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【五 ネックレス奪還戦へ】

 スキンリパー出現の報は、瞬く間にデュベール邸内を駆け抜けていった。
 オブジェクティブとの遭遇経験が無いイーライやマダム厚子、或いは邸の家士達などは単純に戸惑うばかりであったが、多くのコントラクター達は一斉に警戒態勢を敷き、出撃準備に取り掛かった。
「スキンリパーか……何か、凄く嫌な予感がするね」
 周囲が慌ただしい空気に包まれる中、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)が渋い表情で小さく呟く。
 パートナーのコハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)も、レックスフットだけが相手だとばかり考えていた為か、いつにも増して、緊張している様子を見せた。
「レックスフットってぇ……やっぱり、あの時の河童さん達、なんでしょぉかねぇ〜?」
 レティシア・ブルーウォーター(れてぃしあ・ぶるーうぉーたー)がティーカップ片手に、いつもの呑気な口調で美羽に話を振ってきた。
 美羽もレティシアも、皿一文字事件の経験者であり、あの時の河童の大群には多少辟易しながらも、それなりに対処したという自負がある。
 単純にレックスフットが相手であるだけなら、然程に手こずることも無いだろうと踏んでいたのだが、スキンリパー出現となれば、話は全く変わってくる。
「あまり考えたくはないけど、スキンリパーが出たということは、他にも別のオブジェクティブが潜んでいることも視野に入れた方が良いかもね」
 コハクの推論に、美羽は益々、表情を渋い色に染めてゆく。
 以前スキンリパーが出現した時は、フェイスプランダーというオブジェクティブも取り逃がしている。今回、スキンリパーと共に再び姿を見せる可能性は、大いにあった。
「まぁ、警戒するに越したことはないけど、出るかどうか分からない相手のことを考えるより、まずはレックスフット対策を万全にした方が良いんじゃないかしら?」
 多くの者がスキンリパーに意識を囚われがちになっている中、ミスティ・シューティス(みすてぃ・しゅーてぃす)が極めて冷静な意見を述べた。
 確かに、その通りである。
 スキンリパーばかりに気を取られて、レックスフット相手に後れを取るようでは、本末転倒であろう。
 まずは、確実に倒せる相手からどんどん削っていくのが、勝利への手堅い筋道というべきである。
 ミスティの意見に、美羽もコハクも異論は無かった。
「うん……それもそうだね。出来ることから確実に、ってところかな」
 半ば自分にいい聞かせるように頷いた美羽だが、その時不意に、ポケットの中で携帯電話の着信音が鳴り響いた。
 慌てて取り出してみると、発信主は正子であった。
「あ、もしもし、正子さん?」
 携帯電話のスピーカの向こうで、正子はこれからデュベール邸に向かう意味のことを、手短に伝えてきた。
 通話を終えた美羽は、正子の側でもフィクショナル・リバースとスキンリパーの出現を把握している旨を周りに伝えた。
「へぇ〜……正子さんも、来るんですかぁ。こりゃあちきらも、気合入れないとねぇ」
 いいながら、何故かレティシアは頬が緩んでいる。
 ミスティが怪訝な表情を向けると、レティシアは一瞬、ばつの悪そうな笑みを浮かべた。
「何が面白いの?」
「いやぁ……正子さんとマダム厚子が並んだ姿を想像して、ちょっと凄いなぁ、なんてねぇ」
 レティシアの応えを受けて、眉間に皺を寄せかけたミスティだが、自分でも少し想像してみて、確かに凄まじい絵面になると思い返し、つい口元が緩んでしまった。
 美羽とコハクも、この緊迫した場面の中で、何ともいえない表情を浮かべている。
「両雄並び立つ……ってところかな」
「うわぁ……ちょっと怪獣大決戦、みたいなことになるかも」
 本人達が耳にすれば烈火の如く怒り出すかも知れなかったが、美羽にしろコハクにしろ、変な期待を抱いてしまうのは、致し方無いところではあった。
「まぁでも……なるべく遠巻きに眺めてた方が良さそうだね」
「絶対、近くに寄っちゃあ駄目ですねぇ」
 この時、正子とマダム厚子が同時にくしゃみをしたとか、しなかったとか。

 その頃イーライの自室では、清泉 北都(いずみ・ほくと)クナイ・アヤシ(くない・あやし)モーベット・ヴァイナス(もーべっと・う゛ぁいなす)の三人が、イーライの装備と出撃準備を手伝ってやっていた。
