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リアクション
第20章
ざく。
白い雪の上を、カメリアが歩く。
女湯の営業はもう終了だ。温泉宿の体裁を取っているので、家族風呂以外には営業時間を設けてみた。
しかし女湯の中では、まだウィンター・ウィンターとノーン・クリスタリアが遊んでいる。
「ね、これでどうかな……?」
ノーンが、誰もいない女湯の温泉に、妖刀【時雨】を突き立てた。
「おお……これはなかなか……」
感嘆の声を上げるウィンター。ノーンが突き立てた付近から、お湯の温度がどんどん下がっていくのが判る。
「ごめんね、私熱いお風呂は苦手だから……」
ノーンがすまなそうにウィンターに謝る。氷結の精霊であるノーンは熱いお湯が苦手であり、女湯の営業時間が終わるのを待ってお湯を冷泉にし、ウィンターと一緒に入ることを提案したのである。
「別に気にすることはないでスノー。どうせこれから少し片付けもしなくちゃいけないのでスノー、その前に遊ぶくらいはどうってことないでスノー」
問題なさそうにウィンターが返答する。そもそも、ウィンターもノーンと同じ氷結の精霊のくせに、熱い風呂だろうがラーメンだろうが鍋焼きうどんだろうが激辛カレーだろうが問題なくイケてしまうウィンターの方が節操なしというべきだろう。
「……何か、さりげなくバカにされた気がするでスノー?」
「き、気のせいだよ。ほら、もういいんじゃない?」
ノーンがなだめるとウィンターはたちまち機嫌を直した。さすがの単細胞である。
「……何か……」
「どうしたの?」
「いや、何でもないでスノー……気のせいでスノー」
服を脱ぎ、ウィンターはノーンと共に冷泉に入った。
氷結の精霊である二人には、冷たさなど不快感になるはずもなく、むしろ通常より温度の低いその泉は、二人にとって温泉のようにリフレッシュできるものだった。
「ふふ……『温泉』じゃないけど、これはこれで楽しいねっ」
ノーンは終始ご機嫌だ。
「今日はいつにも増して機嫌がいいでスノー、何かいいことあったでスノー?」
ウィンターはノーンの横顔を眺めながら聞いた。
すると、ノーンは待ってましたとばかりにウィンターに輝く笑顔を見せる。
「うんっ、あのね。おにーちゃんのところに、赤ちゃんが産まれたんだよっ!!」
ノーンはずっとこれを言いたかった、とばかりに身を乗り出して話し出す。
「おお、それはすごいでスノー。大事件でスノーね」
「そうなのっ、赤ちゃんってすっごく可愛いんだよっ!! いつか一緒にお世話した子も可愛かったけど……」
「……ほうほう?」
「やっぱり自分の大切な人の子だからかな、もうほんっとうに、すっごく可愛いの!! 今度ウィンターちゃんも遊びに来てよ、おにーちゃんツァンダに引っ越してきてるから!!」
ノーンはまるで我がことのように、勢いづいて話した。よほど陽太の子供が可愛いと見える。
「ねね、ウィンターちゃんは? 最近なんかいいことあった?」
「うーん、これといって……あ、でもいっぱい遊んでるでスノー!!」
ウィンターは、陽太に言われたことを思い出した。
ノーンとは遊ぶ話をするといい、ウィンター覚えた。
はりきってウィンターは最近の遊びについて話し出した。
「ブレイズと地球のスポーツして遊んだでスノー!!
あとカメリアの椿油がどうしたらよく売れるか相談したでスノー。私が提案した『椿油ラーメン』と『椿油地獄鍋』と『椿油ツルツル大作戦』は大却下されたでスノー。
それからアキラとスプリングとカメリアと、深夜にラーメン食べに行ったでスノー!! 途中からこっそり合流したら気付かれなかったでスノー!!
私はこっそり一番食べてやったでスノー!! 分身を使って一体につき二杯ずつ食べたでスノー!! しめて80杯は軽いでスノー!!
