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砂上楼閣 第一部(第1回/全4回)

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砂上楼閣 第一部(第1回/全4回)
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 その頃、タシガン家には二組の奇妙な客が訪れていた。
 一組目は薔薇の学舎で講師を勤める敬虔なイスラム教徒マフディー・アスガル・ハサーン(まふでぃー・あすがるはさーん)とその契約者であるアルフライラ・カラス(あるふらいら・からす)。マフディーの生徒であるアラン・ブラック(あらん・ぶらっく)が師の横にひっそりと控えている。
 もう一組はドイツ人のミヒャエル・ゲルデラー博士(みひゃえる・げるでらー)とその契約者であるアマーリエ・ホーエンハイム(あまーりえ・ほーえんはいむ)ロドリーゴ・ボルジア(ろどりーご・ぼるじあ)だ。
 奇妙なことにタシガン家の客間には二組の客がいるだけで、主であるアーダルヴェルトはおろか使用人の姿すらなかった。中央には絹張りの長椅子と大理石造りの重厚な卓が置いてあったが、客をもてなすための茶道具すら出ていない有様だ。
「私は地球人である貴殿と話したいわけではないっ。タシガン領主アーダルヴェルト卿と話し合うためにわざわざタシガンまで足を運んだのだ!」
 額に血管を浮き上がらせたミヒャエルは、座っていた長椅子から腰を浮かし、苛だったように卓を叩いた。
「吾人とてそれは同じ。しかし、お主が伝えたいという情報など、領主殿はすでにご存じであろうよ」
「そのようなこと、伝えてみなければ分からないだろう!」
 興奮しきったミヒャエルとは反対に、マフディーの態度は聞き分けのない生徒を教え諭すようだ。
「これ以上、他者の干渉が増えることはタシガンのためにはならぬ。紛争の火種が増えるだけだ」
「そんなことは分かっているっ。私はタシガン家に支援をしたいと思っているだけだ!」
「お主達が望むのは、支援という名の支配であろう。タシガンの地の統治権はタシガンの民にある。我々地球人は間借りをさせていただいている存在にすぎぬ」
 マフディーはそう呟くと、遠くを見つめた。ミヒャエルが何かを叫んでいたが、マフディーの心には届かない。まだ地球にいた頃、ミヒャエルのような人物は嫌というほど目にしてきた。人が己の正義を掲げるのは良い。それを他者に押しつけようとするから紛争が起きるのだ。
 それまで黙って会話の成り行きを見守っていたアーマリエが口を開いた。
「若輩者ながら私も吸血鬼の一人として同胞であるタシガンの民にはシンパシーを感じております。タシガンの危機にせめて情報の提供や警備だけでも手伝いたいと思うのは間違いですか?」
「同胞を心配するのならば、無関係の地球人を引き連れてくる必要はあるまい。それにお主はタシガンの危機と言ったが、今にはじまったことではなかろう。報道されていないだけで、パラミタ人と地球人の紛争は地球人がパラミタにやってきてからずっと続いておる。それもタシガンに限らずパラミタ全土でな」
 頑として譲らぬマフディーにさすがのミヒャエルも引き下がらざる得なかった。苦虫を噛みしめたような表情を浮かべ「日を改める」と宣言し、踵を返す。
 足音も荒く立ち去っていくミヒャエル一行の背を眺めながら、マフディーは大きなため息をついた。
「校長も厄介なことを押しつけてくれる」
 マフディーは連日タシガン家に押し掛けるミヒャエル一行を追い返すよう、ジェイダスから命じられてきたのだ。マフディーが地球人によるパラミタの開発に反対していることをジェイダスは知っている。マフディーの思想は、パラミタ進出の象徴とも言える六学校の一つ薔薇の学舎の教師には相応しくない異端の思想とも言えよう。そんな自分を何故登用するのか。マフディーはジェイダスの真意を測りかねていた。
 マフディーは心に沈んだ澱をはらうように、ゆっくりと首を回した。首も肩も凝り固まっており、疲労がたまっている。それは発言こそしなかったものの、この場にいたアルフライラも同じだろう。
 会談の最中ずっと窓の外を睨み続けていたアルフライラに労いの言葉をかけた。
「よく辛抱したな」
 シャンバラ人であるアルフライラが地球人を嫌っていることはマフディーも知っていた。否、嫌うという段階の話ではない。アルフライラが地球人に対して抱いているのは、婚約者を殺された恨みだけだ。
「あんな奴ら、力ずくででも追い返してしまえば良かったんです。もしここに来たのが地球人だけだったのなら、私は強硬手段に出ましたよ」
 捲し立てるアルフライラの横から、薔薇学生のアラン・ブラックが遠慮がちに口を開いた。
「…あの、マフディー先生。タシガンの人々は地球人を良く思ってはいないんですよね? それなのに何故、僕らを受け入れてくれたんですか?」
 アランの疑問は尤もだ。しかし、マフディーもまたこの問題について明確な答えを導き出すところまで辿り着いていない。
「良くは思っていないが、いてもらった方が都合が良い。大方、そんなところだろう。地球人がパラミタに進出することで、良くも悪くもパラミタの文明が飛躍的に発達したのは事実なのだからな」
 そう言うとマフディーは、どこからともなく聞こえてきたリュートの調べに耳を傾けた。優しく穏やかな音色に、ミヒャエル一行とのやりとりで、ささくれ立っていた心が和む。
「あ、シャンテくんだ!」
 演奏者に気がついたアランが窓辺に駆け寄る。大きくて重い木製の枠が付いた窓を開けると、そこにはアランの読み通り、リュートを奏でるシャンテ・セレナード(しゃんて・せれなーど)がいた。その隣にはシャンテの契約者である吸血鬼リアン・エテルニーテ(りあん・えてるにーて)がお茶とお菓子が乗った小さなトレーを掲げている。
 窓から大きく乗り出したアランに向かって、シャンテは微笑みかけた。
「お疲れ様です、アランくん。ディヤーブさんから差し入れですよ」
 マフムード達は、陽が落ちるまで寝台から出てこようとしないアーダルヴェルトに代わって厄介者を追い払ってやったのだ。警備の者は屋敷内に入らない約束ではあったが、これくらい目零すのが統治者の度量というものだろう。少なくともジェイダスならば、長時間に渡る舌戦に耐え抜いた者達を労う心を忘れないはずだ。