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帝国の新帝 蝕む者と救う者

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オルクス・ナッシング



「ん、この先開けてるな」

 そうして、幾つかの戦闘を繰り返しながら、進むこと暫く。
  前方を警戒していたセルマが、そう言って歩速を緩めた。今まで3、4人程度しか横並びに入れそうに無いような細い通路が続いていた中の、空間とよばるほど開いているスペースに「止まれ」と刹那の声が警告した。
「分岐路がある……不自然な空間じゃ」
 強い警戒の篭った声に、一同が足を止め、油断なく意識を凝らした。
「っ、来るぞ……!」
 光一郎が声を上げてドミトリエを庇ったのと同時、ルカルカの常闇の帳が発動し、側面から飛来した黒い光を辛うじて防いだ。弾かれるようにして、セルウスを中心に庇うように構えた一同の前に、影から抜け出るようにして、数体のナッシングが現れる。向き合ったお互いは、直ぐにでも戦闘を開始しようとした……が。
「フハハハハ……! 現れたな、ノーマル・ナッシングよ!」
 聞き覚えのある声が響き、何故かナッシングの後ろから、ハデスが姿を現した。現れたな、はこっちのセリフだと皆のの目が語っているが、当然気にした風もなく、びしいとその指を正面へ突きつけて、続きの口上を始めようとしたがのだが、それよりも早く。
「出たなお邪魔虫!」
 一声。ザッシャアと足を振り上げる素晴らしいトルネード投法のフォームでの祥子投手の第一投。ストレート高めの変熊の缶詰は、見事ハデスのどたまに、ゴキャっという音を上げてストライクをかました。
「ゴフ……ッ、これが本物のデッドボ、って、違うっ! 我らが用があるのはそこのナッシングだ!」
 のけぞりながら何とか踏み止まったハデスは、びしいっとその指をナッシングに向けて突きつける。それには、祥子達のみならずナッシングも戸惑いのようなものがあったのか、一瞬動きが鈍ったところに更にもう一団。
「オルクスが愛のために自らの殻を破ろうとしている! 今こそボクも真の本気を見せるときだね!」
 そんな一声と共にマイキー・ウォーリー(まいきー・うぉーりー)の引き連れたドッペルゴーストによるバックダンサーズがなだれ込んで、ナッシングを取り囲むようにし、マネキ・ング(まねき・んぐ)冷 蔵子(ひやの・くらこ)、そしてアルテミス・カリスト(あるてみす・かりすと)デメテール・テスモポリス(でめてーる・てすもぽりす)と、オリュンポスの面々がずらりと並んだ。今までであれば、立ちはだかる彼らの正面にはセルウスがいて、すぐにでも戦闘開始となるところだが、そのセルウス達一行は完全に蚊帳の外状態の布陣である。
「……これはどういう状態なんでありましょう?」
 吹雪がぽつりと呟く中、ぴくりとリリ・スノーウォーカー(りり・すのーうぉーかー)が、彼らの中心に立ち、ナッシングたちと対峙している風のオルクスの姿を見つけた。同じナッシングであるはずの彼らはまるで敵同士のようであり、特にオルクスの方はセルウスに目もくれようとしない。その様子に、リリは目を細めた。
「仲間割れか? いや……」
 呟いた隣で「何れにせよ」とララ・サーズデイ(らら・さーずでい)が目を輝かせた。つい先日に、オルクスに助けられたのを思い出して、不敵な笑みと共に槍を構え直した。
「これは僥倖だ。こんなに早く借りを返すチャンスが訪れるとは!」
「あ、コラッ」
 リリが止める間もなく、加速ブースターをフルブーストさせて、ららは戦線へと飛び込むと、混線の中オルクスを庇うように前へ出た。
「太陽の騎士、ララ・サーズデイ。義によって助太刀する!」
 そんなララに息をつきながらも、素早くフェニックスを召喚してリリも戦列に加わり、天音がさりげなくそのフォローのために距離を詰めた。

