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森の聖霊と姉弟の絆【後編】

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森の聖霊と姉弟の絆【後編】

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 ソーンがハガルを亡くす事を受け入れられないのは解る。しかし機晶石にハガルを縛り付けるなら、いずれ彼女は周りの人が全て老い、死んでいった時に、自分自身が置いていかれるような気持ちに晒されることになるだろう。 実験が成功したとして、そうなっても良いのだろうか。長寿種でない者が無理やり「簡単には死ねない」物に変質させられるのは、色々と苦しい事なのではないかとメシエは考えていた。
 彼が診察室へ入っていくと、デスクチェアに腰かけたエースが黙々と本を読んでいるところだった。中身は診療記録か何かだろうか。あえて邪魔をする必要もないだろうと、メシエは床に視線を落とす。この部屋の下に空洞があることは、自然と自身の空間認識能力が教えてくれる。
 診察室の隅に目をやると、思いの外簡単に地下へ降りるためのハッチが見つかった。メシエは躊躇いなくそれを開くと、梯子をつたって降りていく。
 四方をコンクリートの壁で囲まれた地下室は暗く、少し肌寒さを感じる。開いたままのハッチから漏れてくる光を頼りに室内を見回すと、どうやらそこは研究室のようだった。壁際に設置された棚には緑や茶色の薬瓶が整然と並べられている。そのすぐ脇の白いデスクボード上には、電子顕微鏡やビーカー、シャーレといった実験器具の他に、シンプルな写真立てが一つ置かれていた。写真の中に写る姉弟の姿には見覚えがあり、メシエには以前ソーンが使っていた職員室の机上にあったものと同じ写真であることが分かった。
 あの時にしてみたように、【サイコメトリ】を発動させて写真立てに触れる。すると、やはり見覚えのある情景が広がるのだ。

 ――ふふ、ソーンったら。写真撮るときくらい、もっと笑えば良いのに。
『ハガルと違って、僕がそういうの得意じゃないこと、分ってるじゃないですか。元々、写真撮られるの苦手なんですよ』
 ――でも、こうでもしなきゃ思い出は形に出来ないでしょう。誰かを思い出したいと思ったときに、たった一枚の写真がどれだけ心を救ってくれるか……だから私、患者さんにもよく写真を撮らせて貰っているの。ここを頼って来てくれた人のことは、その後元気になった方も、残念ながら亡くなってしまった方も、出来る限り覚えていたいと思うのよ。
『大袈裟ですよ……島を出ると言っても、三、四年のことじゃないですか。僕はすぐに帰ってきます。そうしたら姉さんの仕事も手伝うつもりですから、安心して待っていてください』
 ――そうね。心配じゃないと言えば嘘になるけど、ソーンなら大丈夫よね。いつの間にか私よりも大きくなったし……。そうそう、あなたが勉強を終えて故郷に戻ってきたら、また撮りましょうね。そうしたらその時は、ちゃんと笑うのよ?

 それはとても幸福な時間だった。ソーンの写真立てに触れた時のような、胸を突く悲しみは感じられない。ただキラキラと温かい、陽光の中の思い出だった。


 リリアは二階に上がると、二部屋ある内の片方に入って中を見回す。シンプルな内装だが、カーテンや小物の趣味からいって女性の部屋であろうことは判る。ここがハガルの私室ならば、隣の部屋はソーンのものだろうか。
 大切な弟を護りたい姉と、大切な姉を護りたい弟。レナンディ姉弟の関係は、どこかリトとヴィズのそれに似た部分があるように感じる。リリアは、ハガルがソーンにどんな未来を歩んでほしいと思っていたのか、知りたいと思っていた。成長を楽しみに思う姉がどんな「弟の幸福」を願っていたのか。そして同時にハガル自身の将来をどんな風に描いていたのか。それを知る手がかりを探そうと、リリアは本棚の前に立つ。
 ぱっと見た限りではやはり医学書に薬学書、看護などに関する本が多く見受けられる。かと言って別分野の本がないわけでもない。考古学について書かれた本は、恐らく父親の著作物だろう。わずかに並んでいる料理や裁縫の本は、ハガルが弟の親代わりであろうとした
ことの証かも知れない。
 リリアはその使い込まれた料理本の横に、手帳のようなものを見つけた。表紙を確認すると、日記であることが分かる。リリアは適当なページを開いて読み始めることにした。

 ――××月××日。曇り。
 ソーンが私を手伝うために、医学を学びたいって言い出した。唐突だったから、びっくりした。でも、あの子がそう言ってくれるのは嬉しいことだけど、私は反対しようと思ってる。だってソーンは元々医学じゃなくて、お父さんと同じように考古学の勉強がしたいって言ってたもの。私もまだ医者になったばかりだけど、二人であばら家に住んでいた時よりは暮らしに余裕が出るようになった。だから、ソーンには好きな勉強をさせてあげたいと思う。

 ――××月××日。雨のち曇り。
 私もだけど、ソーンったら以外に頑固。それでも、二人でよく話し合うようにしたら、お互いに納得のいく結論が出せると思う。私はあの子に自分のやりたいことをやって欲しいけど……でも、私もお母さんに憧れて医学の道に進んだ部分があるから、ソーンの気持ちが分らないわけじゃない。お母さんが生きていて今でも医者をやっていたら、私が助けてあげられることもあったのかな……なんて、思ったりもするもの。

 ――××月××日。曇り。
 あの子、昔から少し飄々としているところはあったけど、意外に自信家なのかしら。「ハガルがそう言うなら、どちらの勉強もしてみせます」って。もともと途中で諦めることが嫌い……というか出来ない性格だし、どちらも中途半端っていうことにはならないと思うけど……。でも、私が思ってるよりきちんと考えているみたいだから、安心して良いのかな。ソーンの言う、歴史と科学は相反する学問じゃないっていうのは、確かにその通りかも知れない。古い技術と新しい技術……それを学ぶことで医学の助けとしたい。その考えは、とても尊いものだと思う。うん、ソーンがそれを目指すというなら、応援してあげないとね。

 その後もやはり、進路についてはソーンの意思を尊重しようという姿勢が貫かれていた。そして日記の最後のページには、弟の門出を祝福するハガルの心情が綴られている。

 ――××月××日。晴れ。
 今日はついにソーンが島を出ていった日。「灰色の島」なんて呼ばれるほど曇天ばかりの島なのに、珍しく晴れ間があった。だから、きっと良いことがあるはず。あの子がこれから楽しい日々を過ごせますように。
 そうそう、今日撮った写真はちゃんと写真立てに入れておかないとね。ソーンが勉強を終えて戻って来たら、また写真を撮る約束をしたし。二人とも今日とどれくらい変わっているか、並べて見てみたら楽しそう。そのためにも、ちゃんとあの子が家に帰って来られるように、私も頑張らなくちゃ。