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10




 眠い。
 とにかく、眠い。
 歩きながら意識が飛びそうになって、茅野瀬 衿栖(ちのせ・えりす)は驚いた。人間、極限まで眠くなると歩きながらでも眠れるものか、と。
 大きなあくびをこぼしたところで、「大丈夫ー?」と声がした。前方を歩く茅野瀬 朱里(ちのせ・あかり)が振り返ってこちらを見ていた。慌てて口を押さえる。朱里は、苦笑いしてまた前を向いた。
 衿栖は、再び出そうになったあくびを噛み殺し、生理的な涙が浮かんだ目尻を拭う。それから、ここ数日のことを思い出していた。
 一年に一度だけの日を特別なものにしたい。
 そう言って、オーダーメイドの人形を頼むお客様の数は一般の人が思うよりも多い。そのことは熟知していたが、それにしたってあの量は尋常じゃない。よく間に合ったと褒めてあげたい。前もってリンスに連絡をしておいてよかった、とも。
 ――『クリスマスはお互い工房が忙しいと思うから、お店の営業時間が終わってから顔出すね』
 そう伝えるために電話をしたのは一週間ほど前だったはずだが、随分と遠い記憶に思えた。ほとんど眠っていないため一日が長く、そして日ごとの継ぎ目が曖昧だった。
(やっと、今になったなぁ……)
 クリスマスの営業を終えて、捻出した自由時間。
 大切な人と、過ごす時間に。
 衿栖は、自ら操る人形を見た。白い、四角い箱を持った人形。中には衿栖お手製のケーキが入っている。ケーキだけじゃない。衿栖の持つ鞄の中には、プレゼントだって用意されている。こちらももちろん、手作りだ。
(喜んでくれるといいな)
 浮き足立つ気持ちを抑え、工房までの道を行く。通い慣れた道に懐かしさを覚えているうちに、到着した。一拍の間を置いて、扉を叩く。一秒。二秒。心の中で秒数を数えながら、頭の中で描いていた演出に向けて人形たちをスタンバイさせる。終わった直後にドアの鍵が開く音がした。ドアが開くのと同時、、待機させておいた人形を動かす。
 ケーキの箱を持たせておいた人形と、メリークリスマスと書かれた看板を持たせた人形を同時にわっと。
 ドアの向こうで、息を呑む気配がしたのがわかった。にっと笑って衿栖は顔を出す。
「驚いた?」
「驚いた」
「えっへっへ。大成功ね」
 お邪魔しますと言って工房に入る。工房内はきちんと片付いていて、衿栖は大仰に頷いた。
「うんうん」
「何」
「私がいなくても綺麗にしてるんだーってね。感心感心」
 と言ったものの、少し寂しくも思った。だって、今までそれは、自分の仕事だったから。
「も、もし汚れてたら、掃除してあげないこともなかったんだけどねっ。この分だとそんな必要なさそうね、良かったわ!」
「良かったの?」
「当たり前でしょ、私、忙しいんだから! 今日だってねえ……って、こんな話をしに来たんじゃないのよ」
 お約束のやり取りは楽しかったが、本題に入らないといけない。できるなら、いつまでもこうしていたかったけれど。
 工房をぐるりと見回して、少し離れたところで本を読んでいたクロエを手招いた。膝を折って目線を合わせ、鞄からプレゼントを取り出してクロエの手に持たせてやる。
「プレゼント!」
「ありがとう! えりすおねぇちゃん、サンタさんなのね!」
 無邪気な言葉にはにかんで、「開けてごらん?」と促した。クロエは素直に、衿栖の言葉に従ってラッピングのリボンを紐解く。
「あっ、マフラー!」
 中から出てきたマフラーに、クロエが嬉しそうな声を上げた。そうやって喜んでもらえると、衿栖も嬉しい。そのままクロエは「みてみて!」と朱里に見せびらかしに行ったので、衿栖は誰にも気付かれないように深呼吸をした。それからリンスに向き直る。
「リンスっ」
「うん?」
「これ、あげる」
 クロエにあげたものと、色違いのラッピングが施されたそれを、ずいっと突き出す。一瞬面食らったようにして受け取らないでいるものだから、早く受け取りなさいよと心の中で叫んだ。
「俺に?」
「他に誰がいるのよ! か、勘違いしないでよね、クロエちゃんに編むついでに余った毛糸で作っただけなんだから!」
 こうしたことをするのは久しぶりだから、妙にしどろもどろになってしまった。本当に早く受け取ってくれないだろうか。頬に熱が集まるのがわかるのだ。恥ずかしい。
「……なんか」
「な、何?」
「こういうの、懐かしい」
 何を黙っているのかと思ったら、なんてことはない。同じようなことを考えていたようだ。それが嬉しいようなこそばゆいような、妙な気分になった。押し付けるようにしてプレゼントを渡した。
「ありがとう」
「別にっ。ついでって言ったでしょっ、さあ席について!」
 次いで椅子に座らせる。クロエと朱里にも目配せをし、こちらへ来てもらった。人形からケーキの箱を受け取り、テーブルの上に置く。もう一体の人形にお皿とフォークを取ってきてもらって、それを各自の前に並べれば準備は万端。いよいよケーキのお披露目だ。
 箱から出てきたのはチョコレートケーキと三本の蝋燭。衿栖は手際よく蝋燭をケーキに飾り立てた。
「どうしてみっつ?」
 と訊いてきたのはクロエだった。いい質問だ。衿栖は笑って問いに答える。
「リンスとクロエちゃんと知り合って三回目のクリスマスだから、ね」
 ケーキを切り分け、配り、空いていたリンスの隣に腰掛けて。
 食べ始めたら、リンスが呟いた。
「もう三年目か」
「言ってみると長いわよね」
「そうだね」
 季節を幾度と繰り返し。
 思い出を作って。
 忘れられないことが、いくつあるだろう?
 そして、これからも、それは増えていくのだろう。
(それってとても、幸せなことね)
 穏やかな時間の中は居心地がよく、知らず、瞼が下がってきていた。抗うことなく、目を閉じる。


