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第8章 脱出
 
 
 そこかしこで、魔物達の嘶きが響く。
 己の状況に手一杯なのか、こちらを攻撃して来ることは無い。
 ハルカ達は、来た道を全力で走って、外へ向かった。
 アイシャは女騎士の一人が抱え、またこの状況で間違ってもはぐれて迷子にさせられないハルカも、別の女騎士が抱える。
“場”が歪んでいる影響か、足元がどんどん崩れて行く。
 現代との入れ替わりが行われているのだろう、この崩壊に巻き込まれれば、五百年前に取り残される。

 もーりおんが、躓いて転んだ。
「もーりおん!」
 エースが立ち止まって振り返る。
 地下遺跡の建物が、次々と崩れていた。瓦礫が、起き上がるもーりおんの上に落下する。
「ああ……!」
 潰される。
「もーりおん!」
「チイッ!」
 リリアが踵を返し、近くを走っていたシリウス・バイナリスタが反応するが、間に合わない。
 と、もーりおんの横にある柱に、突然ヒビが入って傾いた。
 降ってきた瓦礫が、その柱にぶつかり、別の場所に落下する。
 ぽかんとするもーりおんを、シリウスが引っ張り出した。
「あ、りがとう」
「なーに、オレの傍じゃ『不思議なこと』がよく起きるんだぜ!」
 礼を言ったもーりおんにシリウスは笑い、エースに渡す。
「ほら、しっかり連れておけよ!」
「すまない」
 エースはほっと安堵し、もーりおんの手を握って再び走る。


「上迄戻っている余裕はなさそうじゃのう。皆、こっちへ走れ!」
 二人のドワーフが不意に立ち止まり、コンパスを眺めて、あっちか、こっちかと指さした後、全員に声を掛けた。
「もしかして、ドワーフの坑道に出るのか?」
「場の返還の範囲外に出るには、その方が早いじゃろう」
 アキラ・セイルーンの問いに、ドワーフは頷く。
「わし等も行くのは初めてじゃが、多分あの辺のはずじゃ」
「おイィ!?」
 思わず突っ込みを入れたくなるが、そんな余裕も無い。
 とにかくドワーフの導きに従って、遺跡群の中を走った。




“場の召喚”の維持が不可能となり、始まった地響きがやがて静まっても、中に赴いた者達が帰って来ない。
「どうしよう……失敗したのかな」
 召喚に関わった者達が出口付近に集まり、心配していると、全く別の方向から呼ぶ声がした。

「皆ー! ただいまなのです――!」
 ハルカが大きく両手を振って、彼等に向かって走り出した。
 後ろを歩く、女騎士に抱えられたアイシャの姿も見つけて歓声が沸く。
「かつみさん、やりました!」
 ナオがかつみに飛びつく。
 感極まった表情でアイシャを見つめる呼雪のことを、笑みを浮かべて、ヘルが見つめる。
 樹月刀真の横で、漆髪月夜がハルカに向かって走り出して。
 皆が安堵し、作戦の成功を祝って、互いに握手を交し合った。

「ありがとう、皆さん」
 囲う人達の喜びを受けて、アイシャは彼等に礼を言った。
「私の為に――本当にありがとう。
 これまで私は、運命を歪めてまで、自分が」
「細けえことはいいんだよ!」
 シリウスが笑って、アイシャの言葉を遮った。
「ありがとうの一言で充分さ。
 アイシャが生きる気になって、ここにいるってだけで、俺達はもう全部、解ってる」
 はい、と、アイシャは心からの微笑みを彼等に向ける。


「よかった……」
 火山の外に出て、全員が合流し、ルカルカはようやく安堵した。
「でも、まだアイシャに無理をさせるわけにはいかないわ。負担にならないよう、静かに帰りましょう。
 宮殿内病室の受け入れ用意をお願いできるかしら?」
 ルカルカは、アイシャの護衛の女騎士達に要請する。
 女騎士達は、微妙な表情でルカルカを見つめていたが、何も言わずに肩を竦めた。
「病室が必要なのは、貴殿の友人かと思うが。
 空京に帰還しても目覚めないようであれば、受け入れて差し上げるよう、連絡を入れておこう」
 レムテネスに背負われて、リアはまだ目覚めない。


「ありがとう、博士」
 北都の言葉に、オリヴィエは肩を竦めた。
「僕がお礼を言う、って変だよね……。
 でも博士の知識があったから、僕達はアイシャさんを救うことが出来たから」
「五千年、無為に生きて来たと思っていたけど、そうでもなかったのかな。誰かの為に、何かを成すことができたのなら」
 オリヴィエはそう苦笑し、礼を返した。
「ありがとう。私では、彼女を救うことはできなかったよ」


◇ ◇ ◇


「フハハハハ! 我が名は世界征服を企む悪の秘密結社オリュンポスの大幹部、天才科学者ドクターハデス!」
 足場の高い岩場からハルカ達を見下ろし、高笑いと共に現れた者を見て、来たわね、とニキータ・エリザロフが前に出た。
「でも、生憎よ!」
 既に全ての儀式は終了した。妨害など今更だ。
 だがドクター・ハデス(どくたー・はです)は、アイシャの生死に全く関心などなかった。
 ――この儀式にひとつ思うことがあるとすれば、少し前に死んだ、朝永真深のことだ。
 今回のことを知って、もしかしたら、このミスリルを媒介に『核』を作れるのではないか、と、ハデスは少し思った。
 そしてもしかしたら、『核』を入手できれば、僅かな間仲間であった、真深を生き返らせることができるのかもしれない、と。
 けれど、その行いはハデスの主義に反する。
 人の生命というものは、軽々しく扱ってはならぬもの。
 真深をオリュンポスの一員として引き入れられたかもしれない、そんな想像も、今やただの夢想に過ぎない。
(……それに再生怪人というものは得てして弱いもの)

「ククク、ハルカよ、以前に頂いたこの財布、返しに来てやったぞ!」
 以前、ハルカ達から奪い取ったミスリルの財布を取り出して見せながら、ハデスは笑った。
 高笑いしながら、密かに周囲を気にする。
「……うむ、以前は財布を返そうと思ったら、いつの間にか意識が無くなっていたが、今回は大丈夫なようだな……」
 ぽい、と投げた財布を、ニキータが受け取る。
「尚、財布の中身は、悪の天才科学者であるこの俺が頂いてある!
 最早その財布に用は無い。ククク、精々悔しがるがいい!」
 財布の中身はほぼ空だったことを、ハルカを始め、多くの者が知っているが、ハデスの虚勢に突っ込みを入れる者はいない。

 ハデスは身を翻して去る前に、ちらりとハルカの横に立つアイシャを見た。
「シャンバラの元女王よ。
 お前が、この儀式で理を歪めて生き延びたとして、果たしてそこに、本当の『生』というものはあるのであろうか。
 ……いや、俺は一介の悪の科学者。
 生命倫理を他人がどう思うかに口出しはするまい」
 さらばだ! と、捨て台詞と共にハデスが立ち去る。
 見送るアイシャの表情が、ふと翳った。
 正にその思いから、アイシャは自然な死を選択していたからだ。
 けれど、沢山の人々が、自分の生を望み、その為に力を尽くしてくれたことを知っている。
「アイシャちゃん……」
 心配そうな詩穂に、大丈夫です、と微笑んだ。
 自分の為に多くの人が集まり、力を尽くして、助けてくれた。
 皆の思いに報いる為にも、精一杯生きる。そう、決めたのだから。