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リアクション
一章 復興作業
アルト・ロニアに現れた機甲虫を撃退してから、数日が経った。
「イーリの準備ができたわ。物資がくるわよ」
アイランド・イーリの寄港を要請したリネン・エルフト(りねん・えるふと)は、顔を上げた。
視線の先には、廃墟と化したアルト・ロニアが広がっている。完全に街並みが崩壊してしまったという訳ではなく、一部の施設はかろうじて原型を留めていた。
とは言え、厄介な状況である事に変わりは無い。莫大な量の瓦礫が広範囲に散らばっており、残存している施設のほとんどは電気系統がずたずたに引き裂かれている。
契約者たちの力が必要だった。イコンの使用が許可されたのも、全ては復興作業のためだ。
「やあ。また会ったね」
聞き覚えのある声が耳朶を打ち、リネンは振り返った。そこには、ヨルク・ヴェーネルトと2人の人物が佇んでいた。
ヨルクに付き添っているのは――ルカルカ・ルー(るかるか・るー)とダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)だ。恐らく、ヨルクの監視員としてシャンバラ教導団から派遣されて来たのだろう。
「ヨルク、釈放されたのね」
リネンがそう言うと、ヨルクは頬を掻いた。
「はは……まあ、何とかね」
シャンバラ教導団にたっぷりと絞られたのだろう。ヨルクの頬は少しやつれていた。
機甲虫のあの一件に関わっていながら、再びここに来るとは大した度胸だ。リネンは感心しながら、ヨルクに問うた。
「ねぇ、ヨルク。機甲虫がまた襲って来ないとも限らないわ。それに、例の白い機晶姫はまだ見つかってないんでしょう?」
「それはそうだが……」
淀むヨルクに、リネンはこう告げた。
「ヘキサ・アンブレラよ。あれを量産すれば、機甲虫と白い機晶姫からアルト・ロニアを守れるんじゃないかしら」
「ヘキサ・アンブレラは……シャンバラ教導団に回収されてしまったよ」
ヨルクはルカルカの方を見る。ルカルカは、軽く頷いてみせた。
「資料も全てシャンバラ教導団が持っていった。だから、今は何とも言えない状況だ。その辺りは分かって欲しい」
「じゃあ、万が一に備えてイーリにビームシールドだけでも装備させたいんだけど、いいかしら」
リネンがそう言うと、ヨルクは「うーん」と唸った。
「君の気持ちはよく分かるが……ビームシールドを認めてしまうと、他のイコンの武器も認める事になってしまう」
ヨルクが視線で示した先には、こちらを見やる街の住民たちの姿があった。
「この街の人たちは酷く怯えている。今、武器や兵器の類を見せる訳にはいかないんだ。復興のためにイコンを要請しておいてこう言うのは矛盾しているとは思うが……分かってくれないか」
「そうね……」
どうやら、機甲虫の駆除は大廃都を探索している契約者たちに任せるしかないようだ。
物思いに耽るリネンの頭上を、アイランド・イーリの影が横切った。
リネンとヘリワード・ザ・ウェイク(へりわーど・ざうぇいく)からアイランド・イーリの寄港要請を受けた時、ユーベル・キャリバーン(ゆーべる・きゃりばーん)は苦笑を漏らさざるを得なかった。
「街も大変ですけれど……空賊団の金庫も大変ですわよ?」
「費用は後でヨルクと教導団にツケとくわ」
「そう、ならいいですわ」
ユーベルは肩に乗る柔らかポムクルさんをコンソールの傍に置くと、ブリッジの文官たちに指示を下した。
「本艦はこれよりヒラニプラに急行! 必要な物資を調達でき次第、アルト・ロニアに向かいますわ!」
素早くヒラニプラで物資を調達した――勿論シャンバラ教導団に請求書は送っておいた――後、アイランド・イーリはアルト・ロニアに向け移動を開始した。
「ともあれ、用意はできましたから。すぐそちらに向かいますわ」
ユーベルがリネンとヘリワードにそう告げてから、しばし経った頃。アイランド・イーリは、アルト・ロニアの上空で降下準備を整えていた。
