リアクション
第4章 善と悪
どのような罪を犯したとしても、貴族は貴族らしく扱われるものだろうか。その暮らしぶりをヴォルロスの市民が知れば、不満を漏らしたことだろう。
シャンバラ、そしてヴァイシャリーへの配慮なのか、地下牢のジルド・ジェラルディは囚われの身でありながら、鉄格子を外してしまえば、それは殆ど地上と変わりない暮らしに見えた。
石の床には絨毯が敷かれ、書き物用に机や椅子があり、ベッドはまずまずふかふかで、タンスもある。
湿気も、調度品の質も、長年当主を務めてきた貴族にとっては我慢ならないであろうが、陽がささないことさえ除けば、ヴォルロスの一般市民の生活よりも良いとさえ言えた。
机に向かっていたジルドは、コツコツと石の床に二組の足音が反響して気付いたのだろう、羽ペンを置いて身体をこちらに向ける。
髭もきちんと手入れしてるのね、と崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)は妙なこだわりに感心する。実際沐浴も毎日要求し、牢の中で運動もしているとかで、牢の外と変わりないように見えた。
亜璃珠を案内してきた衛兵は椅子を牢の前に置くと、近づきすぎないことと念を押して、入り口の方へ戻った。遠くで、鍵ががしゃんとかけられた音がした。
ジルドは牢の中でも堂々と、彼女を見ている。実際面会者よりも囚人の椅子の方が豪華だった。
「何故ここに来た?」
「見届けるって言っちゃったものね。牢に放り込んで終わり、っていうのはねぇ。
貴方が許されるとは思わないけど、別に嫌いじゃないのは本当よ。誰を敵に回しても愛するものを、っていう精神はね」
亜璃珠独特の考えではあったが、ジルドはそんな人間もいるのだろうと納得したようだった。自身も自分がいわゆる「善」に従うような一般的な生き方ではない自覚くらいはあった。
「邪魔をしたあのメイドは連れていないのか?」
「マリカ? ああ、盗みを働こうとしたお詫びにアステリアまで短期奉公を……」
言いかけて、それは本題ではなかったと、彼女は自分の疑問をぶつけた。
「まそれはさておき、不躾だけど疑問が2つありますの」
その1。彼がやったことについて。
その2。レベッカをどうするつもりなのか。
「穢れ、パナケイア、何よりあの島。貴方程度……いえ、個人レベルでやるにはどうも仕掛けが大掛かり過ぎると思うんだけど、一体何処から知識と設備を持って来たのか」
「私の背後には何もない」
ジルドは口元を可笑しそうにに歪めた。
「結局、私のしたことはこの海域の穢れのサイクルを早めたに過ぎない。あの島は結果であり……あれが私の目的ではなかった。力を得た蛇がパナケイアをもたらせばそれで良かったのだ」
設備も知識も大抵のことは金で解決できた、とジルドは続けた。
「それに足りない分はこの海域のものでね……過去の怪物が出てきたときの知識などもね、あのシャントルイユ家の息子に頼んで手に入れた」
「そう。それと、結局、レベッカ……ああ、新しい方のね、あの子の事はどう思っていたのか。
貴方が情愛からレベッカを生き返らせようと、全く同じものを作ろうとして彼女を求めた、という前提で聞きますわ。途中からは色んなものに目が眩んでいたような気がするけど」
「その通りだよ、レベッカを作ろうとした、が、あれは失敗作だ」
亜璃珠は不快に、眉をひそめるが黙って続きを聞く。
「レベッカと同じにはならなかった。口調も表情も、そして生まれてきてからの記憶の全てもあれにはなかった。出来損ないの人形だ」
「女の腹から産まれてなくても、娘は娘でしょう。少なくともあの子にとっては貴方しかいなかったわ。
事が事だから、貴方に下る処分は分からないけど……また彼女に会う事があったら、よく考えてあげてくださいな」
このジルドに彼女を今どうこうする権利があるのかは分からない。しかしもしレベッカが望んで会うことがあれば、彼の言葉は否が応でもなしが鹿の影響を与えるだろう。
父親の責任なるものがあるとしたら、果たしてもいいんじゃないか?
