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春が来て、花が咲いたら。

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春が来て、花が咲いたら。
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リアクション



21


「そろそろ桜の季節ではないかの、黒龍?」
 窓際に腰掛けた黄泉耶 大姫(よみや・おおひめ)は、丁度傍を通りがかった天 黒龍(てぃえん・へいろん)に問い掛けた。
 事実外では桜を筆頭とした春の花が咲き始め、花見に向かうであろう人達の姿も見える。
「……確かにそろそろ季節ではあるが」
「花見に行きたいの、黒龍?」
 なので自分もと、大姫は誘う。
 ――……今年は、妾の最も愛しい花はもしかしたら咲かないかもしれぬ。
 扶桑。
 マホロバにある、桜に似た世界樹。
 それが大姫の最も好きな花。
 けれど現在、扶桑は枯れつつあって。
 ……もしかしたら、咲くことなく終わってしまうかもしれなくて。
 その代わりが桜なんじゃない。扶桑の代わりに桜を見に行く。
 代用するに役者は充分。
「わざわざ場所取りまでせねばならない花見なら断るぞ」
「構わん。妾が場所を取る」
 言うと、黒龍が身支度を始めた。行く気になったらしい。
 大姫もさっと支度を終わらせ、二人揃って家を出ていく。


 大姫が案内した場所は、満開の桜が咲いていながらそれほど混んでいない場所だった。
「……よく見付けたものだな」
 黒龍が思わずそう言うと、大姫はふふふと静かに笑った。
 進路の傍には出店が数店ある。さらにその近くには簡素なテーブルと椅子もあり、その場で食べられる仕様となっていた。
「休みながら花見でもするか」
「そうじゃな」
 答える大姫の様子は、いつになく大人しいもの。
 扶桑じゃないから、だろうか。
 見に来たことで、その違いを目の当たりにしてしまって、却って寂しくなっているのかもしれない。所詮は憶測にすぎないので、口に出すことはないが。
 考えている間に、大姫が一つの店の前に立つ。注文内容は酒だった。
「昼間だぞ」
「花見とはそういうものじゃ」
「……まあ、そうだな」
「黒龍。付き合うじゃろ?」
「……そうだな。少しくらいは付き合うか」
 二人分の酒を持って、椅子に座って桜を見る。
 つまみが欲しいと買ってきた、大阪焼きに似た料理。
 それを食べた大姫が、かすかに首を傾げる。
「どうした」
「この味……どこか懐かしい」
「料理が懐かしい?」
「ああ。……マホロバのものやもしれぬ」
 ゆっくりと味わいながら、大姫。
「店に誰かマホロバ人でもいるのではないか?」
「店員」
 黒龍の言葉に、大姫が先程これを買った店へと声をかける。「へい!」と元気な返事と共に、店番を務めていた坂東 久万羅(ばんどう・くまら)がエプロンで手を拭きながら、二人の前に姿を現す。
「これはそなたが作ったものか?」
「ええ。せっかくですンであっしの故郷の味で下ごしらえしやした。お口に合いやせんでしたか?」
「いや……懐かしい味だと思うておった」
「へェ! お嬢ちゃん、同郷かい? こんな所でお仲間に会えるとは思わなンだ!」
「ふふっ……」
「? あっし、何か変なことでも言いやしたか?」
「お嬢と呼ばれたのは随分と久しいことよの。思わず笑うてしもうたわ」
「あぁ、成程」
「他意は無い故許せ」
 大姫と久万羅の会話が進んでいく。
 同郷の者同士とあらば、積もる話もあるだろう。
 ――ここに居るべきではないか。
 そう判断して、黒龍は席を立つ。
「……少し、席を外す。お前は好きにしていろ、黄泉」
 短く言って、相手の返事も待たずに花見へ出かけた。
 一人でぶらぶら歩きながら、桜を見上げる。
 黒龍は、未だに大姫の多くを知らない。
 大姫がかぶる、龍面の下から垣間見える左目の痣と傷の原因なども。
 一切合財。
 その傷について、一度口にしたことがある。
 けれど、「そなたは知る必要のないことじゃ」と突き放された。
 以降、彼女から話さないのなら、と問わないことにしている。
 曰くありげな仮面と傷。人を寄せ付けない態度。
 その癖、子供に対してはやたら好かれる大姫。
 ――理解しかねるな。
 不必要に干渉する気が毛頭ないせいもあるだろうが、そんな変わった魅力を持つことくらいしか知らないのだ。
 知りたいのだろうか。
 パートナーだから、心を開いてほしいと思いはするけれど。
 ――黄泉が言ってこないなら、私が深く追求することでもない。
 結局いつも、その結論。
 刹那、桜吹雪が視界を覆った。
 今頃あの二人も、これを見ているのだろうか。


