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43


 死者に一日だけ会える日。
 フィアナ・コルト(ふぃあな・こると)は、父に会いたいと相田 なぶら(あいだ・なぶら)に言ってきた。
 きっと、いろいろ話したことがあるのだろう。
 報告したこともあるのだろう。
 戦い続けてきたことを、強くなろうと精進し続けている姿を、褒めてもらいたいという気持ちもあるかもしれない。
 ――……でも、……。
 なぶらは正直、賛成できなかった。
 フィアナと、フィアナの父――ラザフォード・コルトが出会ったときどうなるか。
 予想できる結果がひとつだけあった。
 カレン・ヴォルテール(かれん・ゔぉるてーる)からすでに聞いていたからだ。
 全てを知っているカレンは、フィアナのすぐ傍に立っている。いざというときすぐに助けられるようにと。
 そうならなければいいと、願った。
 助けを必要とするような事態にならなければ、と。
 ――それにしても、いつかは知らせなければならないことだとは思っていたけども……。
 ――まさか、こんな形で知らせることになるなんて。
 運命とは皮肉なものだと、なぶらは目を伏せた。


 目の前に立つのは、六十を迎えただろうかという歳の頃をした老紳士。
 その人こそが、フィアナの父・ラザフォードである。
「お、お父様、お久しぶりです!」
 久しぶりに会うから緊張しているのだろう。声がうわずった。恥ずかしく思うも、ラザフォードは表情ひとつ崩さずに頷く。
「フィアナ。カレン。久しいな」
 それから、静かで重みのある、昔よく聞いたあの懐かしい声で、フィアナの名前を呼んでくれた。同じく呼ばれたカレンは、どこか苦しそうな顔をしている。具合でも悪いのだろうか、とフィアナは思ったが、それより今はラザフォードだ。
 会いたくて会いたくて仕方がなかった人が、目の前に居る。それは、ああなんて幸せなことなのだろう。
「お父様。お元気そうで……というのは語弊があるかもしれませんが、お変わりない姿で嬉しく思います!」
 笑んで、父に近付く。
 変わりなかった。生前のラザフォード同様、覇気があり、しっかりとした意思を持つ瞳があり。
 死んでからもフィアナが憧れた彼そのもので。
 だからこそ、許せなかった。
 父を殺した人物を。
「私……お父様が亡くなったことを知って以来、お父様の仇を討つためにずっと戦い続けてきました」
 あんなに強かったこの人を、誰が殺したのか。
 誰なら殺せたのか。
 わからなかったから、情報を集めようと奔走して。
 それでもわからなければ、とにかく強くなろうと努力した。
「そうか。今まで私の仇を討つために戦っていたのか」
「はい。だって、お父様がやられた相手ですから。もっともっと、強くならないといけないと思って……」
 フィアナの言葉をさえぎるように、ラザフォードが声を発した。
「フィアナ、聞きなさい」
 静か過ぎる声に、無意識に身体が跳ねた。はい、と頷いて、身を硬くする。ラザフォードの言葉を待つ。
「正直このことを話すかどうか、迷った」
 このこと? なんのことだろう。
 どうしてか、嫌な予感がする。
 背中をぬるい汗が伝った。
「だが今のお前を見ているとちゃんとした真実を教える必要があるようだ」
 心臓が跳ねる。
 聞きたくないと、警笛を発してるようだ。
「真実、ですか……?」
 だけどそれは、つまり父を殺した犯人がわかるということだ。それもそうだ、だってラザフォードは被害者なのだ。犯人の顔を見ているに決まっているじゃないか。
「私を殺した人物、それはな」
 一拍の間の後。
「フィアナ、おまえ自身だ」
「………………え?」
 一瞬、言葉を理解できなかった。
 ――『フィアナ』
 ――『おまえ自身だ』
 ラザフォードの声が、頭の中で蘇る。
 ――『 お ま え 自 身 だ 』
「わ、」
 私、ですか?
 そう言ったつもりの声は、始めの一文字分しか出てこなかった。ひゅぅ、と喉から変な音がする。上手く息が出来ない。落ち着け、私。何かの間違い。聞き間違いだ。きっとそうに違いない。
「……う、そ。ですよ、ね?」
 恐る恐る、けれどすがるように必死に。
 フィアナは、震える手をラザフォードに向け、問うた。その姿は、まるで神に許しを乞う罪人のようだったがフィアナには知る由もない。
「本当のことだ」
 がらがらと。
 足元が崩れていくような、錯覚。
「そんな。……そんな」
 ――だって。……そしたら。
 ――今まで……私は、何のために?
 ――何のために、戦って、戦って。
 ――何のために、強くなって……?
「フィアナ、……のは……て私だ」
 ラザフォードが何か言っている。けれど、聞こえなかった。いや、意味を頭が理解しなかった。
 ――私は今まで、何のために?
 その一言だけが、フィアナの頭を占めた。
「うぁ」
 呻くような声が、息と同時に吐き出される。
「あぁあ、あぁぁああぁぁぁあ……っ!!」
 頭を抱えて、蹲った。
 涙が溢れる。笑いが零れる。
 ――なんだ、なんだ。
 ――お父様を殺したのは私だったのか!
 それなのに仇を討とうとしていたなんて。
 それなのに強くなろうと戦っていたなんて。
 ――ああ、なんて滑稽なんだろう!!
「ぁは。は、ははは。……は、……」
 泣きながら、笑った。
 もうなにも、見えない。


