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chapter.9 三駅目(4) 


 痴漢騒動が起きている頃、他の車両でもある意味危険な騒動が起こっていた。
「生卵はおやつに入る? なんだそれは、我は聞いていないぞ」
「もう、生卵はおやつだよ!?」
 現在の最後尾、9両目でやや世間ずれした会話をしていたのは、ジュレール・リーヴェンディ(じゅれーる・りーべんでぃ)と契約者のカレン・クレスティア(かれん・くれすてぃあ)
 彼女らは、以前同じようなイベントに参加した時、最初から目立とうとして失敗した経験を活かそうとしていた。
 考えに考えた結果、小芝居をすることでギリギリまでやり過ごす作戦を実行することにしたようだ。
 ちなみに役柄は、カレンが学校の先生、ジュレールガ生徒である。設定は空京へ遠足に行くふたり、だそうだ。
 色々と無理があるが、そこは皆イベントの方に熱中しているので、このふたりにそこまで注目する者はいなかった。そういう意味では、うまいこと作戦通りここまでやり過ごしてこれたのだ。
「……カレン、この小芝居をそろそろやめたいのだが」
 ここで、ジュレールが口を開いた。カレンは「えー」と不満げだったが、よくよく考えれば、現在三駅通過後。つまり残りイクカポイントを計算すると、既に今がギリギリの状況なのだ。
 カレンはジュレールの提案を受け入れ、罠を張ろうとした。
 一見無害そうな自分たち目がけ参加者が襲ってきた時のため、迎撃タイプの罠を。それは先程話題に出てきた、生卵だった。
「まさかカレン、これで相手が足を滑らせるなどと考えているのでは……」
「え? そ、そうだけどダメかな?」
「……」
 ジュレールは眉を潜め、言葉を失った。バナナとかならまだしも、生卵はないのでは、と。滑る前にぐちゃっと潰されるのがオチではないかと。
 まあ、バナナでも昔の漫画かよという話だが。
「誰かかかるかなっ」
 瞳をキラキラさせながらすぐそばに置かれた生卵を見つめるカレン。ジュレールはもう何も言うまいと、口をつぐんだ。

 向かい合うシートの中間にあるその生卵が置かれた場所を通過する者は、そう遠くないうちに現れた。
「こ、これはまた随分とミステリーだな。車内の床に生卵とは……」
 カレンのそれを目撃し、たじろいだのはレン・オズワルド(れん・おずわるど)だった。彼は、この光景に戸惑いを見せたが、どうにか頭を整理しようとする。
「確かにここまでも、思っていたような電車旅行ではなかった……そうだな、ミステリー列車に近いものと考えよう。そうすればこの光景も、ミステリーの一部として理解できる。どうということもない」
 そうだ、生卵が落ちていたくらいで驚いていては、身がもたない。ここを普通の電車と思ってはいけない。
 レンは自分にそう言い聞かせ、さしあたってその卵をスルーすることにした。
 ――ええっ? 興味持ってたのに!?
 座席にちょこんと座り様子を見守っていたカレンは、心の中で思わずつっこんだ。滑らないまでも、屈んで拾おうとして隙を見せるとか、何かしらを期待していたのに。
 そんなカレンの思惑をよそに、レンは何やらぼそぼと呟きだした。
「そういえばお前は、生卵は好きか?」
「……?」
 カレンとジュレールが、思わず顔を見合わせ首を傾げる。レンのそれは、明らかにひとりごとだった。
「あの人、何いきなりひとりで喋りだしたんだろう? 誰に聞いてるのかな?」
「もう少し様子を見るべきだな」
 ひそひそ声でカレンとジュレールがレンに視線を向ける。と、レンは相変わらず誰にも見えない「だれか」に向かって話しかけていた。
「何? 俺か? 俺は生卵より半熟卵が好きだ」
 端からみると、レンは明らかにちょっと頭がアレになっちゃった人だった。
 ここで彼の身に何が起こっているのか、説明しよう。
 彼――レンは乗車時にクジを引く時、「一般男性の部屋にあるもの」で何を思ったか、「ぞうさん」を引き当てようとしていた。
 もちろんここで言うぞうさんとは動物園にいるそれではない。象に山と書く例のアイツだ。
 しかし残念ながら、該当するその人物は意外なことに作者の家に入ったことがない。通常、ハズレアイテムとしてこういう場合生卵が付与されるのだが、レンはそれを受け取る前にダッシュでクジ引き会場を後にし、乗車してしまった。レンは今、ノーアイテムなのだ。
 ではなぜ、レンはそんな行動に出たのか?
