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イルミンスールの日常~新たな冒険の胎動~

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イルミンスールの日常~新たな冒険の胎動~
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リアクション

 
「よっ、と。確かこっからまっすぐ行って、左に曲がりゃいいんだっけか。……左ってどっちだ?
 まぁいいや、行ってみっか」
 その少し前、イナテミスに到着を果たしたニーズヘッグは、神野 永太(じんの・えいた)の家を目指す。うろ覚えだった分、案の定宿屋『しゅねゑしゅたぁん』の方へ間違いつつ、平屋建ての家とその隣りに立つ礼拝堂へと辿り着く。
 扉を押し開けると、僅かに蝋燭の灯だけが灯された室内、ザインが長椅子に腰掛けているのがニーズヘッグに見えた。
「ようこそお出でくださいました。もうすっかり、その姿に慣れられたようですね」
「ま、人間の中で生きて行くんなら、この格好の方が都合いいみてぇだしな。
 ああでも、腹出して寝られるのは楽でいいな」
 パンパン、と腹部を叩いて、ニーズヘッグが笑みを浮かべる。蛇の時であれ竜の時であれ、仰向けになって寝る習慣などなかったニーズヘッグにとって、それは目新しかったらしい。
「それはまあ……風邪を引かないようにしてくださいね。
 その分だと、生活にこれといった不自由はないようですね」
「そうだな、好きなようにさせてもらってるぜ」
「もし何か要望がありましたら、永太に託けて対処させるので、何なりとおっしゃってくださいね」
 そんな、他愛も無い二人の会話が続く――。
 
「ふっふ〜ん♪ はー、今日も楽しかったー! ご飯まだかなまだかな〜……あれ?」
 その頃、家に戻って来たミニス・ウインドリィ(みにす・ういんどりぃ)は、礼拝堂の方で話し声がするのを耳にする。
「うーん、一人はザインかな。もう一人いるみたいだけど……?」
 気になったミニスが、扉の手前で聞き耳を立てる――。
 
「……今日、ニーズヘッグ様をお呼びしたのは、最近どうしても気になることがあったからです。
 取り留めの無いお話になってしまうのですが、よろしければ私の相談を聞いてくださいますか……?」
「オレに、ザインの何が分かるでもねぇぜ? それでもよけりゃ、聞いてはやるから話してみな」
 聞く姿勢を見せたニーズヘッグに、ありがとうございます、と告げて、ザインが口を開く。

「私は、ニーズヘッグ様がかつて、
 『生きているとは何か、死とは何なのか判らない』
 と仰ったのを聞いて以来、それを貴女に説明して差し上げたいと思い、日々思案に耽っていました。
 
 しかし私も機晶姫という種族故、メンテナンスを欠かさなければ死ぬことの無い不死の存在ですから、生と死とは何なのか、歌を通して口にしたことは有れど、意識して考えたことが有りませんでした。
 
 ……ですがある時、私は思考していて気付いたのです。
 死とは、とても悲しくて、恐ろしいものだと」
 
 自分の身体を抱くザイン、それは決して、礼拝堂が寒いからという理由ではない。
 
「それは、私自身が死することに対してではなく、私の大切な人が死することに対して抱いた感情でした。
 死とは、大切な人を奪ってしまうものなのです。
 
 私は何時までも何時までも、死ぬことはありません。
 ……ですが、私の大切な人は違うのです。あと数十年、私にしてみれば幾ばくも経たない内に、亡くなってしまうのです。
 その時私は、一人にされてしまうのです。それが本当に悲しくて、恐いのです……」
 
 そう、たとえ幾多の戦いを共に生き残ったとしても、寿命の壁までは人間は、決して超えられない。
 よっぽどのことがない限り(それは例えば、不老不死たらしめている要因が消滅する事態が発生する、とでもならない限り)、契約を結んだパートナーはやがて、別れを迎える。
 
「今、私は、彼と共に生きていることが幸せです。
 彼と出会うまでに生きた何百年もの年月がみな偽りのように思えるほど、幸せなのです。
 
 ……ですが、彼が居なくなってしまったその時、私はどうすれば良いのでしょうか。
 こんなにも幸せな日々が有ると知ってしまった私は、また一人で生きて行けるでしょうか。
 
 私は、死が怖いです……。
 大切な人が奪われるのは、嫌なのです……」
 
 礼拝堂に、沈黙が降る。
 長く自らを思い悩ませていた思いを吐き出し、俯くザインの隣で、ニーズヘッグが落ち着かなさげにそわそわしたり、頭を掻いたりしつつ、最後にはどこか観念したような表情を浮かべて、口を開く。
 
「……怖かろうが嫌だろうが、一旦契約したってんなら、そいつの近くで生きるしかねぇだろ。
 
 人間は百年も経てば死ぬ。オレと契約したヤツらだって、ああ、テメェを除けばの話だが、百年後には死ぬ。
 それは変えられねぇ。……だけど、百年後にオレがどうしてるかは、分かんねぇ。
 