「これを、持っていてください」
 クナイが『禁猟区』を施したハンカチを差し出すと、イーライは緊張した面持ちながら、素直に受け取る。
 その掌が僅かに震えているのを、北都は見逃さなかった。
「緊張するなっていう方が無理かな……でも」
 イーライの肩に優しく手を添えながら、北都は自分にいい聞かせるような調子で、更に言葉を続ける。
「僕達だって同じように緊張しているし……もっといえば、怖いと思う部分もあるから、君は恐怖心を抱くことを恥じる必要はないよ。それに、守ってくれる仲間も大勢居るしね」
 美羽やレティシアから聞いた話では、レックスフットは姿を消すタイプのオブジェクティブではないが、しかし水のある場所ならどこにでも出現する神出鬼没さは、通常のオブジェクティブをある意味、上回っているかも知れない、ということであった。
 姿が見えるからといって、油断は禁物である。
「頭に皿を乗せた妙な敵だということだが……聞けば、その皿を割れば倒せるというではないか。それならイーライ、君の手でも十分、ネックレスを取り戻せるチャンスはある。自信を持って行きたまえ」
 モーベットはそういうものの、イーライはこれが初めての実戦である。
 恐怖と緊張で全身ががちがちに固くなってしまうのは、無理からぬことであろう。
 と、そこへ氷室 カイ(ひむろ・かい)サー・ベディヴィア(さー・べでぃびあ)のふたりがのっそり姿を現した。
 単純にイーライの様子を見に来た、という訳ではなさそうであった。
「どうか、したのかい?」
「つい今しがた、馬場から連絡があった。あっちに行っている連中と一緒に、こちらへ向かっているらしい」
 北都の問いかけに応じながら、カイはちらりと、緊張に凝り固まっているイーライの、どこか情けない表情に視線を走らせた。
 だがカイは、決してイーライを軽蔑したり、見下したりするような真似はしない。誰しも最初は初心者なのだから、緊張して当然だという理解が彼の中に強くあった。
「まぁ、何だ……危ない時は俺達がどうとでも手を貸してやる。だがな……お前は力を持った。もう無力だった頃とは段違いだ。何の為にその力を使うのか、その点だけを常に意識して、信念を持って戦え」
 つい柄にもなく饒舌にそう語ったカイだったが、そのカイに対し、北都が幾分興味深そうな視線を向ける。
「そういえば君は、対オブジェクティブ戦に関しては相当、有利な力を得たらしいね」
「有利、かどうかは己次第だ。力を持ったことで驕る気持ちが湧いてしまえば、どんなに有効な手段を持っていても負ける……勝負とは、そういうものだろう」
 カイの冷静な応えに、北都は幾分、感心した様子を見せた。
 するとサー・ベディヴィアが、小さく肩を竦めてカイの言葉を補足する。
「確かにマスターは、対オブジェクティブ戦に於いては相当な戦力になり得ます……しかし、だからこそいざという時に力を出し切れるようサポートしなければなりません。どれ程の戦力を整えていたとしても、使いどころを誤れば、即敗北に繋がります」
 その為に自分が居る――サー・ベディヴィアの台詞には、言外にそういう意図が含まれていた。
 ただ、力があれば良いというものではない。
 そこに込められた意味は、イーライへの静かなるメッセージでもあった。
 信念無き力、使いどころを誤った力には、いかなる意味も見出せないというのが、カイやサー・ベディヴィアが言外に含んでいるところであったが、果たしてイーライに、どこまで通じたものか。
 勿論、北都やクナイ、モーベット達にはカイのいわんとしているところはすぐに理解出来たのだが。
「もうじき、馬場の方からフィクショナル・リバースの精確な位置情報が届く。準備が整い次第、順次出発するそうだ。馬場達とは現地で落ち合うことになっているから、そこまでは俺達自身で、己の身を守らなければならない」
 カイの低い声音に、イーライも、そして北都達も緊張の面持ちで頷き返す。
 スキンリパーはフィクショナル・リバースにネックレスを預かっているとはいったが、迎撃しないとは、ひと言もいっていないのである。
 であれば、どこで敵と遭遇するのか分かったものではない。
 既に戦いは始まっている、といって良かった。

「……正子からのデータが来たぞ」
 籠手型HCのLCD画面を覗き込んでいたダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)のひと言に、応接室に詰めていた大勢のコントラクター達が一斉に、臨戦態勢へと入った。