問題は土地である。アイランド・イーリは全長20メートルを誇る大型の飛空艇だ。アイランド・イーリがアルト・ロニアに停泊するにはかなりのスペースが必要であり、地面に横たわる瓦礫を撤去しなければならなかった。
「瓦礫が邪魔して降りられませんわね。どなたか瓦礫をどかしてくれません?」
ユーベルの声に応え、遠野 歌菜(とおの・かな)と月崎 羽純(つきざき・はすみ)が駆るアンシャールと、ネージュ・フロゥ(ねーじゅ・ふろう)と高天原 水穂(たかまがはら・みずほ)が搭乗するホワイトスノゥ・オーキッドが腕を伸ばす。
2機のイコンが7メートルにも及ぶ瓦礫を撤去したのを確認すると、ユーベルはアイランド・イーリをゆっくりと降下させていった。
着陸したアイランド・イーリは、病院船に様変わりしていた。
重要区画は閉鎖した上での運用となるが、それでも、住民は十分な恩恵を受ける事が出来た。
「これだけあれば、しばらくは保つわね」
ヘリワードとリネンは空賊団中型飛空艇とワイルドペガサス・グランツを駆り、今後使用するであろう医療品、食糧、寝具等の物資をアイランド・イーリから運び出していた。帰りは傷病人をアイランド・イーリに輸送し、行きは再び物資の輸送という流れだ。
【『シャーウッドの森』空賊団】の団員たちはと言うと、アルト・ロニア各地に散らばり、住民と契約者たちを繋げる窓口となっていた。
輸送の途中、ヘリワードは、その場から立ち去るヨルクとルカルカたちの姿を見た。
「ちょっと、ヨルク! もう行くの!?」
「機甲虫襲撃のせいで、倉庫に保管されていた遺物が散ってしまってね。全部、回収しなくちゃいけないんだ」
ヘリワードはリネンに視線を送った。
リネンは、頷いてみせた。
「分かったわ。頑張ってね」
「ああ。ヘリワードとリネンも、頑張ってくれ」
ヨルクが手を振って去るのを確認すると、ヘリワードは輸送作業を再開した。
「それじゃ、行きましょ。皆が待っているわ」
住民の支持が得られるなら安い――いや、決して安くはないのだが、恩というのは売れる時に売っておくものだ。
今後しばらく、【『シャーウッドの森』空賊団】はアルト・ロニア復興のために奔走し続ける事となる。しかしそれは売名行為などではなく、純粋にアルト・ロニアに住む人々を思っての行為。
アルト・ロニアの住民は、これ以降、【『シャーウッドの森』空賊団】に対して強い信頼を抱く事になる。
「上下水道再建の指揮を担当する佐野 和輝だ。よろしく」
作業員に自己紹介すると、佐野 和輝(さの・かずき)はブラックバードを空中で旋回してみせた。
ブラックバードは情報収集・解析用の機体だ。上下水道再建の現場指揮を行ってはいるが、本来の目的は機甲虫に関する情報を収集する事である。
数日前、ヨルク・ヴェーネルトの手記をスフィア・ホーク(すふぃあ・ほーく)に取り込ませた和輝は、第三者の存在を知った。
白い機晶姫。何者かは知らないが、その機晶姫によって先日の事件が引き起こされた可能性が濃厚だった。
加えて、厄介な事も判明した。手記によると、機甲虫には電波の送受信が行える器官があると記されていたのだ。
電波の送受信が出来るという事は、つまりは仲間との連携が行えるという事だ。即ち、機甲虫はあの一種類だけではなく、複数の種類――和輝が予想するに4種類以上――がいる可能性が高いと示唆していた。
一種類だけでも面倒だと言うのに、複数の種類が揃った時にはどうなってしまうのか。あまり愉快ではない未来を想像して、和輝は顔をしかめた。
(……やれやれだ。利用しようと行動したまでは良かったが、面倒事に巻き込まれてしまうとは。迂闊すぎたか)
ブラックバードのコックピットで、和輝は富永 佐那(とみなが・さな)にテレパシーを送った。
『富永。機甲虫の残骸は見つかったか?』
『残骸と思しき砂なら、先ほど見つかりました。そちらの様子はどうですか? 上下水道の設備に異常は見られますか?』