 分かんねぇことを延々悩めるほど、オレは頭良くねぇ。
 だからオレは、そういうことは考えねぇ。
 百年後のオレがどうするかを決めるのは、百年後のオレだ。
 
 ま、それまでザイン、テメェが生きてんなら、オレはもう百年くらい付き合ってやるぜ?
 百年後のオレに今から言っといてやるよ」
 
 ニーズヘッグの言葉を、ザインが受け止める。ザインが何かを言葉にする前に、居た堪れなくなったらしくミニスが扉を開けて中に入ってくる。
 
「一人で、なんて寂しいこと言わないでよ。ほら、あたしが居るじゃない!
 あたしだって精霊で長生きよ! だから、ザインがそうしたかったら、ずっと一緒に居てあげられるから。
 ……だから、そんな寂しいこと言わないでよ……」
 
 ミニスの言葉も受け止めたザインが、思考に沈む。
 再び降りる沈黙、それを振り払ったのは、イナテミスでの仕事から戻ったのか、扉からひょい、と顔を出した永太だった。
 
「ザイン、ここにいるのかい? ……おや、ニーズヘッグも来てたのか。
 せっかく来たのだから、夕ご飯でも食べていくかい? それとも、他に予定が?」
「……いや、特にねぇよ。なんだ、ウメェもん食わせてくれんなら歓迎だぜ」
「ああ、今日はザイン特製のカレーだ。いくらでも食べていっていいぞ」
 
 言って、着替えてくる、と言い残して、永太が去っていく。
「……オレは、こうすると決めたことには、手ぇ抜きたくねぇんだ。なんか、気持ち悪ぃし。
 それに、全力で生きたら、悪ぃようにはなんねぇだろ。それは、イルミンスールのヤツらが教えてくれたんじゃねぇかな」
 言い終えたニーズヘッグが、またワケ分かんねぇこと言っちまった、と呟いて立ち上がる。
「せっかく来たんだから、そのカレーってヤツ食わせてくれよ。オレはもう腹減っちまった」
「そ、そうね! せっかくだしね! 覚悟しなさいよ、ザインのカレーは目飛び出るくらいに美味しいんだから!
 ほら、行こっ、ザイン!」
 ニーズヘッグに続いて、ミニスがザインの腕を引っ張って立ち上がらせようとする。
「……そう、ですね。今は……皆さんとのひと時を、楽しみたいと思います」
 
 具体的にこれからどうするかはまだ固まっていないまでも、今はともかく、みんなと美味しいご飯を食べる。
 そういう楽しい思い出が、少し先の自分を、多分、いい方向に持って行ってくれるのなら――。
 
 そして、四人のささやかな、そして幸せな団欒のひと時が過ぎていく――。
 
「……ん? なんだよ、今日はコイツが鳴りっ放しだな」
 食事を終え、四人が満腹感に浸っていたところで、ニーズヘッグの携帯が鳴る。
『あの、私です。今、大丈夫ですか?』
 電話をかけてきたのは、ニーズヘッグとの契約者の一人、関谷 未憂(せきや・みゆう)だった。
「ああ、問題ないぜ。どうした?」
『あ、はい。明日、大地さんからイナテミスファームでパーティーをする旨の誘いを受けたんです。
 それで、よかったら一緒にどうかな、って。大地さんも、もちろん私も、来てくれると嬉しいと思ってます』
 
 『イナテミスファーム』、志位 大地(しい・だいち)が中心となって、街の人たちとイルミンスールの生徒とが協力し運営されている、農場、放牧地、市場や加工工場、休憩所などを包括する大規模生産工場である。
 イナテミスへの食料供給の他、ザンスカールや他シャンバラ各地、さらには港を介して他国への輸出も検討されているようだ。
 
「ふーん、なるほどな。ま、今ちょうどイナテミスにいんだ、それで行かねぇのも、オカシな話だな。
 いいぜ、行ってみるわ。いつぐらいに行きゃいい?」
『そうですね、パーティーはお昼頃からと言っていました。真言さんと子供たちが、大地さんの農場見学をさせてもらえることを喜んでいましたので、その前から人は居ると思います』
 大地によると、午前中に沢渡 真言(さわたり・まこと)が中心となって建てた『こども達の家』から子供たちが農場見学にやって来ること、パーティーは午後の早い時間に行うとのことであった。
 その後いくつか話をして、ニーズヘッグが未憂との通話を終え、携帯を仕舞う。
「明日もイナテミスにいるのかい?」
「ああ、そうなった。どっかで一晩過ごさねぇとな」
「なら、家を使うといい。なに、狭い家だが、君一人くらい賄えるさ。
 人に会うのなら、身奇麗にしていった方がいいね。お風呂、入っていくかい?」
「フロってあの、お湯がじゃんじゃか流れてるアレか? アレなかなか悪くねぇな、気に入ったぜ」
 どうやらニーズヘッグは風呂好きになったらしい。……かつて蛇だったのが疑わしくなってきたが、よしとしよう。
 