 それは、きっとショックだったからだろう。ぞうさんを引き当てられなかった自分のふがいなさ、不運、ふたりの仲を勘ぐり過ぎたこと……すべてがこの結果を招いたことで、彼の中で何かが弾けてしまった。
 どうせ俺はついていない。どうせ俺は。俺なんか。いっそ俺じゃなければ。
 そんな自己嫌悪を繰り返した果てに、レンはどういうわけか、「俺はレンではない、ハギだ」と主張し始めた。もうまったく理解が追いつかないが、ともかく今の彼はレンではなく、自称ハギということらしい。
 そこまで頭がアレになってしまった彼なので、おそらく今はぞうさんの幻覚を見て、仲良くお喋りをしているのだろう。
「え? ああそうだな半熟は好きだが俺はまだ未熟だな。それよりどうなんだ、お前は生卵を好きなのか?」
 笑顔で虚空に話しかけるレン。周りの者は、「春だしね」と納得する他なかった。
 レンのパートナー、ノア・セイブレム(のあ・せいぶれむ)も契約者の変わり果てた様子に、悲しい目を向けている。
「レンさんが見えない相手とお話しています……もしかして、この列車の終着駅って精神病院なんでしょうか。悲しいけれど、これが現実ってやつなんですね」
 ぽつりと呟いたノアは、若干レンとの距離を開けた。
「ああ、そうかそうだったな、お前は三度の生卵より、モモとクローバーが好きなんだったな」
 カレンやジュレール、そしてノアのドン引きした表情を意に介することもなく、レンはただひとりごとを続ける。
「君も好きじゃないのかって、おいおい、俺はハギだぞ? 俺が好む年齢層は、もっと上だ」
 お前がハギの何を知ってるんだよ、くらいの勢いでべらべら話すレン。
 が、その一言が、思わぬ災難を生むこととなったのである。
「え? 今ハギって言った? ちょっと聞き捨てならないよねー、それは」
 言って、レンの前に立ちはだかったのはルカルカ・ルー(るかるか・るー)だった。その右隣にはパートナーの夏侯 淵(かこう・えん)が立っている。そして左隣には。
「……誰だ?」
 ルカルカに、そして両脇の男性二名に向かってレンが言った。楽しいお喋りを遮られ、ご立腹状態だ。
「俺は夏侯淵。まあ憶えなくて良い。この妖刀に倒されるんだからな」
 不遜な態度で答える淵。その反対にいる男性は何も言葉を告げなかったが、直後、ルカルカの口からとんでもない言葉を聞かされる。
「通りすがりのレジェンドだよん。そしてこっちの男性は……ハギさんよ」
「!?」
 レンは、耳を疑った。通りすがりのレジェンドという割と恥ずかしい名乗り口上に食いつくよりも、その後に聞こえた名前に、動揺を隠せなかった。
「そ、それはおかしい。俺の名前はハギだ。俺がハギだ」
「ううん、残念だけど本物のハギさんはこっち。乗った時からずっと連れてるの」
「従者扱い!?」
 思わず声を出してしまった淵に、ルカは苦笑いで訂正した。
「あ、じゃあルカが従者ってことで」
 一体これはどういうことなのか。答えは簡単。ルカルカがクジで「ハギ」という男性を引き当てただけの話だ。
 部屋の中にあるかないかで言えばあったのだから、これは仕方ない。従者ならまだしも、物扱いかよと言いたいところではあるが。
 当然、これに納得しないのはレンである。
「そんなことはどうでもいい。ハギは俺だけだ」
「だから、こっちがハギさんなんだって」
 互いに一歩も譲らず、レンとルカルカの言い合いは平行線を辿っていた。
 というか、一番本物のハギは今これ書いてるからどっちでもねえよという話である。
「このまま話してても埒があかないな。なあぞうさん?」
 レンが、隣の空白に話しかける。もちろんノー返事だ。ルカルカと淵はそれを見て、「ああそうか、この人そういうアレか」と判断した。
 ならばこのまま言い合っていても意味がない。実力で分からせるしかないと。
「その『壁』貸して!」
 ルカルカが淵に言うと、淵はクジで当てた「壁」をルカルカへと渡した。これも部屋にあるなしで言えばまあ「ある」に分類されるのだろう。
