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リアクション
【十 おばちゃん一喝、少年の選択】
今回大勢のコントラクターがこうして集まってきたのは、大半がイーライを助けてやろうという考えからであったが、そのイーライに究極の選択ともいうべき現象が襲いかかろうとしていた。
イーライと、そして大勢のサポート要員たるコントラクター達が、古い街並みの商店街の中を押し進んでいた時、不意に路地のど真ん中に、女性と思しき人影が姿を現したのである。
「レックスフット、じゃないね……もしかして、新手のオブジェクティブ!?」
セルファが鋭く叫びながらイーライの前に飛び出すと、真人、北都、クナイ、モーベットといった面々も、瞬間的に反応してセルファの左右に壁を作る。
ところがその女性は、オブジェクティブ特有の奇怪な容貌は見せておらず、寧ろごく普通の、物腰の柔らかそうな淑女といったたたずまいを見せていた。
するとどういう訳か、イーライが驚愕の念を面に張り付け、よろよろと不安定な足取りで、セルファ達の間をすり抜けて前に出た。
直後、彼の発した言葉に、コントラクター達は仰天する。
「か……母様……」
北都が、即座に反応した。
「ちょっと待った……君のお母様はもう、亡くなられている筈だよね」
恐らくイーライとて、北都がいわんとしていることは、理性の中では分かっているのだろう。
しかし、ブランダルが語っていたように、イーライの母メリンダに対する想いは、余人の想像を遥かに越えて強烈な程に彼の思考そのものを麻痺させてしまうようである。
あの女性、即ちメリンダの姿をした人物が、本物のメリンダでないことは、この場の誰もが理解していたし、正体は恐らくオブジェクティブであろうことも分かっていた。
だがそれでも、イーライは己の感情を制御することが出来なくなってしまっていた。
「拙いですね……ここで、囲まれたら……」
真人のそのひと言は、数秒後には現実のものとなる。
路地裏からレックスフットの群れが、わらわらと這い出るようにして姿を現してきた。イーライと、メリンダの姿をしたオブジェクティブとの間に割って入れるだけの余裕が、果たしてあるのかどうか。
この危機的な様子を、マダム厚子は腕を組んだまま、小難しい顔つきでじっと見つめている。
いつものマシンガントークでイーライをどやしつけることも出来た筈だが、この時のマダム厚子は、敢えて口を出さずに黙っているように見えた。
「なぁマダム……ここは、どないしたらエエやろ?」
泰輔が、幾分困った様子で頭を掻きながら訊いた。
これに対しマダム厚子は、明確な意思を持ってはっきりと答える。
「あかんで、にぃちゃん。ここがあの子の正念場や。まだ口出しはあかん。ここぞって時に、一発かまさな」
マダム厚子は、コントラクターとしてはほとんど初心者に等しい能力しか持たないが、人生経験はこの場の誰よりも豊富であるといって良い。
泰輔もフランツもレイチェルも、マダム厚子の年齢の重みを感じさせる言葉に、小さく頷くしかなかった。
「では、彼の動きを見守ろう……だけど本当に危ないと思ったら……」
「そん時は、容赦無く突っ込むで。けど今は、まだや」
マダム厚子がフランツに応じると同時に、その周辺をエース、メシエ、エオリア達が三角陣形を整えて、レックスフットからの包囲戦に備える構えを見せた。
「ではマダム……雑魚共は、こちらで対処しておきましょう。マダムはイーライ君の為に、一肌脱いで頂ければ幸いです」
「せやなぁ。ここはしっかり頼むで、にぃちゃん」
マダム厚子も、素直に対レックスフット対策をエース達に一任することにした。泰輔達はイーライへの対応の際のサポートということで、それぞれが明確な役割を持つこととなる。
その間も、イーライはゆっくりと、メリンダの姿を見せる謎の人物へと歩み寄りつつあった。
真人や北都達はイーライの背後を守る陣形を組んでいるが、果たして、これだけの数のレックスフットを凌ぎ切れるかどうか。
「……ところで君達、オブジェクティブとの戦闘経験は?」
不意に北都に訊かれ、真人とセルファは一瞬顔を見合わせたが、直後には自信に満ちた笑顔を返した。
「それならご心配無く……ヴァダンチェラのフィクショナル・リバース内で、一体仕留めてますから」
