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そんな、一日。~台風の日の場合~

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そんな、一日。~台風の日の場合~
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1


 ご機嫌な鼻唄に日下部 社(くさかべ・やしろ)が「ん?」と目を向けると、日下部 千尋(くさかべ・ちひろ)がにこにこ笑顔でリュックに中身を詰めていた。
「なんやなんや? えらい楽しそうやけど、何しとるん?」
 誰かと遊ぶ約束でもしているのだろうか。社がしゃがみ込み、目線を合わせて問いかけると、千尋はこちらに笑顔を向けた。
「台風の準備だよ、やー兄!」
 言いながら、リュックの中身がよく見えるように開いてくれた。中には、懐中電灯と水筒、飴玉やクッキーなどのお菓子が詰まっている。台風の備えというより、ちょっとした冒険ごっこをするような荷物だ。微笑ましい。
「ちーは偉いなあ、きちんと準備して。俺、完璧無警戒やわ」
「駄目だよー。ちゃんとしておかないと、いざというとき慌てちゃうんだから!」
「せやなあ。台風、いつ来るんやっけ? もう上陸してるん?」
「明日が一番危ないんだって。だからね、買い物行くなら今日のうちに行かないとだよ!」
「よっしゃ。ほんならちーの言うこと聞いて買い出し行っとくか〜!」
「行こー!」
 備えあれば憂いなし。昔の人はそう言った。
 ならばきちんと備えておこうか。来るべき明日のために。


 空には、見渡す限り鉛色の雲が広がっていた。今にもぽつりぽつりと雨が降り出してきそうだが、かろうじて耐えている。そんな色だった。湿度も高く、少し歩いただけで肌がべたべたした。
 お世辞にもいい天気とはいえないが、対照的に千尋の表情は晴れていた。天気が悪いと外出を避けることもあるので、物珍しささもあったのだと思う。それになんとなく、この空は好きだ。何が起こるかわからない、どきどきするような、空。
 社はどう思っているのだろうか。繋いだ手の先で、彼はいつもと変わらない表情をしていた。優しくて、柔らかで、穏やかな表情だ。天気なんて一々気にしていないのかもしれない。そうやってどっしり構えている人がすぐ隣に居ると思うと安心できた。
「あ」
 不意に、社が声を上げた。
「ちー、あれ、リンぷーとクロエちゃんやない?」
 社の指差す方向を見れば、確かにリンス・レイス(りんす・れいす)クロエ・レイス(くろえ・れいす)がいた。ふたりはまだ千尋と社に気付いていないようで、メモを見ながら話している。
「クロエちゃーん! リンぷーちゃーん!」
 声を上げて手を振ると、クロエがぱっと顔を上げた。すぐに千尋と目が合って、にこりと笑った。それから大きく手を振った。
「ちーちゃぁん」
 そこでようやくリンスも気付いて、千尋と社の方を見た。クロエと違って特に反応は見せず、ただじっとこちらを見ている。
 千尋は社の手を引いて、ふたりのそばへと近付いた。
「ふたりともおかいもの?」
「そうだよー。ちーちゃんたち、これからお買い物なんだー。クロエちゃんたちも買い物なの?」
「うん、そうよ。あしたでかけなくてすむようにしているの」
「台風でお出かけ、危ないもんね」
「とばされちゃうわ」
「怖いねー!」
「ねー!」
 怖い、と言うわりに、ふたりしてきゃっきゃとはしゃぐような声音だけれど。
 けれどもふっとクロエが表情を暗くした。どうしたの、と首を傾げると、クロエが小声でぽそりと呟く。
「……でもわたし、かみなりは、ほんとうにこわいかも。おとがおおきいのよ」
「クロエちゃん雷嫌いなのー? じゃあ、ちーちゃんがお電話してあげるね!」
「ほんとう?」
「本当! 楽しいお話してたら、怖いのなんて忘れちゃうよ!」
「じゃぁ、まってるわ」
「うん。約束!」
 言いながら、小指をからめた。指きりげんまん。リズムに合わせて歌うように口ずさんで、手を離す。
「雷鳴らなくても電話していい?」
「いいわよ。まってる」
「なんだか、ワクワクするね!」
「ふふー。わたしも、たのしみになってきたわ」
 くすくすと、ふたりで笑い合う。社とリンスは何を買ったか、用意するかで話をしていてこちらの約束に気付いていなかった。それがまた、ふたりだけの秘密のようで楽しくなった。
「じゃあ、また明日」
「またあした」
 くすくすくすくす、笑ったままで一歩離れる。
 千尋は社の手を取って、クロエはリンスの手を取った。ややして社とリンスの話は終わり、またねと手を振りすれ違う。
「何話してたん?」
「んー。内緒!」
「なんで?」
「なんとなくー」
 なんやねーん、と社がおかしそうに笑ったので千尋も笑った。強い風が吹いたのはその時だった。
 湿気をはらんだ重くぬるい風が、千尋と社の間を抜けていく。あっ、と思った時にはすでに、千尋の帽子は風にさらわれていた。

 ――風が私を呼んでいる。
「おはようふたりとも! 素敵な天気ね!」
 ハイテンションに響 未来(ひびき・みらい)がリビングの扉を開けた時、社も千尋も既に家にはいなかった。何よー、と口を尖らせテーブルにつくと、置かれていたメモが目に入った。千尋の丸い字で、「買い出しに行ってきます!」とある。
「買い出しねー」
 呟いて、窓の外を見た。木が、風に煽られて揺れている。こんな天気だからか、周りから聴こえる『音』もいつもと違うようだった。好奇心をそそられて席を立つ。玄関の戸を開け、外の音に耳をすませば普段は聴こえないものも聴こえてきて楽しくなった。
 お出かけしよう。思い立ったが吉日とばかりに、外へと足を踏み出した。
 住宅街では、庭の草木を守ろうとしていたり。
 街では、店の表に出してあるのぼりや看板をしまったり。
「大人は大変そうね〜」
 台風前日、できることはしておこうと作業する人々を、未来は眺めた。憂いだような表情の大人が多い反対で、子供は荒れた天気にはしゃいで走り回っている。大人と子供の捉え方の違いもまた、見ていて面白い。
「――わっ」
 のんびりと観察しながら歩いていると、足元に突然何かが落ちてきた。危うく踏みそうになって足を避ける。
 何か、は帽子だった。しかも見覚えがある。
「千尋ちゃんの帽子じゃない」
 もしかして、と思って呟き、手に取ってみて確信した。間違いない。千尋の帽子だ。先ほどの強い風で飛ばされてきたのだろう。とすると、この辺りにいるのか。偶然の巡り合わせだ。
「届けてあげなきゃね」
 帽子を両手で持って、辺りを見渡し未来は呟く。千尋の姿は見えないけれど、すぐに見つかるだろう。
「待っててね、千尋ちゃん」
 小さく言って、歩き出した。