『電気系統に幾つか異常が見られる。なるべく早くこちらに来てくれないか』
『了解しました。今からそちらに向かいます』
予め契約者たちに根回しし、テレパシーで連絡できるようにしておいた甲斐があった。佐那は機甲虫の残骸回収及び電気設備の修理を目的とし、和輝は情報収集を目的としている。
互いの目的が合致している以上、協力しないというのは損な話だ。所属する学校こそ違うが、今はこの関係を保っておくべきだと和輝は思った。
ブラックバードの中枢でスフィアが演算処理を行う傍ら、和輝はアニス・パラス(あにす・ぱらす)に問いかけた。
「アニス、何か分かるか?」
上水道の工事現場を見下ろすアニスは、首を横に振った。
「分かるようで、分からないような……う〜ん、何だろう。誰かに見られてる気がする……うぅ、モヤモヤする〜!」
アルト・ロニアに来た時から、アニスは何者かの視線を感じていた。誰が見ているのかは分からないが、その視線には強い敵意のようなものが含まれており、どうにも居心地の悪い感じがした。
「白い機晶姫に監視されている――と見るのが妥当なところか」
和輝がそう結論づける。
直後、とある閃きが頭の中に浮かび、アニスは口を開いた。
「ねぇねぇ、和輝。折角だから他に施設を作ってみない? 例えば、地下シェルターとか」
アニスの発言に対し、スフィアが賛同の言葉を述べた。
「私も賛成です。新たに施設を建造するのであれば、地下シェルターが妥当かと思われます」
「そうだな……」
丁度、上水道の工事が終わり、下水道の工事が始まったところだ。下水道再建のついでに地下シェルターを作っておくのは、理に適っている。
「分かった。スフィア、設計は頼む」
「了解。地下シェルターの設計を開始します」
機甲虫の襲撃に備えての地下シェルターだ。まだ見ぬ機甲虫の能力も予測した上で、頑丈な物を作らねばなるまい。
スフィアは己の持つ能力をフルに発揮させ、地下シェルターの設計図を描き始めた。
「今からみんなの家を建てるねー!」
ネージュと水穂が搭乗するホワイトスノゥ・オーキッドは、住居の建設に着手した。
アルト・ロニアの住居は煉瓦造りだ。ホワイトスノゥ・オーキッドは道を塞ぐ瓦礫をどかすと、資材である煉瓦を積み重ねていく。
しかし、煉瓦造りの家は耐震性が低い。ネージュたちが積んだ煉瓦に作業員が独自の補強を施し、そうして一つの家が完成する。
日が暮れ、一つの区画に幾つかの家が立ち並び始めた頃、ネージュはスピーカー越しにこう告げた。
「ねぇ! ここに孤児院を作りたいんだけど、いいかな!?」
ネージュの提案に、作業員たちは頷いた。
「そうだな、いいんじゃないか?」
「この間の襲撃のせいで、親を亡くしてしまった子は大勢いるからな……。頼んだぜ!」
作業員の賛同を得たネージュは、孤児院の設計図面を取り出した。
以前にも、似た境遇の地で孤児院を建てた事がある。『子供の家「こかげ」』――それが、あの孤児院の名だ。
あの時の気持ちを思い出し、水穂とネージュは己を奮い立たせた。幸いにも、設計図面は手元にある。
「ねじゅちゃん、誰もが安心して暮らせるあたたかな孤児院を作りましょう!」
「うん! 子供たちに似合うのは、涙じゃない……笑顔だよ!」
二人の思いは確かなものだった。ここに孤児院を作る。その気持ちは、誰にも負けないぐらい強いものだった。
一夜明け、二人が乗るホワイトスノゥ・オーキッドは行動を開始した。木材を傷つけないよう慎重に運び、作業員の手に委ねる。
「1階には多目的室、事務室、遊戯室、トイレ! 2階には孤児の子供部屋、お昼寝部屋、図書室をお願いしますわ!」
大きな木材の運搬・組み立てはホワイトスノゥ・オーキッドが担当し、細かい仕上げは作業員が受け持った。
作業員も水穂らと気持ちは同じであり、誰もがよく働いた。太陽が中天に昇る頃には基礎的な作業が終わり、真新しい孤児院が姿を現していた。
「いい孤児院になりましたわ」