成る程、と北都は頷いた。
既に一度、撃退経験があるというのなら、戦力としては申し分が無いといって良い。
だが流石に、これだけの数のレックスフットからイーライを守り切るには、少し戦力が足りない。
そこで、それまで遊撃的に走り回っていたザカコ、ヘル、カイ、サー・ベディヴィアの四人が、イーライの左右を固める為に引き返してきた。
この四人はいずれも、イーライのコントラクターとしての自立を強く願っていたのだが、しかし母親が相手となると、状況はまるで違ってくる。
ここはコントラクターとしてではなく、ひとりの少年として、イーライは立ち向かわなくてはならない。
となれば、レックスフットの集団はイーライの成長の為に必要な乗り越えるべき壁ではなく、単なる邪魔者と化す訳であり、邪魔者の排除は先輩コントラクターが担ってやらなければならない。
「イーライ……力の使い方は教えてやれるが、母親への想いは、俺ではどうにもならない。済まないが、お前自身で乗り越えてくれ」
カイがレックスフットに対峙しながら、イーライに背中を向けたままの恰好で低くいい放ったが、その声がイーライの耳に届いているかどうかは、分からない。
一方のザカコは、レックスフットをイーライに任せて、他のオブジェクティブ出現の際には自分達が対処するという当初の方針を覆さざるを得なくなった状況に、幾分渋い表情を見せていた。
「不本意といえば不本意ですが、こればっかりはイーライさんご本人の問題ですから……」
「ま、俺達は出来ることだけをやろうぜ」
ザカコとヘルは、素早く頭を切り替えた。変なもやもやを胸の内に抱いたままで戦いに臨むと、ろくなことが無いというのは、これまで幾つもの死地を乗り越えてきたふたりには、十分分かり切った鉄則であった。
そして、イーライは。
「母様……どうして、ここに?」
「……イーライ。そんなことよりあなた……ネックレスを取られたそうね?」
メリンダの姿をした敵は、イーライに辛辣なひと言で応じた。イーライは今にも泣き出しそうな顔で、うっとたじろいでしまった。
「イーライ、よくお聞きなさい……私のことを愛しているなら、詫びとして、周りに居る連中を始末しなさい。そうすればネックレスのことは、許してあげます」
この瞬間、イーライは不審げな表情を浮かべて、その場に佇んだ。
同時に、遠目にこの様子を眺めていたマダム厚子が、動き出す気配を見せる。
「マダム……ここですね」
「せや。口の出しどころや」
マダム厚子のこの応えに、泰輔やエース達が互いに頷き合う。
レックスフットからの襲撃を跳ね返しながら、一同はマダム厚子を中心として、一斉にイーライのもとへと移動していった。
いきなり割り込んできたマダム厚子達の姿に、イーライは見るからに戸惑っている様子だった。が、マダム厚子はそんなイーライの反応などまるで目にもくれず、いうべき台詞を口に乗せる。
「エエかイーちゃん。親ってのはな、自分のことはどうでもエエから、子供にだけは幸せに、健康に育って欲しいて願うもんなんやで。そんなネックレスひとつで訳の分からんことをいうのは、あんたの中のおかぁはんとは全然違う……そない思たんやろ? その感覚は、大事やで。目の前のおかぁはんと、あんたの中のおかぁはんはどっちが本物なんや?」
マダム厚子の指摘を受けて、イーライは全身が雷にでも打たれたかのような衝撃を覚えたらしく、愕然たる表情でその場に立ち尽くした。
矢張り、マダム厚子の人生経験は、この場に居る若者達を遥かに凌駕している。子を育てた経験の無いザカコやカイなどは、マダム厚子の言葉のひとつひとつの重さに、心の中で最敬礼を贈る心境であった。
それからややあって、イーライは意を決したような表情を浮かべ、目の前のメリンダを凝然と見つめながら、小さくいい放った。
「……ザカコさん、それにカイさん……目の前の母様は……敵です。どうか、お願いします!」
イーライのその言葉を受けて、それまでレックスフットへの対処に専念していたザカコとカイが、一気にメリンダの前へと躍り出た。
イーライ自身が覚悟を決めた以上、最早、手加減は無用であった。
「そういうことなら、僕もお手伝いさせて貰いまっせぇ!」
泰輔が、ザカコとカイの戦線に自ら加わる。この時何故か、泰輔はメリンダの姿をしたオブジェクティブへの対応に、妙な自信を持っていた。
