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機甲虫、襲来

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機甲虫、襲来

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 九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)がここアルト・ロニアに立ち寄ったのは、偶然だった。
 しかし、偶然立ち寄った街でこのような事件に遭遇するなど、誰が想像できるだろうか。
 今やアルト・ロニアは正体不明の虫に襲撃され、急速に崩壊しつつあった。未だ熱気と炎が荒れ狂う街中には多くの人々が取り残され、救助を待ち侘びている。
 なぜこんなことになったのか。疑問に思う心はあれど、九条にとって優先すべきは、四方八方を瓦礫に塞がれ逃げるにも逃げられない住民を助け出すことだった。
 九条は素早く辺りを見渡すと、物陰に身を隠しながら移動し始めた。アルト・ロニアを襲撃したあの虫に見つからぬよう、細心の注意を払いながら九條は要救助者に近付いていく。
 契約者のみが成し得る、卓抜した身体能力を活かして瓦礫を乗り越えると――そこには、凄惨な光景が広がっていた。
「お母さん、しっかりしてよ! ねぇ、しっかりしてよ!」
「うわぁぁぁぁぁぁん、誰か、誰かパパを助けてぇ!」
 崩れ落ちた建物に巻き込まれたのだろう。瓦礫で挽き潰され誰の物とも分からなくなった腕や足に、子供たちが半狂乱の体で縋り付いていた。
 辺りには肉の焼け焦げた異臭が漂い、道路には真紅の鮮血が幾重にもこびりついていた。
(これは……)
 思わず顔を背けたくなる光景だった。胸中にやるせない気持ちと医者としての使命感が湧き上がり、燃え上がる感情が九条を突き動かした。
「皆さん、私は医者です! どうか落ち着いて下さい!」
 九条は重傷者に駆け寄ると、命の息吹を唱えた。軽傷者にはヒールを唱え、次々に傷を癒やしていく。
 だが、それでも子供たちの泣き叫ぶ声は止まない。
 不意に、一人の女の子が九条に歩み寄った。
「ねぇ、どうして!? どうして、私のパパは助けてくれないの!?」
 女の子が抱きかかえているのは、誰かの腕だった。
 肘から上は無い。切断面と思しき箇所は黒く炭化していた。
 女の子は、両目に大粒の涙を浮かべ、もう一度問うた。
「ねぇ、どうしてなの!?」
 九条は言葉に詰まった。
 医者と言えど、死んだ人間を蘇らせることは出来ない。
 沈黙を保つ九条の頭上から、竜の羽ばたきが聞こえてきた。
「そこにいるのは契約者か?」
 九条が上空を見上げると、そこには、ケイオスブレードドラゴンを駆る羽純と歌菜の姿があった。

 アルト・ロニア北部――
「洒落にならないわね、まったく」
『シャーウッドの森』空賊団が所有する旗艦アイランド・イーリの修理パーツ調達のためにアルト・ロニアに訪れていたリネン・エルフト(りねん・えるふと)は、虫たちの襲撃に巻き込まれ、街中を逃げ回っていた。
「ヘリワード、そっちはどう?」
 空賊団員と『要塞化』陣形を組んでいたヘリワード・ザ・ウェイク(へりわーど・ざうぇいく)は、向かい側の道路を指差した。
「虫はいないけど、なんかすっごい怪しい奴見つけたよ!」
「何ですって?」
 ヘリワードが指差した方向を見やると、白衣姿の男が大の字で倒れていた。
 見るからに怪しい男だった。さすがヘリワード、さすがの『ホークアイ』。目が良いのは良いことだ。
「じゃあ、ちょっと聞いてみましょうか」
 ヘリワードと空賊団員を引き連れて向かい側の道路に進入したリネンは、白衣姿の男の前に座ると、彼の頬を叩いた。
「起きて。事情を聞きたいの」
「う、うう……。そうだ、機甲虫は!?」
 猛烈な勢いで上半身を起こした男は、青ざめた顔で周囲を見渡し始めた。
「ア、アルト・ロニアがこんな姿に……もうお終いだッ!」
 白衣こそ薄汚れていたが、一応、それなりに精悍な顔立ちの男だった。歳は二十代後半だろうか。髪の色は金色で、顎には無精髭を蓄えている。
 リネンは男の顔を覗き込んだ。怯えを見せる男の顔を真っ直ぐに見つめ、尋ねる。
「機甲虫って、アルト・ロニアを襲った虫のこと?」
「あ、ああ。君も見たはずだ……奴らの脅威を!」
 リネンはヘリワードと顔を見合わせた。一瞬のアイコンタクトの後、男に向き直る。
「貴方、何者なの? あの虫のことを何か知っているの?」
 男は申し訳なさそうに俯くと、こう答えた。
「私の名は、ヨルク・ヴェーネルト。この街で研究者をやっている。
 ……大廃都は、知っているか?」
「たまに機晶姫が発掘されるってことぐらいなら。それがどうかしたの?」
 ヨルクはちらりとリネンを見上げた。
「私は、大廃都から発掘された古代の遺物を修理・研究している。まあ、ほとんど道楽のようなものだが……。
 実は二日前、大廃都から機甲虫が発掘され、私の下に持ち込まれてきた」
「機甲虫? あの虫が、貴方の下に?」
 ヨルクは視線を逸らした。やましいことを白状するかのような態度だった。
「私は、機甲虫が古代の兵器とは知らずに修理してしまった。
 ……信じてくれ! 本当に知らなかったんだ!」
「知らないのに直したって言うの?」
 リネンが詰問すると、ヨルクはどこか遠い目をしてみせた。
「ああ。少し前に――私の下に、機晶姫が訪れてきたんだ」

「知らない機晶姫だった。でも、真っ白で……綺麗な機晶姫だった」
 そこまで言うと、ヨルクは首をぶんぶんと振った。
「彼女は、あの古代兵器を機甲虫と呼んだ。そして、修理するための手順を教えてくれたんだ。
 誓っていい。本当の話だ。信じてくれ」
「ちょっと、幾ら何でも怪しいとは思わなかったの?」 
 ヘリワードが問い詰めると、ヨルクは俯いた。
「……あんなに危険な兵器だとは知らなかったんだ。知っていたら、修理なんてしなかった。
 こうなったのも、全て私の責任だ……」
 リネンは立ち上がった。押し黙るヨルクの肩を叩き、告げる。
「じゃあ、責任を果たしにいきましょ。貴方の知識で街を救うのよ」
 ヨルクの顔が曇った。
「で……出来るのか?」
「出来るかどうかじゃなくて。やるのよ。ベストは無理でもベター、代案なら用意できるかもしれないでしょ」
 ヨルクはしばし逡巡した末、腰を上げた。
「……分かった。倉庫に向かおう」
「倉庫?」
 ヨルクがこちらに顔を向ける。その顔には、決意が宿っていた。
「アルト・ロニアは、大廃都の遺物を発掘・保管するための街だ。
 倉庫の中を探せば、奴らを無力化できる物が見つかるかもしれない」
 リネンとヘリワードは互いに頷き合うと、ヨルクにこう告げた。
「いいわ、試してみましょ」