「……聞こえては、……いないか」
 ため息と共にラザフォードは言葉を吐いた。
 ラザフォードは、確かにフィアナに殺された。
 けれど、そのことを恨んでなどいないと。
 悪いのは全て私だったのだと。
 お前が罪を背負うことなんてないのだと。
 言って聞かせてみせても、突きつけた事実のあまりの重さに潰れてしまったらしい。
 その場にしゃがみ、泣き、笑うフィアナを見てなんともいたたまれない気持ちになった。
「……なぶら君。少し話をいいかな」
 反応のなくなってしまったフィアナの傍に仕えていたなぶらへと、ラザフォードは話しかける。
「さっきも言ったように、私が死んだのは自業自得だ」
 暴走したフィアナを封印しようとし、失敗して殺されてしまった。
 フィアナが暴走した原因は定かではないが、強く死を意識したために引き起こされたものだと考察している。
 また、そういった状態に追い込んでしまったのは、当時一緒に暮らしていた自分であろうから、自業自得に過ぎなくて。
 ――だから、お前が気に病むことなどないのだ。本当は。
 いくら言っても、もう訊いてくれないけれど。
「本来私が決着をつけなければいけない問題だが、残念ながら私にはもう時間がない。……いや、本来はこの時間すらなかったはずだ」
 なぜか開いた、ナラカの門。
 通って会いに来たはいいが、結果は最悪に近く。
「どうか……フィアナが再び立ち上がるまっで、私の代わりに傍で支えていてくれないか」
 見守ることしかできない無力な私に代わって。
 どうか力になってほしいと。
「頼まれなくてもそうしますよ。フィアナは契約っして以来、苦楽を共にしてきた大切な家族ですから」
「そうか」
「俺だけじゃありません。カレンや瑠璃だってきっとそうします。貴方が思っているほど、フィアナは孤独ではないんです。ですからどうか安心してください」
「……そうか」
 ああ、本当に。
 心から安心できた。
 フィアナはもう、独りではないのだなと知って。
 こんな風に傍に居てくれる人間が、少なくとも三人居ると知って。
「……親として、ね。やはり娘には幸せになって欲しいと思うんだ」
 私のことなど、重荷として背負って生きて欲しくない。
 そんな人生を、送って欲しくない。
「私のことなんて、たまに思い出してくれる程度で良いのだ。……こんなに思いつめる必要なんて、ないのだよ」
 いっそ申し訳なく思いながら、ラザフォードはフィアナを見た。彼女は焦点の定まらぬ目でぼんやりと宙を見ている。
「ただね、ラザフォードさん。俺にできるのは、フィアナが倒れないように支えてあげることくらいです。残念ながら、それ以外は何も出来ませんよ」
 言葉通りフィアナを支えながら、なぶらが言った。
「だって、答えはフィアナ自身が見つけなければならない。彼女自身の力で立ち上がらないと意味がない」
「それで十分だ」
 それ以上を背負わすなんて、それもまたひどい話だろう。
「親ばかかもしれないが、フィアナは強い娘だ。必ず自らの力で立ち上がるだろう」
 だから、それまで。
「どうか、よろしく頼む」
 深々と頭を下げるラザフォードに、なぶらも礼をした。