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リアクション
(場違い……だったかな……)
箱岩 清治(はこいわ・せいじ)はいたたまれない気分にかられていた。
ホールの両開きの扉。その中では、白く煌びやかな、光に満ちた世界が繰り広げられている。
入口に立つのは、黒い少年。黒い肌の色に、黒のスリムなシルエットのパンツ。黒のセーターに入ったラインだけが唯一赤だ。
目立たない格好のはずなのに、華やかな中に既に居心地悪ささえ感じそうだ。
彼が待っているのは、ルドルフ・メンデルスゾーン(るどるふ・めんでるすぞーん)。
学園祭でそうしたように、清治は再び手紙を出していた。
(年末で忙しいとは思うんだけど、せっかくの機会だから……でも、あんまり頻繁に誘いすぎて。しつこいやつだって思われてたらどうしよう)
そんな不安はあったけれど、でも、ちゃんと返事は来た。『百合園には来賓として招かれている。その間、君と話す時間を取ろう』と。
彼が手紙を出しても出さなくても、来るという事実を知ったのはその返事でだったが、少しほっとしたのを覚えている。
ホールに仲良く入っていく生徒たち、これから出かけるのか手を繋いでホールを去る人々。華やかさの残り香の様なものを避けるように扉からまた一歩離れ、視線をどこに定めていいのか少し迷ってから遠くを見ていると、ルドルフの姿が見えた。
「また来てくれて、ありがとうございます」
ぺこりと礼をすると、ルドルフは微笑して、
「……いや。さ、中に入ろう」
正装のルドルフはいつも堂々としていて、その近くにいると気後れと一緒に、もう少し頑張れるような気がするから不思議だ。
二人がホールに入れば、丁度年越し蕎麦が配られる時間だった。
置き畳に上がると、理事長の影響だろうかルドルフが見事に正座してこたつに入る。
「ルドルフ校長、年越し蕎麦ってご存知ですか? 日本では年を越す前に蕎麦を食べるといいって言うんだそうです」
綺麗な塗り箸に感心しつつ清治は温かな年越し蕎麦に手をつけた。
「諸説あるけど、僕は『蕎麦は強い植物だから、その強さにあやかって食べる』っていう説が好きです」
「君は強さに憧れているのかな?」
「……そうかも、しれません」
「君は日本出身だったね」
清治ははいと答えると、逆に訊ねた。
「ルドルフ校長の国では、どんな年の越し方をするんですか?」
ルドルフは数秒ほど考えた後、軽く頷いた。
「知っているかな、僕の出身はイスラエルだ。イスラエルでは西暦ではなくユダヤ歴で祝うんだ。新年は西暦では大よそ9、10月に当たる。西暦を全く使用しないという訳じゃないんだけどね。
ローシュ・ハッシャーナーと呼ぶ。1日から10日まで続くんだけど、特に1、2日を指すのかな。10日の後にも色々あるんだけど……」
「日本では……三が日、というものがありますね」
1日が元旦だけれど3日までお休みのところが多く、正月イベントはもう少し続く。
「祝う日であったり、悔い改めるための日々であったり、断食の日があったり、労働を禁じられた日があったり、少々複雑だね。尤も全員が厳粛に守っているわけではないな」
(日本でも、初詣に行かないっていう人もいるもんな……)
清治が頭で納得したように頷けば、ルドルフは続けた。
「そうだね、似ている部分と言えば……新年を祝う手紙──日本で言うと年賀状かな──を送ったりするね。決まった食べ物といえば、林檎に蜂蜜をかけたり、ザクロ、魚の頭や……そうそう、お節のように、音が似てるからと、良い言葉にかけて食べたりするものもあるね」
そんな話をしているうちに、二人は蕎麦を食べ終えていた。定番の蕎麦湯を飲みながら、彼はぼんやりと今年のことを振り返ってみた。
(今年は自分の父に言われるままに薔薇の学舎に入って、こんなつまらない場所、って思ってた。でも学舎の人はみんな、こんな僕に対して優しかった。もちろんルドルフ校長も。
こうして穏やかな気持ちで年が越せるのは学舎の皆と、ルドルフ校長のおかげなんだ)
ぼんやりしつつ、二度も校長に手紙を出せたこと、謝ったり、こうして話ができている自分にも驚いた。学舎に入る前には考えられなかった。
そして来年はもっと、こんな自分も変わっていけたらいいなと思う。
(おかしいな、変わっていくのがちっとも怖くないなんて)
もしかしたらそう思えること自体が、去年一番変わったことなのかもしれない。
──やがて年が明ける。
清治はルドルフを見上げて、一礼した。
「今年もまた、よろしくお願いします」
「よろしく」
そう、微笑したルドルフの言葉に、言いたいことが幾つかあったのだけれど──言葉にはまだできそうにない。
清治はそっと仕舞っておいて、新年のお雑煮を二人分、取りに立ち上がった。