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【3章】サプライズに向けて


 大教室には多くの妖精と契約者たちが集まり、幾つかの班に分かれて菓子作りに取り組んでいた。
 リト・マーニ(りと・まーに)は各テーブルの間をうろうろと歩き回り、妖精たちの肩越しに作業の様子を眺めては、どの班に混ざるかを決めあぐねている。というよりも、「どの班のお菓子なら作ることが出来るのか」を見極められずにいると言うべきだろうか。
 白波 理沙(しらなみ・りさ)ノア・リヴァル(のあ・りう゛ぁる)は、テーブルを囲む妖精たちの熱い視線を受けながら、製菓材料と道具の説明をしている。子ども園で加工するチョコレートのベース部分の作成を頼まれたので、彼らは手始めに型抜きチョコを作ることに決めたようだ。
「まずは簡単なものからね。もちろん、元々それなりに作れる人はちょっと手の込んだものに挑戦しても良いと思うけど」
 理沙はそう言いながら妖精たちにレシピ本の内容を示し、自らその手順を実践して見せる。集落内ではチョコレート自体を見る機会も限られているので、妖精たちも興味津津といった感じでその様子を見守っていた。
 ある程度教えてしまうと、理沙は自分でも皆に配る用のチョコレートを準備し始める。作業の合間に妖精たちの様子を確かめては、アドバイスすることも忘れなかった。
 その傍らでは、ノアが「もう少し手の込んだものを作りたい」という妖精たちと共に、ガナッシュ作りに挑戦している。主に生クリームの扱い方について教授しているようだ。
「お菓子作りって好きなんですよねぇ。私、お菓子を作るの教えたかったんで嬉しいです」
 ノアは本当に楽しそうな笑顔を浮かべてそう言った。
「だって、皆で作る方が楽しいですし。美味しくできるように皆で頑張りましょう♪」
 同じテーブルでは、早乙女 姫乃(さおとめ・ひめの)チェルシー・ニール(ちぇるしー・にーる)の助言を聞きながら、板状のチョコレートを細かく刻んでいる。
「えっと、私は普段あまりお菓子を作った事は無いんですよねぇ……チェルシーさんは……えぇと……」
「あ、わたくしは自覚はしてますので心配無用ですわ」
 姫乃の言葉を受けてチェルシーは笑顔でそう答えたが、内心では少し釈然としない思いも抱えている。
(おかしいですわね……何故、毎回全く違うものが……)
「でも、教える事はできますのでご安心くださいませ」
 知識なら一般人レベルのチェルシーと、
「はい、教えてもらえるのなら私でも作れますよね?」
 作り慣れていないだけで不得手ではない姫乃。二人で協力すれば、きっと美味しいものが出来るだろう。
 彼女らの様子を眺めていたリトは自分にも出来る気がして、そっと妖精たちの端に混ざり、大元のチョコレートを手に取った。
 そう、これが「ちょこれーと」というものなのだ。ハーヴィの台所でトリュフ作りに失敗したのは、この茶色い固形物の存在を知らなかったからに過ぎない。だから今なら、きっと成功する。しかも型抜きチョコレートは、チョコを溶かして固めるだけで出来上がるのだ。これで失敗するわけがない ――そう、リトは自分に言い聞かせたのだが。
 妙な臭いを感じて理沙が駆け寄って来た時にはもう、暗黒物質が生成されていた。
 どうやら湯煎をせずにチョコを鍋に放り込み、直火にかけたらしい。鍋の底が真っ黒だ。
 そして理沙やノア、周りの妖精たちに慰められながら、リトは沈む気持ちでその鍋を洗うのだった。


 こちらはまた別のテーブル。
 芦原 郁乃(あはら・いくの)が元気な声でパートナーの紹介をしている。
「わたしはね……お料理苦手なんだ。だ・か・ら! 今日はとぉ〜ってもお料理得意な講師をお呼びしましたぁ」
