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老魔導師がまもるもの

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老魔導師がまもるもの

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 5/ 不審者と、事件と

 キッチンの扉の向こうからは既に、オーブンから漂う香ばしい匂いが風に乗ってこちらまで届いている。
 どうやら、今のところはこの教会にも平和が続いているようだった。
「前々から、お菓子作りのお勉強したかったんですぅ。だからもう、楽しみで楽しみで」
「そう、それはよかったわ。……わたしはあんまり、近寄りたくないところではあるのだけれど」
 それこそ、粉に、火に。包丁に、フライパンに。襲いかかってくるものなんでもござれだから。一体何度、酷い目に遭ったことか。
 ルーシェリア・クレセント(るーしぇりあ・くれせんと)の浮かれた様子に、雅羅が過去にキッチンで体験した無数の不幸を思い出しながら苦笑する。
 こんな他愛のない会話が、平和を実感させる。
「でも、なんだか不思議。地底から感じる霊脈の鼓動──前にも、感じたことがある気がするな、ボク」
「へえ。そうなの? リキュカリア」
 ディテクトエビルで警戒しつつだべっている、五百蔵 東雲(いよろい・しののめ)リキュカリア・ルノ(りきゅかりあ・るの)のペアが、雅羅たちに気付き軽く手を振る。
 警戒し続けてくれているのは彼らだけではない──それこそ、もう既に「この近くのどこか」としかわからないくらい近すぎる場所に──例えば客としてこのカフェ内に潜入でもされているか、警戒もなにも関係ないくらい真正面から襲撃をされでもしないかぎり、外側からの悪しき存在に対しての防備は完璧だろう。
「本物のカフェの厨房で見学できるなんて、もう感激ですぅ」
 大きさの割に、軽く押すだけで開くそのドアにルーシェリアが手をかけ、押してゆく。
「ちょ、ちょっとセレンっ!?」
 ついてないハプニングの宝庫だから、開いた瞬間聞こえてきたその声に一瞬、雅羅はどきりとした。
「わ、すごーい」
 ルーシェリアが、天井を見上げている。
 そこには、高々と丸く広いモノが宙に舞っている。
「ピザ生地じゃないんだから!! 落としたらどうするのっ!!」
 そう。──ピザ生地じゃないんだから。それ、クッキーでしょ。
 生地を練る手を止めてそれを見上げるセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)の声はまさしく的確に、雅羅の思ったことを言い表していて。
 重力に従って下降線を描くクッキー生地を特大ボウルで受け止めるセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)のドヤ顔は、状況を呑み込む前に彼女を困惑させる。
 一体、なにやってるのよ。
「お願い。心臓に悪いから、やめて」
「えー。でもほら、子どもたちは喜んでるじゃない」
 生地を、特大ボウルの中で再び丸めていくセレンフィリティは、パートナーの戦々恐々とした様子とは対照的に実に楽しげだった。
「この子たち笑わせるためにやってるんでしょ、だからこれでいーのよ。万事問題なし」
「いや、あるわよ!」
 もう一度、今度は丸めたまま生地を上に放るセレンフィリティ。
 たしかに、周りの子どもたちは──子どもたちに違和感なく交じって一緒に見上げている、ルシオン・エトランシュ(るしおん・えとらんしゅ)を含めて大いに歓声を上げてはしゃいではいるけれど。
「……随分、賑やかなのね」
 お店に出すものなのよっ!? ……セレアナの叫びの馬耳東風ぶりが、なんとも空しい。
「さっきまで、ケーキ作ってて静かだったんだけどね。退屈だーって、ああなっちゃった」
「そうなの?」
 エプロン姿で、天板に並べたクッキーへと卵黄を塗りながら四谷 大助(しや・だいすけ)が言う。
 そこ、最初のクッキーできてるよ。よかったらどうぞ。彼が示した作業台の上には、バスケットに盛られたクッキーがある。
 ひとつずつ、雅羅とルーシェリアは手に取る。
 まだあたたかい。さほど鼻を近付けなくても、バターの匂いが実に素敵だった。
 味なんてもう、言わずもがな。おいしいに決まっていた。
「どう、お二人さん。やってみない、クッキー作り。きっと思ってるより簡単だよ」
 大助に言われ、ふたりは同時にバスケットのクッキーを見る。
 雅羅は、クッキーを作るくらいなら大丈夫。アクシデントなんて起こりようがない。そう思いながら。
 ルーシェリアは、これが自分にも作れるのかと、わくわくどきどきに胸膨らませて、だ。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
 ひとまず手を洗ってから、と流しに手を伸ばす。
 
 直後、何かが割れるようなけたたましい音が鳴り響いた。

「──何?」
 皆、一様に手を止める。
 まず視線が集中するのは、何度も宙に生地を放っていた、セレンフィリティ。しかし彼女も首を左右に振り、自分ではないと皆に伝える。先ほどまで空中にあったクッキー生地はきちんと、彼女の持つボウルの中に納まっているのだから。
 そして、続き聞こえてくる悲鳴。
「何か、起きたみたいね」
 客席のほうからだ。
 それまで能天気な表情であったセレンフィリティの顔つきがいつしか、国軍の一員としての真剣な、厳しいものに変わっていた。