 あ、と朱里が思う間もなく、衿栖は目を閉じてリンスの肩にもたれかかった。眠っているらしい。それも仕方がないだろう。今日まで睡眠時間を削って仕事をしてきたのだから。あるいは計算済みなのか。
(衿栖に限ってそれはないか)
 結論付けて、朱里はしばし正面の二人を見守った。リンスはほとんど動かないで、たまにちらりと衿栖のことを見ている。ああ、なんだか、にやにやが止まらない。
「あかりおねぇちゃん、ごきげんね」
 と、クロエに言われてしまうほどだ。返事をしようと彼女のほうを見たら、お皿が空だったこっとに気付く。
「クロエ、ケーキもういい?」
「うんっ。ごちそうさま!」
「じゃあお皿片付けちゃおうか」
 言って、椅子から立ち上がる。頷いてクロエも席を立った。リンスが動こうかどうか逡巡するのが朱里にはわかったので、先んじて言っておく。
「枕はおとなしく座ってなさい!」
「……はい」
 クロエが、おかしそうに笑った。


 いつも通りの明るい態度からは、疲れている様子なんて感じさせなかったのに。
 でも、考えてみれば、そうか。独立して、ずっと頑張っていて、クリスマスという繁忙期も乗り切って、休めばいいのにここまで来て、一緒にクリスマスを楽しもうとしてくれて。
「……お疲れ様」
 リンスは小さく声をかけた。衿栖は眠っているので、当然返答はない。朱里にも言われたことだし、枕は枕らしくじっとしていようと思った、その時。
「リンス〜……」
 寝ぼけた声が聞こえた。首を傾げて衿栖を見る。やはり、目は閉じられたままだった。寝言のようだ。
「負けないんだからねー……」
 何に、と思わず返事をしそうになった。すんでのところで声を抑える。確か寝言には返事をしてはいけない決まりがあった気がする。
 人形師として、だろう。そうであるならこちらも望むところだと、目を覚ましたら言ってやろうか。いきなり何をとうろたえるかもしれない。
「リンス〜……」
 はいはい。心の中で返事をして、寝言に耳を傾ける。
「……だいすき」
「…………」
 さて。
 この寝言には、どう返答しようか?


 同時刻。
 衿栖の工房では、留守を買って出たレオン・カシミール(れおん・かしみーる)がひとり、紅茶を飲んでいた。傍らには、読みかけの本が表紙を開かれないまま置かれている。
 紅茶を半分ほど飲んだところで、レオンは静かに呟いた。
「セバスティアン・シェブロ」
 衿栖の祖父の名を。
「きみの自慢の孫娘は、人形師として立派に成長しているぞ」
 視線の先には、衿栖がクリスマス用に作った人形がある。精巧に作られたそれは、レオンから見てもほぼ完璧だった。
 もうすぐ。
(もうすぐ、私の助力も必要なくなるだろう)