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三つの試練 第一回 学園祭の星~フェスティバル・スター

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三つの試練 第一回 学園祭の星~フェスティバル・スター

リアクション

 
「よぉ、神楽坂、山南。お疲れ」
 校内見回り中の南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)が、派手な羽織姿で、中庭の片隅にいた神楽坂 翡翠と、山南 桂(やまなみ・けい)の前にやってきた。今は販売も一息ついて、翡翠と桂は休息していたところだ。
「お疲れ様です、南臣さん」
「クッキー、まだある?」
「ええ。どうぞ」
 朝から駆け回っていたのだから、さぞかし腹も減ったことだろう。微笑んで翡翠はクッキーを差し出した。
「いくらだったっけ?」
「さしあげますよ、もちろん」
「ありがと!」
 早速もらったクッキーをほおばりながら、光一郎は「美味い!」と頬を緩めた。
「ところで……どっすかね?」
 なにが、とは言わないでもわかる。
「先ほど、校門で短剣の没収物があったそうです」
「マジで!?」
 桂の報告に、光一郎が色めき立つ。しかし。
「いえ、【シリウスの心】ではなかったとか。それに、持ち込んだのは外部の生徒です」
「……そっかー」
 ちぇっと光一郎は舌打ちをした。
「タシガンの奴が狙ってるとは聞いたんだけど、今盗んだのはそれとは関係ないって変熊が言ってたじゃん? 目的がわかんねぇから、逆に動きが読めねぇんだよなぁ」
 最後のひとかけらを口に放り込んで、光一郎はそうぼやいた。
 最初の犯人がタシガンの人間だということは、見張りと尋問にあたっていたオットー・ハーマン(おっとー・はーまん)から聞いたことだ。それから、呼雪からもたらされた【シリウスの心】の話とも一致する。
 しかし、それ以上に問題なのは、オットーが聞き出した情報にもあった。
  
 2M越えの鯉、というかなりのインパクトがある外見の彼は、頑なに口を閉ざす犯人の見張りをかってでていた。
 変装をはがされ、タシガン人であることはすでにわかっていたが、その目的や隠し場所については、一切口を割ろうとしない。拷問に訴えようとする者を押しとどめ、オットーはあえて犯人に対して優しく接することにした。
 折りを見て二人きりになると、オットーはやおら正面から犯人を見つめ、囁いた。
「それがし謎の奇人いや貴人マスク・ド・ジュテーム。名前はまだない。貴殿を恋愛の牢獄へお連れ差し上げ候」
 ……その台詞が、ひょっとしたら下手な拷問よりも犯人は怖かったのかもしれない。
 が、びくつきながらもかろうじて口にしたのは、「【シリウスの心】はタシガンのものだ。それがジェイダスに利用されようとしていると、霧深き市場のあたりで聞いた、ということだった。
「それで、貴殿は盗みに入ったと申すのか?」
「……手引きしてくれると、話しかけられた。お前のところの、仮面をつけた生徒だ」
「なぬ……!?」
 オットーは絶句した。
 仮面をつけた生徒。それは(変熊とにゃん熊をのぞけば)……イエニチェリしか許されないことだからだ。
 もっとも、断言はできない。しかし、疑いの眼差しは、どうしてもイエニチェリたちへと注がれることになった。
 しかし、今のところは、光一郎とその仲間たちしか、その情報は知らされていない。

