百合園女学院

リアクション

【九　初遭遇の恐怖】

　新手のオブジェクティブは、マーシィリップスだけではない。
　二足歩行の獣脚類を思わせる恐竜型のオブジェクティブが、コントラクター達の前に姿を現していた。しかもその長い尾は、どちらかといえば竜脚類を連想させる程のサイズを誇り、ひと薙ぎするだけで、竜巻状の局地突風が発生するという技をも発揮していた。
　この恐竜型オブジェクティブは、ストームテイル――その名も、既にフィクショナル・リバース突入組のほぼ全員に、情報として行き渡っていた。
　そしてこのストームテイルと交戦状態に入っていたのは、ルカルカ、ダリル、カルキノス、淵、あゆみ、おなもみ、ミディアといった面々であったが、矢張り初めて遭遇する敵というのはなかなか相手にし辛いらしく、これだけの人数をかけても尚、苦戦を強いられているというのが現状であった。
　しかも、敵はストームテイルだけではない。当然ながら、レックスフットの群れが四方八方から襲いかかってくるのである。
「この乱戦では、連中に接続するというのは容易なことではないな」
　ノートパソコンを小脇に抱えたダリルが、不機嫌そうに呟く。
　いつもであれば後方にて司令塔たる役割を担うことの多いダリルだが、今回ばかりは、そうもいっていられない。何といっても、ここに居る面子の中では最も強力な対オブジェクティブ攻撃能力を身につけているのが、このダリルなのである。
　ルカルカやカルキノス、或いは淵といった面々では、互角に戦うことは出来ても、決定打となる一撃を加えるのは困難を極めた。
　だからこそダリルが前面に出て、必殺の一撃を加える――のかと思いきや、ダリルはオブジェクティブへの通信接続を試みることを優先してしまっている為、矢張り結局のところ、ストームテイルの猛威やレックスフットの包囲網をどうにか出来る状況ではなくなっていた。
「アイちゃんが、何かやるみたいにゃよ！」
　ミディアが仲間達に呼ばわると、その直後、アイリーンがプロジェクターから人物映像を投影し、レックスフットに対する攪乱を試みた。
　ところが。
「どうやら……あまり効果が無いようですわね」
　宙空を舞うアイリーンに、コルネリアが幾分、残念そうな面持ちで顔を向ける。
　こうなるともう、本当に美奈子を囮にして敵の注意をルカルカ達から逸らすか、とも考えたアイリーンだが、これだけの数になると、最早美奈子ひとりをどうこうしたところで、焼け石に水であろう。
　その美奈子はというと、デジカメを掲げたまま、幾分呆然とした様子でその場に佇んでいる。
　彼女の中では、フリューネの雄姿が拝める筈だという計算が立っていたのだろうが、英雄空賊の姿は、残念ながらここには無かった。
　勿論、美奈子のモチベーションがいつにも増して低いのはそれだけが理由ではなかったのだが、今はそこに詳しく触れる必要が無い為、割愛する。
「ねぇダリル、まだ!?　そろそろ、きつくなってきたよ！」
　ルカルカが厳しい色を含んだ声を張り上げるも、ダリルは未だ、接続ポイントを見つけられずにいる。
　珍しく、焦りの色がダリルの端正な面を歪め始めたその時。
「魔女っ子ヒート、参上！」
「あー！　居た居た！　恐竜、こんなところに居た！」
　不意にストームテイルの巨躯を挟んで反対側に、ろざりぃぬとローザマリアのふたりが躍り出るようにして現れた。
　破竹の勢いでレックスフットの群れを次々と蹴散らしてきていたふたりは、ストームテイルの異形を発見するや否や、河童軍団などには目もくれず、一直線に駆けつけてきたのである。
　このふたりの参戦は、対ストームテイル戦線に於いて、光明の兆しをもたらした。
　あゆみ、おなもみ、ミディアの三人がレックスフットへの対応に専念出来るようになり、アイリーンと協力して、ダリルの周囲に防御陣形を完成させられたのである。
「ダリルさんの背中は、あゆみ達が守ってあげる！　クリア・エーテル！」
「ほらほら、下手に近づいてきたら、容赦無くくっつくぞぉ〜」
　あゆみとおなもみの声を背中に聞きながら、ダリルは再度、オブジェクティブへの無線通信接続を試みる。今度は、ノートパソコンに意識が集中できている。成功の見込みが、期待出来よう。
「よし……始めるぞ」
　ダリルの声に呼応し、カルキノスがヴォーパルクローの能力、即ち切れ味鋭い鉤爪の如き手刀を構えて、ダリルとストームテイルの間に入った。
「抑え込みは、こっちで引き継いだ」
「今度こそ、攻勢へ転じてやるぞ！」
　淵の気合に満ちた声が響くと同時に、ろざりぃぬ、ローザマリア達がタイミングを合わせるようにして、一斉にストームテイルを殺到した。