 そのまま始まってしまった状況は、手を出しがたい雰囲気だったが、ハデスの言うところのノーマル・ナッシングの本来の目的がセルウスの妨害である以上、無視して通り過ぎるというのも難しい。そんな僅かな立ち往生の間に、僅かにオルクスたちの傍から離れ、呼雪がセルウスに近付いた。
 一瞬警戒を示した面々の間に、ヘルの目配せを受け取ったクローディスが割って入り無言で首を振る。それに軽く一礼してから、呼雪は声を潜めるように、一言二言のあいさつの後で口を開いた。
「……落ち着いたら、ラヴェルデの話も聞いてやってくれないか」
 意外そうな顔をするセルウスと、露骨に顔を顰めるドミトリエという対照的な二人を見ながら「それから、ヴァジラも、アールキングも」と呼雪は続ける。
「倒さなければならない相手なのかもしれない。だが……お前なら、同時に救う事も出来るんじゃないかと感じている」
「救う?」
 首を傾げるセルウスに、呼雪は不意に伸ばした手を、セルウスの右手に触れさせながら「アールキングの事は、まだ良く判らないが」と前置きしてから、アールキングの根を通じて感じた感覚を頼りに、呼雪は尚も続ける。
「選ばれなかったもの、捨て置かれたもの、省みられなかったもの……そういった者の痛みや悲しみ、想いを……樹隷として生まれたお前なら、理解出来るだろうか」
 癒してやる事が、出来ないだろうか、と。真っ直ぐ見つめてくる呼雪の目に、セルウスは無言だった。傲慢で、苛烈な荒野の王。そんな少年に、負けたくないと思った理由。そして、アールキングを召喚した時の表情を思い出して、セルウスは言葉にならないもどかしさに、ぐっと手の平を握りこんだ。
 その表情に目を細め、邪魔はしない、とばかりに呼雪は一歩退いた。その時だ。
 マイキーの包囲網をすり抜けた一体のナッシングが、真っ直ぐセルウスを狙って襲い掛かったのだ。油断、と言うよりは、困惑のあった一同の反応が一瞬、遅れる。
「……!」
 身構えるセルウスの前へ、レキが飛び込んだ、が、それよりも早く。オリュンポス幹部を名乗る筈のセリスの剣がナッシングの行く手を阻むように割り込んだ。
「え……っ」
 軽く目を瞬く間に、更に死角から接近したデメテールが、疾風迅雷の速さでその間へとするりと滑り込むと、実体の虚ろなその体を、霞斬りで刻んで下がらせた。そうして再び包囲網の中へ押し戻すのを見て、ハデスが「フハハハ!」と声を上げる。
「こやつらノーマル・ナッシングは、死霊騎士団長オルクスの、ひいては我々の得物だ」
「そう、我々オリュンポスのモットーは『一人は皆のために、皆は一人のために』」
 マネキと二人、びしりとセルウスを指さしながら高らかに語る。
「我らはオルクスが、力のしもべという立場からの自立に対して、力を貸す者だ。そしてゆくゆくはアワ……ゴフンッ」
 何か妙なことを口走りかけたマネキに皆が疑問を口にするより早く、セルウスに指を突きつけたままのハデスは「フハハハハ!」と再び笑い声と共にビシイッと指をさし直した。
「皇帝セルウスよ、これは貸しにしておいてやっても良いぞ!?」
 行け、と言外に告げる台詞に、一向は顔見合わせると頷き、若干の戸惑いを抱えながらも、ハデス達にその場を任せる形で離脱した。
「なんだか変な感じね。あいつらに助けられるなんて」
 駆けながら祥子が肩を竦めるのに、セルウスは敵対していたとは思えない楽しげな顔で笑った。
「面白い人たちだよね!」
 その屈託の無い感想には、各々、多種多様に複雑な表情を浮かべたのだった。


 そうしてセルウス達の遠ざかる間も、激闘は続いていた。
 後を追えない様に、リリがフェニックスで追跡を阻んだナッシングの間を、その注意をひきつけるようにデメテールが動き回り、反撃を目論んで接近するナッシングの前にはアルテミスが立ち塞がってその攻撃を引き受けた。
「……ッ」
 ともすれば弾き飛ばされそうな衝撃を堪え、アルテミスは構えを正して尚も立ち塞がる。
「防衛ラインオーバー、確認」
 そこへ、マネキのオリュンポスガードと共に、珍しくも冷蔵庫……もとい、重装甲アーマーの中から出てきている蔵子が「迎撃行動に入るデス!」と後方から割って入った。構えたポッドからミサイルが放たれ、怯んだようにナッシングが僅かに距離を取ったところへ、リリのフェニックスの炎が更に追い立てる。そして。
「たああ……っ!」
 その炎に追い込まれるようにして、間合いに飛び込んできたナッシングに、ララの槍の一撃が叩き込まれた。その隙を見逃さず振り下ろされたのは、アルテミスの大剣だ。
「オルクスさん!」
 呼び声一声。ひと薙ぎで邪魔な根を叩き斬り、他のナッシングを弾き生まれた道へ飛び込んだオルクスが、膝を突いたナッシングに肉薄し、その頭をがしりと掴んだ。
「……! な、ぜだ……っ」
 その腕に自らが吸収されていくのに、ナッシングは困惑と恐怖のようなものの滲む声を上げたが、オルクスは答えない。ただ憐れむような何かをローブの内側に宿し、そのまま完全にナッシングを吸収すると、その傍まで距離を寄せていた天音は、オルクスを敵として認識を強めたらしいナッシングの接近に、後ろに退かせるような素振りで、近くにいたリリの背中をとん、とオルクスの側に押した。
「!」
 一瞬。どんな意思が働いたのか、オルクスはそんなリリの手を掴んで引くと、自身の後ろへとやったのだ。次の瞬間にはその手は離れ、オルクスに接近しかけたナッシングは、蔵子やアルテミスの迎撃によって再び距離を取っていた。
「ふうん……」
 その間隙で、天音は興味深げな視線をオルクスに向けて目を細めた。
「ナッシング同士っていうのは、そうやって吸収して……何か変わるものなのかな?」
 その問いに、オルクスはやや間を空けて口を開いた。
「……何、も。ただ……からっぽ……から、ひとつ、を得る……だけだ」
 そうは言いながらも、吸収を重ねるごとにオルクスは、ほんの僅かずつではあるが、実態の無さが変化しつつあるように見える。その理由をおぼろげに感じながら「面白いね」と呟き、ひたり、と自身の手をオルクスの手へと当てた。そこには、虚ろとは言いがたい確かな感触がある。
「僕の”名前”は黒崎天音。覚えてくれると、嬉しいよ」
 そう言って、呆れたようなブルーズの視線を尻目に、再び戦場へと油断無く目線を戻しながら、天音は口元に薄く笑みを浮かべ、独り言のように小さく、漏らした。

「……そして、大いに人間臭くなってもらいたいね」