「もぅ郁乃様ったら……講師だなんて恥ずかしいです…」
 郁乃の隣で、秋月 桃花(あきづき・とうか)は少しはにかみながら、集まった妖精たちに笑顔を向ける。
「桃花っ! 今日はみんなにお〜〜いしいお菓子の作り方教えてあげてね」
 妖精たちは期待に満ちた眼差しで桃花を見つめている。その様子を見て、桃花も逃げることは出来ないと覚悟を決めた。
「今日はどうぞよろしくお願いいたします。微力ながらお菓子つくりのお手伝いをさせていただきます」
 ぺこりと頭を下げてから見回した妖精たちの瞳は、澄み切ってキラキラと輝いていた。これならきっと美味しいお菓子が出来る、と桃花は確信する。
「えっと…トリュフの作り方を知りたいということなので、今日は三つの味のトリュフを作ってみましょう」
 三種類のチョコレートとそれぞれに対応する食材を示しながら、桃花は講義の導入に入る。
「いいですか?力まず、緊張せず、楽しみましょう。笑顔のないお菓子は食べても美味しくありませんからね。――そうそう、最後に大切なことがあります。作るときは、あげる人のことを、大好きな人のことを思い浮かべてくださいね。そうすれば、かならず美味しい、幸せなお料理ができますよ」
 そして桃花の「さぁ始めましょうね」という言葉とともに、トフュフ作りは開始された。
 サーラ・ヴォルテール(さーら・ゔぉるてーる)夏 華苺(しゃ・ふぁーめい)、それに華苺の友達・雛菊の妖精は、仲良く並んで調理をしている。
 正直な話、サーラは菓子の贈答によって異性の歓心を得ようという試みについて、あまり褒められるものではないと思っていた。
(――しかし、乙女の祈りをこめてとなれば認めざるを得ませんね。……それにお菓子一つ作ることが、このように大変なものだとは思いませんでした)
 それでも、忙しなく妖精たちの間を周ってアドバイスをしている桃花の姿を見ていると、感心せずにはいられない。あんなに上手く作り、教えている上に、それを楽しんでいるのが伝わって来る。桃花はお菓子を作ることが心から嬉しくてたまらないのだろう。それも相手に送る気持ちが籠っているということなのだろう、とサーラは思った。
 その桃花が、サーラや華苺たちの下へもやって来る。
「サーラさん、そんなに力まないで、雛菊さんももっとリラックスしてください。華苺ちゃんも緊張しないで、楽しみましょう」
 そう言うと、桃花は丁寧にトリュフの作り方を説明して、少量ではあるが実際に見本を作って見せる。それを何とか真似ながら、華苺たちもチョコを刻み、溶かし、丸めていく。
 作ったのは、紅茶のトリュフ、ブランデー漬けレーズンのトリュフ、それに抹茶のトリュフの三種類だった。それぞれ紅茶にはミルクチョコレート、レーズンにはビターチョコレート、抹茶にはホワイトチョコレートを使っているため、完成すれば様々な風味のチョコが楽しめるという寸法だ。ちなみに、抹茶は他の参加者に分けて貰った香りのいい本格派である。
「わ〜い♪ できました!」
 あわあわしながらも自力でトリュフを作り上げた華苺は、満面の笑みを浮かべている。
「サーラさん、雛菊ちゃん、わたしのチョコもらってくれますか?」
 小首をかしげながらの上目づかいでそう言われて、サーラが拒絶できるわけはなかった。雛菊も明るい笑顔で応え、三人でそれぞれのチョコを一つづつ交換することにする。
 一方の郁乃は、桃花が指導した妖精たちの作業を眺めながら、羨ましさを感じていた。
(いいなぁ……みんな楽しそうに作ってるなぁ……わたしもやりたいけど……また巨神兵なんか作ったら集落に被害が出ちゃう……なんせ絶対ないっていえないからなぁ)