木材をふんだんに使用した孤児院は、来る者を拒まず、暖かく包み込んでくれるように見えた。
大きさも問題ないはずだ。多くの孤児が出入りする事を想定し、余裕を持った大きさに仕立てた。
「これなら、みんなも笑顔を取り戻せるよ!」
ネージュの言葉に、水穂は微笑んでみせた。
――ネージュと水穂が建設した孤児院は、後に多くの孤児を迎える事となる。
ネージュと水穂の二人も度々足を運び、孤児たちと時を共有していくが、それはまた別の話である。
「皆さん、一緒にがんばりましょうっ!」
歌菜と羽純の担当は、道路と病院の再建だった。
作業員に自己紹介と挨拶を済ませた二人は、アンシャールの高い機動性を活かして資材の運搬を務めた。アスファルトによく似た液体状の物体を箱ごと現場に運び、中身を道路に塗りたくっていく。基本的には地球で行われる道路の舗装と同じであり、非常に地道な作業の連続だった。
しばし作業を進めた後、センサーを通じて外部の気温を捉えた羽純がこう告げた。
「気温が40度を超えている。そろそろ休憩した方が良さそうだ」
見ると作業員は汗だくになり、相当に疲弊している様子だった。
やるべき作業はまだ残っている状態だが、ひとまずは休憩した方が良さそうだ。歌菜は、スピーカーを通してこう告げた。
「皆さーん、休憩にしましょう!」
おにぎりにサンドイッチ、おかずはタコさんウインナーに卵焼き、とんかつ、エビフライ、唐揚げ、ごぼうサラダ、ポテトサラダ。
飲み物は冷たいお茶が用意されており、デザートには寒天ゼリーが振る舞われた。
これらは皆、歌菜と羽純が作ったお弁当だ。
作業員は口々に「美味い」「こんな美味いもの食べるのは初めてだ」と言い、弁当を作ってきた歌菜と羽純に感謝を告げた。
作業員の疲れが取れた頃を見計らい、羽純が告げた。
「さて、作業を再開するか。歌菜、頼む」
「うん! 羽純くんも、無茶はしないでね!」
元気よく返答する歌菜に、羽純は微笑を浮かべた。
(いや……まだ油断は出来ないか)
首を振り、いつもの仏頂面に戻る。今はまだ、安心できる時ではない。
機甲虫が再び襲って来る可能性は高い。羽純は歌菜と共にアンシャールに乗り込むと、作業を再開した。
日が傾き始めた頃――羽純たちは、ようやく一区画の道路の舗装を終えた。
(次は、病院だな……)
少し休憩を挟んだ後、羽純は病院の再建に取りかかった。崩れた外壁をアンシャールが運び出し、内部を露わにしていく。
綺麗に瓦礫を取り除いた後、作業員数名が病院跡地に入り込んだ。病院に残された設備を順番に点検し、まだ使える設備とそうでない設備を選り分けていく。
結果、一部の設備に問題が生じているのが判明した。羽純は難しい顔になると、歌菜にこう告げた。
「電気設備が壊れているようだ。修理をする必要があるな」
しかし、アンシャールにはそういった物を修理する機能は無い。
作業員にも技師は少数いたが、設備を修理するには人手が足りないようだった。
「うーん……そうだ、佐那さんに頼んでみよう!」
閃いた歌菜が早速、携帯電話越しに連絡を入れる。佐那は修理を快諾すると、すぐに駆け付けてきた。
技師たちと協力して病院に入った佐那は、しばし設備周りを見た後、こう告げた。
「どうやら、配線に問題があるようですね」
今回、佐那はイコンを使っていない。工具箱一つでアルト・ロニアを回り、設備の点検・修理を行っていた。
崩落した病院の内部に入り込んだ佐那と作業員たちは、まず発電機を見た。
病院には、緊急時に備えて外部とは独立した発電機が設置されているケースが多い。その発電機がトラブルの原因となっている可能性も、否定は出来なかった。
「なるほど。発電機自体には異常は無いですね。しかし……」
発電機は無事だが、配線に問題があった。先日の機甲虫襲撃によるものか、配線の幾つかが寸断されてしまっていたのだ。
「佐那さん、どう?」
携帯電話越しに歌菜が尋ねた。
佐那は一旦その場から離れると、マグライトをポケットにしまった。周囲を見渡して安全を確保した後、歌菜に告げる。