「何か……口にするのは小っ恥ずかしいけど、良いものを見させて貰ったわ!」
セレンフィリティがセレアナと共に、メリンダの背後に廻った。
ザカコ、カイ、泰輔の正面組と息を合わせて、挟み撃ちを仕掛けようという寸法である。戦法としては、理に適っていた。
「イーライは母親との絆を……そしてマダム厚子は、パートナーとしての絆を堂々と示してくれたようね。ここで私達がきっちり示しをつけなきゃ、女がすたるってものだわ」
珍しく、セレアナが気合を前面に押し出して戦闘態勢に入っている。
イーライやマダム厚子の姿に、何か感じるところがあったのだろうか。
「私達の特訓が役に立った……って訳じゃなさそうですけど、イーライさんはイーライさんなりに成長した姿を見せてくれたってことですね」
「これはわしらも、負けてはおれんな」
佐那と氏康がより気合を込めて対レックスフット戦に臨もうとしたその時、不意に周囲の光景が一変した。
それまでの昭和の街並みがほとんど一瞬にして掻き消え、古びた石造建築の残骸が無造作に散らばる、遺跡発掘現場へと景色が変じたのである。
佐那は少し前に入った連絡の内容を、ふと思い出した。
その内容は、マーヴェラス・デベロップメント社のエージェントが、フィクショナル・リバース解除の為の装置を設置するというものであった。
フィクショナル・リバースが解除され、現実世界の物理結合へと空間が切り替わった為か、レックスフットの動きが目に見えて遅くなった。
これならば、佐那や氏康でも十分に対抗出来る。
「ここは一気に反撃といくであります!」
今の今まで、レックスフット単体相手に苦戦を強いられていた吹雪が、逆襲に出た。
機晶スナイパーライフルでの攻撃が面白い程に命中するようになり、それまでの鬱憤を晴らすかのように、次々とレックスフットの頭の皿を砕いてゆく。
射撃態勢を襲われる心配も無くは無かったが、そこは佐那と氏康がしっかりフォローしてくれていた。
尤も、河童以上に水棲生物っぽい外観のイングラハムが、この局面ではあまり役には立っていなかったのが、吹雪個人には若干悔やまれるところではあったが。
一方、メリンダの姿をしたオブジェクティブだが、ザカコとカイ、更にはセレンフィリティ達の猛攻を受けて能力が維持出来なくなったのか、遂にその姿を本来のものへと変じさせた。
その正体は、Tシャツとジーンズ、スニーカーを着用した、のっぺらぼうのパペット人形――フェイスプランダーであった。
セレンフィリティが、半ば呆れたように小さく吼える。
「やっぱり、こいつだったって訳ね!」
「メリンダさんとは、まるで似ても似つかぬ顔無し野郎だな」
カイも、その余りに貧相な外観に溜息を漏らしたくなるような心境ではあったが、今はとにかく、確実に打ち倒すことに専念しなければならない。
尤も、フェイスプランダー自身の戦闘力は、オブジェクティブとしては低い部類に入る。成りすましに大半のエネルギーを注ぎ込んでいるタイプであるから、当然といえば当然であったが。
「なんやぁ。皆エラい気合入れて頑張ってるなぁ。後でご褒美の飴ちゃんあげよか思てたけど、こら数足りへんのちゃうか」
マダム厚子が、ハンドバッグの内側をごそごそと掘り返しながら小さくぼやく。
するとフランツが、何故か巾着袋一杯の飴ちゃん――即ち、キャンディーの山を差し出してきた。
「泰輔にいわれててね。おば……マダムとお付き合いするには、こういうのもちゃんと用意しておかないといけないらしいって」
「あぁ、こら助かるわぁ」
フランツからキャンディーの山を受け取りながら、マダム厚子は心底嬉しそうな笑顔を見せる。
その時、フェイスプランダーが声無き声を振り絞り、断末魔を宙空に響かせた。
「おぉ……遂に倒したでありますか!」
吹雪が喜色を込めた声で小さく叫びながら、その方角に視線を巡らせる。見ると、ザカコ、カイ、セレンフィリティの三人がフェイスプランダーにとどめを刺したところであった。
電子映像の集合体に過ぎないオブジェクティブは、倒されれば電子結合が解除され、その場で雲散霧消してしまう。
フェイスプランダーは、きらきらと輝く電子の粉と化して、完全に消滅した。
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