「えいっ!」
 ルカルカは受け取った壁を、ドラゴンアーツで強化した腕で振り下ろした。同時に淵も、忍法で影を幾重にも発生させ、レンの逃げ道を塞いだ。
「べふっ!?」
 レンが頭に重い一撃を食らい、よろめく。おそらくあと一撃。それでレンの命運は尽きるだろう。だがレンは諦めなかった。
「俺は……ハギだ……ハギは……こんなところで諦めない」
 息切れしつつもそう言ってのけるレンは、ちょっとかっこよかった。まあ、ハギじゃないけど。
「そうだ、せっかくだからとどめはハギさんに刺してもらおう! 本物の、ね?」
 そんなレンに、ルカルカが言う。するとハギは、ゆっくりとした歩調でレンの前へと進み出た。その顔がレンに近づく。動け。レンは言い聞かせるが、さっきの一撃が足にきているのか、思うように間合いを空けられない。
 ハギさんという人物はそのままレンの耳元へと口を近づけると、小さな声で彼へと告げた。
「かわいい女の子いない? 久々に飲み会したいわー」
「……何?」
 てっきり何か脅し文句でも来るのかと思っていたレンは、耳を疑った。まさか目の前のこの男は、現状を理解していないのではないかと。このイベントを、出会いの場くらいにしか考えていないのではないかと。
 なお、このハギさんのキャラクターは別に実際に誰かに似ているとかそういうことは一切ない。あくまでハギさんというこの人物の性格である。
 なんだか書いていてややこしくなってきたが、このどっちがハギでショーはもう少しで終わろうとしていた。レンのリタイアによって。
 しかし、そこにロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)が待ったをかけた。
 ロザリンドは彼らの戦いを座席に座って見ていたため、今までの争いの理由も、流れも把握していた。その上で、彼女には進言があった。
「待ってください。もしかしたら、もっと平和的に解決できるかもしれませんよ? どちらが、より本物のハギさんか」
「え?」
「何……だと?」
 思わぬロザリンドの言葉に、ルカルカも、レンも動きを止めた。ロザリンドは続きを話す。
「ここに、クジで当たったパソコンがあります。今までの流れから思ったのですけど、もしやこれは、そのハギさんという方のパソコンなのでは?」
 確かに、彼女の膝下にはおしゃれでかっこいいパソコンがあった。いかにもハギさんが使っていそうだ。
「うーん、そうかもしれないけど」
「それで……どうやって解決を?」
 ふたりの言葉に、ロザリンドは説明を加えた。
「はい。本物のハギさんなら、この中にどんなデータが入っているのか分かるはずです。そこでおふたりのハギさんには、この中身を当てていただこうかと」
 この提案に、両名が同意した。ロザリンドは「あらかじめ中のデータは確認していますので、正解不正解の判定はすぐに出せます」と頼もしく言う。頼もしいけれど、恥ずかしい。
「俺が……先に当てさせてもらおう」
 先手は、レンだ。彼は顎に手を当て、少考した。少考する時点で本物じゃねーよという話だが、まあそこは置いておこう。そして、やがてレンが口を開いた。
「……写真フォルダに、ぞうさんとツーショットの」
「残念、はずれです」
「なにっ!?」
 レンはがくりと崩れ落ちた。じゃあもう分かんないよとばかりに。なんでだよ。
 それを見て、ルカルカは勝ち誇った顔でハギさんに解答させた。
「パソコンの中身? 写真フォルダにはリクスーっていう名前のフォルダがあるよ。お気に入りには着エロ関係のサイトがいくつか入ってるはず。あと他のフォルダにはパンストフェチっていう映像とか、OLモノの……」
「はい、正解です!」
「やった! これでルカたちの方が本物だねっ」
「……」