「まあ最悪のところ……そうね、貰ってもらえばいいんじゃない? フェルナンに。どっちがどうレジーナでレベッカなのかも、縁談だって有耶無耶になってるでしょうし。
娘を送り出す父親の気持ちって、私には分からないのですけど、ねえ」
「出来損ないの人形だと言ったはずだ。それにお前が言ったように、私には独りでは本物の命を作り、魂をナラカからすくいあげることなどできなかった。
知っているか、ホムンクルスの寿命は極めて短い。あれもそう長くは生きまい。あと何年生きるか……ことに術者たる私や、別荘の設備を失えば、もっと短くなってもおかしくない。
フェルナン君は人間だからな、人間ですらないあれをわざわざ貰ってやったりはしないだろう。そんなことをすれば経歴や実家の商会にとって痛手になる」
彼は、少しも悲しくなさそうだった。
寧ろ、見下し、憎んで……一度望んだレベッカを得られなかったことへの怒りを彼女にぶつけているようだった。
「この話を誰にするかはお前の自由だ。お前のそうした方がいいと思うなら、あれに伝えてやるのもいいだろう」
亜璃珠が立ち上がって牢の入り口に戻った時、次の面会者である関谷 未憂(せきや・みゆう)とすれ違った。未憂は硬い表情だ。
次に地上に出た時、彼女を待つプリム・フラアリー(ぷりむ・ふらありー)が心配げに立っているのを見付ける。
プリムは彼女に小さく頭を下げただけで、ぼうっと道を行く人の流れを見ていた。
昼の太陽はやがて傾き始めていた。面会時間いっぱいまで、未憂は地下にいるとプリムの下へ戻ってきた。
「……お祭りに行きましょうか」
心配かけないように笑って言う未憂に、こくり、プリムは頷く。
ヴォルロスへ移動する合間、未憂はジルドの言葉を何度も反芻する。
ジルドは貴族の当主だったから、それなりに多忙な日々を過ごしていたはずだ。しかしレベッカが生まれた日のことも、始めて笑った日のこと、パパと呼んだ日、寝返りを打った日、つかまり立ちした日、嫌いな食べ物を投げ捨てたことも、庭で転んで大泣きしたことも……すべて、事細かに覚えていた。
生前の娘のことを滔々と、語り続ける彼は、恐ろしいようにも見えたが、とても嬉しそうだった。男手で育てて来た一人娘を失って悲しむ、ただの父親に過ぎなかった。
ジルドは、娘を愛していたと何の迷いもなく言い切れる。同時に同じ口で、他の人間はどうでもいいと言うことができながら……いや……だからこそなのか。
狂気と正気の間にあって、彼の中の善は世間の不善であり、世間の不善は、悪は、禁忌は、善であり、なくてはならないものだった。それが人と違うと知っていながら。
話を聞き終えた未憂は、彼に一つお願いをした――それは彼女自身のためか、それとも……。
「……大丈夫、みゆう?」
「うん、大丈夫よ。それより、これもって来たの、着替えに行きましょ」
樹上都市に着いて、未憂は袋から仮装の衣装を取り出した。仮装というには控えめだったが、普段イルミンスールの制服でいることが多い彼女にとっては明るい色の、景色になじむようなドレスを持ってきていた。
未憂には黄緑の、プリムには黄色のドレス。落ち着いたデザインだが、薄い素材を重ねて少し華やかさを出している。
二人は手を繋いでお祭りを見て回った。
復興中のヴォルロスとはまた違う活気の中で、花妖精や客たちのドレスが木々に色とりどりの花を咲かせているようだ。
未憂も、少しずつ心が上向いていくように感じた。
見て回って、食べて、おしゃべりをしていくうちに(といってもプリムは言葉少なかったけれど、普段よりお喋りだったように思えた)、少しずつ楽しい気分になってきていた。
*
樹上都市には幾つか高いところに、見張り台のような場所が設けられていた。
本当に見張り台になっていたり、ただ見晴らしがいいから見晴らし台になっていたりした。