 その後、風呂に入り(ニーズヘッグが入っている時にミニスが入ってきて、ニーズヘッグの胸の具合を確かめたりしていた。そこでもやっぱりニーズヘッグの反応はアッサリだったが)、しばしの談笑の後、永太家の灯りが消され、辺りの闇に包まれていく。
「…………」
 その中を一人、家を抜け出し、礼拝堂の扉をそっと開け、中に入るザイン。中は差し込む月明かり以外は暗闇だったが、機晶姫であるザインは苦にすることなく進み、礼拝堂の奥、天井付近のステンドグラスから差し込む月明かりを浴びる。
「……私は……」
 相談に乗ってくれたニーズヘッグ、励ましてくれたミニス、そして、永太。
 それらを思いながら、自分はどうすればいいのか、ザインが思考に耽る――。
 
 その頃、三人の聖少女たちが一晩を明かす予定の宿屋『しゅねゑしゅたぁん』では、他にも明日という日を楽しみにしている者たちがいた。
 
「すっかり遅くなってしまいましたね。慣れない場所で落ち着かないかもしれませんが、今日はゆっくり休んでください。
 ……でないと、明日の農作業ですぐに疲れてしまいますよ?」
「そ、そうなの? わたし、農作業なんてしたことないから、大丈夫かしら……」
「わたしもしたことないわ。でも、きっとだいじょうぶ! だいちおにぃちゃんがてつだってくれるもの!」
 ベッドに腰掛け、不安そうな面持ちのファーシー・ラドレクト(ふぁーしー・らどれくと)と、対照的に今から楽しみで仕方ない様子のクロエ・レイス(くろえ・れいす)に、大地が微笑みかける。
「明日は千雨さんもいらっしゃいますし、他に農場でお世話になっているコルトさん、イナテミスの町長さんや精霊長の皆さんを始め、大勢の方がいらっしゃるそうですよ。皆さんとても優しい方です、例えお二方が困ってしまっても、必ず手を貸してくれますよ」
 
 大地とシーラ・カンス(しーら・かんす)が二人を迎えに行っている間、真言のパートナーであるマーリン・アンブロジウス(まーりん・あんぶろじうす)がイナテミス町長、カラム・バークレー、地球人と精霊のカップル、ホルン・タッカスキィ・ウインドリィ、イナテミスのみならずシャンバラに住まう精霊たちをまとめる『五精霊』、サラ・ヴォルテール(さら・う゛ぉるてーる)カヤノ・アシュリング(かやの・あしゅりんぐ)セリシア・ウインドリィ(せりしあ・ういんどりぃ)セイラン・サイフィード(せいらん・さいふぃーど)ケイオース・サイフィード(けいおーす・さいふぃーど)に招待状を出し、未憂がニーズヘッグにも誘いの声を掛けていた。
 その後、それぞれ時間はまちまちながらも、午後のパーティーには必ず駆けつける旨を返していると、マーリンから大地の下に連絡があった。
『いやー、まさか全員から色好い返事をもらえるなんてな。アレだな、これはうちの可愛い歌姫効果ってヤツだな、きっと』
「いやいや、それを言うなら私の所の千雨さんも少なからず寄与してることになりますよ?」
 そんなやり取りが交わされ、もしかしたら見えない火花が飛び散っていたかもしれないが、まあそれはさておき、これで普段農場で働いているコルト・ホーレイや、休憩所『チェラ・プレソン』の看板娘、プラ・ヴォルテールアシェット・クリスタリアを加えると、相当な人数になることが予想された。
 
「ぜひお二方には、色々な方に会っていただき、色々な経験をしていただきたいのです。
 ファーシーさんも、少しずつ歩けるようになってきましたしね」
 
 ファーシーとクロエが一夜を過ごす予定の部屋には、一台の車椅子が置かれている。
 関わりのあった生徒たちの尽力により、ファーシーは酷い時は魔物化しかけていた所を、今では多少の歩行が出来るくらいにまで回復していた。
 
「……そうね。こうして大地さんが誘ってくれたのだから、色んなことを知って、そして楽しみたいわ」
「わたしも!」
 ようやくファーシーに笑顔が戻り、では、と言い残して大地がシーラと別の部屋へ移動する。
「リンスさんも来られればよかったわね」
「そうね、でもわたし、リンスがそとであそぶところをみたことないわ!」
「あはは……って、笑ったら悪いかな? でも、確かにリンスさんは外が似合う人じゃないかも」
 クロエの生みの親であるリンス・レイス(りんす・れいす)にも大地は誘いをかけたのだが、結局クロエだけで行くことになった。確かにクロエとファーシーが思うように、リンスが農作業をしている姿を想像するのは、大分難しいだろう。
「……さて、と。わたしたちもそろそろ休みましょうか。大地さんの言うように、ちゃんと休んで明日に備えましょう」
「うん! わたし、ねむれるかしら?」
 ゆっくりとした動作で立ち上がり、ファーシーが照明を消し、枕元の灯りだけがぼんやりと部屋を照らす。その灯りを頼りにベッドへ向かい、ファーシーが床につく。あれだけ騒いでいたクロエは、いつの間にか眠っていた。
「ふふ、クロエちゃん、布団がズレてるわ」
 布団をかけ直してやり、改めてファーシーが床につき、電気を消す。
(明日が楽しみね……)
 明日はどんな出会いがあるのだろう、そんなことを寝る間際に考えるファーシーであった――。