「……とにかく、さっさと見つけないとな」
「そうですね」
 光一郎の呟きに、翡翠が同意した。
「んじゃ、俺様は行くわ。ごちそーさん!」
「あ……」
 出て行こうとした光一郎を、翡翠が引き留める。
「なに?」
「いえ、……先ほど、神楽坂さんを見かけたんです」
「一人だったのか?」
「ええ」
 翡翠がそう言う理由はわかる。神無月 勇は、このところ情緒不安定が激しく、自殺未遂もしている。契約者のミヒャエル・ホルシュタイン(みひゃえる・ほるしゅたいん)がついていなければ、なにをするかわからない不安さがあった。
「気をつけるわ」
「お願いします」
 光一郎は頷くと、再び羽織を翻し、風のように立ち去った。
「…………」
 その後ろ姿を見送ってから、翡翠は、桂に声をかける。
「劇もしているし、屋台も出てますので、ゆっくり見て来ていいですよ?休憩がてら、楽しんで行ってらっしゃい」
 微笑んだ翡翠に、桂は「そうですか? では……少し、見て来ます」と答え、その場を離れた。興味があったという以上に、疲れているだろう翡翠に、なにか飲み物でも買ってこようと思ったのだ。
 一人きりになって、翡翠は隅にある、石造りのベンチに腰掛けた。今はここは、あまり人の姿はない。しかし、楽しんでいる人々の声と気配は伝わってくる。皆が楽しんでくれているなら、それで充分、翡翠は嬉しかった。
 すると、そこへ、赤いボブカットを揺らし、近づいてきた男の子がいた。
「なぁ、おぬし」
「……はい?」
「いや。メイド喫茶なるものは、あるのか?」
「メイド喫茶?」
 確か、企画としてはあったはずだ。翡翠はやや驚きつつも、少年にパンフレットを開いて見せる。
「全忠、どこへ……」
 そう口にして現れたのは、どうやら少年の保護者らしき男だった。
 少年の名前は、朱 全忠(しゅ・ぜんちゅう)。保護者らしき男は、朱 黎明(しゅ・れいめい)。二人は、波羅蜜多実業高等学校所属の人間だ。
 黎明は、東西シャンバラに分かれた今、どんな影響が出ているのか知りたいと思い、薔薇学へとやってきていた。学園祭ならば、他校の人間が入り込むのはたやすいからだ。しかし、一人では目立つかと、暇そうにしてた全忠を連れてきたのだった。
「パパ」
「だめですよ、一人で先にいっては」
 ……実際には父ではなく、普段は全忠もそのような呼び方はしない。今日に限っての、特例だ。
 どんな人間であれ、親子連れに対して、警戒はまずされまいという計算の上だった。そのためには、多少の不服さには、目を瞑ることにした。
 実際、目の前にいる薔薇学生徒の少年は、彼らのやりとりを微笑ましげに見つめている。
「クッキーの販売、ですか?」
「ええ」
「よろしければ、少しいただけますか」
 黎明は丁重に申し出るが、全忠はさっそくメイド喫茶にいきたいようで、やや不満げだ。しかし、それを無視し、黎明はさらに口を開いた。
「ところで……噂では、タシガンは地球人と現地の関係はあまり良くないと聞いていましたが、至って平和そうですね」
「ええ、そう、ですね」
 少しだけ言葉を濁した翡翠に、黎明はすかさず切り込んだ。
「それとも、なにか?」
「……いえ。そうですね、皆さんが思うより、平和なところですよ。タシガンは」
(思ったよりも、手強いですね)
 すぐさまそう切り返してきた翡翠に、黎明は内心でそう思う。
 しかし、やはりタシガンには、しこりが残っている。それを彼は確信した。
「パパ、もう話はよかろう」
 全忠がそう言いながら、黎明の袖を引く。すでに意識は『メイド喫茶』とやらに飛んでいるのだ。全忠本人は上からの態度なのだが、甘えた子供のような仕草に人からは見えた。
「ああ、そうですね。行きましょうか」
 あまり寝掘り葉堀り尋ねるのも、不審がられてしまう。黎明は苦笑を浮かべ、甘える子供に譲る父親を装って立ち上がった。
「では、失礼します」
「ごゆっくり」
 一礼をして、黎明は全忠を抱え上げて、肩車をした。またふらふら先に行かれては困るからだ。しかし。
 もし妻が生きており、子供が生まれていたのならこんなふうに遊ぶ機会もあったのだろうか。
 そんなことが黎明の頭を一瞬過ぎり、そしてすぐに消え去った。