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あの頃の君の物語

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上海万博での出会い〜ルカルカ・ルー〜

「――この空間で合ってるみたいだね」
 あの時、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)の言った言葉は、ただデータと照合したものではない。
 ルカルカが照らし合わせたのは、あの時の記憶。
 見知らぬ少年たちと同じ時間を過ごした、あの時の……。


 可愛らしい女の子が一人で会場内を歩いている。
 大丈夫かな? と思う者もいたが、声をかける暇もなく、その女の子とはすれ違ってしまった。
 それくらい2010年上海万博の賑わいはすごいものだった。
 その可愛い女の子ルカルカ・ルー(るかるか・るー)は、普段は味わえない雰囲気にちょっとはしゃいでいた。
 一見、ただの可愛い女の子にしか見えないルカルカだが、その身のこなしは鮮やかなものだった。
 細いながら鍛えられた体は、しなやかな動きをし、見るものが見れば……なのだが、ルカルカの愛らしさしか目に入らない者もいる。
「お嬢ちゃん、一人かい?」
 見知らぬ中国人が2人声をかけてきた。
「うん」
 ルカルカがうなずくと、中国人の1人が向こうにいる男に目配せした。
「そうかあ、それは良くないね〜」
「迷子センターあるよ。そこまで行こうか?」
 親切げに声をかけてくる男2人の体格を、ルカルカはじっと見た。
 こんなところで騒ぎを起こすのは上策ではない。
 殺すという短絡的な方法を取るのは、諜報の仕事をする者としては最悪の手だ。
 今のところ目の前にいる男と、向こうで何かの手配の電話をしている男がいて……大丈夫、他の仲間はいるかも知れないが、視界に入る範囲にはいない。
 ルカルカは子供らしい表情を崩さないまま、頭の中で瞬時にそんな計算をしていた。
 一見、温厚な父とお気楽な母に育てられた可愛い子に見えるルカルカだが、その生活は一般のことはまったく違う。
 幼い頃から、生活の中で生き抜く術、戦い方、サバイバル技術などを教えられてきた。
 日本の自衛官である父、フリーランスの傭兵であるアメリカ人の母。その両親によって幼い頃からある種の英才教育を受けてる娘。
 のんびりしてるように見える一家の正体は、実はそういう家だった。
 今、ルカルカが上海にいるのはそもそも母と一緒に仕事で来たためだ。
 その仕事のフリー時間として、万博を楽しみにルカルカはやってきたのだ。
 せっかくの楽しい時間を、こんな悪徳中国人たちに邪魔をされるわけにいかない。
(どうしようかな〜。ひとまずここは走ってまくのが一番……)
 ルカルカがそう思って視線を巡らすと、向こうから男たちの仲間らしい者たちがやってくるのが見えた。
(…………)
 時間をかけすぎたかなとルカルカは思った。
 もちろんこの程度の敵ならば、両親との訓練に比べればそんな大変なものではないが、出来るだけ目立たずに騒ぎにならずに逃げたいとなると、ちょっと面倒だと思った。
「さて……」
 これ以上時間をかけて、もっと面倒になる前に……。
