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水宝玉は深海へ溶ける

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水宝玉は深海へ溶ける
水宝玉は深海へ溶ける 水宝玉は深海へ溶ける

リアクション

「こっちよ! もうすぐだわ!!」
 ユピリアの声に導かれて仲間達は走り続けていた。
そんな折、美羽の頭の中には去来しているものがあった。

 『空京警察に通報を』。
 事件を知って美羽がまずとった行動はそれだった。
 ジゼルは空京に住んでいるのだから教導団へ依頼するよりもそれが一番手っ取り早いと思っていた。
 しかし結果は彼女が期待していたものとは真逆の、いや斜め上のものになった。

「それは器物損壊でしょうか、窃盗でしょうか」

 そう言って眉を寄せた担当者の顔が忘れられない。
 人ではない。公的にパラミタに存在する種族でもない。だったら彼女は一体何なんだと、問われてしまった。
 美羽が生まれるよりもっとずっと昔の事だが、
例え愛するペットが殺されたとしても器物損壊のそれ以上は罪を問えない時代があったのだと言う。
 機晶姫やギフトですらないカテゴリー不明の存在は、それと同様に法の手の平からこぼれ落ちる存在なのだ。


 そして今、美羽の前にはあの時の担当者と同じ顔をした隊士達が目の前に立ちふさがっている。
 追いついて来た途端突きつけられた刃と銃口に臆する事無く、美羽は前へ飛び出していた。
「お願い聞いて!」
 美羽の言葉に、表情に、隊士たちの動きが止まった。
 一部は蒼空学園の生徒達だ。彼らにとって、明るい美羽のそんな顔を見るのは初めてだったのだ。
「――ジゼルは私たちの友達なの。
 一緒に蒼空学園で勉強して、遊んで、笑って、ご飯を食べて……。

 だから、私たちの友達を傷つけないで!」
 それはあの警察に行った日から美羽が思い続けて来た事だった。
 彼女は一体何なのか、そう問われて自分に答えられるのは――

「友達だ」

 と、たったそれだけだった。
「……小鳥遊副会長。
 私は、この組織の掲げる理想は間違ってないと信じています。
 理由無く強大な力さえ無くなれば、それが鏖殺寺院のような連中の手に渡らなければ、
罪の無い人が死ぬような事は起こらない、今この瞬間もそう思っています。

 ――でも……ジゼルさんの事も知ってます。知ってます……ッ!!」
 蒼空学園の女生徒だった。
 サブマシンガンを掴んでいた手を落とし、座り込んで泣き出してしまった。
「もう……戦えませんッ! 私はあの子を殺せないです!
 だって私は……あの子が副会長と楽しそうに笑ってるところ……いつも見てて……!」
 美羽は彼女の肩に静かに手を置いて、「ありがとう」と微笑んだ。

「――で、そっちはどうするの?」
 こちらも普段彼らが見て来た顔ではなかった。
 温和なはずのコハクの視線は萎縮する程冷たく、隊士達は互いに顔を見合わせる。
 数秒後、矢張り蒼空学園の男子生徒の一人がハンドガンを向こう側へ投げ捨てた。
「俺は正直、あなたに勝てる気がしない」
 コハクの実力を知っているからこその言葉だった。男子生徒は残りの仲間へ喋り出す。
「おい、隊長は何時も作戦の際に命を捨てろとは仰らないぜ。お前等も……此処で死ぬ気は無いだろ」
 彼の言葉を受けて、残りの隊士達も皆習って武器を放る。
 が、一人はそうでは無かった。

 銃口が一つ、こちらを向いている。

 それを見た瞬間、コハクは動いていた。
 手にしていた槍で銃口を向けた相手の腹部を刺し貫く。
 そのスピードとパワーこそが同輩に『勝てる気がしない』と言わしめた実力だった。
 その場に膝をついた、たった一人の敵の腹部からは血の一滴も出ていない。
 コハクが槍を抜くと、刺された隊士は瞬きもせずに天井を見続けていた。
 混乱を瞳に浮かべている隊士達へ、コハクは言う。

「この槍の効果の『一時的な記憶喪失』だよ。僕らは先に進ませて貰う。

 早く彼を運んでやるんだ」
 コハクの掛けた情けに感謝して、隊士達はその場から退いて行った。



 扉の先には彼女が居た。
 床に座り込んだジゼル・パルテノペーは月明かりに照らされてゆっくりとこちらへ振り返る。
「ジゼル!!」
 一瞬罠の可能性も何もかも忘れて部屋へ飛び込んで、友人達は彼女の元へ辿り着いた。
 ルカルカは今迄耐えていた感情を全て吐き出す様に、ジゼルの細い身体をぎゅっと抱きしめた。
伸びて来た両手を腰に回されて彼女の存在を確実に認識し、もう泣き出してしまいそうだ。
 どっと溢れた安心感でその場に膝をついた美羽の両肩に、コハクは手をそえる。 
 それまで硬い表情しかしていなかったリリアは、
ここで初めて仲間達に微笑みを向けていた。
「馬子にも何とかね。なんでこんなの着てるのやら。
 これじゃ本当に可憐な囚われの乙女でヒロインじゃない」
 ユピリアは本心を隠すように皮肉で喜びを表していた。
 彼女の言う様に、今のジゼルは珍しい服装をしている。
 廃ビルを走り回ったのだろうか、煤けてボロボロになってしまっているが、
それはレースとブレードとフリルがふんだんに使われたコーラルピンクのドレスだ。
 貰い物のコートだのペタンコバレーシューズだの幾ら貧乏とは言えどこかあか抜けない安っぽい服ばかりの着ていたジゼルが選ぶ事の無い様な、
言い換えれば何時もカラカラ虚しい音を立てる貯金箱を後生大事にしている彼女の財力では到底手のでないような豪奢なものだった。
「ジゼルも美味しいポジションについたわね。

