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真赤なバラとチョコレート

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真赤なバラとチョコレート
真赤なバラとチョコレート 真赤なバラとチョコレート

リアクション

第4章

1.

夕刻も近づいてきた。店内は、一時よりは落ち着いてきたものの、相変わらず賑わっている。


「初めて来たけど、なんだか落ち着くな」
 グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)はそう言うと、メニューに目を落とす。だが、同じテーブルを囲むベルテハイト・ブルートシュタイン(べるてはいと・ぶるーとしゅたいん)は、隣に座るロア・キープセイク(ろあ・きーぷせいく)に剣呑な目つきを向けていた。
「……?」
 グラキエスは不思議に思いつつも、メニューを置いて、一旦席を立つ。
「グラキエス?」
「ちょっと、まわりを見てくる。すぐ戻るから」
 ついて行こうとするベルテハイトを、さりげなくロアが「ゆっくりいってらっしゃい。珍しいでしょうから」と押しとどめ、グラキエスを送り出した。
「薔薇の学舎でグラキエスを一人にするなんて、危ないだろう」
「この店内にいるんですから、大丈夫ですよ。……それに、ブルートシュタイン、そう睨まないで下さい。私は悪くありません」
 ロアはため息をついた。
 今日は、ベルテハイトはグラキエスを誘いだし、カフェで二人きりで過ごす算段だった。しかし、たしかにグラキエスは一人で来たものの、いつも身につけている魔道書、ロアがちょうど目をさましたため、三人でのお茶となったのだ。
(せっかくグラキエスと二人きりで過ごそうと思っていたのに! キースめ……)
 内心でベルテハイトは歯がみするが、「どちらかと言うと皆を出し抜こうとした君が悪いんじゃないですか?」とロアに言われては、反論のしようもない。それになにより、せっかく(二人きりではないとはいえ)グラキエスとカフェで過ごす時間だ。そちらを楽しまなくてはもったいない。
 グラキエスのほうは、さりげなく距離をとると、トレイを手にしている山南 桂(やまなみ・けい)に話しかけた。
「ここで特別なチョコレートが手に入ると聞いていたが、ワインが入っているチョコレートはあるだろうか?」
 ベルテハイトは甘党だが、ワインも好きだ。できれば両方楽しめるものがあればよいとグラキエスは考えていた。
 そもそも今日着いてきたのも、喫茶室への興味というより、今日がバレンタインだったからだ。グラキエスにとっては、バレンタインは「お礼にチョコを渡すもの」という中途半端な理解度ではあったが、ベルテハイトに日頃のお礼を渡したいと思った。そのために、ここで手にはいるという、ファビエンヌのチョコレートを購入したかったのだ。
 しかし、グラキエスの質問に、桂はすまなそうに。
「申し訳ございませんが、薔薇の学舎は禁酒・禁煙となっております。チョコレートに関しても、ボンボンの類は控えてさせていただいています」
「そうなのか……」
 てっきりチョコレートくらいには入っているかと思ったのだが、残念だ。ここでなら、ベルテハイトも納得する味のものが買えると期待していた分、グラキエスは肩を落としてしまった。
「お酒がお好きな方なのですか?」
「ああ。そうなんだ。……なら、できたら……」
 もしできれば、という要望を、グラキエスは桂に伝える。桂はその場で即答は避けたが、「お席で少々お待ち下さい」と伝えると、一旦厨房へと戻っていった。
「グラキエス、おいで」
 話が終わったのを見計らって、じっと見守っていたベルテハイトが、グラキエスを呼んだ。
「お前は刺激物が駄目だからとカフェに行かないが、カフェの楽しみはコーヒー以外にも色々あるんだよ」
「そうなのか?」
「ああ。たとえば、……お互いをもっと、理解する時間がもてる」
 そう口にして、ベルテハイトは愛しさをこめた視線でグラキエスを見つめる。
「お待たせしました」
 ややあって、桂がテーブルに運んできたのは、一杯のホットチョコレートだった。ただし、わずかにブランデーを垂らしてある。本来のメニューにはない、特別品だ。
「エンド? もう注文はしましたよ?」
 ロアはグラキエスの好みも苦手なものもデータとして持っているため、席を外しているあいだに、好みであろうメニューはすでに注文している。しかし、グラキエスは首を横に振って。
「これは、ベルテハイトに」
「私に?」
 驚きつつも、ベルテハイトの瞳が喜びに輝いた。しかも。
「少し、熱いかな」
「グラキエス?」
 ベルテハイトの分だと言いつつも、グラキエスは自らカップをとり、一口、ホットチョコレートを含む。そしてそのまま、ベルテハイトに口移しをした。
「!」
 ベルテハイトは息を飲むが、口腔に流し込まれた暖かく甘い味を堪能し、ゆっくりと飲み下す。だが、その味よりも、唇に触れる感触と間近にある双眸のほうが、はるかに甘美だ。
「美味いか?」
「……ああ、なによりも嬉しいよ、グラキエス」
 ベルテハイトは心から幸せそうに答え、グラキエスの頬を撫でた。
 当初の計画とはズレがあったものの、結果的には、ベルテハイトにとって幸いなバレンタインだったろう。