 そう思ってルカルカが動き出そうとした時、声がかかった。
「なんだ、そんなところにいたのか。次のパビリオンの上映に遅れるぞ」
 その声に男たちが振り返ると、2人の少年が立っていた。
 1人の少年は三白眼をした少年で、もう1人の少年はその少年より少し年上の感じだった。
「妹が、すみませんでした……行くぞ」
 ルカルカは年上の感じの少年に後ろから軽く押され、三白眼の少年はルカルカの前に立って、男たちに道を開けさせるように堂々と歩いた。
「…………」
 男たちは何か目配せし合ったが、少年とはいえ、男2人を相手にするのは面倒だと思ったのか、素直に引き下がった。
 十分に男たちから離れ、中国の家電企業のパビリオンに来た時に、三白眼の少年が、くるっとルカルカの方を向いた。
「いらん助けだったと思うが……」
「いえ、そんなことはありません。ありがとうございました」
 ルカルカは少年に丁寧にお礼をした。
「礼には及ばない。ただ、中国人があんなものばかりとは思ってもらいたくなかっただけだ」
 少年は眉根を寄せて、ルカルカの礼を受けた。
 ルカルカに不満で眉根を寄せているのではなく、中国人の大人に対して、不満を持っているようだった。
「この国は一気に豊かになった。そのおかげで得た物もたくさんあるが……同時にそのおかげで失ったものもたくさんある」
 誰に対して言っているのか分からないが、少年の友達らしき少し年上の少年は真剣な顔で聞いている。
「礼節を伴わぬ富と発展には品性がない。これからは品性というものを……」
 そこまで言って、少年はルカルカを置き去りにしていないかと気になったようで、言葉を止めた。
「つまらない話だったな、すまない。そうだ、聞き忘れていたが、君は迷子か?」
「あ、いえ」
「まさか一人で来ているのか? 家族は? 名前は?」
 名前と聞かれて、ルカルカは困った。
 ここで通称名を言うべきか、それとも戸籍名を言うべきか。
 または違う名を名乗って、それでごまかすか。
「……ジン」
 年上の少年が三白眼の少年を制した。
 キツイ口調ではないが、彼の瞳の表情に気付き、ジンと呼ばれた少年はルカルカに謝った。
「すまない。根掘り葉掘り聞こうとしたわけではないんだ。ただ、大丈夫かと心配で……」
「あ、いえ。家族は今、お仕事に行ってるんです。お母さんは一人で行くのを心配したんだけど、私がどうしても万博に行きたいって言ったら、暗くなる前に帰ってくるならいいわよって言ってくれて」
 普段は自分の名前で自分のことを呼ぶルカルカだが、この時はとっさに『私』が出たので、そのままそれを使うことにした。
 ルカルカの言葉を聞いて、ジン少年はホッとした表情になった。
「そうか。それならいいが……この国は治安が良くない。こういう海外から人が多く来るイベントの時には良くないことを企む輩もいる」
「そうなんですね」
「……つまりだ。万博を見て回るなら、共に行こう。一人で歩いていると、また先ほどと同じようなことに巻き込まれない」
 少々、回りくどい言い方であったが、ジン少年はこの外国から来たらしい少女を心配しているらしい。
 ルカルカはその申し出を喜んだ。
「うん、一緒に回る!」
 少女が元気に答えるのを見て、ジン少年はホッとし、3人は一緒に万博を見て回ることになった。