 ――べ、別に羨ましいとかじゃないわよ!
 ただ、あんまり大変な目にあってるから、今度どこかへ気晴らしに連れてってあげようかな……なんて。
 お、思ったりしてないんだからね」
 ジゼルの髪の毛についた埃を払いながらそう言うユピリアに、ティエンは笑っている。
「お姉ちゃんツンデレ」
 と笑うティエンにユピリアはバツが悪そうに頬を染めた。
「会いたかった。すごく心配したんですよ。私達と一緒に帰ろう」
 加夜が語りかける様な優しい声で言った時に、彼らは異変に気づいた。
 何時もなら返ってくるはずの元気な声が無い。
「ジゼル?」
 身体を半分離してルカルカがジゼルの顔を見ると、ジゼルは困った笑顔で手で喉元を叩いている。
「もしかして……声が?」
 頷くジゼルに、医者であるダリルは反応してジゼルの横へ膝をつき、そして気づいた。
「……アクアマリンの欠片が――」
 何時も彼女の首の下で輝いていたあの宝石が消えている。
「奴らに取られたの!?」
 激昂するようなリリアの強い語気に、ジゼルは何かを考える様にしてから頷いた。
「許せないわ」
 たった一言だけ言って燃え上がる金の瞳からジゼルに視線を移して、エースは目を止めた。
「ジゼル、その足は……」
 裾のフリルから覗く薄いタイツに、赤い色が染み出している。
「足を伸ばして」
 指示の通りに伸ばしたジゼルの足から靴を脱がせると、
彼女の足の裏はまるで素足のまま硝子でも踏んだ様に血に塗れていた。
 ティエンに渡されたジゼルのハンカチで足を包み聖なる吐息を傷口と思われる部分に与えるが、
消えたのはハンカチで拭われた血の跡だけで傷口が見当たらない。
「これは一体……」
 戸惑っているエースの横からダリルの声が飛んでくる。
「ジゼル、これは誰の血だ」質問にジゼルは自分を指差した。
「では今歩く事は出来るか」今度は肯定も否定も見られない。無理に作った笑顔が逆に痛々しいくらいだ。

 ルカルカはダリルとコードの腕をひいて、部屋の隅でパートナー達と顔をつき合わせた。
「ダリル――」
「ああ、どう見ても普通の怪我じゃない」
「アクアマリンの欠片が無い影響なのか?」
「断定は出来ない、が可能性は高い。
 それにあの事件の日に仮死状態だったジゼルが意識を取り戻したのは、あの石の力によるものだろう。
 つまり石が戻らなければ、いずれ……」
 ダリルの言葉にルカルカは何も言わずにジゼルの元へ戻って行くと、何時もの笑顔と明るい声を努めた。
「さあ皆、今はこうしていても仕方ないわ!
 ジゼル、箒に乗ってここを出ましょう。それなら歩かなくても大丈夫だし窓から逃げられる。
 外に出たら近くの駐車場に高速飛空艇が用意してあるわ。それに乗り換えて学園へ――」
 自分に向かって伸ばされたルカルカの白い手を両手で包んで、ジゼルは首を横に振る。
「箒、乗るの怖い?」
 否定するジゼルに、ユピリアは「じゃあ何?」と促した。
 『えーっとね』と、目を半分にしながら人差し指を立てた両手を空中で上下にぴよぴよさせているジゼルに、
友人達が頭の上にハテナを飛ばしまくっていた時、加夜が口を開いた。

「もしかして、アレクさんに会いたいんですか?」
 『それです!』と指をさされて、加夜は「やっぱり」と呟いた。
「何よそれ、どういう事!?」こちらに向かって向けられたリリアの視線に、加夜は考えを口から出す。
「どんな理由があるのか分からないけど、アレクさんが一度ジゼルちゃんを助けてくれたことは事実なんですよね。
 だから、そうなのかなって思ったんです。
 ――その人に何かお話ししたい事があるんですね」
 『せーーかーいっ!』と頭の上でまるを作るジゼルの馬鹿っぽい笑顔に、ユピリアは頬を紅潮させて額を抑えた。
「何よ、心配したのに……結局いつも通りのジゼルじゃない」

 ルカルカはあれから扉付近に控えていたダリルとコードに向かって歩いて行った。
「二人とも、ルート変更よ。
 …………どうしたのダリル?」
「――いや。ルカ、気づいてるか?」
「何?」
「敵の配置がおかしい。
 あの傷からしてジゼルがこの作戦中に動けたとは思えない。
 つまり彼女は初めからここに居たという事になる。
 あちらの作戦行動が始まったのは俺達が突入するよりも前で、100人以上の隊士で目標を捜索していた。
 と言う事は、組織側で幾らか当たりを付ける事も可能だったはず。
 それなのに俺達の前に塞がったのも追いかけきたのも全て『雑魚』と言っていいような隊士ばかりだった」
「――罠って事?」
 眉を顰めたルカルカに、コードは意外な事を言った。
「その逆もあるな」
「……罠にせよ誘導にせよ、
 そんな事が出来るとすればそれは隊士全員に命令を出せる人物だけだろう」