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一会→十会 —雌雄分かつ時—

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【カナン・8】


 陣の操縦するエンシェントのなかで、ティエンが目を覚ました。
「起きたのか。もう少し寝ててもいいんだぞ」
「ううん……もう大丈夫」
 睡眠をとることで回復したティエンは、ほとんど地に沈んだ煙幕の中央に立つイシドールを見て一気に眠気を吹き飛ばすと、エンシェントから身を乗り出した。
 イシドールに会ったら、どうしても訊きたいことがあった。
「イシドールのおじさん、みんな仲良くすることはできないの?」
 少女の澄んだ声を聞いて、イシドールはそちらを向く。そして見るからに天使のように純粋で、野の花のようにかわいらしくて、大気のように無害で、羽根のようにやわらかくて、虫のように弱そうな少女に苦笑した。
 この期に及んで何を言っているのか。あまりに都合のいい願いだ。
 しかも【君臨する者】の自分に言って、何を返せというのだろう? イシドールが「じゃあやめようか」と言えば、すべてがひっくり返るとでも考えているのであれば、相当頭がお花畑と思わざるを得ないわけだが――いや、おそらくこの少女は、それすらも想像していないのだろう。
 これまでも、この先も、何も考えず、何も見ず。ただ空疎な絵空事を言の葉に乗せているだけだ。
 だからイシドールもまた、空疎な笑みを浮かべて
「そりゃできない相談だな、お嬢ちゃん」
 と言った。
「あんたらが全員今すぐここから立ち去って、ここのやつらを皆殺しにさせた上でカナンの玉座も明け渡すっていうんなら、まあ考えてやらないでもないが」
 あくまで「考えて」やるだけだ。
 小馬鹿にした物言いに、リカインがカッと反応した。
「いつまでもふざけてんじゃないわよこの最低のゴミクズ野郎ッ!!」
 咆哮を発し、全力で殴りかかる。イシドールもこれに応戦し、2人の間で殴り合いの応酬が始まった。
 一撃でも入れば致命傷になり得る。リカインは頭に血を上らせていると見せかける一方で、用心深く彼のこぶしをはじき、流し、直撃を紙一重で避け続けた。そのせいで、リカインもまた踏み込みが浅く、確実な一撃が出せないのだと思ってくれていたら……。
 パッと顔の横をとおりすぎたこぶしに打たれた髪が散り、カミソリで切られたような痛みがほおに走る。
(まだよ……まだ)
 あせる心を抑え、確実に捕えることができる攻撃を待つ。
(――いまだ!)
「やあっ!」
 こぶしに左手を添えて流し、回転するように懐へ入ったリカインは、イシドールに掴みかかる。すぐさま手荒く払われたが、アブソービンググラブを嵌めた手はしっかりとイシドールを掴み、エネルギーを吸い取っていた。
「これは……?」
 彼女に掴まれただけで、突然エネルギーが吸い取られた。めまいと脱力を感じながら、その感覚にイシドールはとまどう。
 そうなると見越していたリカインの行動は早かった。
 再び夢想の宴を発動させ、己の頭上高く巨大な白銀のロボット――イコンを生み出す。
 カナンの美しき守護神エレシュキガルだ。
「女好きのあなたには、せっかくだからこれでも受けていただきましょうか!」
 びしりと指を突きつけるリカイン。エレシュキガルの胸部ビームがイシドールを襲う。
 直撃する。弱った今の足では避けても衝撃を避けきれないと読んだイシドールはチッと舌を打ち、ガードしてからくも耐え切った。ビームの直撃を受けた瞬間白銀一色に染まった視界が元に戻った直後、即座に反撃に出ようとしたのだが――なぜか、エレシュキガルの姿はどこにもなかった。
 イコンを見たシルフィスティ・ロスヴァイセ(しるふぃすてぃ・ろすう゛ぁいせ)が、エレシュキガルが胸部ビームを発射するのとほぼ同時に22式レーザーブレードで一刀両断してしまったのだ。おかげでビームも威力を半減されていた。
「ちょっとちょっと! フィス姉さん、何してくれるの! 今、すっごくいいタイミングで攻撃できてたのよ!? とどめが刺せたかもしれなかったのに!!」
 リカインはあせり、怒るが、シルフィスティはつーんと顔をそっぽ向ける。
