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   十三

 葦原明倫館の書庫には、葦原島に纏わる数々の伝承や文献が残っている。
 それらに度々出てくる者がいる。
 五千年前、仲間と共にミシャグジを封印した「あるお方」。
 イカシとその子孫にミシャグジの封印を宿命づけた人物。
 五千年後、島が沈むことを予言した男。
 それらは全て同一人物であることが、今は分かっている。名はオルカムイ。葦原島の古い言葉で「梟」を意味する。
 この場にいるほとんどの者が、その名を聞いて衝撃を受けていた。
「オルカムイって……確かオーソンが言ってなかったっけ?」
 オーソンと房姫の会話を直接聞いた者は、この場にはいない。だが、ルカルカだけはオーソンの姿をその目で見ていた。
「ほう……あの男、まだ生きているのか。またぞろ、ろくでもないことを考えているのだろう」
「当たりじゃ。しかしそなた、まことオルカムイなのか? ミシャグジを封じ、<梟の一族>に見張るように命じた、あの?」
「無論、本物ではない。わしの肉体はとうに寿命を過ぎた……故に、この岩にわしの精神と知識を封じ込めた。幽霊のような存在だ」
「なるほど、確かにある意味『神さま』ね」
 シャノンはオルカムイの話を聞きながら、頷いた。
「ミシャグジの話は神話みたいなもんね。その元を作った人なら……なるほどね」
 しかしそれでは、メイリンバーガーの発展は望めそうにないと心の中で呟く。
「くく……本当に、何という無駄足を……くそっ!」
 ニケは膝を突いたまま拳を作った。地面に指の跡が何本も出来る。掴んだ砂をオルカムイに向かって投げつけると、今度はぺたりと座り込んだ。
「役立たず!!」
「そう言うものではない、若者よ……。わしには知識がある……その知識で、ごく稀に人の悩みを解いたこともあった……」
 グレゴワールの目がきらりと光る。
「そうか、それで貴公は『神』と勘違いされたのだな」
「この山には、人に夢を見せる妖がいる……。気持ちよく眠ったところを食らうもの、単に悪戯をするものと様々だが、それも相俟って噂が立ったのだろう……」
 ちなみにドクター・ハデスと高天原 咲耶、下川 忍が引っ掛かったのは後者の妖怪だ。ついでに言うと、食料は全て盗まれた。
「話してみるがいい……」
 オルカムイの深い双眸に見つめられ、ニケはぽつりぽつりと話し出した。
 ニケのパートナー、メアリー・ノイジー(めありー・のいじー)は機晶姫だ。見た目は小柄な少年だが、その実、人の絶望を何よりの悦びとする残忍な正確な持ち主でもある。……だがこれは、本来のメアリーではない。
 メアリーは時折、暴走した。プログラムか機晶石の不調――ニケもメアリー自身も、そう考えていた。いつか治してあげよう、普通に動けるようにしてあげようとニケは考えていた。
 それが一年ほど前のある事件の最中、遂にメアリーは元に戻らなくなってしまった。あの日、笑いながら去っていくメアリーの姿をニケは忘れることが出来ない。その日以来、メアリーは姿を消した。グレゴリーと名を変えて。
 ニケの話を、平太は驚きの眼差しで聞いていた。まるで、自分とベルナデットの話そのものだったから。そして初めて分かった気がした。ニケが自分に対して、取った態度の意味を。
「――話は分かった」
「何が分かったって言うんです?」
 ニケは投げやりに問い返した。
「……似た例をわしは知っている。おそらくそれは、プログラムのせいでも、機晶石のせいでもない。第三者の魂が、憑依しておるのだろう」
「――!?」
「問題は、それが何者か分からなければ、封じることも引き剥がすことも困難ということだ」
「では、それが分かれば……?」
「術(すべ)はある。よいか若者よ、どんな事象にも正しき対処の仕方があるものだ。まずは原因を突き止めるのだ……」
「原因が分かれば、封じたり引き剥がすことが出来るんですね!?」
 二人の話を聞いていた平太が、勢い込んで尋ねた。
「ベルを元に戻せるんですね!?」
「ベル――と言うのだな、今の漁火は」
「そうですっ。ベルナデットです! 漁火って人に、体を乗っ取られちゃったんです!!」
「――今、おかしなこと言わなかった?」
「言った」
 シャノンとルカルカが顔を見合わせる。言ったよね、と。
「『今の漁火は』と申したの。そなたは昔の漁火を知っておるわけじゃな? どれぐらい前から知っておる?」
 ミアに睨まれても、オルカムイは眉一つ動かさない。もしかしたら、表情はプログラムされていないのかな、とシャノンは考えた。
「遥か昔から知っておる……漁火は、わしが作ったのだからな」
「!?」
「どういう意味じゃ!?」
 直隆が再び太郎太刀の柄に手を掛けた。返答次第では、斬るつもりだ。
「より正確に言えば、漁火の元を作ったのがわしなのだ」
「意味が――」
「わしがこの世界に来てすぐの頃、子を失くして嘆く母親と会うた……。わしもまた、妻子を失くし、仲間も、国も全てを失ったばかり……。それで、ふと魔が差した」
「何をしたの?」
とレキ。
「……死んだ子を甦らせた」
 その場にいた全員が息を飲んだ。
「だが、うまくいかぬものよ。術は成功したが、子はわしにのみ従った。母親は嘆き悲しみ、わしを責め、……そして命を絶った」