「桜吹雪か」
 大姫は呟く。
「マホロバのかつての扶桑を思い出すのう……あれを眺めながら二人で飲んだ花見酒の味は忘れられぬ……」
 遥か昔、想い人との逢瀬の記憶。
 今となっては、全て遠き昔のこと。
 夢、幻のごとき日々のこと。
「記憶の中にしか残っておらぬ……」
 ぽつりぽつりと語りながら、龍面に触れた。冷たい、無機物のごつごつとした手触り。
「遠き日のことをいつまでも引きずるわけにはいかぬ。だから妾は生涯消えぬ傷と共に、全てこの龍面に封じ――」
 言葉の途中で口を噤んだ。久万羅が黙っていることと、自分が喋りすぎていることに気付いたからだ。
「……妾としたことが酒に酔うたかの。戯言じゃ、聞き流せ」
「色々と苦労してきたようだなぁ……」
 久万羅が、聞き流せと言った傍から大きく頷く。それから一度出店に戻り、
「よし、こいつをサービスしまさぁ。あんたのパートナーにも食べさせておくれよ」
 綺麗に焼き上がった大阪焼きをパックに詰めて袋に入れて、大姫に手渡した。
「……ふふっ」
「? あっし、また何かしたかい?」
 首を傾げる久万羅に、大姫はもう一度ふっと笑った。
「いや、なんでもない。それより、これも何かの縁じゃ。そなた、名前は?」
「名前? あっしは坂東と言いやす。お見知りおきを」
「妾は大姫。黄泉耶大姫じゃ。何れ何処かで相見えることもあろうよ」
 名乗りも終えて、立ち上がる。
「馳走になったの。美味かった」
 黒龍へ、と渡された大阪焼きを手に取って。
 ふらりふらり、花見客の中に埋没して行く。


 また別の場所で、久我内 椋(くがうち・りょう)モードレット・ロットドラゴン(もーどれっと・ろっとどらごん)を誘って花見に来ていた。
 諒は桜が好きだ。特に夜の、月明かりに照らされる満開の桜の淡さ、儚さ。
 それが個人的にとても好きで。
 だから、モードレットにも一度見せてみたいと思っていたのだ。
 幸いにも誘う口実はある。家の店で開いている屋台に、久万羅が手伝いに行っているのだ。様子を見に行かないかと言えば、ごく自然である。
 ――問題は、そこへ行く気になってくれるかどうかだが。
 左手に持った瓶を見た。最近手に入れた日本酒だ。
 夜桜を見ながらの花見酒となればなかなか乙なものだけど。
 ――彼女はとても気まぐれだから。
 誘えないかな。
 無理かな。
 ――……まあとにかく、一度誘ってみようか。
 駄目でもともと。誘わなければ最初から共に花見など無理である。
「モードレット」
「なんだ諒。俺になんか用か」
「花見に行かないか?」
 言ってみた提案は、
「サクラを見にわざわざ出向く? 馬鹿馬鹿しい」
 一蹴。予想通り過ぎて苦笑しか出てこない。
「浮かれる連中に混ざって花を見るなどなにが楽しいというのだ。それなら別の場所へ行ってゴブリンどもを相手に手に入れた武器の試し斬りしていたほうがはるかに有意義な時間だと思うがな」
 断る理由もモードレットらしい。
「だいたいなんで夜なんだ」
「夜桜が一番好きなんだ。すごく綺麗で、そこで花見酒でも……ってね」
「……花見酒?」
「きっと風情があって美味しく飲めると思うけど」
「酒は酒だ。別にどこで飲もうとも味は変わらん」
「味じゃなくて雰囲気だって」
「雰囲気で変わるものか? と言っている」
「……まあ、……うん」
 口では敵いそうもない。
 大人しく諦めるか、と踵を返した瞬間、
「馬鹿馬鹿しい……花見に誘うのであればもっと別のことを誘えばいいものを」
 背後で声がして、腕を掴まれ強制的に振り向かされる。
 え、と思う間もなく、諒の唇にモードレットの唇が触れた。舌が絡む。
「……酒の味がする」
「そういえばさっき飲んでいたな。どうだ、味は?」
「……夜桜を見ながらの花見酒と変わらない、かな」