アキラのサイフから血も出ないようにしてやったでスノー!!!」
とても楽しそうに話すウィンターだが、ところどころに突っ込みどころが多い。
「あはは……楽しそうだね……でも、80杯は食べすぎ……絶対気付かれてる……」
汗を浮かべるノーンだが、ウィンターは頑固に首を横に振った。
「いや、大丈夫でスノー。私の隠形能力はマスターニンジャも真っ青な出来栄えでスノー。
素手で敵の首を跳ね飛ばすくらいはワケないでスノー!! スプリングのようなウサギの前歯野郎に負けてる場合じゃないでスノー!!」
もはやどこに焦点が合っているのか判らないウィンターの近況報告。
それにいちいち相槌を打つノーンも付き合いがいいというか何というか。
「へぇ……ふーん、ウィンターちゃんはすごいんだね〜……ねね、そういえば聞いた? ツァンダにオープンした新しいお店なんだけど……」
「何、それはおいしい店でスノー?」
「ううん、お洋服屋さんだよ」
「……おいしくないお店に用はないでスノー」
「そういえばウィンターちゃんって、いつも同じ蓑帽子の雪ん子スタイルだね。おしゃれに興味ないの?」
「ないことはないでスノー……でも……やり方がさっぱりでスノー……」
「あ、それじゃあさ、今度一緒に……」
頭に手ぬぐいを乗せて、ウィンターとノーンは身を寄せて他愛もない話をした。
仲の良い友達同士、話を始めればキリのないもので、二人の世間話は延々と続いていく。
「ねぇ、ウィンターちゃん。お風呂上がったら神社の旅館で晩御飯食べようね!!」
「もちろんでスノー!!」
ウィンターはさっき葵のお弁当を常人では考えられない程度の量を平らげたはずなのに、ノーンの提案に諸手を打った。
まるで、二人の友情を歌にして歌うように。
「こんな風に……」
「スノー?」
ちょっと遠い目をするノーンに、ウィンターは首を傾げた。
「こんな風に、みんなでお泊りしたり、遊んだりするのって、すっごく楽しいねっ!!」
「もちろんでスノー!! またやるでスノー!! 何回でもやるでスノー!!!」
二人のおしゃべりは、際限なく続いていった。
「ふふ……ウィンターはいつまでも変わらんの……」
その様子をチラ見したカメリアは、また少し歩き、ふい、と旅館の中を覗き見する。
そこには、食堂と設定した部屋の中で、未来からの使者 フューチャーXが佐々木 弥十郎の寿司を頬張っていた。
「……ほぅ……これが養殖サーモンか……なるほど、何でも天然モノがいいというワケではないのだな……」
真剣な面持ちで弥十郎の新作寿司を食べるフューチャーX。その額には、期待以上の出来に珠の汗が浮かんでいる。
「握りもいいですが、こちらも試して下さい」
す、と出されたのはサーモンのタタキ、そのネギトロ巻きであった。
「むぅ……これもまた、ネギのさっぱり感がサーモンの後味のしつこさを消してくれる……タタキと言いつつ、しっかり2種類のタタキを用意してくるとは……さすがだな」
弥十郎は次の寿司の準備をしながら、首を横に振る。
「いえ……まだまだですよ……次はお客さんを満足だけではなく……驚いてもらえるような寿司を、握らないといけませんからね」
爽やかな笑顔を浮かべる弥十郎に、フューチャーXもまた笑顔で返した。
それは、いつもブレイズに見せるような口の端を吊り上げる笑い方ではなく、自然で柔らかい笑顔だった。
「ふ……いいツラだ。若いモンはこうでなくっちゃいけねぇ……あのバカにも、見習って欲しいもんだ……」
こうしてみるフューチャーXは、ただの歳相応の老人に見える。
弥十郎の兄、佐々木 八雲は弟の手伝いをしながら告げた。
「いやあ、こんな料理バカは弥十郎ひとりで充分ですよ、集中すると本当に他のことが見えなくなるんですから」
