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壊獣へ至る系譜:その先を夢見る者 前編

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壊獣へ至る系譜:その先を夢見る者 前編
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■ 再開を告げる声 ■



 呪い魔法でぬいぐるみになってしまった先日の騒動から暇があれば守護天使の男が眠る部屋に入り浸る破名・クロフォード(はな・くろふぉーど)に、そんな事をしても目覚めないものは目覚めないと指摘しておくべきか、しかしそんな事を言う立場でもないしと悩む手引書キリハ・リセンは、状況が変わったせいで、焦っているのだろうと心情を汲んで当たり障りない注意だけに留めようと決め、時間は既に深夜であったが、二階の部屋の扉のノブを掴んだ。
 そう、こんな時間でも、破名は男性の枕元に立ってはいつ目覚めるかと息を詰めているのだ。
 部屋の中にいるのは常に眠っているのと仕事以外は受動な態度の男二人だけだから深夜に物音を立てるとしたら今まさに扉を開けようとする自分だけだろうと息を潜めるキリハは、扉を開けて、
 息を飲んだ。
 其処には女性が居た。
 ベッドの上で寝ている守護天使の男の顔を、身を僅かに屈め覗きこんでいる女性。
 開け放たれた窓から差し込む月明かりに照らされて、金の髪が淡く輝くノスタルジア。
 見慣れないシルエットが木の床に落ち、長く伸びて、うつ伏せに倒れている悪魔の青年の上に重なる。
 院の中では金の髪を持つ者は少ない。そして院に幼女や少女や老女は居ても、女性、は居ない。
 月光の逆光のなか辛うじて見える顔に、キリハは眉根を寄せた。
 その顔は良く知っている。
「久しぶりね、わたしの娘」
「母様?」
 呻いて、キリハは空かさず首を横に振った。
「いえ、貴女、魔導書ですね?」
 改めて問い質(ただ)す。
「もう少し疑問に思ってくれてもいいんじゃない?」
 きっぱりと断言されて、女性はつまらないと両肩を竦めた。
 否定しない所をみると女性は魔導書であるらしい。だからこそ、浮かんできた可能性に、キリハは肯定するか否定するか判断に迷った。
 当時に、それだけ(書物に自我を与えるだけ)の時間があったようには思えないからだ。
「母様は貴女程(見た目は)若く無いですし、不死でも不老の種族でもはないです。それに、既に死んでいます」
 事実を主張して、キリハは突然現れた来客への対応をどうするべきかを考える。
 キリハの著者であり、教授と呼ばれていた人物と瓜二つの顔を持つ女性は、毅然とし真顔のままのキリハに溜息を吐いた。
「クロフォードの息子は驚いてくれたわ」
 少しは動揺してもいいだろうと言われて、キリハは唐突に全てを理解し、判断し兼ねていた可能性を無条件で受け入れることにした。否定から入るにはこの状況は不利と考えるべきだろう。
 女性は五千年程前に計画された研究の『関係者』だ。
「どの意味で驚いたかはわかりませんが、驚いただけでは流石のクロフォードも気絶まではしません。
 彼に何を……いえ、どんな『命令』を与えたのですか?」
 床にうつ伏せて倒れている白髪白衣の悪魔の青年を見下ろして、キリハは確信も持つ。先日破名に命令をして行動不能にさせたのはこの女性だと。
 確信篭った眼差しを向けられて、女性は否定に緩く首を左右に動かした。
「命令じゃなくて、再起動」
「は?」
 一瞬女性が何を言ったのかわからずキリハは訝しんだ。
「再起動、と言いましたか?」
 それは命令よりも質が悪く、冗談のように聞こえた。
「自我なんて邪魔なだけだわ」
 両目を見開いて声を失っているキリハに「そんなことより」と女性は続ける。
「クロフォードはメインプログラムを残してたのね」
 『女性の言うクロフォード』は破名の担当者である『クロフォード博士』の事だ。
「最低でも厳選した頭が3つは必要なのに、クロフォードの息子は特に支障無く動いて喋れるのね。感心ものよ。
 『楔の資格者』になれただけあって頑丈ね。
 どちらにせよ、そんな素材を発掘した挙句、一人だけ自分の研究を成功させて不具合も無いなんて、むかつくことには変わりないわね。本当にクロフォード(博士)ってのはむかつくわ」