　ストームテイルと戦っている面々は、初めて遭遇する敵とはいえ、対オブジェクティブ戦に関していえば、誰ひとりとして素人は居ない。
　しかし、スキンリパーを相手に廻す破目となった面々は、本当の意味で初心者であった。
　勿論、コントラクターとしては優秀な能力を誇る者ばかりであったが、ことオブジェクティブとの戦いという意味では、ただの一度も経験の無い者ばかりが揃ってしまったのである。
　こればかりはもう、運が悪かったというしか無い。
　フリューネ、リネン、未沙、レキ、そして九十九の六名は、数メートル前方に悠然と佇むスキンリパーの不気味な姿に、じっと息を殺して対峙している。
　幸い、レックスフットの群れは周囲には姿を見せていないが、昭和の街並みが静かに広がる穏やかな光景の中で、恐ろしくアンバランスで緊張に満ちた空気が、場の全体を重苦しく押し包んでいた。
「よくここまで突破してきた……君達に敬意を表して、私からひとつ、試練を与えよう」
　いいながら、スキンリパーが上空を軽く指差す。
　すると、どうであろう。
　何も無い宙空に、全身を細い鋼糸に絡め取られたフェイミィの痛々しい姿が、立体映像として映し出されたではないか。
「う……嘘でしょ!?」
　リネンが思わず、苦痛にまみれた表情で小さく叫んだ。
　だが、立体映像の中のフェイミィにはリネンの声が届いていないのか、苦しげな顔つきで、視線を宙に漂わせるばかりである。
「彼女の全身の骨には、鋼糸が直接食い込んで巻き付いている。私が合図を出せば、あの鋼糸は一斉に四方へ巻き取られ、彼女の肉体はばらばらに四散するだろう」
　そして更に、スキンリパーはいう。フェイミィを助けたくば、この場でフリューネを殺せ、と。
「己の大切な者を、いずれか選ばなければならない。決めるのは、君自身だ」
　スキンリパーの台詞が終わる直前に、未沙が慌ててリネンとフリューネの間に割り込み、フリューネを庇う姿勢を見せた。
　さもありなん。
　未沙にとってはフェイミィは赤の他人に過ぎない。そんなフェイミィの為に、フリューネに害を為させる訳にはいかなかった。
　レキと九十九の両名は、ただ戸惑いながら、事の成り行きを見守っている。この時、それまで姿を消していたチムチムも姿を現して、リネンの選択を、息を殺してじっと見つめていた。
　リネンが、どちらを選ぶのか――張りつめた空気がその場をしばらく支配していたが、その均衡は、上空からの苦しげな声によって破られた。
『リネン……た、助けて、くれ……フリューネなんかより……オレを、選んでくれ……』
　声そのものは確かに、フェイミィである。
　が、リネンは苦痛に満ちたその表情に、ある種の違和感を抱いた。
「違う……フェイミィは……そんなことを容易く口にするような、そんな安っぽい性格じゃない……」
　最初は単なる疑念であったが、そもそも何故、フェイミィだけがスキンリパーの手に落ちたのか。
　そういった辺りへの疑問も加味され、リネンの思いは更に、ある結論に行き着く為のロジックを素早く完成させていた。
「あれは……フェイミィじゃない！」
　フェイミィと強い絆で結ばれているリネンだからこそ、断言出来た。
　リネンはフェイミィとは打算で契約したという経緯があったが、それでもフェイミィとの契約があればこそ、これまで様々な想いを実行に移すことが出来た。
　エロ鴉だの何だのいいながら、それでも矢張り、フェイミィはリネンにとってはパートナーなのである。
　そのパートナーが偽物かどうかを見抜くのに、細かい理屈は必要無かった。
　リネンのその反応を見るや、スキンリパーは妙に満足そうな、そして納得のいった様子で、右手を軽く掲げてみせた。
　すると、それまで宙空に映し出されていたフェイミィの姿が瞬時にして掻き消える。
　スキンリパーは、いつもの無機質な声でくぐもった笑いを漏らした。
「良い判断だ。その脳波は解析に値する。波形は、取らせて貰った」
　あのフェイミィが偽物であったことをスキンリパーが認めた為、それまでフリューネを守る姿勢を見せていた未沙と、更に事の成り行きをじっと見守っていたレキ、九十九、チムチムが未沙の左右に並ぶようにして、戦闘陣形を取った。
　そこに、リネンとフリューネが加わる。
「コントラクターの絆を、舐めて貰っては困るわ」
　リネンのそのひと言を皮切りに、コントラクター達は一斉にスキンリパーへと突進していった。