 傍らから、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)が顔を覗き込ませてきて、LCD画面に表示される地形図をじっと凝視した。
「案外……近いね。徒歩で一時間もかからないんじゃない?」
 ルカルカのこの感想には、重大な意味が含まれている。
 即ち、オブジェクティブが人里に近しい位置に彼らの最前線基地をいつでも構築出来るという事実を、認めなければならないのである。
 それが、如何に危険な内容であるか――ルカルカやダリルでなくとも、十分に理解出来よう。
「そういやぁルカ、エージェント・ギブソンは何っていってきてたんだ?」
 ルカルカとは反対側からLCD画面を覗き込みながら、カルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)が視線だけをルカルカに向けて低く問いかけた。
 幾分表情を渋い色に染めつつ、ルカルカは唸るように答えた。
「それがね……どうも、今までルカ達が遭遇したことのないオブジェクティブの反応が出てるみたい」
 曰く、スカルバンカーから派生した二体のオブジェクティブ、ストームテイルマーシィリップスが、レックスフットの反応地点付近に出現している、というのである。
「おいおいマジか……スキンリパーだけでも大概厄介だってのに」
 カルキノスは一瞬、天を仰ぎたくなる気分になった。
 今回、イーライを手助けしようとして集まったコントラクター達の中には、対オブジェクティブ戦に有利となる能力を持つ者が大勢居ると半ば安心していたのだが、今はもう、そのような余裕は微塵にも感じられない。
 寧ろ、レックスフットの数を考えれば少な過ぎるのではないかとさえ、思えるようになってきた。
 その思いは、夏侯 淵(かこう・えん)も同様であるらしい。
「うむむむ……今回こそ、攻めへと転じる契機としたかったが、なかなか思うように事は進まぬな」
 淵が心底困り果てたような声を絞り出したが、しかしダリルは相変わらずの冷静な面持ちで、淵の顔色をちらりと一瞥した。
「その為に、正子達が援軍に駆けつけるのだ。それに今回は、フリューネも居る。戦力的には見劣りしない」
 周囲に安心感を与える為にそうはいってみたものの、ダリル自身は、正子はともかく、フリューネがどこまで戦力になり得るのかは、いささか疑問を抱いていた。
 確かにフリューネは誰もが認める英雄ではあるが、こと対オブジェクティブ戦に関していえば、全くの素人なのである。
 マイクロ秒単位という圧倒的な速度と、姿を自在に消すことが出来る能力は、ダブルオー資格やバティスティーナ・エフェクトを持たぬ者にとってはほとんど生死を左右する程の脅威となり得る。
 今回ばかりは、フリューネは後ろに退がっていて貰うしかない――少なくともダリルは、そう考えていた。
「ひとつ確認したいが……光条兵器は、奴らには有効なのかな?」
 紫月 唯斗(しづき・ゆいと)が、ダリルの肩越しにLCDに視線を落としながら問いかけてくると、ダリルは幾分渋い表情を浮かべて、僅かに振り返った。
「いや……悪いことはいわん。やめておいた方が良い。以前、それでルカが痛い目に遭っている」
 いいながら、ダリルは苦々しげな様子で鼻の頭に皺を寄せた。
 するとルカルカも、光条兵器を使おうとしてそれを逆手に取られた記憶が呼び起されたらしく、ややげんなりした表情を浮かべた。
「光条兵器が、通じない……どんな化け物なんだろう」
 ザインハルト・アルセロウ(ざいんはると・あるせろう)が興味深そうに呟いたが、仏頂面を浮かべるばかりにルカルカとダリルに、カルキノスと淵が苦笑して小さく肩を竦め合うばかりであった。
「可能性の問題だが、ヒロイックアサルトも危険かも知れん。使う場合はよくよく注意しろ」
「ヒロイックアサルトが?」
 ザインハルトは、思わぬ忠告に両の瞼を瞬かせた。
 ダリルのいわんとしていることが、今ひとつ理解出来ていない様子だった。
「まぁ……ダリルが余りいいたがらないから教えてやるが……オブジェクティブは、こちらの能力発動も、ある程度は自在に操れるらしい。つまり、自分でヒロイックアサルトを用いたつもりでも、その効力は唯斗にではなく、連中への恩恵となって働く可能性があるという訳だ」
 淵の説明を受けても、矢張りザインハルトはぴんとこない。
 最早こればかりは、実際に自分で経験するしか、理解が及ばないだろう。