「配線に異常がありました。今から修理したいと思います」
「うん、分かった。何か必要な物があったら言ってね。すぐに調達してくるから」
佐那は埃にまみれた顔を拭うと、腕を振ってアンシャールに応えた。
(さて、修理の前に……)
一つ気になる事があり、佐那は作業員に問うた。
「この壁の破損具合からしますと、機甲虫のレーザー照射の直撃を受けた様に見受けられますが……この辺りの地区にも機甲虫が来襲したのですか?」
作業員たちは首肯した。
作業員たちの話によると、初期に被害を受けたのがこの辺りだったと言う。
佐那は屈むと、地面に手を伸ばした。辺り一面に散らばる灰色の砂に触れ、しばし黙考する。
一見するとただの砂のように見えるが、独特の手触りがあった。埃や粉塵の類とも違う感触だ。
状況から考えるに、これらの砂が機甲虫の残骸である可能性は高かった。成分を分析できれば、イコン等の装甲強化に役立てるかもしれない。
佐那は砂をサンプルとして採取すると、作業員たちと向き直った。
「では、配線の修理を開始します」
再び病院奥の暗所に潜り、配線を一つずつ見ていく。
寸断された配線を修理していく中、ふと、佐那の脳裏にパートナーの姿が浮かんだ。
(エレナとソフィアは無事にやっているでしょうか)
佐那は首を振ると、眼前の作業に没頭した。
エレナ・リューリク(えれな・りゅーりく)とソフィア・ヴァトゥーツィナ(そふぃあ・う゛ぁとぅーつぃな)は、仮設住居の前で子供たちの面倒を見ていた。
「この子たちも、オテーツやマーツィが居ないのですか? 私と、同じ……なの、かな?」
ロシア語でオテーツは『父』、マーツィは『母』という意味だ。
孤児たちを前にして問いかけるソフィアに、エレナは優しく語りかけた。
「ソフィア? この子たちは、心ならずも親が神の身許へ召されてしまったのですわ。あなたなら、その気持ちは分かると思います。あの子たちの、お姉さんになってあげて下さいな」
ソフィアは頷くと、空き地で遊ぶ子供たちの輪に加わっていった。
(あの子も両親を失った身……。同じ境遇を共有できる人々との交流は、あの子にとって、必ず自らの糧になる筈ですわ)
ソフィアは、とある施設で人体実験を受けていた強化人間の少女だ。暴走状態にあったものの佐那によって救出され、その後、佐那とエレナの意向で養子として引き取られたという経緯がある。
肩書きこそ養子ではあるが、佐那とエレナにとってソフィアは大事な家族だ。ソフィアを心身共に支えたいと強く思う気持ちに、嘘偽りは無かった。
「わたくしも、やるべき事をやらなければなりませんわね」
エレナは立ち上がると、仮設住居の近くに設置されている簡易厨房に向かった。
あの機甲虫の襲撃から数日が経った。住民はきっと飢えているだろう。炊き出しをするべく簡易厨房に入ったエレナを待っていたのは、シン・クーリッジ(しん・くーりっじ)だった。
「不幸の条件ってのを知ってるか?」
ぐつぐつと煮える鍋を適度にかき混ぜながら、シンは言った。
「ずばり三点。暑い、寒い、腹減った、だ。ここに来るって事は、てめえもそう考えてると見た。よろしく頼むぜ」
傍には紙皿と割り箸が大量に用意されており、口調とは対照的なシンの優しさが窺えた。
「ええ、よろしくお願いしますわ」
エレナは微笑を返すと、早速調理に取りかかった。エレナが作るのは、ボールシュチュやセリャーンカ――いわゆる、ボルシチやソリャンカといったロシアを代表するスープだ。
食欲をそそる匂いが辺りに漂い始め、シンはにやりと笑みを浮かべた。
「いい匂いだ。オレも負けてはいられないな……!」
「あなたの作るポトフも、優しい匂いがしますわ。心を込めていらっしゃるのですね」
料理は愛情。二人は笑みを返し合うと、己が作る料理を最高のものに仕立て上げるため、全力を振るった。
「この地区の出身なのね? 何して遊びましょうか?」
アルト・ロニアの子供たちに人気のあるスポーツは、サッカーだった。