　しかし、である。
　フリューネを筆頭に実力者揃いのコントラクター達とはいえ、矢張り対オブジェクティブ戦に限っていえば、有効な対抗策を持たぬまま挑むのは、いささか無謀に過ぎた。
「こいつ……今まで出会ってきた敵とは、かなり毛色が違うわね……！」
　愛用の飛竜の槍をでスキンリパーの手刀の嵐を辛うじて凌ぎながら、それでもそこかしこに傷を負ってしまっているフリューネは、表情を厳しくして奥歯を軽く噛み鳴らした。
　未沙とリネンがフリューネの左右に立ち、防御布陣でサポートしていても、この有様である。
　レキと九十九、チムチムがスキンリパーの背後に廻り込んで挟み撃ちにしようとしても、相手の圧倒的なスピードはちょっとした移動の隙をも見逃してくれず、思うような攻撃陣形が取れなかった。
　どう対処すれば良いものか――そんなことをコントラクター達が漠然と考え始めた時、ようやくにして、助け舟が入った。
「リネン！　ちょっと退がれ！　相手が悪い！」
　フェイミィが、加夜と歩、そしてエヴァルトといった顔ぶれを連れて走り込んできた。
　矢張り、先程スキンリパーが見せた囚われのフェイミィは、偽物だったのか――そんな安堵感を覚えたリネンではあったが、今はそんなことをいっていられる場合ではなかった。
「案内ご苦労！　ここから先は、俺達の仕事だ！」
　バティスティーナ・エフェクトを発動させての七曜拳で、エヴァルトがスキンリパーの側面に殺到した。
　オブジェクティブ・オポウネントによるクロックダウンが発生していない為、命中率に難があったが、それでも一撃がスキンリパーの頭部をかすったのは、流石であろう。
　ところが、それで終わりではなかった。
「右、２メートル！」
「続いて左、七曜拳！」
　加夜と歩が、短く攻撃位置の指示を出してきた。
　一瞬何が何だかよく分からなかったエヴァルトだが、とにかく従うことにした。
　すると、ふたりの指示は本当に正しかったらしく、エヴァルトの放った七曜拳はほぼ全弾、命中した。今度の打撃は相当に効いたらしく、スキンリパーは表情こそ変えないものの、幾分上体がぐらりと揺らいだ。
「こいつぁどうしたことだ……ふたりとも、奴の動きが読めるのか？」
　エヴァルトは軽い驚きを見せたが、当のふたりも、戸惑いがちに互いの顔を見合わせる。
「読めるっていいますか……」
「うん……何か、先の動きが見えるって感じかな」
　加夜と歩は、己の身に何が起きているのか全く把握出来ていなかったが、それでも敵の動きが分かるというのであれば、これを利用しない手は無い。
「加勢する、指示を！」
　グラキエス、ゴルガイス、エルデネストの三人が、更に別方向から参戦してきた。
　エヴァルトと並んで接近戦を仕掛けるゴルガイスと、少し離れた位置で援護に廻るグラキエスに対しても、加夜と歩がそれぞれ、スキンリパーの次なる動きへの対応を口早に指示を出してゆく。
　こうなってくると、もうフリューネ達の出番は無い。
　悔しい話ではあったが、フェイミィがいうように、退がって見ているしかない。
「まぁそう、気を悪くするな。見ることもまた、戦いだ」
　いつの間にか、正子がフリューネ達の後ろに佇んでいた。
　正子自身は、スキンリパーに対抗出来る能力を保持していたが、今は加勢は必要無しと判断し、フリューネ達と同じラインに下がって情勢を見守っている。
　フリューネは複雑そうな表情を浮かべて、正子の強面を見上げた。
「いつもは前に出て戦うことが多かったから……どうにも、しっくりいかないわね」
「初物を相手に廻すというのは、如何に優れた資質を持つ英雄でも手が出せぬというものよ。まぁ黙って見ておるが良い。あやつらの戦いぶりは、何ぞヒントになろう」
　正子のどっしりと落ち着いた口ぶりに、フリューネは諦めて小さく肩を竦めた。
　ところで、エヴァルトと共に接近戦を仕掛けているゴルガイスだが、突き込む拳が一瞬、巨大な杭の如き牙のような映像が被って見えるような現象が目撃された。
　これが、パイルファングの対オブジェクティブ戦能力である。文字通り、杭の牙――グラキエスもゴルガイスも、何か勘違いをしていたらしい。