 イコンを倒すべき敵とみなしている彼女にとって、それがリカインが夢想の宴で生み出した幻だとか、ただのハリボテだとか、ただのイコンでなくカナンの守護神なのだとかいったことは一切関係ない。シンプルに、ただ敵。それだけだ。
「あんな物なくても一向に問題ないわ!
 見てなさい」
 潜在開放で身体能力を高めたシルフィスティは22式レーザーブレードを手にイシドールへ迫る。アクセルギアによる加速で超高速化したその動きにイシドールが目を奪われている隙に、グラビティコントロールをかけた。
 だがそうして魔法を用いながらも、シルフィスティがする攻撃自体は魔法に拠らない、基本に忠実な、ありのままの彼女自身の力によるものだった。たとえ刃が通らなくとも、何度も何度も斬りつける。
 やがてグラビティコントロールの効果が消えて、イシドールが本来の動きを取り戻す。
「よくもさんざん人を練習人形みたいにしてくれたなぁ?」
 どこか人を食ったような軽い物言いでレーザーブレードを持つシルフィスティの手を掴み止める。そのまま握りつぶそうとした手に、垂れ下がってきた細長い枝が巻きついた。
「今のうちです、逃げてください!」
 ヨルディア・スカーレット(よるでぃあ・すかーれっと)が叫ぶ。まるで意思のある植物であるかのように動いた枝の正体は、彼女がエバーグリーンで育てた世界樹の苗木ちゃんだった。
 瞬間的、緩んだ拘束を振り払い、飛びずさろうとしたシルフィスティを再度捕まえるべくもう片方の腕を伸ばしたイシドールの足に、黒い半液体状の物がびしゃりとぶつかる。射出したオイルが動きを止めきれないまでも鈍らせているのを確認して、リイム・クローバー(りいむ・くろーばー)宵一を振り返った。
「今でふ、リーダー!」
お、おう……」
 きびきびとしたリイムの声と対照的に、宵一の声は弱々しかった。顔色は青白く、ひざは曲がり、猫背で、息は乱れ、全身がくがく震えている。尋常でない汗を額に浮かべており、今にもその場に倒れて、そのまま息を引き取ってしまいそうだ。
 今の宵一は毒リンゴを食べ、自身を毒状態にして極限まで体力を減らした状態だった。毒自体はヨルディアのキュアポイゾンで解毒されているが、体力は戻らない。
(本当にやったよこの人!)
 宵一の様子に魔鎧刀姫 カーリア(かたなひめ・かーりあ)は心底驚いていた。作戦はカーリアも聞いていたが、まさか本当にやるとは夢にも思っていなかった。
(いくら勝つためとはいえ、ここまでやるなんて。この人、マジでドMなんじゃない?)
 そのドMにまとわれているのが急に心配になってきたカーリアをよそに、宵一はひざを伸ばしてどうにか立ち上がる。
(……くそ。想像していた以上にきつい……!)
 しかし彼の得た二つ名【窮地の反撃】の能力は「武器使用者の体力が少なくなったとき、攻撃対象の魔法を封じることができる」というものだった。「その効果は一時的かつ瞬間的なものであり、また必ずしも成功するとは限らない」という不安定なものであったが、もはやこれに賭けるしかない。
 一歩踏み出すも、よろける宵一。
 もちろんこの状態の宵一が、いかにオイルヴォミッターで動きを制限されているとはいえ、イシドールの体に触れることもできないであろうことは想像に難くなかった。そこでヨルディアはエバーグリーンで成長させていた世界樹の苗木ちゃんの枝を操り、イシドールの動きを完全に止めようとする。だがそんなものでイシドールを止めることは無理だった。
「うぜぇな!」
 ブチブチ枝を引きちぎり、さらには足を覆ったオイルを引きはがそうとしているイシドールに向け、ヨルディアはリイムと目を合わせ、うなずき合うと、息を合わせて同時に稲妻の札とライトニングランスを放った。
「本当は、水があれば感電させられて威力が増して、なお良かったんでふが……」
 ないものを嘆いても仕方がない。
「ミフラグちゃんのいる東カナンを、おまえの好きにはさせないのでふ!」
 ライトニングランスを連発することで、宵一が近づくまでの時間を稼いだ。
くそ……あと、3歩……」
 宵一は決死の思いでイシドールまでの距離を歩きとおしたが、しかし今の彼では神狩りの剣を振り上げることすらも骨の折れる行為だった。