 万博初参加の国の展示物に、人気グループのコンサート。珍しい動物や新技術のロボットなど、見るものすべてが面白かった。
「次のこのテーマ館の上映まで時間があるか、何か食べるか」
 ジン少年の提案に、2人は賛成し、各国の料理が集まるフードコートに向かった。
「……助けは本当に、いらなかっただろう?」
 もう一人の少年がルカルカにそう声をかけた。
 ルカルカは一瞬彼の瞳を見つめ、それからにっこり笑った。
「え、外国で男の子に助けられるなんて、マンガみたいでうれしかったよ! それに、1人で回るよりこうやって3人で回る方が楽しいし!」
 その笑顔に、少年は少し考えた後「そうか」と答えた。
 ルカルカは彼らがルカルカの名前を聞かない代わりに、ルカルカ自身も彼らの名前などを聞いていなかったが、彼らが普通の子供ではないことに気がついていた。
 ジンと呼ばれる少年は庶民階級の子供とは明らかに違う服装と身のこなしをしている。
 逆にもう一人の少年は身なりはいいが、その服装にそぐわない雰囲気をなんとなく纏っていた。
 ルカルカの視線に気付いたのか、少年はこちらを向いた。
 視線を向けられたルカルカは、じっと少年の瞳を見つめ返した。
 何かを見透かされたと思ったのか、少年は小さな声でこう呟いた。
「……私は黒孩子なのだよ」
「へい……はいず?」
「戸籍のない子供だ。一人っ子政策が推進されている中国ではよくいる子供だ」
「…………」
 ルカルカは彼の話になんと答えていいのか分からなかった。
 彼が何を求めて自分にそんな話をしているか分からなかったし、どう答えるのが適切なのかも分からなかった。
 諜報、破壊工作、必要ならば暗殺ですらこなせるだけの身体能力を幼い頃から鍛えられているルカルカだが、まだ子供であるルカルカは技術はあっても、そういう時の対応までは完全でなかったのかも知れない。
「ああ、ジンは違う」
 ルカルカの沈黙を違う意味に取ったのか、少年は小さく首を振った。
「ジンはもっといい家の子供だ。経済発展が著しいこの国で、父親が富と権力を手に入れて……ジンはその父に熱心に教育をされている。子供の頃から各分野のプロを家庭教師にして、たくさんのことを学んでる……私とは世界の違う子供だ」
「……世界が違うなら……どこで知り合ったの?」
 踏み込んでいいことか悩んだが、ルカルカはそう尋ねてみた。
 すると、少年は少し考えた後、当たりさわりの無い部分だけ話そうと決めたのか、ゆっくりと口を開いた。
「ネットで知り合ったんだ」
「ネット?」
「ジンは外で遊ぶヒマもない子供だから、ほんの少し空いた時間でオンラインゲームをしていた。私はもっとも金を稼ぐためにやっていたのだがな。私とはそこで知り合ったんだ」
 2人がそんな話をしている間に、ジン少年は席を取ってくれていて、2人に手を振っていた。
「こっちだ」
「どうもありがとう」
 ルカルカはお礼を言って、周りのお店を見回し、2人に提案した。
「何か食べたいものある? 私が買ってくるよ」
「いや、いい。一人で行くと危ない目に遭う可能性がある」
「それなら私が行ってこよう」
「すまない、任せる英照」
 英照少年はうなずくと、2人から食べたいものを聞き、買いに行った。
「2人はお友達?」
 ジン少年と2人で残されたルカルカはジン少年にそう尋ねた。
「そうだ。唯一の……友達だ」
 三白眼の瞳に暗い色を落とし、呟くように言った。
「学校のお友達は?」
「学校の同級生は仲間や友人ではない。皆、ライバルだ。下手に気を許せば、足下をすくわれる」
「…………」
 ルカルカも普通の生活をしている子供ではないが、ジン少年も方向性は違うけれど、同じように普通の生活が出来ない子供なのだと思った。
 そして、ジン少年は孤独を抱えた少年なのではないかという気がした。
「……父が英照のことを認めてくれた時はホッとした」
 食べ物を買いに行ってくれている友の背を見ながら、ジン少年は呟くように言った。
「認める……?」
「叔父や祖父などは英照と私の交流を良く思わなかったらしい。関わらせるな、回線を切ってしまえ等を父に言ったようだが……父は身分の違う相手と接するのもいいことだと……英照を認めてくれた」
 実際には、彼の父は命を賭して仕えてくれる腹心を持つのは良いことと思っていたのだが、それを言えばジン少年が素直に英照をそばに置かないだろうと考え、そうは口にしなかった。
 ジンがそう話した時、英照が戻ってきて、3人分の食事をテーブルに置いた。
「わあ、何コレ、初めて見る」
「珍しいと言われたものを色々買ってみた」
 目を輝かすルカルカに英照はそう説明をした。
 3人は見たこともない料理を分け合って、楽しく食べた。
 ジンも英照もなぜこの少女に自分のことをいろいろ話したのかわからなかった。
 多分、学校にも周りにも何かを打ち明ける相手がいなくて。
 この行きずりの少女ならば、話しても大丈夫と思ったのかも知れない。

 太陽が西に傾き、夕焼け空に近くなる頃。
 ルカルカは2人にお礼を言って、上海万博の会場を出た。
 彼女が帰るのを見送っていると、2人のそばに車が止まった。
金 鋭峰(じん・るいふぉん)様、羅 英照(ろー・いんざお)様、お迎えに上がりました」
「ふむ」
 鋭鋒は静かに頷いて車に乗った。
 今迎えに来たのではないだろう、ずっと見ていたんだから、と英照は言いたかったが、仮に監視付き、遠くからの護衛付きであっても、こうして鋭鋒と遊びに出かけられたのは英照にとってはいい思い出となった。
 そして、多分、上海万博で2人と会った、あの少女にとっても。