(わ、うわっ!)
 ある意味濃厚なラブシーンを目の前で見てしまい、吉崎 樹(よしざき・いつき)はあわてて目をそらす。じっと見るのは失礼にあたるだろうし。そういえば先ほどもの男装・女装の一団も、樹にとってはなかなかの驚きだった。
 まぁそれはさておき、今日はパートナーもおらず、樹にとっては自由を満喫しながらのバイト体験だ。もう少しで閉店とはいえ、気を緩めてはならない。
「さて、頑張ろう」
 小さく呟いて、樹は客の気配に振り向くと、「いらっしゃいませ!」と明るく声をかけた。が。
「邪魔をするぞ」
「なかなか良い雰囲気だな」
(わ、わー!!!)
 あらわれたのは、ジェイダス・観世院(じぇいだす・かんぜいん)ラドゥ・イシュトヴァーン(らどぅ・いしゅとう゛ぁーん)の二人連れだった。さすがの貫禄というべきか、一挙に店内の雰囲気が変わる。まるでいきなり薔薇の花が咲き誇ったような、華やかさと威圧感がそこにあった。
 今日は、もしかしたら天音に事情をきいていたのかもしれない。ジェイダス自身も、漆黒に金糸銀糸をふんだんにちりばめた、絢爛豪華な打ち掛け姿だ。長い髪にもとりどりにかんざしを挿し、さながら孔雀か極楽鳥花、といった装いだった。
「あ、あの……」
 緊張もあらわに樹が声をかけると、ジェイダスは悪戯っぽく笑い、樹へと流し目を送る。
「可愛いな。……さて、私の席はどこだ?」
「は、はいです! あのその……っ!」
 え、でもどこに案内すればいいんだ!? と樹は思わず店内を見回した。あいている席はいくつかあるけれども、果たして……。
「どうぞ、理事長」
 咄嗟にテンパってしまった樹をフォローするように、リア・レオニス(りあ・れおにす)が席をすすめる。そこは、喫茶室のなかでは、もっとも上座にあたるような場所であり、なおかつ全体を眺めることもできる席だった。
「ふん、さて、貴様らがどの程度のものを用意できたのか、確認させてもらおうか」
 ラドゥはそう憎まれ口を叩くものの、口元は隠しきれない喜びに綻んでいる。この場で、ジェイダスと二人でテーブルを囲めるのが、嬉しくて仕方がないのだ。
(さすがラドゥさん、やっぱ綺麗……。ジェイダス理事長も、子供なのに、なんであんな色っぽいんだ!?)
 イケメンには多少耐性がついていても、さすがに格が違う。樹は若干眩しさにくらくらしながら、ひとまず二人の給仕はリアに任せることにした。緊張でコーヒーでもひっくり返したら、目も当てられない。
「さすが、理事長ですね」
 本郷 翔(ほんごう・かける)が、まだややぼんやりしている樹にそう話しかけた。
「本当だな」
 翔のパートナー、ソール・アンヴィル(そーる・あんう゛ぃる)もそう同意して、樹に微笑む。
「んー……やっぱり、ドキドキするかな。それに俺、バトラーやメイドの経験は無いから」
「そうなんですか。けれど、皆さん洗練されていらっしゃいますね。勉強になります」
「勉強?」
「ええ。私は、執事としての修行中でして。できれば今後、薔薇の学舎のほうに留学できればと」
「そうなんだ! 歓迎するよ!」
 樹は嬉しそうに答えて、あ……とそれから小さく呟く。
「なにか?」
「その、まぁ。色んな人がいるけど! でも、良いところだと、俺は思うな」
 色んな人、というのは、まぁ、つまりは、男性同士の恋人とかそういう意味だ。
 そのあたりを感じ取り、「ええ……そのようですね」と翔は穏やかに頷いて。
「大丈夫だよ。翔には俺がいるしさ」
 悪戯っぽくウインクをし、ソールは翔の頬にキスをしようとする。それを、すんでで手のひらで避け、「はしたないですよ」と翔は窘めた。
「あ、そうなんだ。そっか!」
(今日はなんだか、あっちもこっちも刺激的だな……)
 そう思いつつ、「じゃあ、次は同じ生徒として会えるのが、楽しみだ」と樹は笑った。
 厨房に呼ばれて離れる樹の背中を、翔は興味深げに見送った。やはりこういう場では、自分だったらどう振る舞うか、とつい考えてしまうのだ。それから、ちらりとジェイダスとラドゥのほうも見やる。まわりにはあっという間に薔薇の学舎の生徒たちが集まり、ちょっとしたサロンといった態だ。あの人に認めてもらわねば、薔薇の学舎の生徒という立場にはなれない。
「翔ったら」
 どこ見てるの? とソールはわざと拗ねてみせる。
「いえ……やはり、興味深いなと思いまして」
「まぁ、それは同意するけどね」
 ソールとしても、この学校はなかなかおもしろい。それに、翔のおかげで色々な体験ができることを、純粋に感謝してもいた。
「ああ、そうです。それと、これを……」
「なに?」
 翔が差し出したのは、小さな箱だ。翔自身は甘いものは苦手なので、手作りなどではなく、既製品のなかでそれなりに評判の良いものを選んだ。
「いつもありがとうございます」
「わぁ! ありがとう! ……じゃあ、お礼をしなきゃね」
 ソールは微笑み、差し出した翔の手をすかさず握ると、その手の甲にちゅっとキスをした。翔が手をひっこめる隙もない。
「ふふ♪ そんな顔しないでよ」
「……私は、甘いのは食べ物も雰囲気も苦手ですから」
 翔は顔をしかめて窘めるものの、ソールは楽しそうに笑うばかりだった。