 レンは沈黙した。せざるを得なかった。そしてルカルカが連れてきたハギという人物と、ロザリンドの持ち込んだパソコンによって色々暴かざるを得なくなったどこかの一般男性も沈黙した。そして恨んだ。
 なんだよこの抜群のコンビネーションはと。本人とパソコンをクジで当てて、嗜好を暴露させるなんて血も涙もないのかと。
 ただ念のため補足しておくと、そういう関係のデータだけでなく、このパソコンには真面目なデータも色々入っている。本当に。
「さあ、もうおとなしく……」
 ルカルカが床に手をついて絶望しているレンに言葉を降らせると、レンは開き直り、最後の力を使って暴れだした。
「俺が、俺がハギなんだ! 信じてくれ! お前は信じてくれるだろ、ぞうさん! なあ!!」
 醜態以外の何ものでもないその振る舞いだが、開き直ったことでレンの力は先程より強くなっていた。ロウソクが燃え尽きる前のアレと同じ感じだ。
「なにっ、このパワー!? こうなったらルカたちも全力でいくよ! そして伝説へ……!」
「終わるなよ……」
 淵のつっこみを聞いているのかいないのか、ルカルカはレジェンドレイ、レジェンドストライク、そしてファイナルレジェンドと輝かんばかりの三段攻撃を放った。しかしレンもやられっ放しではない。
「ぞうさん、力を貸してくれ……!」
 レンはそうひとりごとを言いながら、ルカルカの攻撃に真っ向からぶつかっていく。その衝突に、運悪くロザリンドが巻き込まれそうになってしまった。
「きゃあ、いけません。か弱い乙女ですのに……」
 パワードスーツをばっちり着こなすその出で立ちは毎度のことながらか弱さの欠片もないが、ロザリンドはとりあえず女の子っぽい悲鳴をあげてみた。そして、抱えていたパソコンでこっちまで飛んできた攻撃を防いだり、時には自らパソコンでふたりに殴りかかったりした。
 もうこの子は、か弱いの意味を一度辞書で引くべきだと思う。そして、人の持ち物はもっと大事に扱うべきだと思う。
 ロザリンドが暴れたせいで、パソコンは完全に壊れた。すると、それまで特に害を与えることがなかったハギさんの目の色が変わった。
「パソコン……中のデータ……」
 それは、一瞬だった。ハギが軽く指を動かすと、ルカルカ、淵、レン、ロザリンドの四名はあっという間に地に倒れ伏していた。
「つ、強い……っ!」
 仏の顔も三度まで。勝手に名を語ったり、性癖を暴露するまでは許しても、愛するパソコンを壊されるのは我慢ならなかったようだ。
 ここで、一気にルカルカ、淵、レン、ロザリンドが脱落となった。
「な、なんだかすごいもの見ちゃったね……」
「とりあえず、彼らのイクカを回収すべきだろう」
 少し離れた座席に避難していたカレンとジュレールは、自分たちのところまで災厄が降りかからなかったことに安堵しつつ、イクカを回収しようとした。
 が、まだ災厄が終わったわけではなかった。
「結局なんだったんでしょうアレは……」
 そう呟いたのは、連結部の窓から様子を見ていたノアだった。彼女は色々な意味で危険を感じ、隣の車両に移動していたのだ。
 最初は自分の契約者がおかしくなっただけかと思ったのに、後から壁とか振り回す怖い人たちが出てきたり、パソコン振り回す人が出てきたり、その人たちがクイズとかし始めたり。
 それらの出来事は、ノアが把握できる容量を超えていた。ので、彼女は恐れてしまった。
「なんか怖くなってきました。もうまとめてパージしちゃいましょう」
 言うと、ノアはあろうことか、連結部を切り離してしまった。本日二度目の切り離しである。
 これにより、カレンとジュレールの乗っていた9両目は、置き去りにされることとなってしまった。
「さようなら〜」
 離れていく車両に手を振るノア。切り離されたことにまだ気づいていないカレンとジュレールは、「この生卵、まだ食べられるかな」「いや、無理ではないか」などと呑気な会話を交わしているのだった。
 カレン、ジュレール、争いには巻き込まれなかったもののここで脱落。
【残り 32名】