「我が子が死んで嘆き悲しむ女がいた。そこに男が現れて、子供を甦らせた。女は大層喜んだ。
 けれど子供は、母の言うことを聞かず、男の言葉にのみ従った。
 女は男を責めた。男は已む無く、女に術をかけて殺し、子供と同じように甦らせた。
 ……しばらく後、女と子供を連れた男の姿が、時折見られるようになった。彼らが通った町は、死人の町と化した。男は、死神と呼ばれるようになった……」

 ルカルカは、書庫にあったという「死神」のおとぎ話を思い出した。言うことを聞かない子供に聞かせる、よくある類の物語だ。
「その話には続きがある……。わしと別れて後、息子の体は朽ち果て、子は母と一つになった。やがて再会したが、あれにはかつて人――カガリという名であった頃の記憶はなくなっていたようだ。幾人もの人間を取り込み、全く別の『漁火』となっていた……」
 その後、真の王から力を得たことは、オルカムイも知らないようだった。どうやらこの山にいると、外界の情報はほとんど入ってこないらしい。時折やってくる人間から話を聞き、情報を集めているのだろう。
「子の『生きる』本能が強すぎるあまり、他の生物を取り込み、乗っ取り、これまで生きてきた。また母の『生きさせたい』想いが強すぎるあまり、ミシャグジを我が子のように考え、自由を与えようとしているのだろう……」
「漁火にとっては、貴公は正しく神ということか。ならば、止めることは出来ぬのか?」
とグレゴワールは尋ねた。
「わしはここから動けぬ。漁火はわしを避け、ここには現れぬだろう。だがここに漁火を連れてくれば、その者を元に戻す手助けをすることは出来る」
「本当ですか!?」
「ただし、条件が一つある」
「!?」
 グレゴワールはオーパーツソードを構えた。オルカムイの言葉次第では、彼を討ち滅ぼすつもりだった。
「条件って……何ですか!?」
「わしは漁火を殺したくはない。まずはこれを分かってくれ……。その上で問う。この先一生、……人である身、然程長くない時であろうが、その時間をお前はお前の友、ベルナデットとどんな形であれ、過ごす覚悟はあるか?」
「……結婚、とか?」
「そうは言わぬ。ただ、共に過ごせばよい。決して手放すな」
 一つだけ言えることがある。北門 平太の十五年ほどの人生で、どんな問題であれ、彼は即決というものをしたことがない。これが、生まれて初めてのことだった。平太は、こう答えた。
「はい」
「……では話そう」
 ふと気づけば、周囲が明るくなっていた。結界に守られたこの場所でも、日の光は入るらしい。
「朝か……」
 そしてグレゴワールは、剣を収めたのだった。