「フェイミィ。淑女として、淑女としてよ……?」
「淑女として…淑女として、ね」
 リネン・エルフト(りねん・えるふと)フェイミィ・オルトリンデ(ふぇいみぃ・おるとりんで)が、ぼそぼそと小声で囁きあう。今日はお互い、カジュアルながら露出度も低めの礼服姿で、どちらもよく似合っていた。
 ただ、招待状にあった「淑女らしく」という一文のため、リネンはフェイミィのことが心配でならない様子だ。
「……オレだってけっこういいところの出だぜ?TPOくらい読めるっての」
 軽く唇を尖らせ、フェイミィがぼやく。ただ、確かに今のところ、彼女の振る舞いは、いたって淑女そのもので、普段を知っている人ならばまず確実に吹き出すか、病気かなにかを疑ったことだろう。
「お待たせいたしました。コーヒーと、ミニ大福の4色セットです」
 レモが注文を復唱しながら、二人の前にセッティングしていく。さすがに朝から続けていたおかげで、その手つきは慣れたものだ。
「どうもありがとう」
 フェィミィは穏やかに微笑み、レモにそう答える。リネンも軽く頷き、レモを見上げた。色っぽい女性二人連れに、免疫のないレモはつい頬を赤らめ、大きな胸に視線がいかないように意識してしまう。
「ねぇ、いいかしら?」
「は、はい?」
 レモがそんな風にどぎまぎしているとは思いもせずに、リネンはまっすぐに黒い瞳を向ける。
「なんでしょうか?」
「この時期に改装って……やっぱりバレンタインを意識したの? ジェイダス理事はそういうの、あまり好かないのかなと思っていたけれど……」
 訥々と、リネンはそう口にする。口べたな彼女だが、興味はあったのだ。
「あ……バレンタインは、タイミングがあったから、というのが大きな理由みたい、です」
 若干しどろもどろになりつつも、レモは丁寧にリネンの問いかけに答えた。実際、この質問に対するには、レモが一番の適任だろう。
「喫茶室の改装そのものは、以前からお考えになっていたようですよ。ただ、タシガンもあまり落ち着いていなかったので……ようやく、余裕がでたから、かと」
「たしかに。体制もだいぶ変わったとお聞きしておりますわ」
 口元に指をあて、淑やかにフェイミィが相槌をうつ。たしかに、たいした猫の被りようだ。
「そう……だから、コンセプトは、変化?」
「おわかりになりましたか?」
 ぱぁっとレモの表情が輝いたが、リネンは淡々と「ええ、……入り口に書いてあったわ」と告げる。
「あ……」
 そういえばそうだった、とレモは真っ赤になった。
「でも、とても素敵な喫茶室ですわね。皆さんの努力も感じられますわ」
「本当。普段からこうやって、私たちも入れるところがあったらいいのにね……近所にこんないいところがあるのに、そこがちょっと残念……かしら」
 早速口にしたコーヒーの味も、新メニューのミニ大福も、美味なだけに残念だ。リネンとフェイニィの体型では、男装してもぐりこむにしても、無理があることだし。
「ありがとうございます。その、し、失礼いたしました!」
 ぺこりとお辞儀をして、レモはその場を離れる。もっと上手く説明できたろうにと思うと、恥ずかしくて情けなかった。もしかしたら、ジェイダスにも聞かれてしまったかもしれない。