*   *   *

 その襲撃者は、やけに低姿勢だった。
 そして外からではなく、内からやってきた。──カフェへの来客の中に紛れ、警戒網を突破したのだ。
「す、すみません、皆さん!! 騎士アルテミス、主の命により、ここを突破させていただきます!! 怪我をしたくない方はお願いですから、抵抗とかせずに下がっててくださいっ!!」
 だがそれでも、予測よりも障害となるものは多かった。それゆえ、アルテミス・カリスト(あるてみす・かりすと)は自身の得物である大剣を床に突き刺し、代わりに手近にあった銀食器のナイフを手に、人質をとっている。丁寧な口調で、おとなしくしているよう人質にもそれ以外の面々にも頼み込む。

 人質。そのひとりは、朱濱 ゆうこ(あけはま・ゆうこ)。もうひとりは、彩夜である。

 客を装い入ってきたアルテミスと、その相棒。彼女らへと不用意に水を持って行ったその瞬間、薬を嗅がされ彩夜が捕らわれた。そしてくずおれる彼女を抱き止め、助けようとしたゆうこが背後から一撃を受けて、更に巻き込まれたかたちだ。
 そう。襲撃者はひとりではない。
「お前らっ!! 一体なにが目的だっ!?」
 薬はさほど強いものではなかったのだろう、後ろから首筋に刃を当てられながらも、既に彩夜の意識ははっきりとしていて、しっかりと自力で立っている。
 だが、それでも彼女たちが人質にされていることに変わりはない。首筋の刃物ゆえ、まんじりとして動けない。
 捕まった側も、助けようとする側も。うかつに動けぬままじりじりと間合いをはかりつつ、エヴァルトがアルテミスの隣に立つ男に──ゆうこに不意打ちを食らわせた人間に、怒号を浴びせかける。
 不審者とは、こいつらのことだったのか?
「ククク……ここに、封印とやらがあるのだろう?」
 眼鏡の男、ドクター・ハデス(どくたー・はです)が勝ち誇った笑みを浮かべ、その場をぐるり見渡す。両手を広げ、白衣を翻し。過剰なまでのアクションを交えながら高らかに、己が目的を皆に知らしめる。
「封印と聞いて、これが黙っていられるか。我らオリュンポス、悪の組織としては、封印があると聞いたら狙わざるを得まいよ!! 封印のカギを握る存在……すなわち、その守護者たる魔導師、もらっていくぞ!!」
 甲高い、耳障りな笑いが、オープンテラスの空に木霊する。
 それを黙らせるかのごとく、刹那鳴り響いたるは銃声。
「むっ!?」
 キッチンの裏口。テラスから一段高くなったその石造りの檀上から、硝煙燻る銃口をセレンフィリティが向けていた。
「ふうん。目的は誘拐ってわけ。あのお婆ちゃんウィザードが狙いか」
 彼女が撃ったのは、ハデスの足元。次は当てると言わんばかりの威嚇射撃だった。事実、その照準は既に、人質をとる彼らふたりの眉間へとぴたり、合わせられている。
「ほう、撃つつもりか?」
「ダメよ、セレン。まだ人質が」
「わかってる。でも、もう終わる」
「……何?」
 そして彼女は発砲する。
 合わせていたはずの照準を敢えて再び外して、ハデスとアルテミスの周囲に弾をばらまく。
「きゃああぁっ!?」
「ええい、動じるな、暗黒騎士アルテミス!! 人質をとっているかぎり奴らに手出しは──……!!」
「そ、そこっ!! 動かないで!! 来ないでくださいっ!!」
 セルファが、にじり寄ろうと試みる。……ように、アルテミスには見えた。だからナイフをちらつかせ、追い払う。
 あまりにあっさり、すんなりと言われるがまま退くセルファ。
 不自然な、ほどに。
「こっちには人質がっ!!」
「そうじゃな、人質を『とっていられれば』たしかにこちらから手出しはしにくいな。うむ、正しいよ」
「えっ?」
「じゃがな、させると思うか?」
 そちらに気を取られている間に。いつの間にか、背後に影があった。
 とっさ、振り返るも時すでに遅く、叩き落とされたナイフがアルテミスの手を離れ、木造の床を滑っていく。
 流れるような動き。背後より忍び寄った鵜飼 衛(うかい・まもる)が、それを成した。
 本来であれば事が起きる前に食い止めるはずではあったものの、奇襲に対抗して行われたこの奇襲は彼が教会の周囲を警戒させていたパートナー、メイスン・ドットハック(めいすん・どっとはっく)の手柄といっていい。
 彼女の地道な張り込みのおかげで、彼はハデスたちの死角を知り、回り込むことができたのだから。
「さーて、年貢の納め時のようじゃの」
 屋根の上から降り立ったメイスンが、ブリューナグをハデスへと突き付ける。
 阻むもののなくなった彩夜とゆうこは、彼らの邪魔とならぬようすぐに、その場を離脱していく。
「大丈夫か、二人とも」
「ええ、どうにか」
 エースとリリアが彼女らを迎え入れ、心配げに訊ねる。
「怪我はない?」
「ええ。ゆうこさんは?」
「こちらも。大丈夫です」
 ウェイトレス姿のふたりは、エースたちに肩を抱かれつつ自身を人質としていた二人組に向き直る。
 ぐぬぬぬ。彼女らの様子に、ハデスが歯噛みをする。
 しかし、それでも。
「だが、しかし!! 我々の目的はあくまでも奪取!! こちらは陽動、もはや時既に!!」
「遅いわけないだろ」
 諦めることなく拳を握った彼に、開け放たれた教会の聖堂の扉から、冷や水が浴びせられた。
 ひとりやふたりでない、無数の集団が、彼の言葉と作戦とをばっさり、切り捨てたのである。