 そんなことを考えながらふと視線を華苺たちの方へ点じると、丁度三人でチョコの贈り合いをしているところだった。
「あれ? サーラも華苺も交換こして……って……ねぇわたしの分はぁ〜〜!」
 思わず声を上げた郁乃だったが、その時そっと肩に触れた手の感触に気付く。振り向くとそこには、優しい笑顔の桃花が立っていた。
「どうぞ」
「え?桃花がわたし用を? わ〜い、ありがとぉ〜〜♪」
 抗議の気持ちはどこへやら、郁乃は満面の笑みを浮かべてそのトリュフを受け取ったのだった。


 高崎 朋美(たかさき・ともみ)率いる高崎家のテーブルでは、また異なる趣の試みが行われようとしていた。楽しんだ者勝ち! と言い切った朋美は、フラワーリングに独自のバレンタイン文化を立ち上げるべく妖精たちを招き寄せる。
 バレンタインにチョコを贈るのは日本だけのこと。それも比較的最近導入された文化なわけだから、今からまた少しアレンジを加えてもかまわないのではないか、と朋美は思う。
そこで考えついた菓子が、あのしっとりと柔らかな和菓子だった。
 ――以前京都で食べた、生八つ橋。その餡をソフトチョコ、それも少しビターなのにしたら美味しいのではないか。
「チョコは濃い紅茶が、ほんわかミルクティーにあうけど、それだったら普通の緑茶に合うかも。……お抹茶? それでもいいかな」
 どうやら考えをまとめたらしい朋美は、パートナーの高崎 トメ(たかさき・とめ)高崎 シメ(たかさき・しめ)に向き合って言う。
「お茶の用意はシメおばあちゃんにお願いするね。トメおばあちゃんは、お菓子作るの手伝ってよ。」
「お茶言うたらさっきの、『とりゅふ』作る言うてた子らは良うできはったんやろうか。貸したんは上質なお抹茶やし、大丈夫や思うけども……」
 茶器を手に取りながら、シメは桃花と共にトリュフ作りに励む妖精たちのテーブルを見やる。
「うん、大丈夫じゃないかな。それよりおばあちゃんたち、うまく呼吸合わせてね。フラワーリングのバレンタインを作り上げてしまうのは、高崎家の野望なんだからっ!!」
 朋美はそう言っておいて、誰にともなく「別に妖精たちを騙すとかではなくて、やっぱり独自性の文化を打ち立てた方が良いじゃないですか、げふんげふん」と言い訳じみた言葉を重ねる。他の二人も彼女の意見に異論はないらしく、朋美を見ては満足そうに頷くのだった。
「ここでばれんたいんという行事がおこなわれるのが初めて……なんやったら、『はじめて』のこのお茶会が、今後のすたんだーどになるんやろうなぁ。どことも違うばれんたいんに仕上げてしまいまひょ」
 そうシメが言えば、
「新しい土地なんだから、あたらしいバレンタインでもかまわないよねぇ。仲良くなるには一緒になにかおいしいものを食べるのが一番。さあさ、じゃあお菓子作りにいそしむかねぇ」
とトメが続け、朋美の頑張っている様を見て微笑む。
 集まった妖精たちは、朋美、それにトメとともに試行錯誤しながら生八つ橋を作っている。一致団結して仲良くお菓子作りなんてとても楽しい行事じゃないか、と朋美は思った。そう、和菓子の「和」は日本風、和風の「和」だが、「調和」の「和」でもある。心を一つに仲良くしましょうという行事にしてしまえばいい。
「生八橋……しっとりした感じは、やさしいておいしいわな。他の人らは普通のチョコで攻めてくるみたいやけど……そこをあえて!」
 トメは米粉で生地を作りながら、何やらかなり楽しそうだ。
「ほほほ、うそかまことか、まことかうそか? 遊女してた時分の、いろんな駆け引き、おもいだしますなぁ」
 そうしてトメはニコニコと、妖精たちに(ちょっと間違った)バレンタインの事をしれっと教え込んでいく。
「行儀よぉに、礼儀正しく、作法通りに。その中から、親しさを極めるんよ」