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ハロー、シボラ!(第1回/全3回)

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ハロー、シボラ!(第1回/全3回)

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chapter.7 暗がりの接触 


 深夜になった。
 多くの生徒が眠りについている中、ラルクはひとり、寝ずの番をしていた。と言っても、そこまで厳重な警戒というわけではなく、万が一に備えてというものだった。それゆえ、合間合間に読書や腕立て伏せなどを挟む精神的余裕も見受けられた。
「魔物の目撃報告はねぇって話だったが、何かの仕掛けが急に発動しないとも限らないしな」
 言い聞かせるように、ラルクは呟く。ただその手に持っていた本が若干アダルトな内容のものだったため、あまり説得力はなかった。このタイミングで何かトラブルが発生したら、危うい事態になっていたのかもしれない。ただ、幸運だったのは、この夜彼らの野営地で何も事件が起きなかったということである。
 ――この野営地では。
 そう、別な場所でこの時、異変は起きていたのだ。



 遺跡の外、生徒たちが最初に集まっていた地点にある木々に囲まれた平地。
 藤原 優梨子(ふじわら・ゆりこ)はただひとり、そこから伸びている林道を歩いていた。「危険な生物や原住民がいたとして、それらとの衝突を未然に防ぐため」と言い、彼女はあえて遺跡に入らず、遺跡周辺の探索をしていた。もっとも、彼女のその理由は、すべてが真実ではなかった。本当の意図は、原住民との交流にあったのだ。
「オセロットさん、気配がしますか?」
 狩猟採取民である従者の名を呼び、優梨子が尋ねる。が、従者は首を横に振るだけだった。
 探索を始めてそれほど時間は経っていないが、慣れない土地にこの暗闇では、あまり時間をかけて遠くまで行くのも躊躇われた。一応記憶術で辿った道は憶えているものの、万が一迷子になった時のリスクを考えるとこのへんが潮時なのだろう。彼女がそう思い始めた頃だった。
 ガサ、と優梨子の耳に、草を揺らす音が聞こえた。ほぼ同時に、従者も反応を示す。音のした方へ彼女が足を進めると、音の主も接近しているのか、徐々に気配が濃くなってくる。
 そして、もう肌がはっきりと生物の存在を感じ取った時、それは現れた。
「!!」
 ぼんやりと闇の中浮かぶシルエット。それは、彼女よりも幾分背の高い、人の形をしたものだった。
「もしかして……原住民の方ですか?」
 言語が通じるかどうかは分からないが、とりあえず優梨子はコミュニケーションを取るべく話しかけてみた。影は一瞬びくっとしたものの、そのまま優梨子に近づくと、首を縦に振った。少なくとも、人語は解すことが可能らしい。
「私、シャンバラから来た藤原優梨子という者ですけど……そちらは?」
 コミュニケーションが出来ると知った彼女は、にこやかな笑顔で挨拶をする。目の前の影が何か呟いたが、小声でよく聞き取れない。
「……キ……ゾ族」
「え?」
 かろうじて聞き取れた数文字の全貌を得ようと、優梨子は聞き返す。しかしその時、声を届けようと思ったのか、影がさらに一歩踏み出した。ふたりの距離が、2メートルほどまでに縮まる。そこまで接近してようやく、優梨子はきちんと姿を認めることが出来た。どうやら影の主は、上半身裸で色黒の男性のようだった。
「すいません、もう一度言ってもらえませんか? あ、そうそう、ちなみにあちらにあった遺跡に今多くの生徒がお邪魔していますが、特に不穏な意図はないので……」
 優梨子が思い出したように、断りを入れる……が、その言葉は途中で止まった。なぜなら、暗闇に目が慣れた優梨子は、目の前の男をよりはっきりと視認してしまったからだった。男は、なんと上半身だけでなく下半身も裸だった。
「……」
 突然暗闇の中、茂みから現れた全裸の男という状況に、一瞬言葉を失う優梨子。しかしあくまで目的は交流であると言い聞かせ、彼女は持っていたお酒を差し出した。
「良かったら、これを……」
 そこで、またもや優梨子の言葉は遮られた。目の前の全裸の男が、優梨子を見て襲いかかってきたのだ。
「っ!?」
 不意に放たれた拳による一撃を、すんでのところでかわす優梨子。彼女は風を肌に感じながら、先程よりも深い笑みを浮かべて言った。
「……ああ、迂遠なことをするものではありませんでしたねぇ。最初から、肉体言語で分かり合えば良かったのですね」
 優梨子はヴァジュラを構えると、素早い動きで男の首目がけ閃光を描く。
「!!」
 つう、と男の首に血が走った。致命傷にはならなかったようだが、互いに一撃ずつ放ったそのやりとりで、自分の方が不利と悟ったのか、男はくるりと向きを変え、周囲に同化したかのようにその姿を瞬く間にくらました。
「……逃がしましたか」
 結局正体は掴めないままだったが、おそらく付近の住民なのだろう。優梨子はそう自分の中で結論付け、来た道を戻っていった。