*...***...*


 いつまでも、このままでいるわけにはいかない。
 それくらい、皆川 陽(みなかわ・よう)にだってわかっている。
 でも、そう考えたのはテディ・アルタヴィスタ(てでぃ・あるたう゛ぃすた)のためじゃない。
 ――ボクを愛してくれた校長先生の役に立ちたい。
 自分自身を。
 初めて、きちんと自分自身を見て、愛して、くれた人のため。
 その人の役に立つなら、パートナー同士いつまでもケンカしたままというわけにはいかない。
 だけど、どうしても面と向かっては誘いづらい。
 怖いのだ。
 誘おうと頑張っても、怖い。
 けれど今は文明の時代。携帯という便利なものがある。
 直接誘うのが怖いなら、それは避ければいい。メールで誘ってしまえばいい。
 簡単な挨拶を入れて、他愛もない日常の話しも少し入れて、それから最後に本題。
『お花見に行かない?』
 返事はさほど待たずにきた。
 ――早いなぁ、ボクは悩んだのに。
 そう思いながらもメールを開くと。
『イエス、マイ・ロード』
 画面に広がる白の中には、その一文がぽつん。
「…………」
 思わず黙ってしまった。
 ――え、何? ボクもしかして嫌われてる?
 ――だよね? 一行のみとかどういう返事なんだよこのメール。
 茫然と携帯を握り締め。
 ――……やっぱりボクは……ダメだよね……うん……。
 ――…………。
 返事を受けた次の瞬間から心が挫けそうになりながらも、待ち合わせ場所へ向かおうとなんとか足を踏み出した。


 途中でも何度か挫けそうになった。
 そのたびあの日の言葉を思い出し、一歩一歩踏み出して。
 なんとか辿り着いたはいいものの。
「…………」
「…………」
 ――会話、ないなぁ……。
「日本ではさ。お花見とお団子はセットなんだよ」
 重い空気をなんとかしようと、道中買ってきた団子を差し出す。
「買って持ってきたから一緒に食べよ?」
「…………」
「テディは、みたらしよりこしあんの方が好きでしょ? だからこしあんにしたよ」
 何気なく言った言葉に、テディが陽を見上げた。
「? どうしたの、驚いた顔して」
「……僕の好み、陽はわかるんだ」
「?? 普通はずっと一緒に居てそばで見てれば、相手が何を好むかくらいわかるよ」
 当り前でしょ、と言ったけれど、テディは押し黙ってしまった。
 ――もしかして、ボクの好みとかわからないのかな。
 ――……アレ。なんか、また胸が痛かった。医者。医者ヘルプ。
 心の中で医者を呼びつつ、団子を一本手に取った。食む。
 その最中も、テディは一言も喋らない。
 ――……寂しいな。
 二人で居るのに、一人で居る。
 前からずっと、そうだった。
 ――テディはきっと、ボクの好みを知らない。
 ――ずっと、ずっと、一緒に居たのに。
 ――テディは、口でだけ好きって言ってたけど。
 ――ボクなんかに、……。
 興味はなかったんだ。
 そう考えた瞬間、目頭が熱くなった。
 涙が溢れる。さすがのテディもぎょっとした顔をしている。
「……ぁ、」
 テディが何かを言いかけた。陽に向けて、手を伸ばしかけた。
 その言葉が、手が、ひっ込められた。
 まただ。また、一人にされた。
「どうして、ボクのことを見てくれないの」
「陽、」
「……ぐすっ……」
 涙を拭い、歯を食いしばる。
「……陽は、僕に何をして欲しいの……?」
 かけられた言葉は、無情なもの。
 頭の中が真っ白になった。
 最初からずっと、一つのことだけを願っていたのに。
「ボクは!」
 声が、勝手に大きくなった。
「ボクは、ずっとずっと……テディに『ボク』を見て欲しいって思って! 願ってた! ……テディの馬鹿!!」
 叫んで走り出した。
 追いかける足音は、聞こえなかった。