 喫茶室の物陰に隠れると、小さくレモは鼻を鳴らした。こんな顔、誰にも見られたくない。とくに、せっかく先輩と慕ってくれた後輩には。それに、こんなにみんなが、助けてくれているのに。
 ぽん。
「……え?」
 不意に、暖かな手のひらがレモの頭を包み込むように置かれた。顔をあげると、リア・レオニス(りあ・れおにす)が、レモを見つめている。
「無理すんなよ。ありのままでいい、背伸びしすぎなくても良いんだぞ」
「リアさん……」
 暖かい励ましに、ぐっとレモは唇を噛んで涙をこらえた。
「ありがとう、ございます」
 どうにかそれだけを伝え、袖口で目元を拭うレモに、リアは微笑んだ。
「よし、大丈夫そうだな?」
「はい!」
 レモはそう答え、照れくさそうに笑い返す。その顔に、リアも内心でほっと息をついた。
(立場や現実に対応しようとして懸命な姿がなんというか、……あれ? なんで気になるんだ?)
 まぁそれはおいておこう。そう思いながら、リアはまた客席へと戻った。
 それにしても、だ。
 自分はこうして働いているのに、何故パートナーの二人は客としてくつろいでいるのか。つい恨みがましい目を向けたリアに、レムテネル・オービス(れむてねる・おーびす)がくつくつと肩を揺らす。
「レム?」
 同じテーブルにいたザイン・ミネラウバ(ざいん・みねらうば)が、そんなレムテネルの様子に小首を傾げる。
「いや……自覚がないんでしょうね、リアは」
 リアがレモを気にかけているのは気づいていたし、先ほどのやりとりも、レムテネルは見守っていた。
 おそらくはリアがレモを放っておけないのは、どこか自分に近いと感じているからだろう。
「自覚?」
「ええ。ロイヤルガードとして国や民を守りたいと願って、それを実現させる為に努力を重ねていても……どこか、力不足を感じているからでしょうね」
 立場にたいして、ひけをとらないだけの人間でいようと必死だからこそ、レモの必死さにシンパシーを感じるのだろう。「無理をしないでいい」と、おそらくは自分自身に、リアは言っているのだ。それが、レムテネルにはわかっていた。
「リアも必死だからな。
 ザインの日課は、リアとの剣の訓練だ。よって、その努力も、間近で見ている人物だった。
「そうだ、このチョコ、リアの分も貰っといてやろう。訓練で疲れた時には、甘いものが一番だしな」
「気に入ったようですね」
「ああ。さすがブルジョア学校だな。菓子もどれも、美味いなぁ」
 ケーキや菓子は、ザインの好物だ。先ほど頼んだザッハトルテは、とうに胃袋に収められていた。今はファビエンヌ特製のチョコレートを、コーヒーの合間に摘んでいる。
「……そういえば、あれが理事長なのか?」
 ふと視界の端にジェイダスをおさめ、ザインがレムテネルに尋ねた。
「ええ、そうですよ」
「なんだか、見た目通りじゃない気配がしたんだが……」
 本当に子供なのだろうか、と訝るザインに、レムテネルは微笑し「そのあたりのことは、後でリアに聞くと良いですよ」と答えて、静かにコーヒーを口にした。