兄の軽口に、弟が口を挟んだ。
「ちょっと兄さん、それはないでしょう」
口を尖らせる弥十郎に、八雲とフューチャーXは笑い出した。
「まったく……兄さんとお客さんには敵わないな……」
口ではそう言いながら、弥十郎も自然に笑顔を浮かべるのだった。
ざく。
ざく。
ざく。
他にも、家族風呂を楽しんでいる客はまだいる。カメリアは雪道を歩きながら、この温泉を楽しんでいる客の顔を一人ひとり、眺めて歩いた。
いつかも思った感慨が、ふと胸を襲う。
ほんの数年前には、誰も訪れることがなかったこの山。
「そういえば……あの時も雪……じゃったな……」
ざく。
またひとつ、雪道にカメリアの足跡がついていく。
でも、あの時とは違う。
「あの時は、足元が埋まるくらいに積もっておったな……」
カメリアはひとり呟く。
あの時、とはかつてカメリアが今の友人達と出会った時のことだ。
今は、カメリアが足跡をつける前にすでに誰かが踏んでいる跡がある。
見ると、雪道は大勢の人の足跡がついていて、踏まれていない場所などほとんどなかった。
「……変わっていたのじゃな。この山も……儂も」
ふと見上げると、一本の樹がある。
カメリアの本体である、椿の巨木。
彼女はここに立ち、孤独な千年を過ごしてきた。
だがある時、彼女自身が行動を起こしたことで、状況は劇的に変化した。
その方法は明らかに良くない方法だったけれども、おかげで今の自分、そして友人たちと過ごせる時間がある。
「……いつまでも変わらんという方が、無理な話か」
カメリアは、今日だけでも何人の人間に会っただろうかと考えていた。
変わったもの、変わらないもの。
築いてきたもの、失ったもの。
幾つもの人生の交差点に、カメリアは立っている。
「そうか……この足跡の数だけ……人生があるのじゃな……」
カメリアは、まだ灯りのついている大きなかまくらをくぐった。
そこは、もう営業を終了している男湯だった。
「まだおったか……約束、果たしにきたぞ」
中には、アキラ・セイルーンとぬりかべ お父さんが雪下ろしに疲れた身体を癒していた。
「おう、待ってたぜー」
アキラはそう言ったが、カメリアは嘘だな、と思った。
別に特別待ってたワケじゃあるまい。一応約束はしたけど、いつ来るとは言っていない。
いや……とカメリアは思い直す。
待っていた、というのもあながち嘘ではないか、と。この男はしばらく待って、来なかったらあっさり帰って寝てただろう。
だから、約束を待っていたというのは、まあ嘘ではない。
「……ふむ」
何だか自分一人で納得して判ったような顔をしているカメリア見て、アキラはニヤリと笑みを投げかけた。
「どうしたんだよ、一人でおもしれー顔して」
「ふん、お主の顔ほどではあるまい……それに、約束したのはお父さんとじゃからな。
しっかり流させてもらうぞ、お父さんの広い背中!」
カメリアは着物の袖をしっかしりと結わいて、手ぬぐいと石鹸を握り締めた。
そんなカメリアを応援するかのように、猫の獣人であるミケ、タマ、トラ、ポチはそれぞれ岩盤浴で丸くなって転がるのであった。
「はは、本当に流しに来たのかよ……ま、頑張ってなー」
アキラがニマニマ笑いながら叩く軽口をよそに、カメリアはお父さんの背中をこすり始めた。
「おう、やはり硬いのぅ……かゆいところはありませぬか、お父さん……?」
「ぬ〜〜〜り〜〜〜か〜〜〜べ〜〜〜」
お父さんは、『とても気持ちいいです、できれば右肩の辺りを重点的にお願いします』というニュアンスで話した。
アキラがそのことを翻訳すると、カメリアはお父さんの背中を軽く絶望的な気持ちで見上げるのだった。
「ほう……右肩……ほう……」