムラダ達のヴァダンチェラ突入を大々的に告知していたからである。
 態々ストーンウェル長官がこのような通達措置を取った理由は極めて単純で、ヴァダンチェラ内で非常事態が生じた際には、すぐさま街全体で対応に取りかかれるようスタンバイしておく必要があったからである。
 迅速な対応を実現する為には、平常のような雑然とした賑わいは、完全に邪魔であった。
 全ての街区では路上から一切の障害物が排除され、増援部隊が即時編成されて突入可能となるよう、各広場に臨時の指揮所が設けられている。
 伝令の速やかなる移動を妨げない為に、一般市民や旅行客などの主要街路の通行は禁止され、裏路地ですら、道幅の広い箇所はなるべく空けておくようにとの通達が出回っている。
 いわば、今日のデラスドーレは一種の厳戒態勢が敷かれている状態にあるのだが、しかし住民達も旅行者達も一切の不平を漏らさず、見事な程の迅速さで通達に従い、大半が屋内にて身を控えるという反応の良さを見せていた。
 平時であれば、デラスドーレの中でも最も大勢のひとで賑わっている中央広場も、この日に限っていえば、整然と配置を取る守衛隊ばかりが目に付き、道行く一般人は全くといって良い程に姿を見せていない。
 その様を、ロア・ドゥーエ(ろあ・どぅーえ)は酷く感心した面持ちで眺め回していた。
「うへぇ。こりゃ大したもんだ。告知一発で、これだけ見事に街ひとつがごろっと雰囲気変えちまうなんてよ。ちょっとやそっとの統率力じゃ出来ねぇ芸当だよな」
「……つまり、ストーンウェル長官という人物に対する畏怖の念を、街の全てのひとびとが抱いている、ということだな」
 レヴィシュタール・グランマイア(れびしゅたーる・ぐらんまいあ)もロア程ではないにせよ、矢張り感心した様子を隠そうとはしない。悠久の時を生き抜いてきたレヴィシュタールをしてこのようにいわしめるということは、ストーンウェル長官の力量は並々ならぬものがある、と考えて良さそうであった。
「しかし……人工解魔房か。期待通りの機能を備えててくれたら、いうこと無しなんだけどな」
 噴水脇のベンチで、グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)がいつに無く神妙な面持ちで、宙空に視線を漂わせながら、誰に語りかけるとも無く、ひとり小さく呟いた。
 が、そのすぐ隣に腰掛けていたエルデネスト・ヴァッサゴー(えるでねすと・う゛ぁっさごー)が、普段以上に執着的な色を瞳の奥に輝かせて、グラキエスの横顔をじっと覗き込んできた。
「不安そうですね、グラキエス様……大丈夫、ご安心下さい。貴方の身に何が起きようとも、私は決して、貴方を手放したりはしませんから……」
 どこか恍惚感すら漂わせるエルデネストの妖しげな視線に、グラキエスはどう反応して良いのか分からず、ただ曖昧に頷き返すしか無い。
 エルデネストがこれ程にグラキエスへの執着心をあらわにすることは、これまでほとんど無かったといって良い。それが今回、人口解魔房の存在を知るや、今まで抑圧していたものを一気に解放したが如く、グラキエスから片時も離れまいとする意識を露骨に見せ始めていたのである。
 こうなってくると、ゴルガイス・アラバンディット(ごるがいす・あらばんでぃっと)などはエルデネストに対する警戒心を従来以上に強める他は無く、精神的に張り詰めた時間帯がほぼ一日中続いてしまっており、一瞬たりとも気が抜けない状況に陥ってしまっていた。
「全く、人工解魔房の話が出てきた途端、これだ。露骨に意思表示をするにも、程があろうものに……」
 幾分遠目に眺める位置でエルデネストの妖艶な笑みを凝視していたゴルガイスだが、それもそう長くは続かなかった。脇から、ロア・キープセイク(ろあ・きーぷせいく)が袖を引くようにして声をかけてきたのである。
「アラバンディット、どうしたのですか? 随分、ぼーっとして……それより、どうやら召集がかかったようです。エンドとドゥーエ達を連れて、待機位置に向かいましょう」
「ん? あ、あぁ、そうか。済まんな、キース」
 キースとは、魔道書であるロアの愛称であった。流石に赤毛のロアとの区別をつけるのに、以前のままではややこしいということになったのであろう。
 勿論、本人もすんなり受け入れたからこそ、誰もが共通してキース、と呼ぶようになったのだが。
「さぁ〜て、一丁気合入れて、頑張りますかぁ!」
「ははは……ロアは相変わらず、元気だな」
 苦笑に肩を揺すりながらベンチから立ち上がるグラキエスに、思わずロアが飛びつこうとしたのであるが、レヴィシュタールがロアの襟をむんずと掴み、力任せに引きずっていった。
 最早、彼らの間ではお馴染みの光景なのであろう。
 ゴルガイスとキースは、幾分呆れたように肩を竦めつつ、グラキエスの後に続いて待機位置であるヴァダンチェラ突入口脇の守衛隊本営詰め所へと足を向けた。