 いくらリイムやヨルディアから雷電攻撃を受けたあととはいえ、そんな状態からのひと振りを避けられないはずはなく。宵一のほとんど自動落下の一撃は地面に先端を埋めるだけに終わってしまった。
 もはや動くこともかなわず、宵一はその場にへたり込む。
「てめェは何しに来やがったんだ?」
 宵一の攻撃がかわされ、剣を踏みつけられているのを見て。
「――できれば最後まで使いたくなかったが……」
 苦虫をかみつぶしたような、1人別の意味でのシリアス顔でがつぶやいた。
 直後。
「あああ、なんでこんな恥ずかしい二つ名にしやがった!」
 思わず顔をおおって身もだえる陣のやるせない叫びに答えたのはユピリアだった。
「似合うから!」
 ばっさりと言う。
「おまえな……」
 恨みがましい声と目で振り向く陣。
 そこではユピリアが人形たちに向かいクレセントアックスをふるっている最中だった。二つ名【可憐な閃光乙女】の効果でスピードが増し、身軽になった体は、いつも以上に彼女の攻撃力を上げている。二度と立ち上がれないよう、武器をふるえないよう、手足を狙ってばっさばっさとクレセントアックスを振り回す姿は、同じく人形相手に戦っているほかの特攻隊のだれよりも、ずば抜けて雄々しくたくましい。
「おまえ、よくそれで金剛像にされるかもしれないなんて言えたな」
「んー? 何か言った?」
 あ、よっこらしょ、と。
 クレセントアックスを振りかざし、足元に倒れた人形をまき割りの要領でたたきつぶそうとする。
 そのとき横から光が飛んできて、ユピリアは金剛石化してしまった。
「マジで!?」
 実はその光は河馬吸虎を石化しようとして放たれたものだった。それをリカインが二つ名の力【あまねく護る盾】でかばって阻止した結果、跳ね飛ばされた光はユピリアに直撃したというわけだ。
 そのことを知らない陣は、クレセントアックスを振り上げた姿で金剛石化しているユピリアを、まさかという思いで見つめる。だが現実だ。ユピリアは石像と化してしまった。
「お姉ちゃん……!」
 ティエンが涙ぐむのが視界の隅に見えた。
「……やりたくはない……やりたくないが、やらなきゃダメなんだよな……」
 緑のスリッパを持つ手に力を込める。そしてイシドールとの戦闘が継続している場へ向き直り、声を振り絞って叫んだ。
「俺がやつにツッコんだら、3秒間だけやつの力が無効化される! その間に攻撃してくれ!!」
 その言葉は当然ながらイシドールにも聞こえていた。
 真正面から突っ込んでくる陣にかまえをとるイシドール。剣か、はたまたこぶしか。しかしそもそも「突っ込む」の意味が違っていた。
 得物が緑のスリッパであることに眉を寄せ、かわそうとするイシドールだったが、あまりに意味不明すぎる突貫に、きっとこれには何か裏があるに違いないとその意図を読もうとした分、反応が遅れてしまった。
 これまで数多のツッコミを経験してきた陣は、もはやツッコミの達人、エキスパート。多少目標物が横にそれたからといって、即座に対応できないわけがない。

「魔法で変態行為してんじゃねぇー!
 あと、硬いのと人形作りだけが取り柄かよ!
 最後に、モテないからって人妻に手を出すな!」


 緑のスリッパがスパーーンと小気味よい音をたてて、ナイスタイミングでイシドールの後頭部に入る。その瞬間、イシドールの二つ名の効力が失われた。
 他方、二つ名による攻撃が失敗した宵一は、まだ地面にひざをついた状態ながらもすでにヨルディアの黄金の風を受けて体力を取り戻していた。
 自分の体から能力が失われたことに驚愕して、完全に彼の存在を忘れきっているイシドールに、カーリアの魔法、恵みの雨で作り出した水を下から叩きつける。
「くらえ!!」
 ライトニングウェポンで武器に帯電させ、怨みの一撃とともにイシドールに全力で突き込む。
 イシドールは宵一の剣に貫かれ、さらには感電をして、声も出すことなく死亡した。宵一の攻撃は背面からも見事に心臓を捉えていたために、ほぼ即死状態だった。


 青白い雷光に包まれた宵一とイシドールの様子を見ながら肩で息する陣。彼は願った。
(どこかで見てるか、バァル。見てるよな。
 ……頼むから、俺のことはカナンの歴史に残すなよ)