しかし今は、そんな景色より人々はお祭り会場に集まっている。
そのうちの一つ、ひっそりと静まったところで、集まっている人たちの頭を見ながら、木を組んで作ったアウトドアテーブルに、突っ伏すようにしている一人の少女。
牛皮消 アルコリア(いけま・あるこりあ)。
テーブルの上にも下にも何本ものお酒の瓶や、お茶やお湯の入ったポットや、カップが散乱している。
それは伸ばした手で、ワインをグラスに注いで、顔を起こしてぐびぐび飲んでいると、遠くから足音が聞こえた。
アルコリアの目はちょっととろんとしているが、それは酔いのせいか、眠かったからか、ともかく気が抜けていた。ぼんやりする頭で、青い空と水平線を見ながら、近づいて来ないといいなと思ったが、そのきびきびした均等なリズムは願いに反して近づいてくる。
「不審者と思ったらお前か。……茶は注ぐか?」
視線をやると、パートナーの
シーマ・スプレイグ(しーま・すぷれいぐ)は、こんな時でも姿勢がいい。
飲みたかったら自分で飲む、と言う風にだるそうに手を振ると、
「いらんか、そうか……酒はほどほどにしておけよ」
独りでいたいのに、お世話は断って追い返そうかな、などとアルコリアが思っていると、立ち去る気配もなく、シーマが訪ねた。
「……なぜ、あんなに懸命に戦った? いつもああなら、ボクも、その……なんだ、全力で手を、貸せるのに……な、と」
なんだ、あの蛇の事か、と。
「私はいつも全力だよ。既に死んだ身だもの」
アルコリアは瓶の中から強い酒を選んで掴む。
「戦うときは全力だよ、私は弱いもの。……多分シーマちゃんの聞きたい事への答えはこうかな」
体を少し起こして、グラスに注ぐ。
「誰かを救うための戦いも、何かを奪い傷つける戦いも、勇者様もモヒカンも同じにしか見えないのよ。自分の都合のいいものを選択し、良い正しいと……そういうのが嫌い。
全部間違ってると言いたいの、だから私は全部になって、お前は違うと言われたい。あなたは正しいと言ってもらえない世界なら、間違っていると思う全てになればいい、それだけよ」
強い酒を一気に飲み干し、笑った。
その答えに、シーマは満足できなかったのだろうか。
「そうじゃない、誰かを救うための戦いだったろう?なぜそうしないのかとボクは……っ」
「それ以上言わなくていい、貴女は私の最初のパートナーなんだから、わかっててもわかりたくない、それでいいじゃない」
言い切ると、大丈夫と示すようにか、アルコリアはティーポットにお湯を入れると、カップに紅茶を注ぎいれた。
鼻先に近づけて香りを楽しむ。
(……儚いなぁ、とても華やかな香りが1分と持たずに消えてしまう)
その様子はシーマにはじれったいようだった。
「お前はっ。だが、それでも……」
「世界よ平和であれとみんな死んでしまえが同じにしか聞こえないのよ、どうしろというの」
呟いて彼女は空を仰いだ。
空を美しいと思う。海を美しいと思う。だがそれがどうしたというのか……。
だらだらと、そんなことを言うアルコリアはシーマの方を見ていない。
「……っ! 見回りに戻る、酒はほどほどにしておけっ!」
叱りつけるように言って、シーマはくるりと踵を返し、見回りという名目で、デッキをただ歩いた。目的地などない。目的などない。
見回りなど、したってしなくたって、平和になった今、そう変わらないだろうに……。
(どうしたらいいのかわからん……あいつはどこかおかしい。
だが、言いたいこともわからないわけでもない…何がおかしいのかわからなくなる……)
それが自分が機晶姫だからなのか。それとも自分の性格のためなのか。アルコリアと過ごした時間のせいなのか……。
それともアルコリアの言う通りで、世界が間違っているせいなのか。
シーマには、分からなかった。