正確には、サッカーに近い競技と言うべきだろうか。ソフィアは孤児たちに混じり、ボールを蹴り合った。
孤児たちとサッカーに興じる中、ソフィアは思った。
この子たちに父と母はいない。だが、なぜだろう。皆、とても元気なように見えた。
ふと見せる涙を拭い、彼らは一心不乱にサッカーに熱中した。
空元気か。それとも、悲しみを忘れるための代償行為か。
分からないが――少なくとも、彼らが『強い』のは分かった。
(私たちの前では悲しみを見せようとしないなんて……)
彼らの境遇を思うと、ソフィアの目尻に自然と涙が浮かんだ。
ソフィアと彼らの境遇は似ている。だと言うのに、彼らは悲しみを見せず、笑って日々を過ごそうとしている。
――強い。この子たちは、とても強い。
憧れを抱いた。自分も、ああなりたいと思った。
皮肉なものだ。子供たちを勇気づけようとして――逆に、自分が勇気付けられてしまうとは。
「あの……僕たちも混ざっていいですか?」
空き地でサッカーをしていると聞きつけた孤児の少年が、ソフィアに問いかけた。
ソフィアはにこりと微笑むと、少年に優しく答えた。
「私は、ソフィア。あなたのお名前は?」
「はい、終わりましたよ。しばらくは、安静にした方が良いでしょう」
九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)は、仮設住居を一件一件診て回っていた。
傷病人が自力で動けるとは限らない。中には、声を発する事もできない者もいる。
九条はそんな彼らを少しでも救うべく、地道に診療を続けていた。
手術が必要な者や、ある程度設備が整った場所でないと治療できない者は、リネンとヘリワードに頼み、アイランド・イーリに運んで貰っていた。
とは言え、アイランド・イーリの収容人数にも限界はある。リネンらと互いの状況を報告し合いながら、九条は慎重に患者の容態を見極めていった。
ふと、とある仮設住居を訪れた際に、九条はこんな話を聞いた。
「聞いたかい、先生。ここに孤児院が出来るらしいよ」
それを聞いて、九条は少しほっとした。孤児のための施設は必要だと思っていたのだ。
全ての仮設住居を回ったら、噂の孤児院を見て来よう。次の仮設住居に向かう九条の下に、男の子が訪れてきた。
男の子は、膝をすりむいていた。九条は屈み込むと、男の子の膝にヒールをかけ、こう問うた。
「他に痛いところは無いかい? 大丈夫、話してごらん――」
炊き出しを待つ人々の列を前にして、シンは告げた。
「お代わりは沢山ある! また食いたくなったら、ここに来な! サービスするぜ!」
住民の空腹を満たすため、シンは手渡しでポトフを配っていった。傍らでは、エレナとソフィアが協力してボルシチとソリャンカを人々に配っている。
炊き出しを待つ住民はかなりの数に上ったが、心配は無用だ。簡易厨房では、大量のポトフとボルシチ、ソリャンカが今か今かと出番を待ち侘びていた。
「へへへ……あいつら、喜んでくれるかな」
「ええ。きっと、喜んでいますわ。その証拠に、ほら――」
エレナが視線で示した方を見ると、涙を零す住民の姿があった。
悲しみの涙ではない。久しぶりに美味しい食事を口にできた事に感謝しての、嬉し涙だった。
「マーツィとシンが作った料理は、明日を生きるための糧になります。きっと――いいえ、絶対にです」
ソフィアの言葉に、シンは何だか照れくさくなった。
「ああ……いや。てめえもだ、嬢ちゃん。スープ作る時に手伝ってくれただろ? だから……」
シンとエレナがスープ料理を作っていた時、途中から参加したソフィアが甲斐甲斐しく手伝ってくれたのだ。
照れくささのあまりどもりながらも、シンは告げた。
「て……てめえも、その一員だって事だよ」
シンの言葉に、ソフィアはきょとんとした後、にっこりと笑った。
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