 つとつとと感想を述べて、最終的には今は亡き相手に憎々しげに言葉を吐く女性にキリハは、無意識に床に伏せたままの悪魔に視線を落とした。
 破名は、五千年程前に掲げられた研究を円滑に行うために悪魔を基板に再構築された、古代文字を扱うに足る資格を得る事に成功した――ある種の生体装置である。
 古王国崩壊を予感したクロフォード博士の手により封印された彼は、元々在った一部の回路と情報を抜かれ、代わりに研究所の技術全てを組み込まれている。
 先日、今ベッドで寝ている守護天使が起こした騒動により、そのひとつであるメインプログラムが起動した。
 再構築の時に多くのものを引き換えにした破名はプログラム……膨大な数の『楔』と呼ばれる古代文字との共存を強いられており、それがサポートプログラムからメインプログラムに、以前は楔のみだった使用範囲が『系図』にまで及びまた内容も変わったことで、性能が格段に上がった。それ故にかかる負担が増加し破名は相応の逼迫した状態に陥っているが、元々その事を想定されていての装置なので本人は上手に折り合いをつけ何度も調整を重ね付き合っているので今の所、処理部である一番負荷が集中するはずの脳が潰れずに済んでいる。
 院の子供達が日常茶飯事と慣れ過ぎて世話が面倒になり罰金制度を提案するくらい頻発する軽い失神は、そちらは楔の資格者になってからずっと続いてきた事で概(おおむ)ね問題無い。彼本来の役割はそういう類の体調不良とは全く別に展開されるので問題にすらならない。
 極端な話、生きて在ればいいのだ。
 生体(資格者)と古代文字(楔)は共存関係にある。
 どちらかが『覚醒』していれば、課せられた役割は全うできる。
 脳(処理部)への負荷を回避しようとするかしないかの違いがあるだけで本質は変わらない。
 確かに人格(オペレーター)があった方がより円滑により安全に運用できるが、絶対に必要というわけではない。
 キリハが厳しい表情のままなのは、その辺りの事情を全て含んで、女性が知っていると薄く笑っているからだ。
 再起動していると女性は言った。
 自我は必要ないとも言った。
「自分を使用してもらえると知って、良しとしましたね」
「それが断られたわ」
 元々自ら立候補するほど積極的に研究に協力していた破名の性格を鑑みれば、この光景は不思議ではなくむしろ自然であり、自身の現代の立場を忘れたのかと零すキリハに、女性はそれは違うと否定した。
「誘ったんだけど「考えないといけないことが多いから、すぐには答えられない」と、言われたの。
 はっきり言ってがっかりよ? クロフォードの息子はもっとこう尻尾振って二つ返事で協力してくれるはずじゃない?
 嫌ね、『考え方が変わった』のかしら?」
「同意を得られずということは、強制しか方法が……魔導書が強制を……まさか、直接触れたのですか!?」
「その前に命令出来る事に驚いてくれないとつまらないわよ。自分がそうだからって他も同じと見ないで欲しいわ」
 そう、と右手で自分の胸を押さえ勝ち誇るような口調で女性は続けた。
「わたしに禁忌(タブー)は無いの」
 触れた瞬間燃え上がり白い灰になってしまうような。そんなものは無い。
 女性の断言にも似た宣言に、キリハは目眩を覚える。
 手引書の名に相応しくマニュアルであるが為に、壊獣研究施設『系譜』で創造された古代文字『系図』と『楔』の詳細を網羅し、多くの権限を持ち行使できるキリハにとって、唯一許されていないのが古代文字への直接関与だった。
 直接関与できるのは資格者だけ。
 女性は、それが、出来ると言う。キリハにとっては目の前が真っ白になる程の衝撃だった。
「わたしの娘。詳細を知る娘。全てを知っている娘。夜は長いし、再起動には時間がかかるわ。
 だから、わたしと話をしない?」
 瞳を揺らがせるキリハに女性は問いかけた。胸を押さえることを止めた右手は、ベッドで眠る男性の頭を撫でるために降ろされる。
「最初はこの子を迎えに来るだけのつもりで、協力のお願いは後日にしようと思ったんだけど、気が変わったの。メインプログラムが支障なく動くならこの子は要らないわ。勿論、寝ている子供達も、ね」
 ねぇ、と女性は、誘う。
「これからわたしと一緒に来ない? このわたし、ロン・リセンが目指す壊獣計画を続ける為に」