 同時刻、遺跡入口では。
 誰もいないはずのこの場所に、大勢の人の気配が漂っていた。20人はあるだろう人影の中のひとつが、声を放つ。
「ここがヨサークが言っていた遺跡か……やっと着いた」
 それは、ヨサークを追いかけてシャンバラからここまで来た、デンタル空賊団の船長、デンタルのものだった。
「デンタル船長、大丈夫でしょうか?」
 船員のひとりが尋ねる。
「どっちだ、遺跡の中のことか、それとも俺の歯のことか」
「遺跡の中のことです! ただでさえやっかいなヨサークに、多くの契約者たちも同行しているそうですが……」
「大丈夫だ」
 それを聞いたデンタルは、黒や赤に染まった歯を覗かせ言った。
「俺の歯が痛いうちは、ヤツらに良い思いはさせない」
 決意を新たに、遺跡へ彼らが入ろうとした時だった。
「ふうん、随分と強気なのね?」
 彼らの背後から、声がした。デンタルたちが振り返ると、夜を背負うようにしてメニエス・レイン(めにえす・れいん)が佇んでいた。
「誰だ?」
「あなたたちと同じ、遺跡の中に今いるヤツらが財宝を手に入れることに納得がいっていない者よ。ねえ、少なくとも今あたしがあなたたちに危害を加えることはないから、その武器を収めてくださる?」
 メニエスは、デンタルの持っている鋭利な斧のようなものを見ながら答えた。この状況で単身接触しにきたからには、それなりの理由があるのだろう。そう判断したデンタルは、彼女の言うことを聞き話を聞く姿勢を見せた。
「……で、どうして納得がいっていなくて、どうしてここにいるんだ?」
「理由なんて、あいつらが気に食わないからっていうだけ。ここにいるのは、あなたたちに協力したいと思ったからよ」
 もちろん見返りもいらないし、財宝にも興味がない、ということを付け加え、メニエスがやり取りを進める。それを聞いたデンタルらは、あまりに自分たちにとって都合の良い存在が現れたことを疑い、ひそひそと話し合いを始めた。その会議を眺めながら、メニエスは思う。
 ああもう、まどろっこしい。そもそも今さらあたしが空賊風情と組むなんて、海老の中に鯛が混ざるようなものなのに。
「どう? 協力させてもらえる?」
 もちろん、そんな心情は表に出さず、メニエスは大人びた対応で答えを促した。まだ悩んでいる様子のデンタルらだったが、その時、デンタルが頬を押さえ出すと状況が一変した。
「あ、痛てててて……」
「船長!」
 デンタルに、歯痛が訪れたのだ。こうなってしまうと、物事を深く考えることをしなくなるのが、彼の性質であることを船員全員が分かっていた。
「わ、分かった。協力を受けよう。とりあえず船長の歯痛が収まり次第、遺跡に入るから!」
「歯痛ぇ……」
 うずくまったデンタルを見下ろして、メニエスは呆れ顔をして心の中で呟いた。
 酷いのは、名前だけじゃないのね、と。

 そして、もうひとり。遺跡の外で活動していた者がいた。
 それは遺跡から遠く離れたところまで出向いたブルタ・バルチャ(ぶるた・ばるちゃ)である。彼は、あれだけの人数で夕食を取るのなら、大物を捕まえなければ駄目だろう、ということで幻生物の山という土地を目指しひとり黙々と歩き続けていたのだ。ただし、ゴールをそこに定めた時点で、彼はふたつの大きな過ちを犯していた。
 ひとつは、生徒たちがいた遺跡から幻生物の山という場所までの正確なルートが分からなかったことである。真っ暗な夜の中と不慣れな土地では無闇に遠くまで行くべきではない。皮肉にも、優梨子が危惧していたことを彼は体現してしまったのだった。つまり簡単に言うと、彼は道に迷っていた。
「せっかく、ヨサークと接点が持てると思ったのに……」
 思惑が外れ、無念そうに呟くブルタ。彼はどうやら、今後のタシガン周りが慌ただしくなりそうだと予測し、その近郊で活動しているヨサークと接点を持っておきたかったようである。ここに、彼が犯したふたつ目の過ちがあった。ヨサークと接点を持ちたいのであれば、ヨサーク本人とストレートに会話するべきだったのである。彼の性別が男である以上、ヨサークも無下に会話を拒みはしなかっただろう。
 結局彼が迷いに迷って遺跡前まで戻った時には、空が白み始めていたという。どういうわけかブルタが持っていた聖ワレンティヌスのパンティーが、朝日を受けてその白さをより際立たせていた。彼はそれを何に使うつもりだったのか。少なくとも、それが今回何の役にも立たなかったことだけは、明白であった。